推しへ、推しの旦那にガチギレしてしまいました
『縁さん、しらねやのアンソロを企画しているんですけど、よろしければ参加を一考していただけませんか~?』
「参加します!!」
次のイベントに向けての新刊ネームを練る夜の作業通話中のことだった。白樺×寧山のカプを愛する同志である文字書きのtororoさんにアンソロの参加を誘われ、秒で参加を決意した。いや、だって参加せずにはいられないでしょ!? 推しカプのアンソロだよ!?
アンソロことアンソロジーとは、決められたテーマなどで集う参加者達の寄稿した作品を纏めた幸せの書物である。参加者が多ければ多いほどその幸せの厚みが増す素晴らしい作品集。
死に戻る前ではしらねやのアンソロなんて存在しなかったのだ。こんな嬉しい人生はまたとない。これはしらねや革命とも言える! 推しカプ万歳!
しかもアンソロに誘ってもらえるなんて光栄の極みである。tororoさんに忠誠誓っちゃう。
『本当ですかぁ? 嬉しいです~!』
「いやいや、こちらこそ嬉しいお誘いですっ! アンソロのテーマは決まってますか?」
『そこはまだ全然でしてー。このまま一緒に考えてくれませんか~?』
「喜んでぇ!」
居酒屋の店員みたいな返事で答えたのはビールを一杯やっているテンションと推しカプアンソロという素敵企画に興奮した故に。
そのままtororoさんと一緒にしらねやアンソロのテーマをあれこれと話し合った結果『しらねや付き合い始めアンソロジー』という付き合い立ての初々しさや甘酸っぱさなどが込められそうな題目に決まったのだ。
翌日にはtororoさんが本格的にしらねやアンソロ参加者をSNSで募った。もちろん、一般人の目に触れない鍵のかけたアカウントで。
何せ生身の人間を創作するナマモノ同人誌は危険度が高いのだ。万が一本人の目に触れてしまったらと思うと心臓に悪い。人格を好き勝手に歪めさせられているため、いい気がしないのは間違いないし、下手をすれば推しがダメージを受けて引退、またはこちらが訴えられる可能性だってあるのだ。
だからこそナマモノ同人は目立ってはいけないし、本人に知られてもいけない。ひっそりと活動をせねばならないわけである。
私もtororoさんの投稿を引用して「私も参加します~!」と参加表明を出した。
そうとなれば今練っているネームは置いといてアンソロ原稿に集中しよう。せっかくだから少しでも厚みが出るように沢山描くぞ。何ならアンソロの表紙も描くことになったのでこれから忙しくなるぞー!
と、意気込んでいた矢先のことだった。
◆◆◆◆◆
「おう。ツラ貸せよ」
パン屋の仕事が終わり、駅構内の従業員用バックヤードに入ろうとしたところ、面倒な相手に待ち伏せされた。右唇の下にはホクロ、控えめなピアス、性格とは真逆のふわふわな茶髪の男。相変わらず態度がでかいことで。
「え……私これからインパするんですけど……」
エターナルランドに行って推しのパレードを見る予定が入ってるのでできれば奴の相手をしたくない。しかし、はいどうぞと言ってくれる相手でもないことはよく理解している。
「は? 俺の言うことが聞けないってのか?」
眉間に皺を寄せて詰め寄る奴に睨まれて、弱みを握られていることもあり冷や汗がダラダラな私は目を逸らしつつ「いえ……」としか答えるしかなかった。
結局出勤している推しのパレードを諦めることになった私は泣く泣く奴に連れられ、駅構内のカフェへと入店する。
「やっべーな! しらねやアンソロの発行が決まっただけじゃなく神の縁さんもアンソロに出てくれるし、しらねやの作品が沢山拝めるのってマジヤバさしかねぇなっ」
テーブル席に向かい合うように座った瞬間、奴はテンション高く話しだした。
奴こと白樺 譲は私のファンである。私、というより同人活動としての私、縁のファンだ。そう、しらねやのモデルというかそのご本人なのだが。ナマモノは本人に知られてはいけない中、奴に活動がバレてしまい色々とあったがそこは省略する。
簡単に言えば私の鍵垢の仲良くしていたフォロワーが白樺だったというとんでもない関係だった。
ご本人を題材にした同人活動の存在がバレたというのも正直私のせいじゃないと思ってるし、避けようがないとも思ってるから私は悪くないと信じている。……多分。
というか、オタクの妄想幻覚ではなく白樺がガチで推しの寧山 裕次郎に想いを寄せているというのが驚きなのだ。オタク歓喜なその事実を知っているのも私だけなのだけど……。同志と分かち合えないのがまた歯痒い。
しかし白樺は白樺で現実にその気持ちを晒すことができない代わりに、同人誌や同志とのしらねや談義で現実逃避……もとい、今世では味わえない関係を疑似体験してるそうで。
最初はご本家に知られたことにより裁判沙汰になって社会的な死を迎えるのだと腹を括ったのだけど、白樺に描き続けないと訴えると訳のわからない脅しをされたりして何とか活動を続けている。
……まぁ、やりにくいったらありゃしないんだけどね!? 推しカプの片割れ公認? という状況だし、本人にも薄い本を見られているわけだし!
