推しへ、結婚報告はいつですか!?
上京してから半年が経った。朝はパン屋でバイト、昼はインパして推しを拝み、夜は新しく始めたうどん屋さんのバイト。まぁ、週の半分くらいは昼から夜までうどん屋で稼ぎに行ってるときもあるのだけど。
推しは毎月欠かさずにシフトを漏洩するし、何度も注意してるのに同じこと繰り返すし、最終的には『だってシフトわかってると予定立てやすいでしょ?』と言われてしまい、確かにそうなんだけど! と思いながらも結局そのシフト漏洩を有難く受け取ってしまう私はファンとして最低である。
推しにいいファンで良かったと思われたいのに、これでは推しがダメになってしまうのではないか? これはいつの日か顔を合わせてガツンと言わなければならない案件だろう。
あとはもう一つ気になることがある。水泥くんのことだ。
引越してすぐのこと、せっかく同じ都内にいるんだから今度会おうよと彼に連絡を入れたのだけど、水泥くんは『そうだね、大丈夫そうならまた連絡するよ』と言ってそれっきりである。
いや、連絡は毎月取ってるんだけど、他愛ない話をするだけで、肝心の会う日程の話にならないのだ。
もしかして忙しいのだろうと思って水泥くんから切り出すまでそっとしてるんだけど、もう季節は秋だというのになかなか会う機会がないままである。
まぁ、こればかりは仕方ない。また様子を見て改めて尋ねてみよう。
というのが最近の出来事だろうか。そして本日は推しがゲストに出るイベントがある。
その主役は雪城 愛歌。推しの未来のお嫁さんである彼女によるイベントに推しがゲストとして出演する。
雪城さんが得意の歌やダンスを披露し、ゲストである推しとは短い演劇を行う昼と夜のみの一日だけの公演。
そして、夜公演のラストに重大発表があり、推しと雪城さんが結婚しましたと報告をするのだ。
そう、いよいよ推しの結婚報告が生で聞けるというわけである。思えば私が推しの沼に落ちたときにはすでに既婚者だったので初めての経験になるだろう。
初回の昼公演。雪城さんのイベントだから彼女のファンがほとんどで、男性のファンも半数はいるようだ。もちろん、推しのファンだって何となくだけど見知った顔はいる。
今回は面会はないシステムなので推しへの差し入れを受付で預かってもらい、開演するのを待つ。
イベントが始まると私はすぐに舞台に集中した。初めて雪城さんの外部に参戦するのだけど、パークで見る彼女と、人柄がよくわかる外部での彼女とはやはり違う。
パークでの雪城さんはウンディーネ役ということもあり、落ち着いている印象だけど、昔に対話した雪城さんと今目の前にいる雪城さんはとても輝いていた。
スペックが高いのは最初から存じていたけど、イベント中の彼女は明るくて、歌っている最中は強い眼差しと誰もが魅力する歌唱力を持ち、踊る姿は頭から爪先まで所作が美しい。
胸が高鳴るほど活き活きしている雪城さんはもはや生きる芸術である。
実際に彼女と話をするまでは推しを不幸にした可能性があるということで苦手意識を持っていたのだけど、今はそんな感情はなかった。むしろ自ら相談役を買って出てくれたのだから雪城さんへの好感度は高いのだ。
そしてゲストである推しとの演劇が始まった。内容は決して結ばれない両片想いの男女の話だった。少しだけうるっとしてしまう。
昼公演が終わり、夜公演まではお昼ご飯を食べて、あとカフェでまったり。今回は推しからのランチの誘いはない。
恐らく雪城さんのゲストということもあり、そこは勝手に抜けることはしなかったのだろう。わざわざメールでごめんねと言われたのだけど、それでいいんだよ。それが普通なんだよ推し。
ゲストなんだし、きっとお昼も用意されているはず。そのため久々に周りを警戒することなく自由気ままの一人ランチを楽しんだ。
そして夜公演の開場時間。昼公演の雪城さんの歌声に聞き惚れてしまった私は雪城さんのCDを一枚購入してしまった。
歌声も良かったという理由もあるのだが、曲のテーマが許されない恋で推しカプにぴったりの歌詞でもあったからという不純な理由もある。
このCDは原稿のお供に聞こうと心に決めながら夜公演へと臨んだ。
夜公演も滞りなく、イベントは終盤へと近づく。そしていよいよ結婚報告が発表されるだろう。
「皆さん、本日は足をお運びいただき誠にありがとうございます。実は皆さんに重大発表があります」
きた。きたきた。結婚報告! ここで推しと指輪を見せて報告するんだよ。
重大発表と聞いてざわつく会場。これは盛り上がってきた。感動して泣いちゃうのではないだろうか。
二人にはしっかりと幸せになってほしいから離婚する未来がないように、私も出来るだけのサポートはしたい。
推しに奥さんを幸せにして、寂しい思いをしないようにとしっかり伝えておかないと。
「実は……ライブイベントが決まりました!」
ワー! と歓声が上がる中、私は一人「えっ?」と呟く。……あ、もしかして重大発表って二つあるのかな?
