推しへ、推しの幸せが私の全てです【END2-1】
前の人生からずっと、辛いとき、助けてほしいときは推しのことを考えていた。そうすると毎日頑張れたし、活力にもなった。
初めて推しのノームを見たとき、その声に心臓が止まり、その顔に見惚れたのをよく覚えている。
まさに沼に嵌ったというにぴったりの衝撃で、そのときはまだ片足しか埋まっていないと思っていた。
しかし、推しのことを調べれば調べるほどズブズブと沈んでいく感覚になり、いつの間にか推しのファンになっていた。
実在する人にハマるのは初めてで、推しが生きているだけで供給があるからブログやSNSの更新があるとそれだけで胸がときめく思いをする。
最初の頃は推しの過去のブログやSNSを遡って、私が見ていない彼の呟きや日常を覗いたんだけど、そのとき初めて知った事実があった。
推しは既婚者で子どもも授かっているということに。
そりゃそうだ。なんたって推しなんだから、年齢的にも人生の伴侶がいてもおかしくはない。
むしろお相手がいなかったら推しに問題があるのかとハラハラしてしまう。……だから、既婚者で良かったと思った。
そう考えて、そのときは気づかないフリをしていた。少し、ほんの少しだけショックを受けたことに。
だってそれを認めてしまったら推しに恋愛感情を抱いたから応援してるのかって思われる。……って、誰に? 推しに? ファンに? いや、両方かもしれない。
そんな疚しい気持ちで推しを応援したいわけじゃない。いや、疚しい趣味はあるけど、それはそれ。
ただただ私がガチ恋になるのが許せなかった。別に他のファンの子がガチ恋勢になってもいいし、それで推しの稼ぎになるならいいと思った。でも、私は駄目だ。
私がリアコになったら他の推しのファンの子に妬いてしまうかもしれない。その嫉妬心で何かをしてしまったら推しの迷惑になる。
それだけじゃなく、推しからのファンサが貰えなかったと言ってショックを受けるかもしれない。そんな気持ちで推しを応援しても疲れるだけ。そうなることは目に見えている。
推しが私の全てであり、私の全ては推しのためにあるようなもの。
だから私はその芽生えた想いを最初の内に胸の奥底へと閉じ込めた。
そのせいだろうか、推しに出会ってから今まで、恋愛への興味が薄かったのは。
でも、私は愚かだった。その想いを箱にしまったのがいけなかった。本当ならしまうのではなく、捨てるべきだったのに。
だから今……推しに手を差し出されたこの状況を前に私は彼からの申し入れを受けるべきか否か悩んでいる。
病室で最初に告白を受けたときに感じた絶望は私が必死になって閉じ込めていた箱が、思いを告げられたことがきっかけで開いてしまったからだろう。
だから二度目の告白の返事に私は悩んだ。
推しが私を求めてくれているなら、私も推しのことを異性として見てしまうなら、この手を取ってもいいんじゃないか。
恐る恐る自分の手を伸ばした……が、突如フラッシュバックが起こった。
『パパとママを返して!!』
ぶわっと脳裏に浮かんだ彼女の言葉に私の手は止まり、伸ばしかけた手を引っ込ませる。
「絆奈ちゃん……?」
手が震える。初めて会った絆ちゃんの言葉を思い出した私は顔を俯かせてしまう。
彼女の出生を摘み、現世に留まる方法を思いつくことも出来ず、絆ちゃんが消えてしまうのを見ることしか出来なかった私が彼女の大事な父親に手を出していいはずがない。
「……ご、めんなさい……少し、考えてもいいですか?」
「……うん、わかった。必ず答えを出してくれるならいつまでも待つよ」
推しの顔が見ることが出来ない。悲しい顔をしてるのか、小さく微笑んでいるのか、それともちゃんとした答えを出さずに呆れてしまったのか、表情を見る余裕がなくて、私はもう一度謝罪し、そのまま推しの前から逃げた。
