推しへ、私に構わず彼女を大事にしてください
八月三十日。私の十六歳の誕生日で、ニーナや家族からしっかりとお祝いされた。
プレゼントを貰い、ケーキを食べて毎年ながら有難く嬉しい一日を過ごしたその日の夜のこと。
「ん?」
ガラケーにメールが届いていた。誕生日おめでとうメールかな?
でも、ニーナは直接祝ってくれたし、水泥くんからは日付が変わってからすぐにメールくれたし、今のところウェブで誕生日を入力した覚えもないので誕生日特別クーポンが送られることもないのに誰からだろうか。
不思議に思いながらメールを確認すると、送信者の名前を見た私は「びぇっ!」と変な声が出て携帯を落としそうになった。
送信者……寧山 裕次郎。
『絆奈ちゃん誕生日おめでとう! お祝いの言葉だけでも言わせてね。また会えるの楽しみにしてるよ』
うわぁぁぁ~~!! 推しからの誕生日お祝いメール!! 油断した! メアド交換してから少しメールのやり取りをして以来全然してなかったからこまめにメールする人じゃないんだって安心しきってた! ていうかなんで誕生日知ってるの!? いや、中一のときに家族で誕生日インパした日に精霊グリでお祝いしてもらったんだった! なんで推しが私の誕生日を覚えてるのっ! まさかここで爆弾を落とされるだなんて!
「役者が、役者がファンに個別誕生日祝いメールするだなんて……!」
こんなことはあってはいけないのに! しかし、私の手はそのメールを保護することしか出来なかった。てか、推しのメール全部保護してます。
……きっと、お友達だからお祝いしなきゃっていう感じなんだろうな。ううっ、ファンに見られてない。
一人で頭を抱えていると、携帯にブログ更新の通知がきた。もちろん、推しのブログである。
慌ててブログにアクセスすると、タイトルに『告知!』と書かれていた。
この時期に劇団の公演を告知するのは早いから……まさか!
「なになに……十二月に舞台出演することが決まりました、か。……やった! 外部だ!」
ようやく劇団以外の外部出演が観られるわけか! そうか、この頃だったんだ!
公演タイトルは『狐面男』日にちは十二月二十三日から二十五日まで。
めちゃくちゃクリスマス時期じゃないか。まぁ、行くなら二十三日の土曜日だね。いつも土曜日遠征だし。
「……うーん、でもクリスマスに行くのもいいよなぁ。クリスマスに推しを観れるなんて最高のクリスマスプレゼントだし……」
いつもなら土曜に遠征して日曜にゆっくりするつもりだったけど、冬休みに入るから二十四日に行ってもいいかもしれない。
クリスマスイヴに推しの舞台! こんな機会滅多にないもんね! 今回の外部は二十四日にしよう。
そう決めてから一ヶ月後にはチケット販売で無事にチケットをゲットし、それから早数ヶ月経った十二月二十四日。
ゴールデンウィークに行われる劇団公演以外の舞台に初めて訪れた。
冬に舞台遠征するのは前世以来。しっかり暖かい格好をして挑む。
『狐面男』というタイトルであるこの公演。舞台は江戸時代。妖怪が人を襲うことがあるとされていて、危険な妖怪に襲われると狐の面を被った男が助けてくれると噂されていた。
ある日、大蜘蛛に襲われる女性が狐面男に助けられる。しかし、女性は活発する妖怪達を鎮めさせるための生贄として選ばれた人間で生贄の儀式の途中に逃げ出したところだった。狐面男に助けを請うも男はその場を去り、追いかけてみるもいつの間にか消えてしまっていた。
程なくして女性は村人に捕まり、生贄の儀式を再開することに。身動きが出来ない彼女の元に牛鬼が現れ、死を悟ると狐面男が再度助けにやってくる。
激しい戦いにより狐面を飛ばされて顔面を晒すことになるが、男の顔は酷い火傷を負って原型を留めていないなかった。
その正体は男に取り憑いて悪事を働く妖怪を倒していく狐火である。牛鬼を倒すと狐面男は火に巻かれるように消えていった。
推しの役どころは生贄に選ばれた女性の恋人。生贄として連れられる女性を助けようとするが村人に取り押さえられ、僅かな望みにかけて生贄の場に向かえば牛鬼と狐面男との戦いの最中だったのでその隙に彼女を助けた。
最後は二人で村を出て新しい生活を探すという。
観終わったあとは強く拍手をした。とてもとても良かったのだ。
役者あっての舞台ではない。ストーリーも演出も全て良かった。推し目当てで観劇に来たとはいえ、推しの存在を忘れてしまうほど惹き込まれてしまう。私はとても好きな話だ。
そんな素敵な舞台を観られて良かった私はアンケートで感想をしたためる。これが終わったらすぐに劇場を出よう。
何故ならば今回の外部は面会がないタイプなのだ。直接感想を伝えられないのは残念ではあるが、推しとの距離感を考えるとある意味安心ではある。
なので手紙や差し入れは開場のときに差し入れボックスに入れてきた。
