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推しへ、あなたの結婚相手とランチをしました

 雪城さんのイベントから数日後。うどん屋の仕事の休憩中に推しからメールが届いたのだけど、その内容に驚いてしまった。


『絆奈ちゃん、あれから傷の具合はどう? ちゃんと謝れなかったけど怖い思いさせてごめんね。それと雪城さんが絆奈ちゃんにお礼をしたいって言ってるんだけど会ってあげることは出来るかな?』

「……ひぇ」


 思わず声が出る。いや、推しからメールというのもいつものことながら慣れないけど、ここでまさかの雪城さんと会うことを頼まれるとは思わなかった。

 別にお礼とかそんなのいらないのに、雪城さん真面目すぎる。というか、まだあの事件があったばかりなんだし、彼女のメンタル的に大丈夫なのだろうか?

 悩んだ末に推しに返信を打ち込んだ。


『怪我は大丈夫ですし、病院にも行きましたので心配ご無用です。そして雪城さんからのお礼ですが、そこまでしていただくほどのことではないのでお気遣いなくとお伝えください。まだあれから日も浅いですし、心の傷を癒すことが先だと思いますので』


 よし、これで送信。賄いのうどんを少し遅めの昼ご飯として啜りながら、しらねやの妄想に耽る。

 しかし、妄想開始一分ほどでスマホが震えた。どうやら着信が入ったらしく、相手が誰か画面に目を向けるとそこには推しの名前が。

 いやいやいや、ここで推しから電話かかってくるなんてある!? ていうかなんで電話!? 今までかかってきたことなかったのに! もしかして間違い電話なのでは?

 狼狽えながらも心臓に悪いのでさっさと出て間違いですよと伝えなければ。


「も、もしもし?」

『あ、絆奈ちゃん。今大丈夫?』


 間違いじゃなかったーー!! 私だとわかった上で連絡してる!


「えっと、少しだけなら……」

『ありがとう。あのね、実は今隣に雪城さんがいてね、どうしても絆奈ちゃんにお礼をしないと気がすまないって騒いでて……』

「えっ」


 なぜ二人が一緒に……? 勝手に送り続けてくる推しのシフトによると今日はオフのはずなんだけど、雪城さんもオフなのだろうか。……つまりデート?


『早く約束を取りつけてって言うから直接電話したんだけど、絆奈ちゃんが迷惑じゃないなら彼女のワガママに付き合ってほしいんだ』


 そう伝える推しのすぐ後ろの方で『ワガママって何よ! そんな言い方されたらあの子来ないでしょ!』って言う雪城さんの声が僅かに聞こえた。……イチャイチャを見せつけられているようだ。


「えー……と、雪城さんが大丈夫なら……」

『ほんと? それじゃあ、あとは二人でやり取りしてもらった方が早いから絆奈ちゃんの連絡先を教えてもいいかな?』

「あ、はい」

『ありがとう! 突然ごめんね、それじゃあまた連絡するよ。それじゃあね』

「お、お疲れ様です」


 こうして初めての推しとの電話のやり取りが終わったのだけど、突然のことで頭の整理が追いつかない。

 ええと、つまり……私、雪城さんとイベントではなくプライベートで面会をすることになるそうで、推しの未来の……とはいえ現世では遅れ気味である奥さんと。


 それからすぐに仕事に戻ったんだけど、業務後にスマホを見ると見たことのないアドレスからメールが来てて、何も知らなければ迷惑メールと思っていただろう。

 でも、ご丁寧に件名には「雪城 愛歌です」と書かれていたので、間違えて消すこともない。

 受信時間を見るとちょうど休憩終わりだったので、推しの電話が終わってからすぐに連絡先を聞いた彼女が送ってくれたのだろう。


『こんにちは。寧山さんから話を聞いていた通り、橋本さんにはお世話になったのでお礼をさせてほしいの。来月辺りにでも空いてる日程があれば教えてもらってもいいかしら?』