それから二ヶ月。私は答えを出さないままいつもの日常に戻った。
しかし、時間が経てば経つほど、私は自分の狡さに嫌気が差してきた。
絆ちゃんのことを思って……なんて、自分で言い聞かせてはいるが、本当に彼女のことを思っているのなら、すぐにでも推しに断りの返事をすべきだ。
それが出来ないのは、やはり推しを諦めきれないから。
だったら絆ちゃんのことは割り切って推しに自分の想いを告げたらいいのに、罪悪感がどうしても強くなってしまう。
どっちつかずの中途半端にもほどがある。でもいつかは答えを出さなければいけない。推しが待ってくれているのだから。
結局、その日もどう答えを出したらいいのかわからないまま、私は就寝した。
眠りについてしばらくすると、遠くから声が聞こえてきた。何を言ってるか聞き取れなかったけど、その声は段々近づいてくる。
「……ちゃんっ! お姉ちゃん!」
「!!」
久方ぶりにそう呼ばれた私は勢いよく目を開ける。そこには私の顔を覗き込む少女の姿が。
「やっと起きた! 何回も呼んだんだからねっ?」
「えっ? え?」
身体を起こした私は辺りを見回す。そこは私の部屋じゃなく、真っ白な空間だった。
ここは一体どこなのか。私は寝ていたはずなのに。そしてこの小学生と思わしき少女は一体……?
でも、こんなに親しげにお姉ちゃんと呼ぶ子なんて一人しか思いつかない。
「絆……ちゃん?」
「そうだよ。何を今さら……あ、そっか。この姿は初めましてなんだっけ」
絆ちゃんだ。ネココさんの姿を借りた絆ちゃんじゃなく、寧山 絆としての本来の姿だ。
さすがに推しのブログやSNSでの写真では顔を隠していたけど、こうして見るのは初めてだった。
カチューシャをつけた彼女は雪城さんによく似ている。とても可愛い子だ。
「えっ、なんで絆ちゃんがここに? 私は寝てたはずなのに……いや、絆ちゃんがいるってことは、もしかして私死んでる!?」
「違うよ。ここはお姉ちゃんの夢の中」
「夢の中で夢と言われるとは……」
あぁ、なんだ。絆ちゃんが夢に出て来たわけか。つまり、本物じゃない。
「言っとくけど、あたしは夢じゃなく本物なんだからね。お姉ちゃんの夢にあたしが入ってるの」
「……? どういうこと……?」
絆ちゃんの話によれば、彼女のように魂だけで徘徊する存在は極稀に存在するそうだ。それを助けるのが所謂あの世とも呼ばれる天界。
しかし、天界では時間が逆行した事実は誰も認知していないので、絆ちゃんの存在を知るのはかなり時間を要したのだと。
私と絆ちゃんが別れた日、天界へと連れて行かれたらしく、長い間気づけなかったお詫びとしてすぐに転生の準備に入ったり、要望を聞いてもらったりしていると話す。
「悪いようにはされてないってこと……?」
「うん。天国みたいな所だし、凄く優しくしてくれるよ」
それなら良かった。ホッと安心したのも束の間、絆ちゃんは不満そうな表情を見せる。
「って、あたしの話をし来たんじゃないの」
「えっ?」
「お姉ちゃんはいつまでパパを待たせるつもり?」
「え……っと……」
彼女はそこまで知っているのか。すぐに断りを入れない私に痺れを切らして出て来たのかもしれない。
「ごめんね……絆ちゃんの気持ちをちゃんと考えずにこんな中途半端なことを……」
「それ! お姉ちゃんはなんでもう存在しないあたしのことを考えてるのっ?」
「そ、存在しなくないよ! 現に絆ちゃんはこうして……」
「あたしは元々この時代にはいない存在なの。それなのにあたしのせいでお姉ちゃんが決断しきれないなんてあたしが悪いみたいでしょ? だからわざわざ偉い人に頼んでこうしてお姉ちゃんに話を出来るようにしてもらったの」
本当は人の夢に干渉するには色々と手続きしなきゃいけないらしいけど、絆ちゃんの場合今までの不手際もあるため、すんなりと要求を飲んでくれたらしい。
