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橋本さんへ、進路が決まりました

 物心がついたときから僕は引っ込み思案だった。幼稚園のときにも友達と呼べる子はいなくて、小学校に上がっても友達はいないまま。

 父が跡取りのいない母の実家である和菓子屋を継ぐことが決まり和歌山へと引っ越したが、そこでも友人は出来なかった。

 転校生だから最初は興味を持たれたのが、あまり会話も弾まなかったのでやがて敬遠されて、三年に進級してからクラスにからかわれることが多くなる。

 原因は名前。水泥という名字でドロ水だと何度も言われて、虐められた。

 ある日、ドロ水を持ってきたクラスメイトに飲めと強要されて、顔を押しつけられそうになったことがあったけど、そこで僕の人生は大きく変わったのだ。


「うるさいよ」


 まるで鶴の一声だった。みんなの視線は彼女に、橋本 絆奈へと向けられた。

 彼女について知っていることといえば、よく一人で本を読んでいるということ。

 でも、僕みたいに暗い感じではなく、クラスメイトに話しかけられたら問題なく会話をして、何かあれば自分からも話しかけていた。

 僕のように人付き合いが下手ではないはずなのに、休み時間は大体一人で読書をしていて、一人でいるのが好きな印象の子だった。

 つまり、面倒なことには巻き込まれたくないという感じにも思えたので、まさかそんな子が口を挟むなんてクラスの誰もが想像していなかっただろう。

 そんな橋本さんは男子のリーダー的存在である芥田くんに怯むことなく口で負かしたのだ。

 初めて、誰かに助けられた瞬間だった。

 すぐにお礼を言わなければならなかったのに心のどこかで「君を助けたわけじゃないから」なんて後ろ向きなことを考えてしまい、その日彼女には何も言えずに終わってしまう。


 それから暫くして、母と買い物をしていると、橋本さんとばったり出会った。とはいえ、何も話せなくて戸惑っていると、彼女はただ優しく笑って手を振ったのだ。それに応えていいのかわからず、会釈だけして別れた。

 あとから母に「今の子、知り合い?」と問われたので頷き、自宅に帰ってから初めて橋本さんの話を母に少しだけしたら、母は嬉しそうに聞いてくれた。

 学校の話は全然母にはしていなくて、学校のことを尋ねられても大したことは言えなかったので、次第に母も気を遣って何も聞かなくなったから余程嬉しかったのかもしれない。

 虐められていることを話して失望させたくはなかったので安心する母を見て僕も安堵の溜息を零した。


 僕も橋本さんみたいになりたいと思ったことに時間はかからなかった。彼女のように自由で、誰であろうと怯まない強い心が欲しいと思い始める。

 でも、まずはお礼を言わないと。そう思って早数ヶ月。ようやく彼女にお礼言おうとしたら芥田くんに絡まれてしまい、また橋本さんに助けられたので、情けないけどもそのままお礼を伝えることが出来た。だけど、それだけだった。

 彼女のことをもっと知りたい、彼女のようになりたい僕は橋本さんがいつもしてるように本を読めばいいのだろうかと考える。

 両親も祖父母も本を読むのはいいことだと言っていたこともあるし、僕自身も本は嫌いじゃないので、勇気を出して橋本さんにオススメの本を教えてもらい読み始めた。

 そこから僕は橋本さんと交流が始まり、彼女とは初めての友達にもなった。

 クラブや委員会では橋本さんと同じものを選んで、学校のほとんどの時間を彼女と過ごすことを決めたのだが、途中で気持ち悪がられないだろうかと思ったこともある。だって、彼女は元々好きで一人の時間を過ごしていたのだ。

 でも、橋本さんはそんなことを一度も言わなかった。気を遣っていたのかもしれないけど、僕は何も言われないのをいいことにそれに甘えた。

 しかし、彼女は僕以外の友達はいなかった。それが気になってある日、橋本さんに「他に友達は作ったりしないの?」と聞いてみたら……。


「うーん。私、水泥くん以外の同年代の友達は作るつもりないかな」


 と、答えた。何だかそれが嬉しくて、少しだけ優越感を抱いてしまう。そして気づいたのだ、僕は彼女のことが好きだということに。

 でも、彼女とは友達なんだけど、あまり一緒に遊ぶ機会がなかった。何故ならば橋本さんは学校が終わるとすぐに帰ってしまうから。どうやら家で料理の手伝いをしているらしい。

