推しへ、バイト始めました
前世では当たり前の二人行動だった私とニーナ。しかし、今世では水泥くんの存在は大きく、水泥くんのいない日々は最初こそ慣れなかった。
それでも数ヶ月後にはそんな毎日にも慣れてしまって、次第に私達は本性を現す。
「推しにぴったりの年下攻めがこの前の舞台で面会してて、どうやら推しの演技を見て役者になりたいって言ってたらしいので年下攻めが役者になったら私はこのネタをいつか本にすると決めたの! だから今のうちにネームだけでも書いておかないと!」
高校の部活ももちろん美術部。特に課題を出されていなければ基本的に自由なので、私はずっといつか本にするネタのしらねや出会い本のネームだけでも凄い勢いで書き殴っていた。
水泥くんがいない今、部活の時間は腐女子友達のニーナとオタク話や腐話で盛り上がることが多くなったのだ。
今までは家でコツコツ描いていて、勉強机の一番下にある鍵付きの引き出しに沢山描き貯めていた。
有難いことに画力は前世のまま衰えることはない。むしろ引き継いでいるので、前世の今の年齢よりも上手いほうだ。
自室以外で推しカプネタを描けるのはとても嬉しい。水を得た魚のようにペンが走る走る。
「……すっごい勢いやな。てか、攻めが役者になったら本にするって何年先の話なんや。もうモブ攻めでえぇんちゃうん?」
「ダメ! 大丈夫だから! あの人は絶対役者になるから! 十年以内には!」
「なんで具体的やねん! ……まぁ、そんなんより、私としては本人達しか知らん面会内容がなんで絆奈が知っとるんかっちゅーことやねんけど?」
その問いを投げかけられたとき、私の手はピタリと止まってしまい、そのまま机に顔を伏せた。
「……ランチのときに、推しが……」
「やと思ったわ。結局公演後のランチは恒例になってもうたな」
「ぐぐっ、とても有難いことだけど……!」
「そんな悔しそうな顔しながら言うなや」
「だって……私はただのファンで……輝かしい推しの姿を見たいだけなのに。メアドまで交換してしまった……」
「メアドまで交換したん? グイグイ来るやっちゃな。もうそこまできたら役者とファンちゃうで。友達や」
「うぅ、いつか推しが運命の男と出会って恋に落ちるからその相談役になれるなら……」
そう思い込むようにしてるけど、やっぱり複雑なんだよなーー!!
「その運命の相手と出会う前に絆奈らの距離が近すぎるんよなぁ」
「ほんと、頼むから推しは私を眼中に入れないで……」
「知り合い以上になってる時点で無理やろ」
「こんなつもりはなかったんだよ……」
「まぁ、デビュー時から応援してる子がいたら手放さんわなぁ」
「推し、結構知名度も上がったから古参に構わなくてもいいのに」
はぁ、と頬杖をついて溜め息を吐く。しかしニーナは「古参っちゅー年齢ちゃうやろ」と突っ込まれてしまった。
まったく、推しの悩みは尽きないよ。それでも推しの応援はしたいので私も推し通いはやめることはないんだけど。
すると、ニーナが時計を見てぽつりと呟いた。
「あ、そろそろ帰る時間やな」
「ほんとだ! バイト行かなきゃ!」
机に散らばった道具を片付けて急いで帰り支度をする。
そう、私は高校に進学してすぐにバイトを始めた。前世では学校生活でいっぱいいっぱいだったから始めるのが少し遅れたけど、今度はひと月だって遅らせるわけにはいかない。
だって、高校卒業したら私も水泥くんのように上京するんだ。まぁ、理由は推し通いを増やすためなのだけど、そのための貯金もしたいし、推しの公演舞台も数を増やして通いたい。
「めっちゃバイトしとるやん。週どんくらい入っとるん?」
「週四!」
「……本業が学生っちゅーの忘れたらあかんで」
「もちろんー。じゃあ、先に行くねっ」
「はいはーい」
一先ず先に支度を終えたのでバイト先に向かうため、手を振ってニーナより先に帰る。
バイト先は学校近くの書店。中学のときにニーナがBL本を手にしたのを見つけたあそこである。
書店としては中型くらいの広さ。シフト制の週四日で、平日の学校がある日は十八時~二十一時。土曜、日曜または祝日だと朝から夕方までか、昼から夜まで。
前世でもずっと働いていた所で、新人教育や絵が描けるのでPOPなども担当していた。
なので、何十年もブランクがあるとはいえ、少し勤務をしていたらあっという間に使える存在まで取り戻せたのだ。
