推しへ、役者とファンの関係を崩さないでください
五月三日土曜日。今年もやって来た。推しのいる劇団の公演日!
もはやゴールデンウィークのお決まり行事となり、家族も私が日帰り観劇するのが当たり前になっていた。父もまだ反対の気持ちがあるものの、諦め気味ではある。
本日の公演は十二時から。今回も観劇が終わってからの昼食の予定だ。……去年はまさかの推しとお昼ご飯を食べることになってしまったけど、今年はそんなことにならないようにしなきゃ。いや、さすがにもうないだろうけど。
劇団影法師の都の今年の舞台タイトルは『七夕に願った夜 ~頂点目指してバトルロワイヤル~』という七夕の夜に起こるお話。
病院の患者達が庭に飾ってる笹の葉に短冊を飾ろうとしたところ、織姫と彦星がみんなの前に現れる。そしてこう言った。
「一番上に短冊を飾れば一つだけ願いを叶えてやろう」その言葉を半信半疑で聞いていた人々は叶わなくても試す価値は有りだと我先に短冊を飾ろうとしたが、その場にいた者全員同じ考えであったため、突発的なバトルロワイヤルが始まってしまう。
一人一人願うことはそれぞれで、この勝負の行方を知るのは高みの見物をしていた織姫と彦星だった。
推しの今回の役どころは織姫にぞっこんラブでその他にド畜生な彦星役である。織姫に対しては何でも言うことを聞き、尽くしたがりなのにそれ以外に対しては悪逆非道な最低な人物。
バトルロワイヤルに敗れた人に見下すだけでなく、暴言を吐き、蹴り飛ばしたりと酷い悪役なのだが、それがまたいい。
普段、おっとりとした天然な推しがそんな人の心のない役をやるなんて最高すぎる。配役が神がかっている。あと顔がいい。
今回も美味しい役をありがとうございます! と心の中で賞賛し、その高ぶった感情のままアンケート用紙に長々と書き込んだ。
いつもより長く書いたこともあり、場内はいつの間にか面会が始まっていて、少し出遅れた。まぁ、最初に行かなくても大丈夫なんだけどね。いつも最初なのは行きづらいし。
そう思って推しを探すと既に何人かが彼の前に並んでいた。
(ようやく私以外にもファンが出来てる!)
去年ならば最推しを先に面会して、そのあとにうちの推しへと面会する流れが多かったのだが、これはきっと最推しが私の推しの人達なのだろう。
そういえば、パークデビューもしてるんだし、アクター界隈に詳しいオタクならば、アクターを排出してる事務所を探して彼の名前を見つけたに違いない。
精霊グリは人気あるから知名度は少しずつ上がっていくだろう。三年目にしてようやく人気が出始める。私としても少し安心だ。
しみじみしていたら面会時間が終わってしまう。今日は推しに庵主堂のどら焼きを差し入れに持って来たんだから渡さなければ。
列が出来ている推しの面会列最後尾へと並ぶ。そんなに長くない時間に推しとの三度目の面会が出来た。
「あ、絆奈ちゃん。今年も来てくれて嬉しいよ」
相変わらず名前とちゃん付けに慣れないのだけど、そろそろ名字呼びに変えてほしいな……もし周りのお姉様方に聞こえてしまったら睨まれそうだし……。
「寧山さん、お疲れ様でした。あ、差し入れです」
「いつもありがとう。そういえば今年から中学生だよね? 入学おめでとう」
「あ、ありがとうございます!」
「身長も伸びてきたし子どもの成長は早いなぁ。あ、そうだ。手紙は見てくれた?」
「手紙……はい。届きました……」
「良かったらパークに来る機会があれば教えてね。僕が出勤出来るようにお願いするから」
「いや、ダメですよっ! そういうのは控えてください!」
「?」
あぁ……なんで? と言うようなその顔。本当にわかってないのか。
「とにかくダメなんです。守秘義務とか契約にありますよね? 誰彼構わずにお仕事に関することは喋っちゃダメなんです」
「誰彼構わずではないんだけど……あ、絆奈ちゃんお昼ご飯これからだよね? また一緒に」
「それじゃあ、次の人も待ってるので最後に写真だけ撮らせてください!」