 その内容に慌てて返事をした。今をときめくパークの人気アクトレスである雪城さんが私の予定を合わせようとしているようで恐縮してしまう。忙しいだろうし、それくらい私が予定を合わせるので彼女には『いつでも大丈夫ですので雪城さんに合わせます!』と伝えた。


 幾度か雪城さんとやり取りを経て、十一月中旬の現在、約束していた彼女と会う日を迎えた。

 十二時に都内某所にある有名な高級ホテルで待ち合わせな上にさらにお洒落して来てねと言われてしまった私はまさかホテル内で食事でもするのではないかと思い服装を言われた通りにお洒落して来た。

 かっちりとしたフォーマルな服装を提示していないので、Vネックの白ニットに膝下丈のカーキ色のレーススカートにダークブラウンのタイツ、黒のパンプス、そしてポシェットを装備してホテルへ足を踏み入れる。

 さすが高級ホテルだ。ロビーすらもラグジュアリーで広く、さらに天井も高い。普段なら訪れることなんて絶対にないだろうと思いながら広々としたロビーにあるソファーへ腰を下ろし、まだ来ていないであろう雪城さんを待つ。

 ……それにしてもソファーの沈み具合もエグい。こんなにふかふかで座り心地がいいものがロビーで座り放題だなんて……!

 椅子の上に飛び跳ねたくなるのをぐっと堪えながら大人しく洗練された空間を待つこと数分。一際目を引く女性がヒールの音を鳴らしながらこちらへ近づく。


「こんにちは、橋本さん。お待たせしてごめんね」

「あ、あっ、こんにちは、雪城さんっ。私も今来たばかりですので大丈夫ですっ」


 幅広の黒のハートネックニットにベージュのタイトスカート、黒タイツに黒ヒール。クラッチバッグを片手に彼女はやって来た。やばい、鎖骨綺麗すぎる……!


