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推しへ、気持ちを押しつけてしまって申し訳ございません

 推しのファンをやめてそろそろ二ヶ月。私の生活はガラリと変わった。

 推しを見るためにパークに行っていた推し活はきっぱりと断つと、どうしても今まであてていた時間が出来てしまう。

 時間が出来ると推しのことを考えてしまうので、どうしたらいいか悩んだ私は仕事に精を出すしか出来なかった。

 SNSについても推しの投稿は見ないようにした。最後に見た推しの呟きは退院報告のときだ。

 さすがにファンに刺されたなんて公には出来ないので、入院時にはファン達には手術をしたということしか綴っていない。

 リプ欄には彼を応援する人達の心配の嵐で、その人達にも申し訳なく思う気持ちが加速し、退院を知った日から推しの呟きを見るのもやめた。

 鍵垢もたまに見るくらいしかしていない。自分で呟くのもやめて、ただ同士達の様子を見守る感じ。


 そんな生活の一部というか、生活のほとんどを占めていた推しに関する活動を停止すると、これからの人生何をしたらいいかわからなくなった。

 私から推しを取ると存外つまらない生活になるんだと気づくけど、今世は推しのために人生を捧げてしまったから他に趣味を見つける気力も湧かない。

 推しと出会うまでの前世の私なら他の漫画やゲーム、アニメに手を出していたのだろうけど、今はそんな気分にもなれないのが本音。

 つまり、私に楽しみが無くなってしまった。


 今日も無心で仕事をこなす。焼き上がったパンを並べたり、レジ打ちしたり、店内で飲食する人にはドリンクも用意したり、仕事に集中すれば推しのことを考えなくてすむ。

 そう思っていたら……。


「いらっしゃい、ま、せ……」


 己の目を疑った。レジの前にやって来たのがまさかの推しである。

 トレーにパンを乗せて普通に買い物に来た雰囲気に見えるが、よそよそしい様子の推しを見ると、目的はパンではなく私だと察する。


「……店内で食べられますか?」

「あ、えっと……持ち帰りで」


 テイクアウトなら早く商品を袋に詰めて推しに渡し、すぐにでも帰ってもらおう。

 急いで計算をするのだけど、パンの量が多い。十個はあるよね? まさか一人で食べるとかじゃないよね? 仲間への差し入れとかだよね?

 昼前のこの時間に推しがここにいるということは、今日はパーク勤務じゃないだろうし、舞台の稽古期間でもあるはずだから差し入れするなら舞台の仲間だろう。


「あの、絆奈ちゃん……話、出来ないかな?」

「……勤務中ですので」

「それじゃあ、仕事終わるまで」

「お待たせしました。ありがとうございました」


 それ以上は言わせないと私は急いで詰めたパンの入った袋を推しに差し出す。何年もこの仕事をやっているのだ。スピードを上げるくらいは楽勝である。


「……ちょっと待ってて」


 そう言うと、推しはパンを受け取ることはせず、背中を向けた。

 えっ? パンは!? そう思って口にしようとしたら推しは新しいトレーを持ち出して、再度パンを取り始める。

 一、二、三……ちょっ、待って。また十個取ってるんだけど!?

 再び同じ数を取った推しはもう一度私の前にそのトレーを差し出して来た。


「これも追加で」

「えっ……」


 嘘でしょ……!? なんで追加してるの!? でも、駄目ですなんて言えるわけもないので「かしこまりました……」と呟き、混乱しながらも追加分のパンもレジに打ち込む。


「絆奈ちゃんの仕事が終わるまで待ってるから。話したいんだ」


 まさか、会話を繋ぐための追加のパン!? そこまでする!?


「……すみませんが、今日は忙しいので……」

「時間は取らせないから。どうしても駄目なら後日会える日を作ってほしい」

「お待たせしました。ありがとうございましたっ」


 ずいっと追加のパンの入った二つ目の袋を差し出す。もう、帰ってほしい。諦めてほしい。そうやって祈るような気持ちだったのだけど……。


「……ちょっと待って。まだ足りないから追加を」

「このあとお話しますからっ! そのくらいにしてくださいっ!」


 これ以上時間を稼ぐためのパンを買わないで! 推しのお金を大量のパンに費やさないで! ほんっとに落ち着いてよ、推し! 店内のパンを買い尽くす気!?