有難いことに私の解釈は本人にピッタリだったので変にああしろこうしろという指示とか命令がないだけ良かった。一応、私のファンというだけあってそれなりの尊重はしてくれてるのだろうけど。おそらく。
「あの……公の場でそのようなアングラな発言は気をつけてください。ただでさえこのカフェもパークオタがいたりするので……」
ハラハラしながら周りを確認する。何せこの駅はエターナルランドに向かうなら乗り換えする人が多いため、休憩や人と待ち合わせのためにカフェに寄る人もいるのだ。
いかにも今からパークに行きますと言わんばかりにキャラクターのぬいぐるみを沢山つけたバッグを持っている人だって少なくはない。その分わかりやすいのだけど。
白樺だってエターナルランドのアクターオタクから見たら有名人なのだ。そしてそんな奴と一緒にいる私は厄介なアクオタだとは思われたくないから早く解放してほしい。
「チッ、小姑かよ。水差しやがって」
ほ、ほんとにこの男はっ!! そっちが言う神に向かって何なのその物言いは! 推しの旦那(私の中では)じゃなきゃ殴ってたし、言い返した……!
とにかく反発したい言葉を飲み込み、苛立ちを抑えつつ口端がひくつきながらも無理やり作った笑顔で対応する。
「……それで、用件はなんですか?」
まさか興奮をぶつけるために推しのいるパークへ向かう私を引き止めたわけじゃあるまい。もしそうなら一度くらいキレてもいいはず……いや、やっぱ無理だ。奴に色んな意味で勝てる気がしない。キレた勢いでアクターの顔に手を出したら大変なことになるし……。
「あー、そうだったな。ついしらねや談義しちまうとこだったけど、今日はあんたに釘刺しておこうと思ってな」
「え……釘?」
なんか嫌な予感がしてきた。いや、予感じゃない。これはもう確信と言える。嫌な確信だこれ!!
「夏コミ、アンソロだけじゃなくちゃんと個人誌の新刊も出せよ」
「は……? いや、ちょっと何言ってるんですか……?」
今年の夏コミはアンソロに全力を注ぐつもりなので新刊個人誌は予定してませんけど!? この男何を無茶言ってるの!?
「だから新刊出せっつってんだよ。アンソロだけじゃ物足りねぇだろ」
「いやいや、他の参加者もいらっしゃるんですから物足りないわけないでしょうよ……」
「は? 縁さんの成分が足りねぇっつってんだよ」
うぐっ。不覚にも嬉しいと思ってしまった。でもここで折れてはいけない。だって現実的に無理な話なのだから。
「そ、その言葉は嬉しいですけど、アンソロでもページ数は手を抜かないですし、人様の企画なので個人誌と掛け持ちしてアンソロに不備を出したくないですし……」
「アンソロ原稿終わらせてから個人誌に着手しろよ」
「いえ、どちらにしてもそこまでの時間がないんですって……」
「はぁ~? 時間くらいあるだろうが。パークに行くのをやめて原稿に時間費やせよ」
「な、なっ、なっ!」
何を言い出すんだこの鬼畜は!? パーク通いで推しを拝むのが日常の私にオタ活を禁じると言うの!? そんなこといくら白樺であろうと許されるわけない! 断固として拒否する!