アンケートも提出し劇場を出て行くと、気持ちが昂って暑いくらいだった身体には気持ちいいほどの冷たい冬の風が吹いている。
劇団が毎回行っている劇場とは違うため、見慣れない景色が何だか冒険心を擽ってしまった。
しかし、クリスマスイヴなので人通りが多い。そりゃそうだなぁ。私もいつもなら水泥くんやニーナと遊んだりしてたもんね。
さてさて、お昼ご飯でも調べようかな。今日はクリスマスイヴだからちょっと奮発していいものでも食べられたらいいなぁ。
携帯を取り出して、ランチにぴったりなお店探しをしようとしたら、メールが届いていた。家族からだろうか、友人からだろうか、それとも……。
少しばかり思い当たる人物がいたが、気のせいだといいなと思いながら新着メールを確認する。
『絆奈ちゃん。今日のお昼はここでどうかな? 先に行って待ってて』
その文面のあとにはお店のURLが記載されていた。もちろん、送信者は気のせいだと思いたかった推しからである。
「うぐっ……」
推しのランチ誘い……慣れない。断れない。いや、嫌いな人の誘いじゃないからこその葛藤なのだけど。
結局断れないダメなファンはわかりましたと返事をするのだった。
推しの指定したお店はお洒落なパスタ屋さん。裏通りにあるため人が少なめ。だからなのか、お店にもすぐに入店出来て、あとから一人来ることを伝えてから席に案内された。
メニューを開き、ランチの中から選ぶのだが、なかなかにメニューが多い。これは吟味しなきゃいけないなと睨み続けること五分。
「すみません。レディースセットでいくらのクリームパスタお願いします」
サラダとドリンクがついたレディースセットを注文して、あとは待つだけ。
店内は半分くらい埋まっている様子で特に込み合ってはいなかった。それから五分後、店の扉が開いたので推しが来たのかと確認する。
背格好からして推しではないのだけど、何やら見覚えのある顔で……。
「!?」
慌てて身を隠した。何故ならば、何故ならば! 白樺 譲が入店してきたのだ!
えっ、何これ! 何これ!? 何故、白樺 譲がここに!? いや、きっと彼も公演を観ていたのだろう。それでこれからお昼ご飯としてやって来ただけなんだろうけど、これは非常にまずい! 寧山がもうすぐ来るのにこのままではファンと役者が密会してるっていうのがバレてしまう!
そうなったら白樺が幻滅してファンをやめて役者にならない未来になってしまうかもしれない!
それは非常に困る!! しらねやのために今世頑張っているのに! ハッ、そうだ。今から店を変えるとか?
「お待たせしました。レディースセットです」
あああああっ! 注文した品が届いてしまった! これを見捨てるわけにはいかない! いくらが宝石のように輝いていてとても美味しそうっ!
そうしているうちに白樺は二つ隣の席に座ってしまった。近くはないけど遠くもない……。しかし、下手に彼を見てしまうと目が合いそうな視界に入る距離ではある。
それから五分経ったけど、静かにパスタを食べながら私は思った。
……推し、遅くない? もしかして私が入る店を間違えた?
もう一度メールを確認してみるが、確かにこのお店で間違いない。そろそろ来てもいいはずなのに何故? もしかして迷子? それとも見捨てた? いや、後者なら大歓迎。方法はともかく距離をとってくれたら有難い━━。
「いらっしゃいませー」
「あ、絆奈ちゃん。お待たせー」
推しーーっ!! 来ちゃった! 来ちゃったよ推し!! そうだよねっ! 推しは見捨てるような人間じゃないよね!
ああ、白樺気づいちゃったよ! めちゃくちゃびっくりしてる! そりゃそうだよね、尊敬してる役者がいきなり入店してきたんだもんね! ほら、推しをガン見してるのに推しは気づかないし! しらねやとしてはこのシチュエーションも美味しいんだけど私としては巻き込まれたくないっ!
「遅くなっちゃってごめんね」
「い、いえ……」
推しが向かいの席に座る。その様子を白樺がずっと見ていた。やばい、目が合いそうだし、めちゃくちゃ目付きが鋭くて怖い。推しの後ろが怖い。
なんで推しはそんな熱い視線に気づかないんだ? いや、鈍感なのは知っていたけどさ! 今だって呑気にメニューを見て注文するし……。
「あの……寧山さん」
「ん?」
「実は、寧山さんの後ろに座ってる子、ファンの子だと思うんです……前の舞台で寧山さんと面会してた子なの覚えてます……だから、その、あまりお仕事に関する話は控えた方が……」
小声でボソボソと伝えると推しは振り向こうとするので慌てて「振り向かないで、そのままでっ」と止める。
そんなあからさまに振り返ったら怪しいと思われるし、ここは気づかないままがいい。
「そっかー……じゃあ、聞こえない大きさで喋ったらいいよね」
お、推しーー!! なんで、なんでそこまでして話したいの!?