 僕自身から遊びに誘わないからいけないのだけど、何とかして橋本さんと一緒にいる時間が欲しかった。

 転機が訪れたのは小学六年生の夏休み。図書委員の業務として図書室を開放していたときのこと。

 橋本さんは好きな俳優のブログが見たいけど家にパソコンがなくて、夏休みの間はパソコンクラブもないのでネットが見れないと嘆いていた。

 僕はそこで自分のパソコンを持っているのをいいことに彼女を初めて家に誘ってみた。

 橋本さんは喜んでその誘いに乗ってくれたんだけど、いつの間にか夏祭りに一緒に行くことが決まり、更に母が子どもの頃の浴衣があるからと橋本さんに着付けをすることに。

 浴衣姿の橋本さんは想像以上に可愛くて、あまり目を向けられなかった。

 今思えばかなり勿体ないことをした自覚はあるし、もっと褒める言葉をかけてあげられたら良かったのに。

 一応、母がそのときの写真を撮っていたので見れることは見れるんだけど……実際に見たときの方がとても良かった。

 それから何度か彼女は長期休みのときには僕のパソコンに触りに来てくれるようになったけども、中学に上がってからは自宅にパソコンがきたらしく、それ以降はパソコンを触る口実は出来なくなる。けれど一緒に遊ぶ頻度は増えた。


 中学に入ると、佐々木 新奈という子と友達になる。橋本さんの友達は自分だけという優越感はここまでになってしまったのは非常に残念ではあった。

 しかし、同年代の友達を作るつもりはないと言っていた橋本さんがすぐに彼女と友達になったことが不思議だった。まるでこうなることを予測していたかのように思えて。

 佐々木さんも人付き合いが苦手ではないのに一人でいることが多くて、何だか橋本さんに似ていた。彼女はそれを感じたのだろうか。

 あとから橋本さんに突っかかる芥田くん経由で知ったんだけど、佐々木さんは男性同士の恋愛物を好んでいたせいで六年のときにクラスから距離を置かれていたらしい。何だか、そのときの気持ちが僕にも痛いほどわかってしまう。

 それをバラされた佐々木さんを守るために橋本さんが動いたんだけど、芥田くんに突き飛ばされてしまったから僕の中で初めて怒りに任せて彼を同じように突き飛ばした。

 小学生の頃は関わりたくなかった芥田くんに立ち向かうなんて昔では考えられなかったけど、それ以上に橋本さんを守りたかった。……でも、何かあってから動く程度では僕はまだまだなんだという自覚はある。