「それは聞けない相談ですっ。私の時間ですから趣味の時間くらいは私の自由なんですよっ?」
「あぁ? ったく、だったらこれでどうだ」
面倒臭いと言わんばかりの態度で白樺は財布を取り出した。まさか……と思った瞬間、奴は万札を数枚以上取り出してテーブルの上に叩きつけた。注文していたコーヒーの中身がその振動で小さな波紋を作る。
「仕事を休んででも取りかかれ」
なんて奴だこいつは。やってはいけないことをやってしまったな。金で私の時間を買おうとするなんて。さすがの私も堪忍袋の緒が切れてしまう。
感情のままぶち撒けたい気分だが、場所が場所なのでお店に迷惑をかけないようにと静かに深呼吸をし、昂る思いを抑え込んだ。
「……お断りします」
「はあ? 足りねぇのかよ? だったら━━」
「そういう意味じゃありませんっ」
追加を出そうとした白樺の言葉を遮る。奴もピリつく私の言葉に何かを察したのだろう。ピタリと手を止めた。相手が何かを口にする前に私は話を続ける。
「私はお金のために推しカプを描いてるわけじゃありません。あくまで趣味です。無理して描けば強制となり、そのうち描くこと自体に嫌気を差します。私は楽しくしらねやを描きたいんですよ。それなのに……お金を使って私の生活を変えさせようとするなんて最低です」
「は……? もしかして怒って━━」
これ以上奴と言葉を交わすとブチ切れて手を上げるかもしれないので、それを避けるためにも私は飲んだコーヒー代をテーブルに叩きつけて「それでは失礼します」と告げて席を立ち、退店した。
コーヒー代がちょうどピッタリあって良かった。おつりはいらないって言って千円でも出せばそれはそれで白樺のプライドを刺激するだろう。お互いヒートアップして大変なことになるのは間違いない。
それにしても我ながら偉いと褒めたい。いつもなら怒鳴ってでも捲し立てているはずだ。相手が白樺でなければ多分そうしただろうけど。
しかし白樺の奴は何が起こっているのかわからないといった表情をしていたな……。おそらく私が折れると思っていたのだろう。いつもいつも自分の思い通りに動くと思っていたら大間違いである。
……いや、本当にこれで良かったのだろうか? ここまでやって不安が伸しかかってきた。
白樺を怒らせてしらねや活動を訴えるだのなんだの言い出してきたら社会的な死が待っている。もちろん推しにもバレるし、軽蔑だってされるだろう。善良なファンを目指すどころか害悪ファンとして晒される。それは生き地獄だ。いっそのこと殺してくれ。
そんな不安いっぱいの状態ではとてもではないが、推しのいるパークに行くことができなくて、インパ予定だったのに楽しめる余裕がなくなった私はそのまま帰宅することにした。
とても勿体ないが、あの楽しいエターナルランドで沈んだ顔を晒すわけにはいかない。推しに見られた日には踏み込むように尋ねてくるに違いないし。推しに認知されてしまった今世なばかりに……。
数日後、鍵垢のDMにシロザクラさんからメッセージが届いた。
『縁さん、まだ怒ってますか……?』
その文を見て正直イラッとした。何せこの相互フォロワーのシロザクラさんの正体が白樺なのである。
推しカプについて沢山語ったり、解釈も合うし、話すのも楽しくてSNS上ではとても仲が良かった。
あまりにも気が合うから生き別れの姉妹かと思っていたくらいに……本人からは気持ち悪ぃと言われたが、それだけシロザクラさんのことを人柄を含めて好きだったのに、白樺だったときのショックは計り知れない。
そりゃあね、会ったことない相手の全てを信用するのも良くないし、多少は自分を繕うことくらいはするだろう。だけど仕事に追われている素敵な女性として振る舞われていた上にお互いの性癖を幾度も語り合った相手が推しカプの片割れご本人とか酷い罠だと思う。
シロザクラさんの正体が白樺だと知った後でもSNS上はもちろんのこと、二人だけのDMでさえもシロザクラさんとしての口調を維持している。その度に本当に白樺はシロザクラさんなのか? と思ってしまうが……その役者魂は素晴らしいのだけど。
けれどいくらシロザクラさんの文体とはいえ、白樺の影がチラつく。むしろその言葉を通して『まだ怒ってるのか?』と鼻で笑う白樺の姿が思い浮かんだ。
結局、苛立ちは収まらないのでそのメッセージは無視することにした。
今回の白樺の言動は本当に腹立たしい。腹立たしいが、白樺のクソがつくほどの性格の悪さは二次創作としてはとても解釈に合う。大正解である。推しカプの攻めとして最高。しかし現実では関わりたくないし知り合いにもなりたくない人種。
その後、特にシロザクラさんからのメッセージもなく、SNSに呟くこともなかった。浮上してないのかと思われたが、しらねやの落書きを投稿すればすぐにいいねと言わんばかりのアクションボタンを押してくるのでSNSにいないわけではなさそうだ。
まぁ、性格はアレだけど私の作品を純粋に好いてはくれてるんだよね。ありがたいことに。……ハッ、ダメだダメだ。もうすぐで許してあげようかなぁってなるところだった。私はまだ怒ってるんだから……!
その怒りをぶつけるかのごとく、私はアンソロ用の原稿に集中した。それはもう苛立ちを忘れさせようとするくらいにめちゃくちゃ真剣に。そうしたらどうなったと思う?