「えっ? ちょっと……」
「はい、チーズ!」
またお昼に誘われる。そう思ってインスタントカメラを取り出し(携帯はまだそんなに画質は高くないからもう暫くはインスタントカメラを使います)素早くカシャッとシャッターを切って、そそくさと面会を終えた。
……少し早かった気もするけど、推しにこれ以上距離を詰められては困るのだ。
(……本当、推しは役者とファンの距離感をいつになったらわかってくれるのだろうか)
本日のお昼ご飯として選んだお店はベーカリーショップ。駅近くにあるので行き帰りに購入する人が多く、店内にはイートインスペースもあるのでお昼ご飯にもちょうどいい。
トレーとトングを持って、小麦のいい香りがする空間を鼻で楽しみながら、品定めをする。
いつも思うのだけど、パン屋さんって種類が豊富なのでいつも迷ってしまう。許されるのなら全部食べたいけども、もちろんそんなことは出来るはずもないので時間をかけてじっくり選ぶ。
結局、選んだものは明太マヨミニフランスパンにチョココロネ、そしてアイスティーをレジで注文。
イートインスペースは一階と二階にあり、お昼のピークが過ぎたこともあるので一階席もまだ空席が目立つので、空いてる一階席に座った。
カウンタータイプの席で、目の前は外の景色が見える全面窓ガラスである。
「いただきまーす」
小さめのフランスパンに明太子とマヨネーズがかかっているパンから食べる。外側はパリッと、中身はフワッとしているだけでなく、まだ温かみが残っていたので更に美味しさが増す。
(おいしー!)
そのまま食べ進めていくと、隣の席に誰かが座ろうとしたのか、椅子の引く音が聞こえた。
まだ他にも広々と使える席があるのにわざわざ隣に座らなくとも、と思いながらチラリと横目で見れば……。
「あ、やっぱり絆奈ちゃんだ」
(推しーーーー!?)
まさかの推しの襲来である。いや、なんで? どうして!?
混乱する私を気にすることなく、推しは「隣に座るね」と私の返事を待つことなく着席する。
彼のトレーにはカレーパン、贅沢キノコのキッシュ、アップルパイ、アイスコーヒーが乗っていた。
「ちょうどお昼ご飯食べようとその辺りをウロウロしてたんだけど、ここのお店前のガラスに絆奈ちゃんに似てるなぁって思ってつい来ちゃったんだよね」
「そう、ですか……」
つい、って何なのか! 私は一人で楽しみたかったのに! どうしてそう歩み寄って来るの!? これが私じゃなかったらリアコが暴走するでしょ!?
「それにさっきそんなに話も出来なかったしね」
「……寧山さん。私、再三言ってるんですけど、こうやって役者とファンが一緒にいるのはまずいんですっ」
「絆奈ちゃん……相変わらず厳しいね。マネージャーがいるとこんな感じなのかな……」
「寧山さんにバッシングを受けないためです。いいですか? 例え、寧山さんの耳に入らずとも役者のちょっとした行動をファンの子が見たら某掲示板で叩かれるんです。あることないこと書かれる可能性もありますが、特定の人を贔屓したりせず、仕事のスケジュールを漏らしたりしなければ大体は平穏に過ごせるんですよ」
前世でも推しは駆け出しの頃にパークの出勤日を漏らしていたという噂が某掲示板に書かれていた。
真偽はわからないけど、可能性がゼロでもない……って言うか、私に漏洩している時点で真実の可能性が限りなく高いのだけど。
「寧山さんはまだ二十七歳なので、これからどうなるか全く分からないかもしれません。それに、ネットが当たり前になり、ブログなどを通じて役者とファンの距離も近くなります。あまり近過ぎるとファン同士の間でいざこざが起こりますし、そんなファンをちゃんと躾出来ていない役者にも責任があると言われたりします。だから寧山さんはファンでもある私や他の子に過度な接触をしてしまうと、他のファンの子から不愉快に思われかねないんです」