「ふふ、可愛い服を着てくれて嬉しいわ」

「い、いえ、雪城さんに比べたら色々と見劣りしまして……」

「あら、そんなことないわよ。自信持っていいんだから」

「あはは、ありがとうございます」

「それじゃあ、行きましょうか。こっちよ」

「あ、はい」


 背も高くスタイルも良い彼女のあとに続いてホテルのエレベーターに乗り込んだ。

 六十階のボタンを押して、そのまま止まることなく上がり続けたエレベーターは目的階へと到着する。

 扉が開き、降りた目の前はレストランの受付であった。どうやらその階全体がレストランのようだ。


「予約していた雪城です」

「雪城様、お待ちしておりました。ご案内致しますのでこちらへどうぞ」


 身だしなみに抜かりのない男性スタッフの人に案内されて、奥の窓際席へと座らせてもらった。天気の良い今日は街を一望出来る景色が素晴らしくていい眺めである。

 窓に見蕩れつつもメニューを差し出されたので開いて注文する料理を選ぶが、さすが高級ホテルに入っているレストラン。どれもお高めである。……無難なお安いやつを選ぼう。


「橋本さん、生ウニはお好き?」

「え? あ、はい。好きです」

「ここのオススメはね、生ウニのパスタなの。良かったら一緒にどうかしら?」

「へー。美味しそうです、ね……」


 生ウニのパスタと聞いてまさかと思い、値段を確認すると三千円超えである。推し課金ならなんてことない値段だが、お昼のランチと思うと少々高く感じてしまった。


「橋本さん、今日はお礼を兼ねてるからここは私の奢りよ? 気にしないで選んでちょうだい」

「え、でもそれは……」

「むしろこれでも足りないくらいなのよ? ね?」

「じゃ、じゃあ、オススメをお願いします……」


 そう言われてしまうと遠慮しづらくなってしまい、私が彼女のオススメを選ぶと、雪城さんはにこりと笑いながら店員さんを呼んでパスタとドリンクを注文してくれた。


「さて、改めてお礼を言うわね。橋本さん、この間は本当にありがとう。あなたのおかげで助かったわ。怪我の具合はその後どうかしら?」

「あ、怪我は大丈夫です。本当にちょこっとしたものなので。それにたまたまだっただけですし、そんなに感謝されるほどでは……」

「そんなことないわ。普通なら躊躇うほどのことをあなたはやってくれたの。誰かを呼びに行く選択だってあったはずなのに一人で立ち向かってくれたんだから」


 確かにその選択もあったけど、あれは一刻も早く助け出さないと危なかったから無我夢中だった。


「それに、もう少しでも遅かったら多分……」

「あ、あの、雪城さん。そういう話はやめましょう。雪城さんのトラウマになるようなことですし、嫌なことを思い出すことになりますから」

「あら、私は別にトラウマになってないわよ?」

「へ?」


 傷口に塩を塗るようなことをしないためにもその話題は避けようとしていたのに目の前の人はあっけらかんと答えた。……え、だってファンに襲われた上に性的暴行を受けられそうになったんだから、心的外傷を受けてもおかしくないのでは?


「確かにあのときは気が動転しちゃったし、怖い思いもしたわ。でも、あなたのおかげでこの身体は無事だもの。むしろあの男を去勢した上でぶち殺してやりたいほどムカつく気持ちの方が大きいわね」


 おぉ……雪城さん、強い。ストレート過ぎるし、心も強すぎる。いや、トラウマを抱えて男性恐怖症とかにならないのなら良いことではあるけど、強姦未遂とはいえ被害者だというのにこの強さはさすがである。しかし、こんな綺麗な人の口からあんな言葉が出るなんて。


「あははっ、雪城さん。結構ぶっちゃけるんですね」

「そりゃあそうよ。私だって人間だもの、ムカつくものはムカつくし、私が受けた屈辱の倍以上に返したいもの」


 言われてみれば私もそう思う。理不尽な攻撃を受けたら返したくなっちゃうんだよね。うーん、小学生のときはまだ冷静に対処出来たけど、大人になるとあの頃とは違う酷い出来事なんて沢山あるから私もつい攻撃的になってしまう。大人しく推しを応援したいだけなのになぜだろうか。


「それにしてもやっと笑ってくれたわ、橋本さんずっと硬い表情だったもの」

「え、そりゃあ、緊張とかしますよっ! あの人気の雪城さんとこんな素敵な場所でご飯をするんですから!」

「自分よりも大きな男に向かってあんなに啖呵を切っていたのに?」

「だってあの男許せなかったんですよっ。人間としても男としてもファンとしても! 有り得なくないですかっ?」

「そうね、有り得ないわ」


 クスクス笑う雪城さんを見て、なんだか初めて寿司屋で会ったときのことを思い出す。まさかこうしてまた会うことになるなんて思いもしなかったなぁ。

 ぼんやりとそう考えていたら注文の品が届いた。メニューには料理の写真が乗っていなかったので実物を見るのは初めてになるが、目の前に配膳された生ウニのパスタは生ウニのクリームソースにさらにこれでもかというほどのウニがパスタの上にも乗せられていて、どう見ても私の考えていた以上にウニづくしである。