「出来上がっちゃった…」
想像よりも早い脱稿をやり遂げてしまったのだ。死に戻る前から死に戻った現在の橋本 絆奈を含めて歴代最速記録である。凄い神懸ってしまった……!
「……」
思わず夏コミまでの残り日数を見るためスマホのスケジュールを確認する。……頑張ればコピ本一冊いけるんじゃないかな?
新刊のためにと練っている途中だったネームを少し削れば問題なさそうだし、今から取りかかれば……って、これでは白樺の思い通りに動いてると思われるのでは?
……絶対、奴なら調子に乗るだろう。私は怒ってるのに「なんだやっぱりできるじゃねーか」とドヤ顔でもされたら引っぱたくかもしれない。
やっぱり、新刊はやめておこう。そう、白樺にいい思いなんてさせてやるものか。
◆◆◆◆◆
……なんて、思っていた時代が私にもありました。つい新刊のコピー本を完成させてしまったのです。
だって、だって、推しと白樺がSNS上でめちゃくちゃ絡んでて推しカプの供給がヤバかったからついその思いが爆発してしまった……! これも全て白樺の計画だったら私はまんまと嵌められたわけなんだけど!
ギリギリにはなったけど、SNSのお品書きにも急遽コピ本の新刊を出しますと呟き、もう後には引けなくなった。
そして夏コミ当日、私は最大規模を誇る会場へと出陣する。
人も多くて暑い中、脱水症状にだけはならないようにと水分補給もこまめに取りつつ、自分のスペースへと辿り着くとすぐさま設営に勤しんだ。
お隣さんはいつもお世話になっているtororoさん。今回は神達の妄想が込められたアンソロ本という新刊を抱えているのでギリギリに到着することだけは避けたかったらしく、近場のホテルに前日入りしていたそうだ。
そんな話をしながら既刊本と新刊本の準備をし、開幕前にはtororoさんとしらねや談義で盛り上がるなどした。
開幕してすぐに顔見知りの同志が来てくれたり、新刊を手に取ってくれたり、そのままの流れで隣のtororoさん主催のしらねやアンソロにも手を取ってくれたりと和気あいあいとした空気であった。
今回仕上がったしらねやアンソロ本は予想よりも参加者が多く、二十人弱で200ページ近くの厚みが出来上がったのである。これは凄い。十人くらいを予想していたのだが、思いの外集まったので嬉しい悲鳴だ。
推しカプがしらねや作家さんはもちろんのこと、白樺と水泥くんのカプがメインの人や他アクターカプの人が参加してくれたり、普段同人誌を作らない人が参加してくれたおかげである。
私も人が落ち着いてから自スペースの作品に布を被せて『買い物に出ています』とメモを残し、すぐにアンソロを購入させていただいた。帰ってから読むのが楽しみである。
……そういえば白樺は今回のアンソロ達をどうやって購入するのだろうか? 頼まれてないし、私が買わなくてもいいよね? まぁ、無視したんだけど……。それに直接イベントで買わなくても通販もやっているから気にしなくてもいっか。
思えば白樺がシロザクラさんと知らない頃は普通に通販をしていたけど、白樺 譲の名前じゃなかったな……偽名を使ったのか、それとも知り合いの名と住所を借りたとか……? 白樺も本人だとバレたくはないはずだし、そういう対策はしなきゃいけないもんね。ていうか通販で本人の名前を使った時点で警戒するし。
……って、白樺のことを考えてどうするんだ。ぶんぶんと首を振っては戦利品を求めることに集中した。
しばらくしてから自スペへと戻ると、今度はtororoさんが買い物に出かけた。もちろん私の新刊も颯爽と購入して。
時間はちょうどお昼時。予め買っておいたコンビニのおにぎりで腹ごしらえをして、まったりとしていた。
今回も推しコスをしてる深月ちゃんが遊びに来てくれるそうなので今か今かと待っていたその時、私のスペースの前に人が止まった。
深月ちゃん? と思い顔を上げれば「えっ」と戸惑いの声が漏れる。それもそのはず、そこには黒のサングラスと帽子を被って、怪しさ満点の顔を隠した白樺がいたのだから。
「しらっ……じゃなくて! シロザクラさんっ!? な、なんで!?」
「なんでってわかるだろうが。新刊買いに来たんだよ」
当たり前だと言わんばかりに金銭をテーブルに置いて告げられた。ここにいるということはそれはそうなのだけど、私が怒っていることを理解してて面と向かって会いに来るのだから凄い度胸だ。いや、メンタルがおかしいの?
