推しへ、ファンとのプライベート交流はおやめください
カフェで待っていて、と推しに言われたものの、劇場の目の前なので面会終わりのお客さんが少しずつ出て来る様子がわかる。
そもそも何故お昼を一緒に共にしようと言い出したのか? 私は彼の友人でも親戚でもないただのファンである。別に接触行為をしたいわけではない。
(とにかく、推しが来たら断らないと)
それから三十分後。面会時間は既に終わっていると思われるものの、お客さんは疎らにはなってきてはいるが、まだ劇場前で友人達と談笑しているお客さんも何人か見られる。
そろそろ来るだろうと思っていると、劇場の出入口から推しが出て来た。めちゃくちゃ普通に。
周りには彼のファンはいないかもしれないが、劇団の誰かしらのファンがいるのは確かだし、推しの存在くらいは知っているはず。
だから何人かの視線が彼に向けられていた。それに気づいていないのか、私を見つけた推しが周りの目を気にせずにこちらに向かって駆け寄って来るではないか。
マジか! もうちょっと周り気づかれないように出て来るとかして私に配慮してくれよ推し!!
これでは役者とファンが密会してると思われる! マズイ! これでは推しへの評価が下がるし、私も接触厨と思われる!
ヤバイヤバイ。危機感を抱いた私は他のファンの子に顔を覚えられないようにカフェの前から逃げ出した。
「!?」
もちろん推しは追いかけ始める。あそこで諦めてくれたらいいのにその願いは打ち砕かれるまま、劇場から少し離れたところで舞台通いの人がいないのを確認してから足を止めた。
「はぁ……はぁ……いきなり走ってどうしたの?」
「あ、あの! ダメですよ! 役者とファンがこうやってプライベートで話すのは!」
ほんと自覚してくれ推しよ。まだ役者経験浅いからファンを大事にしたいのかもしれないが、あまりにも距離感が近すぎる。
「え? でも、せっかく遠くから来てくれたんだし、お礼したくて」
「お礼とかそんなの大丈夫ですから! お昼も、その……私はいいんですよっ」
「絆奈ちゃん、お腹いっぱいなの?」
「いや……あー……そうです! お腹いっぱいで……!」
満腹だと言えば諦めるだろう。そう思った瞬間に空気の読めない私のお腹は盛大に空腹の音を鳴らした。
待って、推しの前でこれは恥ずかしい。
「ーーっ!」
「……まぁ、せっかくだから一緒に食べるのを付き合ってほしいな。絆奈ちゃん、食べたいものある?」
「……」
聞こえなかったことにされたな、これは。あの間は絶対聞こえてた。辛い。
しかし、なかなか諦めてくれない推しとこれ以上の押し問答をしていたら、劇団のファンに見つかって変な噂を立てられる可能性もある。
それならばとっとと店に入り、ご飯食べて、すぐに出ようと思った私は近くのラーメン屋へと指を差した。
ラーメン屋ならば回転が早いし、カフェのようなゆっくり出来るお店ではない。それに劇団を見たお客さんだってお洒落なカフェなどに行くからこういう所はあまり来ないだろう。
ラーメン屋に指を差したけど、推しは「いいね! それじゃあ、行こうか」と乗り気で店に入った。
(……推しとラーメン屋に来るなんてある……?)
カウンター席に座り、隣にはあの寧山 裕次郎が座っている。なんだこの現実とは思えない光景は。
「絆奈ちゃん、何食べる? 僕は塩ラーメン」
「え、と……醤油ラーメンにします」
メニューを見ても情報が頭に入ってこないので、スタンダードな醤油ラーメンを選ぶと、推しがすぐカウンター越しの店員さんに注文した。
「強引でごめんね。でも、君とはもうちょっとお話したかったから」
本当だよ。一応今の私は未成年だからね? これ、下手すりゃ犯罪スレスレのことしてるからねっ!?
「えーと……お話?」
「うん。実はね、四月に事務所に所属することになったんだ。だからこれからは劇団以外にもお仕事することがあるからその報告をしたくて」
「え……あ、そうなんですね」
そうか。もう事務所に所属する時期だ。確か今年中にはパークデビューするはず。
「……でも、直接言わなくてもブログとかで報告してもいいのでは?」
「あ、そっか」
「……」
「でも、劇団のブログだから個人的に使うのは気が引けるかなぁ」
「じゃあ、寧山さんも個人ブログをやってくださいっ」
確か、推しがブログを始めるのはもっとあとだ。三十代過ぎだったはず。
追いとしては出来るなら早くにブログを始めて、推しのプライベートを少しでも知りたいのだ。
「個人ブログか……」
「他の劇団員さんもほとんどの方がやってますし、私も見たいです」
「本当? 絆奈ちゃんがそう言ってくれるならやってみようかな」
「是非!」
お! これは早めにブログを立ち上げてくれる感じなのでは? それならめちゃくちゃ楽しみ!