「私……絆ちゃんから沢山の物を奪ったから……絆ちゃんの大事な人だけは手を出さないようにって……」
「そんなの嬉しくない! そんなことしても誰も幸せじゃないんだからっ!」
「……」
「お互い好きなら仕方ないよ。そりゃあ、初めて会ったときは嫌だったし、ママじゃないと認めなかったけど、パパはお姉ちゃんが好きなんだもん。知らない女とパパがくっつくくらいならお姉ちゃんにパパをお願いしたいの……」
「絆ちゃん……」
「あたしのせいでパパもお姉ちゃんも幸せになれないなんてやだもん……」
今にも泣きそうな顔で弱々しく訴える絆ちゃんを見て胸が締めつけられる。そんな彼女へと手を伸ばし、強く抱き締めた。
「ごめんね、ありがとう絆ちゃん……おかげで決心がついたよ」
「うん、パパをよろしくね……」
こうして出て来てくれて、さらに後押しをしてくれた絆ちゃんの言葉を聞いて、胸につっかえていた気持ちがなくなっていく。
「あ、そうだ! あたしね、生まれる先が決まったの!」
すると、腕の中にいた絆ちゃんの表情が興奮するようなテンションに変わり、先程までのシリアスな雰囲気はどこへやら。切り替えが早い。
でも、とても興味のある話だったので私も反応せざるを得ない。
「転生する場所が決まったの? いつ? どこっ?」
「それはねー守秘義務があるから言えないんだけど、すっごく楽しみにしてるの」
その様子を見ると、彼女は前向きに次の人生を歩もうとしていて、こちらまで嬉しくなる。
何年後なのか、何十年後なのか、それとももっと先なのかわからないけど、生まれ変わった絆ちゃんと同じ時代を生きることが出来るだろうか。
「あたしは次に備えてるから、お姉ちゃんはお姉ちゃんのしたいようにしていいんだからね」
「うん、ありがとう……」
「それじゃあ……あたしはそろそろ行くね」
「そっか……絆ちゃんに会えて良かったよ。元気でね」
「ん。またね、お姉ちゃん」
にっこりと嬉しそうに笑った絆ちゃんの顔を最後に私の意識は急に浮上した。
ぱちりと目を開けると、朝を迎えていて、先程までの出来事が夢か現実かわからず頭がふわふわした。
でも、絆ちゃんを抱き締めた感覚が残っているし、都合のいい夢だとしても混濁した記憶はなく、はっきりと覚えている。
それならばと、決意を固めた私は推しに連絡した。
このときの私はまだ知らなかったけど、のちに雪城さんから絆ちゃんが生まれることを知ると、再会出来たことに大泣きしたのはまた別の話である。
話がしたいと推しをどこかのカフェに呼び出そうとしたのだけど、推しが「駅まで迎えに行くよ」と言うので、そこまでしなくてもいいのにと思いつつも、とにかく今は推しと話がしたいのでそれを受け入れた。
夕方頃、地元の駅の前で待っていると、見覚えのある車が停車し、予想通り推しが降りて来た。
そして私と目が合えば、ちょいちょいと手招きをし、助手席のドアを開ける。
「どうぞ。乗って」
「あ、はい……」
躊躇いはあったけど、乗車を促すのなら乗らないわけにはいかない。お邪魔しますと、彼の車を乗り込むと、推しは車を発進させた。
どこへ向かうのかわからないので、推しに行き先を聞いてみる。
「あの……どちらへ?」
「落ち着ける場所、かな」
具体的な場所じゃないので結局わからない。ちゃんとした返事をすぐにしたいのだけど、運転中はやめるべきかなと自重した。
運転中、お互いに黙ったままだった。推しに考えさせてと伝えてからは二人で会うのはあの日以来だからというのもある。
その間、パークで推しを見に行ったり舞台に行ったりといつもの生活は続いていたけど、推しとプライベートで会うのは避けていた。
推しもなんとなく察していたのだろう。だから推し自身からも連絡をすることはなかった。
そこへ、急に私が話をしたいと言うのだからさすがの推しもなんの話か理解してるのだと思う。