……これだけいつもと変わらない奴を見ると何だか馬鹿らしくなった。私だけ怒っても白樺には何も響かないというか、痛くも痒くもないのだろう。
溜め息をひとつ零すと、なぜか白樺がびくりと肩を跳ねたように見えた。気のせいだろうか。うん、気のせいだろうな。だって奴が動揺する相手なんて推しくらいしかいないだろうし。そう思って新刊を一部取って、白樺に渡した。
「はい、どうぞ」
「……売ってくれんのかよ」
「売ってくれないかもっていう自覚はあったんですね」
「神を怒らせたからな」
その神と言う割にはいつもふんぞり返ってますけれども。しかし白樺にもそんな不安があったのか。推し以外には恐れるものはないと思っていたのに。
「そうですね。カチンときましたから」
「そうか……」
……ん? なんだか返事に覇気がない、というか憎まれ口を叩かないなぁ。もしや白樺なりに多少は反省していると考えていいのだろうか。……あ、あの白樺が!? 推し以外はどうでもいいってくらい性格の悪いあの白樺が!?
いやいやいや、さすがに気のせいだ。白樺に限ってそんなことは……。
「……悪かった」
「は……?」
い、今なんて? 推し以外に謝罪とかしない白樺の口から『悪かった』って言葉が出たの!? 言葉だけの謝罪ならまだしも、どこに視線を定めたらいいかわからないような目線と、申し訳なさそうな表情までしていてガチで反省してそうな空気が流れている。……もしかして演技とかじゃないよね?
「……」
え、何その沈黙は。もしかして私の返事待ち? あちこちに向けていた目の動きが今度は私に一点集中するから絶対に返事待ちだ。むしろ物凄い圧力を感じる。今さっきまであった反省の色はどこへ行ったわけ?
「えー……まぁ、私の気持ちを理解してくれたなら……別に。もういいですけど……」
「だよな」
……こっ、こいつーー!! もういつもの気怠そうな顔に変わってる! 切り替えが早い! 早すぎる! やっぱり演技だったわけ!?
納得いかないとこが色々とあるけど! あるけれども! ……でもここはやっぱり私の方が大人だから我慢しよう……死に戻る前の年齢分も含めたら落ち着かなければならないし……。それにやはり奴とゴタゴタしたくはないし、仲違いをしたいわけでもない。大人の対応をしよう。
とりあえず心を落ち着かせるために大きく息を吸って深く吐き出した。
「それにやっぱ出来たじゃん。アンソロと新刊発行」
ほらみろ、と言わんばかりのドヤ顔を見せられる。想像通りの態度だけど、なんで白樺が得意げな顔をするんだ。私がドヤ顔するとこでしょ。
「さすが俺が認めた神だけあるな」
ぐっ……。性格は良いとは言えないのに、なんでこういうときは普通に褒めるのかわからない。嬉しくないわけではないので口元が緩みそうになるが、そこは必死に抑え込む。
「……その様子だとまだ他のサークルさんの新刊はまだですよね? 私が代理購入しますので、し、シロザクラさんはこちらに座ってください」
「おう」
荷物置きに使用していたパイプ椅子をポンポンと叩き、白樺を私のスペースに呼び込む。私の本以外の戦利品は見当たらないので本当に入場して真っ直ぐ私の元へと来てくれたのだろう。
白樺が私の隣に座ると、tororoさんじゃないほうのお隣さんの方が少しビクリと反応する。……えぇ、びっくりしますよね。多数あるジャンルの中で考えるとサークルは少ないけれど、ただでさえ女性の多い参加者の中で黒のサングラスに帽子を被った怪しい男が隣にいると驚くよね……。
「あと、渡したいもんがある」
「えっ? シロザクラさんが? 私に?」
一体どういう風の吹き回しなのか? 警戒していると白樺は懐から財布を取り出した。え、何。またお金を出そうとしてる? この前なんで私が怒ったか理解してらっしゃらない?
あの、と声をかけようとすると出されたのは小さなUSBメモリー。訳がわからず言葉を失っていると白樺が説明をしてくれた。
「神をマジギレさせた詫びの献上品」
「えっ、献上……?」
ていうかめちゃくちゃ気にしてるのね、白樺。そんなにメンタル弱くないのにお詫びとか用意する子なの? まぁ、確かに自分のせいで推し作家の機嫌を損ねたら私もショックを受けるかも。そういう感覚なら納得せざるを得ない。しかし白樺がそこまで私を推してくれるのに態度のでかさはどうにかならないものなのか。
……いや、待てよ。言葉ではお詫びと言っているけど、実はこのUSBメモリーの中にヤバいウイルスとか仕込んでないよね? 『俺に生意気な態度を取った罰』とかじゃないよね?