 そう口にしたかったけど、そこまで荒ぶることは出来ず、結局私は折れてしまった。

 推しは観念した私の様子を見て嬉しそうに微笑むのだけど、久しぶりに見た推しの微笑みに目眩を起こしてしまいそうになる。

 推しを遠ざけていたせいで、いつもよりも顔が良く見えるのがいけないんだ。


「何時頃にお仕事は終わるの?」

「……あと、二時間です」

「うん、わかった。その時間にお店の前で待ってるね」

「はい……」


 推しが合計二十個のパンが入った袋を両手で持ち、退店した。それを見送った私は心の中で深い溜め息を吐き捨てる。

 話がしたいなんて困る。これではなんのために推しを避けているのかわからないじゃないか。


 二時間後、勤務を終えた私は店前で待っていた推しと再会した。

 いなかったらすぐに逃げようと思っていたけど、やはり駄目だったようだ。

 しかし、先程買ったパンの袋が見当たらず、推しにパンはどうしたのか尋ねたら、時間があるのでパークの仲間に差し入れして来たとのこと。……そりゃあ、あれだけ購入したら一人では処理しきれないもんね。


「あ、もちろん僕もいくつか食べさせてもらったからね。どれも美味しかったよ」


 別に私が焼いたわけではないので、そんな慌ててフォローしなくてもいいのに……と、思ったところで私はハッとする。

 いや、何を呑気に会話をしているのか! 私は推しのファンをやめた人間! 早く推しと適当に話をして満足させて離れなければ……! つい、推しのほわほわした雰囲気に流されてしまった。


「あの、話ってなんですか……?」

「その前に場所を変えよっか。どこかカフェとかにでも……」

「公園にしましょう!」

「? 絆奈ちゃんがそこでいいなら構わないよ」


 下手にお店とかに入ったらすぐに逃げ出せなくなる。だからここはすぐに話を切り上げて帰りやすい屋外に決めた。


 近くの公園に向かえば、小さな子が遊具で無邪気に遊んでいて少々賑やかではあったが、騒々しいほどではない。

 空いていたベンチに座ると、推しが早速本題に入った。


「絆奈ちゃん、パークに来なくなったよね」

「……そう、ですね」


 推しに現場に来なくなったよね? って言われるほど辛いものはない。

 私が勝手に避けているからそう思われるのは仕方ないけど、直接言われるのはさすがにキツい。


「別に催促してるわけじゃないんだけど、ただ、絆奈ちゃんの顔が見れないのは寂しいなって思って……。それで、来なくなった理由が聞きたいんだ」

「……忙しくて」

「……。そうなんだ。うん、そうだよね。絆奈ちゃんには絆奈ちゃんの時間があるし、そんな中で僕のために時間を割いて来てくれたんだもんね」


 私の苦し紛れの言い訳を信じたのか、それとも嘘だとわかっていてあえて追及しないのか。

 どちらでもいいので納得して早く解放してほしい。本当ならば推しとはもう関わりを持ってはいけないのだから。

 でも、推しならわかってくれるはず。推しはいつもファン達が自分にかける時間を大切に思っているのだから。

 だから私が忙しいと言えば無理強いはしない。


「でも、我儘を言うようで申し訳ないんだけど、僕はそんな絆奈ちゃんの貴重な時間が欲しいんだ。……君のことが好きだから」

「なっ……」


 待って。待って待って! 私、困るって言ったのに。他を当たってって言ったのに! なんでまた好きだって言ってくるの!?


「忙しくてもどこかの時間で数分でも会いたいし、会えないなら電話で声を聞きたい。それでも駄目ならメッセージをやり取りするだけでもいい。絆奈ちゃんと関われない毎日はあまりにも辛いんだ」

「ね、寧山さん……あのっ」

「ねぇ、絆奈ちゃん。僕じゃ君の彼氏に相応しくないのかな?」


 まずい、まずい。顔が良すぎて言いくるめられてしまう。ときめいてしまう。だって、推しに口説かれてるんだよ!?

 真剣な顔つきだけじゃなく、見つめられるその目は恋情が込められている。

 何か、何か言わなければ。


「わ、私……やめたんですっ! 寧山さんのファンを!」


 そう言うしかなかった。本当は言うつもりはなくて、出来れば察してほしかったけど、推しから逃げるにはそれを言うしかない。

 でも、効果があったのか推しは少し動揺しているように見えた。


「……もう、僕のファンじゃないってこと?」

「そうです。だからもう、現場には行きません……」


 では、そう言って立ち上がり、推しの前から去ろうとしたら急に手を掴まれた。


「ファンじゃなくなっても僕達は友人であることには変わりないよね? 現場で会えなくても現場以外なら会えるって考えていいの?」


 繋がりを断とうとしているのに推しは諦めてくれない。もっと強く突き放すべきなのか。それを言う方もしんどいのに。


「どうしてそこまで……」

「言ったでしょ。絆奈ちゃんが好きだから」


 推しはこんなに頑固だっただろうか。こんなに諦めが悪い人だっただろうか。全部、私が好きだから、という理由だというのだろうか。


「なんで……なんで私なんですかっ。私はただ、推しに幸せだって思えるような良きファンでいたいだけなんです! なのに、その推しを危ない目に遭わせてしまった私を好きだなんて言わないでください……私は推しと付き合いたいがために応援してるわけじゃないんです」