ただ、本棚のジャンル場所が前世とは違っていたりというのがあってちょっと戸惑ってしまったが、レイアウトなどはよくあることなのでこれは慣れである。
「いらっしゃいませー」
学校近くの本屋さんで働くとなると、やはり同じ学校の生徒も多く寄っているため、隣りのクラスの子だとか先輩だなと思うことは多い。
私も制服の上にエプロンを着ているため、相手も同じようなことを思っているのかもしれないし、気づいていないのかもしれない。
「お……お前、なんでここにおんねん…!」
もちろん、クラスメイトが来ることもよくある。なので動揺することなくにっこりとスマイルを浮かべた。
……まぁ、芥田くんとバイト先で顔を合わせるのは初めてだけど。
「いらっしゃい、芥田くん。見ての通りバイトだよ」
「……ほんま、本好きやな、自分」
「呑気なもんだと思うでしょ? でも、書店のお仕事って力仕事もあるんだよ?」
束になった本を抱えて移動したりするものだから、そういう意味では運動部なのではないかと思ってしまう。
「ところでそれ買うんだよね? レジ通すよ」
いくつか本を抱えている様子の芥田くんの対応しようと呼びかける。まぁ、今は少し暇になったので私しかレジ担当がいないから必然的に私を通さないと本は買えないのだけど。
「よろしく」
「はーい」
受け取った本をバーコードに当てる。よく見れば全部和菓子作りの専門書ばかり。
ガチだと思っていたけど……やっぱりガチだった。
「全部和菓子の本だね」
「ったり前やっちゅーねん。未来の庵主堂を背負う男やで!」
「へー……」
本当に突っ走ってるなぁ、芥田くんよ。まぁ、いいんだけどね、夢があることは。他人を馬鹿にしない子でいてくれたらそれでいいさ。
一応業務なのでカバーをつけるかどうかを尋ねてみたらすぐさま「いらん」と言われたので袋に入れてテープを貼りつける。
「お待たせしました」
「おう」
「ありがとうございましたー」
本を受け取った芥田くんとはそれ以上喋ることなく、機嫌良さそうに帰って行った。
あんなに本を買っていったけど、家で作ったり勉強したりするのだろうか。本当に和菓子職人の道に行くのかな。……想像出来ないんだけど。
「ただいまー。お腹空いちゃった」
バイトを始めてから、出勤の日の夕飯は遅くなってしまうのが普通になってきた。そのため、家族と一緒に夕飯を食べる回数も減っているけど、家族仲は良好のままである。何故ならば私もいい子で育っているので迷惑はかけていないし。
「お、絆奈おかえり。バイト疲れただろ?」
ひょこっと風呂上がりと思われる父が肩にタオルを引っ掛けて姿を表す。
「たった三時間だよ?」
「でも学校終わってから行ってるんだから凄いじゃないか。無理してないのか? 休みの日だけにしたらいいんじゃないか?」
父の過保護は高校に上がっても変わらない。純粋に心配してくれているのだが、これが思春期の子だったら「ほっといてよ!」くらい言うのだろうなぁ。
さすがに思春期は前世で終えてしまったので、これだけでは口うるさくは思わない。
「大丈夫大丈夫。高校卒業したら上京したいから、資金を稼がなきゃ」
「上京!? 初耳だぞ!?」
唐突に顔を寄せてくる父に落ち着いてと言わんばかりに肩を押して距離を保つ。
「初めて言ったから」
「そんな……一人暮らしか? それならここでも出来るじゃないか!」
「出来ないから都内に行くの」
「な、なんのために!?」
「応援したい人のために」
「父さんよりも応援したい人がっ……!」
強い眼差しを向ければ、父は泣き崩れた。……自分の父に言うのもあれだけど、なんと情けないことか。
そこへ玄関の騒ぎに気づいた母がやって来た。
「ちょっとあなた。絆奈はお腹空いてるんだから絡まないの」
「瑞希ぃ……絆奈が、絆奈が卒業したら出て行くって……」
「知ってるわよ。絆奈はしっかりした子なんだからやりたいことをやらせなさい」
お母さんには既に話していた。元々私のしたいことには協力的なので母はすぐに「あら、いいじゃない。絆奈ならやっていけるわよ」とお墨付きも貰っている。
そんな母の様子に父は更に落ち込んだ。さすがにちょっと可哀想に思えてしまった。
「大事な娘が……卒業後に巣立っていくなんて……」
「……やっぱりお父さんに言うのは早かったかな」
「いいのよ。むしろ直前に言うとダメージが大きくて面倒臭いんだから心の準備をさせなきゃ」
「なるほど……」
……ごめんね、お父さん。私、前世ではずっと実家で暮らしてたんだよ。