そう思って待っていたのだけど、ライブイベントの日程などそれに対する思いを彼女は伝えていて、肝心の結婚報告がない。
推しも嬉しそうに聞いているだけだし、指輪はいつ見せるのか……って、もしかして二人とも指輪を付けていない!? あとから付けるのだろうかとも思ってもう少し様子を見ることにした。
「重大発表って言うからびっくりした?」
雪城さんがくすくす笑う中、一部の女性ファンが「結婚すると思ったー!」と声を上げる。
「あはは、今のとこ予定はないわよ。まぁ、決まったらちゃんとみんなに報告するね」
なん、だって……!? け、結婚報告は!? 今年はしないの!? やっぱり私のせいで二人とも結婚時期がズレてしまったとか……?
いや、私一人でそんな多大な影響を与えるとは思えないけど……でも、私の存在のせいで推しは確実に雪城さんとの交流は減っているのかもしれないし。
どうしよう、このままでは推しが婚期を逃してしまう! それだけはどうにかしないと!
イベントが終わったあと、私は放心状態であった。推しの結婚報告を祝福する準備をしていたのに、まさかこんなことになるなんて……。
とりあえず、会場を出ようと席を立つと、スタッフの人に声をかけられた。
「あ、すみません。橋本さんですか?」
「え? あ、はい」
「寧山さんの関係者とお伺いしています。こちらへどうぞ」
「え」
待って。今日は面会もないから迷惑にならないようにすぐに帰るつもりなのに何この展開。
慌ててスマホを確認すると推しからメールが来ていた……スタッフがそっちに向かうから待ってて、と。
「あ、あの、すみません。どちらへ向かう感じでしょうか?」
「楽屋です」
「え、だ、大丈夫です! 撤収作業とかありますし、スタッフの人達に迷惑になりますから!」
「お気になさらないでください。他の関係者の方もいらっしゃいますし」
それは同業者だよね!? 私は全然違うから! ただのファンなんです!!
しかし、スタッフさんは私が気を遣っているのだと思ったのだろう。何度も大丈夫ですよと言ってくれる。これではさらに断りづらくなり、押し問答していたら逆に手間をかけさせてしまうため、私が折れることになった。
観念した私は楽屋へ案内されたけど、推しは同業者と話をしている様子なので大人しく隅っこの方へ待つことにする。もし、気がつかなければこっそりと帰るので出来ればそうしてほしい。
しかし、雪城さんも同じ楽屋のはずなのに彼女の姿が見えないのだけど、どこかへ出ているのだろうか。
そんなふうに楽屋を見渡していたら推しと目が合った。同業者と話を終えたのか、推しの周りにいた人達は帰って行ったようだ。
そして嬉しそうに笑いながら推しが近づいてくる。
「絆奈ちゃん、来てくれてありがとう」
「あ、はい……えーと、なぜ私を楽屋に?」
「面会がないから直接話せないでしょ?」
そんなさも当たり前のように言われても……。私は同業者じゃないただのファンなのに。
「……さっきの人達はパークのアクター仲間じゃないですか。その人達ならまだわかりますよ? でも、何度も言ってますが、私はただの……」
「友人だよ、絆奈ちゃんは」
「……」
にこにこしながら言葉を遮る推し。悪意も何もない天然百パーセントでのたまうのだからタチが悪い。
「それよりご飯行こうよ。なんだかんだで絆奈ちゃんの引越し祝いも出来ていないからそれも兼ねて」
あ~~!! ご飯誘われたぁ~~!! 今回はないと思ってたのに! それにこの半年、推しがよく引越し祝いをしようと誘ってくるので何度か仕事の理由をつけてわざと断りを入れたのだが、なかなか諦めてはくれない。
行くしか……ないのか。お祝いって言うからきっと推しのことだしご馳走するとかそんなんでしょ。推しに奢られるのが嫌だから避けてきたのに。
「準備出来たら雪城さんに挨拶して行こうと思ってるから少し待ってね」
「じゃあ、その間にお手洗いに行ってきますね」
せめて化粧直しだけさせて……顔を合わせるつもりじゃなかったから手直ししてないの。
丁寧に推しからトイレの場所を教えてもらい一旦楽屋に出ることにした。