「な、中身は? ウイルスなら嫌なんですけど……」
「馬鹿言ってんじゃねーよ。神の作品が詰まったものを破壊するブツを誰が渡すんだっつーの。寧山さんの秘蔵写真データだ」
「ン゛ッ!」
変な声が出そうになったから慌てて口元を抑えたけど少し出てしまった。てか、待って。今なんて? 秘蔵写真? 推しの!? なんで!?
「ちょっ、な、んで……?」
「だから詫びだっつってんだろ。俺だけの物にしておきたかったが、少しくらいなら渡してもいいかって思ってよ。あんたなら他所に流出しないだろ。てか、したらマジでどうなっても知らねぇからな?」
「お詫びと言う割には最後に脅し入ってません? もちろん流出はしませんけど……ってか、秘蔵なら別に渡さなくていいじゃないですかっ」
むしろ推しの秘蔵写真があるという事実に新たなしらねやネタが出来上がってしまう。ネタ提供ありがとうございます!
「少しだからいいんだよ。それに差し入れの文化ってのも体験したかったし」
「こんな貴重な差し入れは差し入れと言っていいものかどうか……」
むしろそこはお菓子とかでいいんだよ……。でも白樺が私にお菓子の差し入れを用意することの方が想像できない。
チラリと卓上に置かれたUSBメモリーを見るが、何だか輝いているように感じる。そりゃそうだ、推しの写真が入ってるなんて知ったらUSBメモリーの価値が急上昇するのだから。思わず息を飲んだ。
「い、いくら出しましょうか……?」
「詫びだって何度も言ってんだろ。財布しまえ」
非公式の写真をタダで受け取るわけにはいかなくて、つい財布を出してしまう。いや、良識あるファンなら断るのが普通かもしれない。こんな待遇を私が受けていいはずないのだから。
「や、やっぱり受け取れません。……推しの知らない所でこのようなやり取りをしてるなんて良心が痛みます……」
「しらねや描いてるくせにか?」
「うぐっ。それはそうですけど……やはり自分の知らない所で写真のデータを回されるなんて嫌じゃないでしょうか……」
確かにナマモノを描いてる奴のセリフじゃないけど、それはそれというか、何言ってんだって思われるけど、推しの写真にはお金を払いたいんです……。物販で売ってほしい。
それに白樺の秘蔵を私が持っているのはやはりよろしくない。推しカプに挟まれる女なんてクソ喰らえである。推しカプの壁か天井でありたい。
おずおずとUSBメモリーを白樺に返すと、奴はわざとらしく大きな溜め息を吐き出してからスマホを取り出した。
「めんどくせー奴だと思ってたけど聞いといて正解だったな」
そう言うと白樺はスマホ画面を私に見せてきた。そこには白樺が誰かとメッセージアプリでやり取りしている様子で、その相手が推しだと知ると私はひゅっと息が詰まってしまう。
『寧山さん、絆奈に寧山さんの写真あげてもいいですよねー?』
『え? なんの写真? 絆奈ちゃんになら全然気にしないけど、変な写真じゃないよね?』
『変かどうかは俺にはわからないでーす』
といったやり取りが続いているのだが、心臓が止まりそうである。私のいない所で私の話をしないでいただきたい。
「っつーわけで予め寧山さんからの許可も取ってる。受け取れ」
「……ありがたく頂戴いたします……」
白樺も引かないし、推し本人が良いと仰るなら……と躊躇いつつも両手で受け取る。自分が撮影したわけじゃない推しの写真をタダで手に入れるなんて……。推しに金を落としたい……。次に推しのグッズが出る機会があれば沢山落とそう……。
その後、白樺の代わりにしらねやサークルさんの新刊だけを買い漁りにスペースから離れる。もう一度姿を現す私に顔見知りのサークル主さんは不思議そうにするも「急遽イベントに来れなくなった友人の代理購入なんです」と話せばすぐに納得してくれた。
そして最後はアンソロ本を手に入れたら終わり。するとちょうどよく席を外していたtororoさんがスペースへ戻っていた。
「お帰りなさい、tororoさん。アンソロをもう一冊いただけませんか?」
「構いませんよ~。買い物を頼まれたんですかー?」
「そうですね、急遽ですが」
金銭のやり取りをして、再度厚みのある本を受け取ると、そのまま自スペへと戻る。遠目で見ていた限り、特に誰かが立ち寄った様子もないので、白樺は大人しく留守番していたようだ。
……まぁ、顔を俯かせ気味だから近寄りづらいのもあるけど、さすがにアクターがこんな所にいるなんて知られるわけにはいかないからそれがいいのかもしれない。