 あぁ、そういえばそのとき、橋本さんは芥田くんに向かって同性愛大賛成なんて言ってたっけ。

 確か小学生のときも偏見がないとか似たようなこと言ってたな……橋本さんは本当に柔軟な思考の持ち主だと思う。


 佐々木さんといえば、僕が橋本さんに好意を寄せていることに気づいているみたいで何故かと聞いたことがある。


「えっ。そんなん見ててわかるに決まってるやん。絆奈は気づいてへんと思っとるけど、それ水泥くんのこと男性として意識してへんってことやからな?」

「……うぅ」


 はっきり言う彼女の言う通りだった。橋本さんにとっては僕はただの友達でしかないし、異性として見られていないのは理解していた。

 そもそも僕のような弱い人間を彼女が好きになる可能性なんてない。

 では、諦めるのかと問われるとそれは出来なくて、ならばどうするかというと、僕が変わるしかないだろう。

 幸い、橋本さんには好きな人はいないようだったけど、一人だけ気になる人がいた。

 彼女が応援しているという寧山 裕次郎。

 最初は本当にただの好きな俳優という認識だったのだけど、毎年欠かさず舞台は観に行き、接触をしているらしく、橋本さんはその役者から顔を覚えられている様子。

 毎年彼女から聞く寧山という人の話は、有り得ないと思いつつも、もしかしたら橋本さんがその人に取られてしまうのではと危惧し、ライバル意識が芽生える。

 そして、修学旅行で初めて橋本さんと寧山さんの距離感を垣間見た。

 彼は客が多いにも関わらず、橋本さんを見つけて、しっかりと彼女に視線を向けていたのだ。

 心がざわついた。僕が想像しているよりも二人の関係が深く感じる。

 役者とファンだっていうからもっと手の届かない関係だと思っていたのに、彼はあの瞬間だけ橋本さんに全てを注いでいた。それが仕事なのかもしれないけど、このままではいけないという危機感を持つ。


 その一件があって、彼女に僕自身を見てもらうための目標が更に強くなった。

 元々、中学二年のときにはぼんやりと進路を決めていて、その思いは次第に強くなっていくが、今の僕が選ぶような道ではない。

 前に家族を説得するのに時間を要すると思っていたのだが、みんなあっさりと承諾してくれた。母には「絆奈ちゃんに関わることなのね」と言われてしまい、顔が真っ赤になってしまう。

 ただ、その道に行くには橋本さんと離れなければならない。でも、自分自身を変えるには、更に橋本さんに僕自身を見てもらうためには、自分を磨かなければならないし、結果を残さなければならないだろう。

 もちろん、それでも彼女が僕を意識してくれる可能性は絶対ではない。しかし、ずっとこのまま何も変わらないでいる自分も嫌だった。

 大きな賭けではある。僕自身成功するかどうかもわからないし、もしかしたら橋本さんにいい人が見つかる可能性だってあるだろう。


 修学旅行三日目。

 最終日であるこの日は浅草観光で締めくくられる。雷門に行ったり、もんじゃ焼きを食べたり、名物を食べ歩きしたり、時間はあっという間だった。

 時折、橋本さんは遠くを見ているときがあって「将来的にはあそこにタワーが……」とぶつぶつ呟いていたけど、一体何を考えていたのだろうか。


 ……実は、橋本さんに渡したい物がある。その機会をずっと窺っていたのだけど、なかなかタイミングがなくて渡せずにいた。

 昨日、エターナルランドから出る前にお土産屋さんに寄ったときに見つけた物。

 なんでも水の妖精をイメージしたネックレスらしく、ブルーの雫型で可愛くて、何となく橋本さんに似合いそうと思ったからせっかくなので購入した。

 お土産を買ったあとに指定された待ち合わせ場所には一番乗りだったけど、すぐに橋本さんが来たのでそのときに渡せばいいものの、結局勇気がなくて渡すタイミングを見失ってしまう。

 さらっと渡すことが出来たら良かったのに我ながら情けない。


 そんなわけで今もポケットの中に忍ばせているが、いつ渡せるのだろうか。せめて今日中に渡したいところだ。


「ねぇねぇ、水泥くん。ここのどら焼きの生地すっごいふかふかだよ。庵主堂の生地はしっとり系だからアイスどら焼きにもよく合うんだけど、このくらいふかふかだと逆に生地だけにメープルシロップかけてホットケーキみたいにして食べて見たいね」

「どら焼きの皮だけ重ねてメープルシロップをかけるって発想が凄いね……」

「まぁ、あんこ添えたら一応材料はどら焼きになるわな」


 橋本さんはたまに実家の和菓子屋の手助けをしてくれている。

 どうやら彼女はうちの和菓子がお気に入りらしく、新商品を提案してくれたり、彼女のお父さんがお土産屋さんでうちの和菓子をいくつか置いてもらったりしていて、その件も家族共々感謝していた。

 家族も橋本さんを気に入ってくれて僕としても嬉しいことだった。


 ……そうこうしているうちに彼女にネックレスを渡せないまま、とうとう帰宅時間を迎える。

 橋本さんにプレゼントを渡したことなんて何度もあるのに何故か勇気が出ない。今まで渡してきた物は誕生日プレゼントがほとんどだからちゃんとした理由があったからだろうか。