「それに、僕と絆奈ちゃんはデビュー前からの知り合いで今はお友達だから何も気にすることはないんじゃない?」
私は気にするの! それにデビュー前からの知り合いって言うけどあなたは自覚ないでしょ!? 幼少の私に構った記憶なんてないくせに! 記憶に残っていても困るんですが!
「それでも……少しは自重しながら……」
「うん。じゃあ舞台はどうだった?」
意思疎通が出来てない! 仕事に関する話は控えてって言ったのに! ……いや、もしかしてパークの話はしないってことなのか? 舞台も仕事でしょ? なんなの? 推しはポンコツなの? 愛しいけど!
「……今回のはストーリーが凄く良くて、舞台に関わる全ての人達の息も合っていてとても良かったです。暗転するタイミング、音楽と場面の相性、役者の呼吸までもが計算されたのかと思うほど……。寧山さんの役も村人に押さえつけられてもずっと彼女の名を叫び続けて最後まで必死に抗い、抵抗するところは迫力があって好きです」
しっかり答えてしまう私も私なんだけど! 仕方ないじゃん! もう白樺に聞こえないように話すしかないんだよっ!
「良かった、今回は面会がないから直接感想が聞けなくて気になってたんだ」
「来年の劇団公演も楽しみにしてますね」
「ありがとう。……あー、それでね、残念な話なんだけど、僕の所属する劇団ね……再来年に解散することが決まったんだ」
「あ……」
存じております。そういえばそろそろだなとは思ってましたとも。
解散原因が確か座長が役者を引退するからとのこと。劇団も下の者に継がせることなく解散してしまったので界隈では結構騒がれていた。
「それはー……残念です。寧山さんの活躍が減っちゃうんですね」
「うん……でも、他の舞台にも出るから大丈夫だよ」
そうだね。推しは劇団が解散しても舞台には出続けてくれるから安心はしてる。
「そのときを楽しみにしてます」
「ありがとう。あ、まだ公表するつもりはなくて、来年にはちゃんと劇団のほうから正式な報告があるはずだからそれまでは内緒ね」
……わかってはいたが、来年の情報をファンに漏らすのか、推しよ……。
「それとね、絆奈ちゃんに渡したい物があって……」
「えっ?」
唐突に推しが私の前に小さめでかつ上品な紙袋を差し出した。
その企業のロゴマークは知っている。フレグランスを扱うお店のショッピングバッグだ。……いやいや、まさか、そんなことはないはずだ。
きっと中身は推しの好きなおはぎとかで新幹線で食べてねとかそういうのだろう。
「こちらは……?」
「香水。絆奈ちゃんくらいの子ならこういうのが好きかなって思って」
「えっ、いや、何故っ?」
「クリスマスだから」
マジか……! 推しから手渡しでプレゼントを貰う日が来るとは! いや、まずい。これは色々とまずい!
だって白樺が忙しなくこっちを見てるんだよ。あいつは誰だよとか思ってるんだ。
話してる内容は聞こえていないみたいだからそこは安心だけど、プレゼントは確実に見えているはず!
「あ、あの……私はファンで……」
「僕達の仲だから、ね?」
ゆるふわという言葉にぴったりな推しの微笑みに胸撃たれる。天然か。知ってた。
しかし、推しにここまでされるのは困る……非常に困る! 頼むからここまでしないでくれ推しよ!