前向きに検討する様子の推しに心の中で小さくガッツポーズすると、注文したラーメンが目の前に置かれた。
深く考えずに頼んだけど、美味しそうなスープの匂いに心が奪われる。
早速箸を取り、手を合わせていただきますと呟いてから麺を摘んで啜った。
……すっ、ごく美味しい! 太麺で少し硬めの印象。だからなのか食べ応えもあるが、スープがあっさりしてるのでそんなに重くない。
玉子、シナチク、チャーシュー、ネギなどの具材と共に食べるのがまた美味しい。これは箸が進んじゃう!
「あ、そうだ。手紙と年賀状は届いた?」
「んぐっ!」
思わず吹き出しそうになってしまった。そうだ、そうだよ、推し! 私はそれについても言いたかった!
「……はい、届きました。ありがとうございます」
「良かった。ちゃんと届いてて」
「あの……寧山さん。私、一応先程渡した差し入れと一緒に手紙も入ってるんですけど、そちらにも書きましたが、寧山さんがわざわざ時間を割いてまで手紙を書かなくていいんですよ?」
「そんなことないよ。時間もあったし、嬉しかったから」
にっこり笑いかけてくれるのはいいが、そのお礼が結構なのだと遠回しに言っているのに!
「寧山さん、こうやってご飯を食べるのもそうですけど、手紙のやり取りも含め、ファンとこういうことしちゃいけませんよっ。もし、私が誰彼構わず言い触らしたりする悪いファンだったら寧山さんの評価にも繋がるんですから」
きっと彼ははっきり言わなければわからないだろう。そういうつもりで口にしたけど、今の言い方はどこか生意気だったのかもしれない。
もしかしたら自分の理想像を押し付ける厄介なファンだと思われるのでは!?
「あっ、いや、他の寧山さんのファンが見たら変な噂立てるかもしれないってことなので……! 役者とファンの距離感は大事にしなければってことです!」
「……絆奈ちゃん、まだ小学生なのにしっかりしてるんだね」
呆然とした顔をしてるけど……私の言いたいこと伝わってる?
「確かに、君の言う通りかもしれない。役者がファンの子とご飯をするなんてあまりいい風には見えないね。僕も君相手じゃなきゃここまでしないし」
(私相手じゃなきゃ……?)
「絆奈ちゃんはまだ小さいのに、一人で関西からここまで来てくれてる上に自分のお小遣いを使ってくれてるんだよね? 役者デビューする前から僕のことを覚えて応援してる。それが……なんて言えばいいのかな。いじらしいというか、ファンの子って呼ぶよりも妹みたいに見えてしまってね」
……。えーと? 推しは私のことをファン第一号なんだけど、子どもすぎるから妹のようにしか見えないと……?
いやいやいや! いいファンでいたいのに! 何そのポジション! お願いだから多数いるファンの一人にして! ……まだ少数だけど。
「……寧山さんって妹さんがいるんです?」
「ううん。一人っ子だよ」
だよね? 知ってる。知ってた! それなのにちょっとしか会ってない子どもに兄心が芽生えるものなのか? 私も一人っ子だからわからな……いや、私にとって水泥くんは弟みたいなものだからそれと一緒かな。なるほど。……納得してしまった。
「……ごちそうさまでした」
よし。食べ終わった。いつでも帰る準備は出来てる!
そう思って推しに目を向けると彼は幸せそうな表情でまだ半分くらい食べている最中だった。
(遅い……)
それから五分後、完食した推しを見て「そろそろ出ましょうか」と半ば無理やり退店する。
お金を出そうとしたら推しが「僕が出すよ」と言うので、周りの目もあるし子どもがお金を出すのもおかしいので後ほど出そうと思い、先に出してもらった。
店を出ると周りに劇団追いがいないか確認して外に出る。
「あ、寧山さん。さっきのラーメン代を……」
「僕が出すって言ったんだから大丈夫だよ」
「え、でもっ」
「誘ったのは僕だし、お世話になってるからね」
お世話になっているのはこっちの方なのに。私が子どもだからそう申し出ているのだろう。さすがに巻き上げられないか。
うう、悔しい。推しのためにお金を落としたいのに推しにお金を使わせるなんて……。
「ありがとうございます……ごちそうさまでした」
「ううん。それにしてもごめんね。本当は駅まで送りたいところなんだけど、次の公演の準備しなきゃいけなくて。気をつけて帰ってね」
「いえ! 大丈夫ですから! 一人で帰れます! 寧山さんも夜公演頑張ってください!」
だから! そこまでしなくていいから! 推し!!
……結局私の言いたいことが伝わっていないような気がするなと思いながら私は地元へと帰った。