 あ、文化祭でも桜餅のキーホルダーを渡してたっけ。あれも彼女が気に入ってくれたから気を良くして作ったものだったな。

 しかし、今回はそれ以上にこれといってプレゼントを渡す理由がないのだ。ただ、彼女に似合いそうという理由だけで、気持ち悪がられたりしないのか怯えている自分もいる。

 帰りの新幹線では行きと同じ座席場所で僕が通路側、橋本さんが真ん中、佐々木さんが窓側の席となった。


「それにしてもあのサラマンダーめっちゃかっこ良かったなぁ」

「ほんと!? ニーナも推しの推しになるっ?」

「いや、中の人っちゅーより、キャラ萌えやな」

「そっかぁ、残念……。でも、私としてはキャラはノーム推しなんだよね」

「絆奈、おじさんキャラ好きやもんなぁ……」


 ……そういえば、橋本さんは小学生時代から年上が好みって言っていた気がする。それが酷く心に刻まれていて、自分では届かない条件だって何度も落ち込んだ。

 だからってこのまま何もしないわけにはいかない。

 結局、僕が上京しなくても橋本さんは高校卒業したら東京で暮らすと言っていたし……その理由が彼女の言う推しのため、だけど。

 心の中で溜め息を吐きながら、暫くは旅行の思い出に花を咲かせる。

 一時間経った頃だろうか、やはり疲労が溜まっているため口数が少なくなり、佐々木さんはすでに寝落ちていた。


「佐々木さん、寝ちゃったね」

「ニーナ、今日早起きしてたからね」

「橋本さんは眠くないの?」

「うーん。今は大丈夫かな? 水泥くん眠かったら寝ていいよ。ちゃんと起こしてあげるから」

「あ、いや、僕も大丈夫だよ」

「そう?」


 ……もしかして、今が渡すチャンスなのかもしれない。佐々木さんがいる前で渡すのはさすがに恥ずかしかったし、彼女が寝てる今しかない。


「あ、の、橋本さん。実は……」


 ポケットから小さく包装紙で包まれたネックレスを取り出した……と、思ったら手が滑ってしまい、プレゼントが橋本さんの膝の上に落ちてしまった。


「あっ」

「ん? 水泥くん、何か落ちたよ」


 はい、と渡されるプレゼント。スマートに渡せないのが気恥ずかしくなり、思わず目元を手で覆ってしまう。


「水泥くん?」

「……それ、橋本さんに……プレゼントしたくて……」

「えっ? そうなの? これ、エターナルランドで買った物だよね? いいの?」

「うん……橋本さんに似合いそうだったから……」

「……」

「は、橋本さん……?」


 彼女は黙ったままプレゼントを見つめていた。その沈黙が心臓に悪くて、焦りながらも橋本さんの反応を窺う。


「開けてもいい?」

「あ、うん」


 包装紙を開けると、橋本さんはネックレスと対面し、おもむろにそれを首に装着すると嬉しそうな表情を僕に向けた。


「凄く可愛いねっ。ありがとう、水泥くん!」

「……っ! あ、いや、こちらこそ、ありがとう……」

「? 水泥くんがお礼言うことないよ?」


 受け取ってくれた上にわざわざ付けてくれるんだからお礼を言うには十分である。いや、まず彼女が受け取らないなんてことはないんだけど。まさか付けてくれるとは思っていなかった。


「その……橋本さんによく似合ってるよ……」

「ほんと? 嬉しいなぁ。水泥くんがアクセサリーをくれるのは初めてだよね」


 そう言われて確かに、と今まで誕生日プレゼントで渡した物を思い出す。

 図書券、本、お菓子、ハンカチなどなど。……いまいちプレゼントのセンスが良いのか悪いのかわからない。

 中学を卒業してしまうと、もう彼女と会う機会が減ってしまうけど、橋本さんと釣り合う人間になるために僕は頑張らないといけないなと再度心に決めた。




「あれ? 絆奈、ネックレスなんてしとった?」

「水泥くんからプレゼントしてくれたんだよ」

「へぇ?」

(佐々木さんがニヤニヤした顔でこっちを見てくる……)


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