辺りが暗くなってきた頃、しばらく走った車は海の見える公園で停車した。降りるのだろうかと思ったけど「外は寒いからこのままでいい?」と言うので私は「はい」と頷いた。
窓から見える景色はよく見ると、海の向こうにエターナルランドが見える場所だった。
エターナル城ホテルやアトラクションなどがライトアップされていて、遠くからでもとても綺麗である。
「それじゃあ、絆奈ちゃん。話を聞くよ」
優しい言葉で早速本題に入る推しにドキリとしてしまう。
しかし、考えさせてと言ってから二ヶ月。今さらと思われるのかな。もしかして、もうそんな気持ちがないと逆にフラれてしまう可能性もあるのではないか。
「……あの……私……今さらではありますが、寧山さんに返事をしたくて……」
言葉、出てくるかな……。今になって凄く緊張してきた。車内は暖房もかかってるからちょっと暑くなってきた気がするし。
「もしかしたら……寧山さんはもうその気はないかもしれないんですけど……」
「そんなことないよ。僕はいつまでも待つって言ったんだから僕の気持ちに変わりはない」
とても真面目な表情で言うものだから、その顔の良さに心臓が鷲掴まれる。
……女は度胸、女は度胸。そう念じながら私は推しとしっかり目を合わせた。
「寧山さん……私、お受けします。寧山さんの隣に立ちたいです。私が誰よりもあなたを幸せにしてみせます!」
言ってしまった。言ってしまった。もう後戻りは出来ない。
「……本当に?」
「はい。初めて会ったときから……私は寧山さんのことが好きだと、気づきました……ので」
「ちなみに……来年で四十になるけど、それも理解した上で言ってくれてる?」
今年で私は二十四。その差は十五歳。そう思うと推しはいい感じに歳を重ねてくれた。
しかし、推しは年齢を気にしているのだろうか。こちらは死に戻る前は四十五歳の推しを追っかけていたのだからそんなこと気にしていないし、むしろ中身で言うなら私の方が歳上だ。
「寧山さん。たった十五年しか違わないじゃないですか。問題ありません」
「そっか……そっかぁ」
顔を綻ばせて笑みを浮かべる推しは嬉しそうな声と共にシートベルトを外して、私を抱き締めた。
ふわりと香る推しの匂いにさらに心臓の動きが早くなる。
「ありがとう、絆奈ちゃん。てっきり断られるのかと思った」
「……断るなら、もっとはっきり言いますよ」
「あはは、そうだね。でも、答えを聞くのはちょっと怖かったよ。待てば待つほど、望みはないのかなって思っちゃって」
「それは……その、すみません。待たせてしまって」
絆ちゃんに気を遣っていたなんてさすがに言えないし。
「ううん。その分待ったかいがあったかなって。絆奈ちゃんからプロポーズ貰えたし」
「え、えっ!?」
「幸せにしてみせます、って。もちろん、僕も絆奈ちゃんを幸せにするつもりだからね」
いやいやいや、待って待って待って! プロポーズじゃない! そのつもりでは言ってない! そりゃあ、推しを幸せにするという気持ちは本当なんだけども!
「でもね、僕はすでに幸せだよ。僕の大事な人がずっと僕を応援してくれて、さらに僕が傍にいることを許してくれたんだから。こんなに幸せな気持ちにさせてくれるのは後にも先にも君だけだよ」
「……私、寧山さんにとって幸せだと思える存在になりましたか?」
「もちろん。絆奈ちゃんは僕を幸せにしてくれるファンであり、大事なパートナーだよ」
その言葉を聞いて、ようやく推しに幸せだって思えるファンになれたのだと知り、感極まった私は静かに涙を流した。
泣くつもりなんてなかったのに、目標に辿り着いたことが嬉しくて仕方なかった。
「寧山さんが、幸せなら……私も十分に幸せです……」
そう伝えると、推しは身体を離して幸せそうに微笑みながら私の額に唇を落とした。