「すっ……ごい……!」

「でしょ? 私、これが好きでオススメなのよ」


 早速フォークとスプーンを使い、パスタを一口。その瞬間、口の中がこんなにも幸せになるのかという感覚を味わった。

 濃厚なウニにもちもち食感の生パスタがソースとしっかり絡んでいて、食材がすでにいい物なんだし、高級ホテルに勤めるシェフが作ればその料理が美味しくないわけがない。


「……感動を覚えるほど美味しいです。きっとこのレストランならどれを食べても美味しいと思うんですけど、贅沢な味ですねっ」

「ふふっ、気に入ってもらえて良かったわ」


 あまりにも美味しくて食が進むんだけど、場所が場所なため少しでも上品にと心掛けるように食べていくが、気がつけばあっという間になくなってしまった。


「ご馳走様でした。こんな美味しい物を頂けて幸せです」

「そう言ってもらえたらお礼にここを選んで安心したわ。……あ、ねぇ、橋本さん。私もあなたのこと絆奈ちゃんって呼んでもいいかしら?」

「へ? あ、はい。大丈夫です」

「それじゃあ、私も愛歌って呼んでちょうだい」

「えっ!? そんな、名前だなんて畏れ多い! 出会ってから日も浅いのに!」


 いきなり下の名前呼びだなんてさすがにそんな生意気なことを私には出来ない。


「そんなの気にしなくてもいいわよ。それに私達、もっと昔に会ったことあるでしょ?」

「えっ……」


 彼女の言葉にドキリとした。もっと昔って五年前に会ったことを言っているのだろうか。さすがにあれ以来彼女と対話したのは先月のイベントのときだったからさすがに雪城さんも忘れていると思っていたのだけど……。


「絆奈ちゃんは忘れちゃったの? 私とあなたがファンの在り方について話してたことを」

「お、覚えてますよ! お寿司屋さんの出来事ですよねっ? 忘れるわけないですっ」

「それなら安心したわ。まぁ、私もあなたに助けられたときに思い出したんだけどね。あんなにファンとしてのポリシーを熱く語る人なかなかいないもの」

「あはは……」


 あのときはちょっと……いや、かなりブチ切れちゃったもので……。そもそもあの男がファンとして最低な言動をしたから熱くなっちゃったんだし。


「でも、絆奈ちゃんの応援してる人が寧山さんだったとはね。距離が近いって悩みはまだ健在なの?」

「えぇ……そりゃあもう……」


 思い返せば舞台後のランチや連絡先の交換、そして個人でのクリスマスプレゼントに面会なしの舞台での楽屋呼び出し……。ひとつひとつあげていくと雪城さんは面白がるように笑った。


「あなた、あの人のお気に入りなのね」

「いや、オキニは困ります! 私、普通のファンとして接してくれるだけでいいんですから!」

「もう無理よ。ここまで親密な関係だとさすがにただのファン扱いは出来ないわね。諦めるしかないわ」

「……うぐ、薄々は感じてましたけど……」


 やはりもうダメか……そうだよね、もう推しと接する年月が長いもんね……。こうなったら推しカプの良き理解者ポジを目指すしかない。まぁ、推しの嫁が目の前にいるのでどう足掻いても無理なことではあるが。

 その後も雪城さんと色々話をさせてもらったんだけど、やはり同性ということもあり話しやすかった。

 そういえばあとから思い出して尋ねたのだけど、私がぶち壊したシャワー室の扉は男に請求するとのことらしい。弁償しなきゃいけないかなと思っていたので少しホッとしたのはここだけの話。

 そんな話をしていたら気がつけば食べ終えてから一時間以上話し込んでいたと思う。

 すると店員さんがなんだか豪勢なティースタンドを持ってやって来た。


「お待たせ致しました。お時間になりましたのでアフタヌーンティーセットをお持ちしました」

「ありがとう」

「えっ」


 戸惑う私を余所にアフタヌーンティーのセットがテーブルに置かれた。

 三段のティースタンドで一番下にはサンドイッチやキッシュ、カナッペ。真ん中にはスコーンとジャム、クロテッドクリーム。一番上には小さなブルーベリータルトやミニチョコレートケーキ、いちごが乗ったミニシュークリームなどが乗っている。そして傍らには紅茶ポットまで置かれた。


「……あのぉ、雪城さん。これは……」

「アフタヌーンティーよ」

「いつ頼んだんですか?」

「予約の時点で。時間指定したのよ」

「まさかこちらも……」

「お礼の一貫だからどうぞ」


 そのまさかだった。なんていうか、ここまでされるとは思っていなかったな……。

 雪城さんは満足そうに微笑んでいるのですでに用意されたアフタヌーンティーセットを無碍には出来ないため、女子会のようなひとときを送ることになった。


 雪城さんのランチからのアフタヌーンティーを終えたあと別れる際に「またご飯に行きましょうね」と言われてしまった。

 ……何度も言うけど、彼女はパークの人気アクトレスなのになぜこんな繋がりが出来てしまったのか。


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