「絆奈ちゃんはまだ自分のせいだって思ってるの……?」

「当たり前じゃないですか。ただでさえ、私は寧山さんに近いファンなのに、そのせいで怪我をさせてしまうなんてファンをやめるべきなんですっ! じゃなきゃ私を野放しにした寧山さんの印象だって悪くなるのに……!」


 必死に推しに伝えようとしている最中、突然手を掴んでいた推しが私を抱き締めた。

 なぜなのか。どうして今そんなことをするのか。混乱もするし、心臓も爆発しそうになる。ほのかに香る香水にいい意味でクラクラしそう。

 でも、強く抱き締める推しは私を必死に繋ぎ止めようとしているというのがよくわかった。


「僕の気持ちより、他人の評価を優先しないで……」


 顔は見えないけど、少し震えるような声が耳に入る。演技でも聞いたことのない悲しい声。

 その言葉を聞いて私は大事なことを失念していたと気づく。

 推しのためと言っておきながら、私は周りによる推しへの評価だったり、自分の平穏のことを気にしていた。……そこに推しの気持ちは考慮されていない。

 一番大事なことだったのに、推しの気持ちを考えるのがファンなのに。

 私は自分の考えばかり押しつけて、諌めてばかりだった。これでは天月さんと一緒だ。

 生意気に推しのことを考えろと説教をしていたくせに、これでは人のことが言えない。

 私の言動で推しがこんなにも悲しむなんて思っていなかった。


「寧山さん……すみません、でした。私、寧山さんの気持ちを蔑ろにするつもりはなくて……」

「うん……それはわかるよ。僕のため、なんだよね。でもね、僕が誰と仲良くしようと、誰を好きになろうと、結局は他の人には関係ないし、何を言われても気にしない。だから、現場でも現場じゃなくてもいいからまた絆奈ちゃんに会いたいんだ」


 本音を言えば私もずっと推しのファンでいたい。そのために今の人生をずっと推しに捧げてきた。


「……ファンをやめた私がまたファンに戻っていいんですか……?」

「絆奈ちゃん、僕のためにあれこれ考えてる時点で君はまだファンをやめてないよ」

「そう、ですか……」


 ファンをやめたつもりだったけど、推しの言葉を聞いて納得してしまった。私は結局、推しのファンをやめられない定めなのかもしれない。


「……あの、そろそろ離していただいても?」

「あ、あぁ、うん。ごめんね」


 ずっと抱き締められたままでさすがに恥ずかしくなった私は推しに解放を望むと、彼は慌てて手を離してくれた。


「……ねぇ、絆奈ちゃんはさ、僕が幸せって思えるファンになりたいって言ってたよね」

「あ、はい」

「君の隣に立てることが一番の幸せなんだって言ったら、絆奈ちゃんは叶えてくれる?」

「えっ……」


 突然の問いに言葉を失う。だってその言葉の意味ってつまり、そういうことなのだろう。

 なんて答えたらいいのか、そう考えると推しは申し訳なさそうに笑った。


「あはは、ごめんね。この言い方はさすがに狡いね。……でも、どんなに辛いときでも、助けてほしいときでも、一番に思い浮かぶのは絆奈ちゃんなんだ。これからもずっといたいし、君に応援されるのは誰よりも嬉しい。そんな相手と僕は結婚を前提としたお付き合いがしたいんだ」


 そう言って推しは手のひらを差し出した。前にエターナル城ホテルでバルコニーに出たときの「お手をどうぞ」と言ってくれた推しの姿を思い出す。


「すぐに恋人になってとは言わない。友人からでもいいから前向きに検討してくれないかな?」


 少し緊張して表情の硬い推しに再度告白をされてしまった。初めては推しが入院したときだったけど、あのときと違って絶望感はない。

 でも、恋情は抱いていないのにこの手を取っていいものなのか。

 そもそも、私は好きな人がいない。いない、けど、推しの言葉で引っかかりを覚えた。


 辛いときでも、助けてほしいときでも、一番に思い浮かぶ相手に少なからず好意を抱いているというのなら、それは恋の種になり得るものだろうか。


 そうだとしたら私はちゃんと彼に伝えなければいけない。


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