「……あ、もしかして好きじゃなかったかな。ごめんね、前もって聞いとけば良かったなぁ」
「い、いいえっ、そんなことないです! びっくりしちゃって……」
「じゃあ、受け取ってくれるかな? いつもお世話になってるお礼だから」
「ありがとうございます……」
年上の推しがしゅんとした表情をするものだから、おずおずとプレゼントを受け取る。……というか、普通に自分のために用意された物を突っぱねることなんて出来やしない。
「絆奈ちゃんのために選んだんだけど合わないなら正直に言ってほしいから、今中身を見てもらってもいいかな?」
「あ、はい」
今ここでクリスマスプレゼントを開けさせるのね。
……白樺の視線が気になるけど、もう後戻りは出来ない。
紙袋からクリスマス用にラッピングされた箱を取り出して、綺麗に包装されたプレゼントを躊躇いつつもリボンを解き、中身とご対面。
柑橘系のオーデトワレのようだ。容器もお洒落でさすが有名どころの商品である。
「可愛いですね、凄くお洒落で使うのが勿体ないくらい」
「見た目は気に入ってくれた? じゃあ、あとででいいから香りも確かめてほしいんだ」
「あぁ、はい。わかりました」
本当にプレゼントを受け取ってしまったなぁ……。
まぁ、私も今日の差し入れはクリスマス用にと奮発してちょっといい感じの万年筆を差し入れボックスに突っ込んだんだよね。
推しの注文したパスタも届き、食事を続けてるいといつの間にか白樺がいなくなっていることに気づいた。
彼の座っていた席は綺麗に片付けられていたので帰ったのかもしれない。
変な勘違いだけしてないといいな……ファンとの密会だなんて思わないでくれたら。あと私の顔も覚えていませんように。
暫くして食事を終え、退店する。いつものようにお金を支払うと言い出す推しに、去年までなら頑なに拒んで自分の分は自分でを徹底していたが、今年からは「私も働ける歳になりましたから自分の分を払わないとダメな人間になりますので」と言えるようになった。
推しにお金を使うならともかくクリスマスプレゼントも含めて私に費やさないでほしい。金より推しカプの供給を。
「絆奈ちゃん。早速だけど、つけてもらってもいいかな?」
「え? あ、はい」
店を出てすぐに香水をつけてもらうことを頼まれた。確かに店内で吹きかけても店主も困るもんね。
香りを確かめて、とのことなので試しに手首にワンプッシュ。ふわりとみかんの香りが漂う。
……ん? 柑橘系といえばオレンジとかグレープフルーツが定番だと思ったんだけど、これは紛れもなくみかんの香り。オレンジではなく、みかんだ。
「みかんの香り……ですよね? 珍しいですね」
「単純な考えではあるけど、絆奈ちゃんは和歌山から来てくれてるし、よく名産物の差し入れもしてくれるからイメージに染みついちゃって。どうかな? 香りとか、デザインとか女性の好きそうな感じ? 女性にプレゼントする機会がなくて疎いから……」
なんだろう……何故こんなにも私にプレゼントの印象を尋ねてくるのか。
……ハッ。もしかして、雪城さんにプレゼントをしたいのでは? 確かに彼女は香水とかつけてそうだし、プレゼントにもピッタリかもしれない。
女性にプレゼントし慣れないから同じ女性である私の意見を聞きたいのだろう。
「私的にはとてもピッタリな物です。フレッシュな高校生向けな感じもしていますし、時間が経ってからの香りがまだわからないので何とも言えないんですが、今感じるのはそんなに強い香りじゃないから使いやすいかなと思います。あ、私より年上の女性にプレゼントするには少し子どもっぽいかもしれませんので、そのときは上品さも合わせ持ったローズの香りをプラスした物がいいんじゃないでしょうか?」
これだけ言えば伝わるだろう。香水、そんなに詳しくないけど私なりに今の年齢の雪城さんに合うイメージはそんな感じだ。
「えーと……今の絆奈ちゃんにはその香りで大丈夫ってことでいいかな?」
「え? あぁ、はい。私には十分ですよ。でも、他の人にプレゼントするときは同じ物はやめておいた方が……」
「? そうだね。だって、それは絆奈ちゃんのイメージでプレゼントした物だからね」
……会話が噛み合ってないのでは? 雪城さんにプレゼントとかしないの!?
「……あの、寧山さん。彼女さんにプレゼントとかは?」
「えっ? 彼女って?」
「もちろん付き合ってる人の……」
「いないよ?」
「えっ」
あれ……? 雪城さんと共演はしてるから顔見知りのはずだけど、まだ付き合ってない段階だったのか? いや、それとも隠してるだけとか? まぁ、役者がわざわざ付き合ってる女性のこと言わないもんね。話を合わせておくべきか。
「そうなんですね。てっきり既にいらっしゃるのかと。だから私にクリスマスプレゼントを渡して勘違いされたらどうしようかなって」
「あはは、大丈夫だよ。僕、今は仕事の方が楽しいからね」
本当かどうかは知らないけど、そう言ってられるのも今のうちなんだよ、推し。あと三年後くらいには結婚しているんだから。
腐っている身分としては白樺とくっついてくれることを願っているけど。
「あ、そうだ。もし、お付き合いとか結婚するようになったらちゃんとお相手さんを大事にしてくださいね。仕事ばかりで構ってあげないと浮気されちゃいますよ。しっかり引き止めておいてください」
そう。これを伝えなければ。効果があるかは別として心に刻ませておかないと。高校生の子どもが言うことなんて響かないだろうけど、雪城さんが他の男との子どもを孕ませないためには必要である。
「……まさかそんな助言をされるもは思わなかったなぁ。うん、わかった。気をつけるよ。いつになるかわからないけど」
本当に頼むよ、推し。ちゃんと雪城さんを自分の元に繋いでおかないと離婚しちゃうんだから。推しの幸せのためなんだから意識してよ。