「頼まれていたものを買いましたので後ほどお渡ししますね」
ボソリと告げると白樺は文句を言わずに頷いた。少し素直で逆に違和感があるけど、大人しくしてくれるのが一番である。
「確かそちらの方は縁さんの親戚さんですよね~?」
「あ、はい。そうです。イベントの雰囲気が気に入ってるみたいで……」
前にも白樺と共にスペース参加をしたことがあり、tororoさんも覚えていたようでドキドキしながら返答する。
「親戚で一緒に参加できるのっていいですねぇ」
「そうですねぇ」
丸く大きめな眼鏡の奥の目元が微笑ましげに緩んでいた。ほんわかしたtororoさんの勘が鋭くないことを祈る。
少し彼女と会話したあと、アンソロを求める人が現れたのでtororoさんはそちらの対応を始めた。
「……やっぱいつ見てもたまんねぇな。埋めてぇ」
「シロザクラさん、シャラップ」
何がとは聞かない。というか言わなくてもわかる。tororoさんのたわわな胸のことを言っているのだから。巨乳好きめ……。
同じ女性である私の前でそんな発言をする白樺の相手を適当にしていると、素敵な装いをした人物が会いに来てくれた。
「こんにちは、絆奈さんっ」
「深月ちゃんっ」
推しレイヤーの深月ちゃん。レイヤーネームは満月さんで今ではエターナルランドコスプレ界隈にてとても人気になっている有名な子である。
今回の深月ちゃんのコスプレは只今絶賛開催中であるパレードにてお披露目した衣装のノームである。……いや、出来上がりが早くない? 私、衣装製作には詳しくないけどこの夏始まったばかりの夏パレ衣装だよ?
しかし、新衣装のノームもまた素敵なんだよね。地味めな色ばかりを着用するノームなんだけど、今回は夏の青空をイメージしていて、精霊達の衣装も青空色を絡めているため寡黙なノームと言えど爽やかさが増している。ノームカラーであるブラウンとのグラデーションがまた綺麗で上手くローブに配色されていた。
深月ちゃんの作り上げた衣装も同じように仕上げていて、相変わらずの出来の良さに感嘆の溜め息が出てしまう。
そんな夏用の軽めのローブ下は半袖のシャツ。腕には銀色の腕輪も嵌めているのだが、カメラなどでズームしない限り腕輪の細かい装飾がわからない。
しかし深月ちゃんはそれすらも再現していた。ローブで隠れる率が高いからそこまで再現する人も少ないかもしれないのにさすが深月ちゃんである。妥協していない。プロの犯行である。
「……凄い。凄いよ、深月ちゃん。今日もノームコス素晴らし過ぎて心臓が止まっちゃう……格好いい……」
「あっ、ありがとうございますっ! 絆奈さんの心臓を鷲掴みできて嬉しい反面、止まってしまうのは心配かな……」
オタク特有の誇張表現申し訳ない……。でも普段は美少女の深月ちゃんがノームのような渋くて格好いいコスをするギャップに今も慣れなくて……。可愛いと格好いいを併せ持つ深月ちゃん凄過ぎる。
「ハッ。相変わらず調子に乗ってやがるのな。偽物のくせに」
ここで空気をぶち壊す言葉が隣から飛んでくる。瞬間、深月ちゃんの微笑みが固まった。
「しっ……!」
白樺! と叫びたい言葉を何とか抑えるが、相変わらず深月ちゃんというか、レイヤーさんへの当たりが強い。奴にとってレイヤーさんは本物の紛い物という認識らしいのでコスプレが嫌いだそうだ。だからといって本人の前で言うのは性格が悪すぎる。
「ご、ごめんねっ! ほんっとにごめんね深月ちゃん! もうこの人の話は無視していいからね!」
これは深月ちゃんが来るってわかってたのに白樺を隣に座らせてしまった私の責任だ。深月ちゃんのことを考えたらこんな失礼な奴と顔を合わせないほうが良かったのに!
「絆奈さん、謝らないでください。私には蚊の飛ぶような音しか聞こえなかったから」
以前のときのように不愉快に顔を歪めるのかと思ったら深月ちゃんは何も気にしていないと言わんばかりににっこりと微笑んでいた。しかし白樺の言葉を蚊の飛ぶような音って言ったの……? あまりにも強気な発言だよ深月ちゃん!
「私、不愉快な物言いする人と対話するほど暇じゃないんです。せっかく絆奈さんに会いに来たから絆奈さんとお話したくて」
はにかむように話してくれるけど、彼女もまた白樺への当たりが強い。私への言葉は嬉しいんだけどね! でもそんな言い方をすると……。
「は? 暇じゃないならここに来るなよ。帰れ」
ほら、ほらぁ! 白樺がカチンとしてる! 火に油を注いでるよ!