「……。絆奈ちゃん、もしかして勘違いしてるかもしれないから言っておくんだけど。僕は誰彼構わずに情報をリークしたり、こうしてお話してるんじゃないんだよ? 絆奈ちゃんだけなんだ」
「……。だから! それが! ダメなんです!!」
全然わかってくれない! 推しもしかして頭悪いの!? これが少女漫画ならヒロインはときめいたかもしれないけど、私は推しをそんな目で見ていない。
我が名は橋本 絆奈。属性は腐女子。故に推しのことは(推しカプの受けとして)性的な目でしか見ていない。
「……絆奈ちゃん、もしかして迷惑だった?」
「いや……迷惑と言うか……ちゃんと私をファンとしての線引きをしてほしいだけで……」
「うーん……前にも言ったんだけど、絆奈ちゃんはファンの子って言うよりも妹みたいな感じで、気持ち的には親族なんだよね。だからこの距離感がちょうどいいって言うのもあるし」
「……その考えも改めましょう。私は本当にただのファンですし、子どもなのでそういう気持ちになりますが、行く行くは私も成人になりますので」
「徹底してるなぁ……。うん、わかった。それじゃあ僕達の関係を改めよう」
「! はいっ!」
良かった。推しがようやく理解を示してくれた。これで心配するものは何もないはず。
溜め息をついて、食べかけだったパンを貪る。ちょっと冷めてしまったけど、明太子マヨが美味しくて最後まで食べ続けた。
「僕と絆奈ちゃんはお友達ってことでいいかな?」
前言撤回。推し、理解していない。なんで友達に格上げしてるの!?
「……はい?」
「絆奈ちゃんが役者とファンという関係で僕との距離を取るなら、距離を取らなくてもいい友人としてなら大丈夫だよね?」
「全っ然! 大丈夫じゃないです! 私、ただのファンなんですよ!?」
「だって、絆奈ちゃんは僕がデビューする前から僕のこと知っていたんだよね? だったら役者とファンの関係よりも古いからもう知り合いみたいなものだし、それなら友達と言ってもおかしくないでしょ?」
「……でも、寧山さんにとってはデビュー公演での面会のときに初めて私を認識したんですから、それはおかしいですよ……?」
「あー……まぁ、それはそれ。かな?」
(雑っ!!)
「でも、役者する前からの知り合いには間違いはないし、知り合いだと堅苦しいからお友達が相応しいと思うんだよね。だからお友達とプライベートで話すのもご飯を食べるのも問題はないんじゃないかな?」
何故、推しはこうも頑なに引かないのだろうか。これはもはや過剰なファンサービスを超えている。
どう返答したらいいのかわからないまま、アイスティーを飲んでチョココロネを頬張った。
「……私は、寧山さんのファンでいたいんです。一番目のファンってだけでも有難いのに、こんな子どもにお友達だなんて勿体ないです」
「絆奈ちゃん……。友達に年齢なんて関係ないよ。それに、君は友達兼ファンってことでいいんじゃないかな?」
「……いや、それは……」
「それとも僕は君の友人には相応しくない?」
な、なんでそんな捨てられそうな子犬のような顔をするの!? まるで私が悪いみたいじゃない!
「そ、ういうわけじゃ……!」
「それじゃあ、これからはお友達も兼ねてよろしくね」
「えっ、ちょっ」
「あ。チョコクリームついてるよ」
「~~っ!?」
話を遮るように紙ナプキンを手にして私の口元を優しく拭った。顔がいい推しが至近距離まで詰めて来るのだから正直キャパオーバーである。
「はい、取れた。じゃあ、夜公演もあるから僕は先に帰るよ。絆奈ちゃんも気をつけて帰ってね」
「あ、えっ!?」
アップルパイを片手に推しは空になったトレーを返却台へと戻すと、アップルパイを持ったまま手を振り、彼は退店して行った。
(……結局、理解を得られず距離が更に近くなった気がする……こんなつもりでは……)
一体どうしたら推しは理解をして正しい距離感を取ってくれるのだろうか。おかしい、純粋に応援するだけだったのにまさか推しのことでこんなに頭を悩ますことになるだなんて前世では考えられなかった。