しかもガンまでつけてるし……でも深月ちゃんはそれすらも無視してる……。強い子……。
「蚊の飛ぶ音ってうるさいですね。私はもっと絆奈さんとお話したいのに邪魔ったらないもの。でも、絆奈さんに心配をかけちゃうから挨拶だけにします。またプライベートで遊んでねっ」
「う、うん……ごめんね。深月ちゃん。絶対遊ぼうね。また連絡するから」
ぺこりとお辞儀をして去っていく深月ちゃんに謝罪をして小さく手を振る。またこんな嫌な思いをさせてしまったのに優しい子だ。せっかく来てくれたのに本当に申し訳ない。深月ちゃんに何かしてあげなきゃ……。
それにしても今回は一度も白樺へと目線を向けなかった。清々しいほど白樺の相手をしていない。凄い。凄いよ深月ちゃん。
「っち。うっぜ……」
「シロザクラさん。前にも言いましたが彼女は私の大事な友達ですから突っかからないでください」
「へーい」
面倒臭そうに返事をするな。あぁ、もうやっぱり白樺を隣に座らせるんじゃなかった。私の馬鹿。
その後は特に問題はなく、イベントは無事に? と言っていいのかわからないけれど閉幕した。
どっと疲れたなぁって心の声が出そうになる。そういえば前もこんな感じだった気がする。やはり白樺とイベント参加は疲労度が違う。
電車に揺られ、乗り換えの東京駅に辿り着けばようやく白樺のお守りから解放される。別れる前に白樺のために代理購入した戦利品を手渡した。
「どーも」
「どういたしまして。それじゃあ私はこれで……」
早く帰ろう。すぐに帰ろう。そう思いキャリーを手に取ったそのときだった。
「絆奈ちゃんとゆずくん?」
聞き覚えのあるその声にハッとして声の主へと目を向ける。ま、まさかの推しだーー!?
何かの間違いだと思いたかったが、推しの声を聞き間違えるはずがない。推しがこちらに向かって駆け寄って来た。
「やっぱりっ。二人ともこんな所で何してたの?」
嬉しそうに微笑む推しの顔が今日も良すぎる。しかしなぜこんな沢山の人間が行き来する東京駅で推しと鉢合わせできるのか。しかもイベント帰りに。そんな偶然はいらないのですが!
「あれ? 絆奈ちゃん、どこか出かけてたの?」
推しが私のキャリーを見て問いかける。やはり普通はそう見えるもんね……同人誌が入ってるなんて夢にも思わないだろう。しかも自分がモデルだなんて……。いや、そもそも推しは同人誌ってわかるのかな。いや、知らなくていいです。そんな世界を知らずに生きてください。
「あ、いや、まぁ……ちょっと日帰りで……」
「日帰りなのに荷物が多いんだね」
「お、お土産を沢山買いたくって……」
「へぇ、どこに行って━━」
「寧山さんこそ今日はオフだったのにどこか行ってたんです?」
根掘り葉掘り聞かれそうになったところで白樺がずいっと間に入ってきた。もちろん助けに入ったわけではない。大好きな推しに構ってもらえなくて不機嫌になっただけ。
自分本位だが、結果的に今はそれに助けられている。
「僕? 僕は本社で新しい仕事の話を━━」
「あー! あー! ダメですダメです! 情報流出です!」
絶対エターナルランドの仕事じゃないのそれ! 一般人の私がいる前でする話じゃないでしょ推し!
「? 絆奈ちゃんなら気にならないよ」
「ダメですって! 私が気になります! 守秘義務がありますよねっ?」
「絆奈ちゃんは悪用しないから平気だよ」
その信用を私に向けないで推し! その性格は絶対悪い人に騙されるよ!? 私が悪用する人間だったらどうするの!?
「あーそうだ、私は急いで帰らなきゃ! お疲れ様でした!」
「えっ? 絆奈ちゃんっ?」
相変わらず仕事について一般人に話そうとする推し。これ以上耳を傾けてはいけないと察した私は逃げるように適当な口実を告げて、足早にその場から去った。
最後に白樺の方へ目を向けてみる。邪魔者である私が去っていくのを見て、推しと二人になれることが確実となり嬉しいのか不敵な笑みを浮かべていた。楽しそうで何よりである。
待てよ……? もしかして私、今推しカプのためになる手伝いをしたのでは? これが推しカプの協力者ポジってやつだ!
そう思うとちょっと嬉しくなって心が踊るような気分で帰った私だったが、後日職場にて白樺が客として乗り込み「寧山さん、お前の話ばっかしてすげームカつく」と妬まれてしまった。うぅ、やっぱ白樺面倒くさい。




