推しへ、あなたの娘でした
「……」
「……」
相手は何も言ってこない。何か言いたそうな表情ではあるけども。
しかし、腕を離してくれる様子もないので困った。どうしようか、こちらから話を切り出してみるべき?
「……して」
「えっ?」
ぽそりと掠れるような声が聞こえたけど、よく聞き取れずに聞き返してみる。
「パパとママを返して!!」
「へ……?」
怒鳴りつける若ネココさんから鬼気迫るものを感じた。でも、その言葉に何一つピンとこない。パパとママを返して……? 私、ネココさんのご両親について何も知らないよっ?
「あの、どういう……」
「……っ、ふ……う、うぅ……」
「!?」
理由を尋ねようとしたら突然ボロボロと悔しそうに涙を流してきた。唐突のことで私も戸惑うのだが、なぜ泣き出したのかわからない。
もしかして私が泣かせてしまったの!? なんでっ!? 私何もしてないのに!
「ひっ、く……パ、パ、……ママ……ぁ」
こちらもあわあわしてしまうし、周りの人の目が突き刺さる。私は何もしてないんです、本当なんです。なぜネココさんが泣いてる上にパパとママを返してと訴えるのかよくわからない。
「ね、ねぇ」
とりあえず私に何を伝えたいのか聞かなければ何も始まらない。本人からしっかり話をしてもらわないと、と思ったそのとき、ぐぅーー……と空腹を知らせる音が響いた。
「……」
「……」
私が一瞬何事かと瞬きをすると、目の前の少女は聞かせるつもりのない音を出してしまったことに恥ずかしさを覚えたのだろう。泣くのを止めた代わりに顔が一気に赤く染まって俯き出した。
……うん、恥ずかしいよね。高校生なら育ち盛りだし、よく動くもんね。
「……良かったら近くのファミレスで何かご飯を奢るからそこで話を聞かせてくれる?」
このままでは羞恥心で泣いてしまうのではと危惧を抱き、ダメ元で提案をしてみる。まぁ、さすがに知らない人とご飯なんて普通はしないだろうけど。
「!」
しかし、ネココさんは顔を思い切り上げると、大きく頷いた。……マジか。知らない人について行っちゃいけませんよって小学生でもわかることなのに大丈夫なのかこの子。
まぁ、元々私に何か用があったみたいだし、知ってる顔故にこのまま突き放すことも出来ないので少しだけ面倒を見よう。
新手のたかりとかじゃないよね? と少々不安も芽生えながら私は彼女を連れてファミレスへと向かった。
目の前には注文した明太子パスタを勢いよく食べるネココさん。私はオムライスを食べながらその食べっぷりを見守った。よっぽどお腹空いてたのだろうか。
しばらくして、私より先に食べ終えたネココさんは水を一気に飲んで、空になったコップを勢いよくドンッと大きな音を立ててテーブルに置いた。
親の仇を見るようなその目は鋭く私を睨みつけている。……ご飯奢ったのになぜこんな態度をされなければならないのか。知らない相手だったらここまでしないし、苛立ちに震えていたところだ。
しかし、相手は子どもだ。平常心、平常心。
「とりあえず、あなたの名前を聞いてもいい? 私は橋本 絆奈」
「……今のあたしは大河内 音色」
ネココさんの本名は初めて聞いた。しかし、今の、という言葉が気になる。
「もうひとつの名前が……寧山 絆。漢字一文字の絆」
「……えっ?」
私と同じ名前だ。漢字は違うけど。いや、それよりも寧山って言った? 推しと同じ名字……偶然なのか、それとも親戚とか関係ある人物とか?
「あたしは、本来生まれるはずだった存在。寧山 裕次郎と雪城 愛歌の娘」
「え、えぇっ!?」
ま、待って。待って! 生まれるはずだったって? 推しと雪城さんの娘って!?
確かに、確かに一度目の人生では推しと雪城さんの間に当時十歳頃の娘がいた。……推しに似てないという噂の娘が。
でも、どちらにせよ、雪城さんとの血は繋がっているはず。だけど今の雪城さんは結婚どころか懐妊すらしていないし、ネココさんが二人の子どもと言い出しても年齢など色々とおかしい。まずい、頭が混乱してきた。
だけど、生まれるはずだったということは彼女は前世を知っている……?
「あなた……前の人生の記憶があるの?」
「この話を疑わずに受け入れるってことは……やっぱり、あんたもなのね。そう、あたしはこの世界が巻き戻ってることを知ってる」
「!」
初めて私と同じ立場の人と出会えた。逆行したことを知っている人がここに。
まさかネココさんが……いや、彼女はネココさんだけど、前世の推しと雪城さんの子どもと言っている。つまり、ネココさんの中に推しと雪城さんの子どもの意識が入ってるってこと?
つまり私とは違う逆行転生ってやつ!?
「えっと、ちょっと待って、絆ちゃん。確認なんだけど、その身体は音色ちゃんで意識が絆ちゃんってことで合ってる?」
「乗っ取ったみたいに聞こえるけど……まぁ間違いじゃないかな。でも、音色の記憶もちゃんとあるからあたしは音色であり、絆でもあるの」
普通ならば信じられない話だろう。しかし、私だって生まれる前まで戻った身であるし、前世では推しと雪城さんの子どもがいることも知っているので、彼女の言うことはすんなりと受け入れられた。
「でも、私にパパとママを返せって言ってたのは……?」
「そんなのあたしが生まれるのをあんたが邪魔したからよ! それだけじゃなく、パパを誑かしてる!」
「ちょっ、ちょっと待って! 邪魔だとか誑かすとかなんのこと!?」
「しらばっくれても無駄よ! あたし、ちゃんと見たもん! 音色として目覚める前に魂だけの状態でずっとママやパパの傍にいたんだからね!」
魂だけの状態って何それ。そんなどういうことかわからない私のために音色ちゃんこと絆ちゃんはこれまでの経緯を説明してくれた。
時間が巻き戻る前、十歳の彼女はいつも通り自分の部屋で就寝した。しかし、目覚めたらなぜか自分の身体はなくなってしまい、その代わり白い火の玉のようなものに自我が残っていた。
何もわからないまま、移動することが可能ということに気づいた絆ちゃんは周りの情報を得て、自分が生まれる前の過去に戻っていたことに気づく。
誰にも見えない存在になった彼女が不安のまま一番に頼ったのは自分の母と父。つまり推しと雪城さんだった。
二人を探してようやく見つけたけど、彼女が見えるわけもなく絶望しながらも二人を見守っていたという。
「このまま、あたしが生まれるのを待てばいいんだと思ってた……でも、あたしは本当のパパの子じゃないから複雑だった」
あぁ……やっぱり、父親は推しではなかったのか。それじゃあ、本当の父親って……やだな、心当たりがある。でも考えたくない。私の予想が間違いであってほしい。
「絆ちゃん……寧山さんとは血が繋がっていないことは知ってたんだ」
「パパもママも隠してたけど……本当のパパに教えてもらった」
「えっ……?」
「学校帰りに教えてもらったの……気持ち悪くて怖くて、あれが本当のパパなんて思いたくなかった……けど、なんとなくわかった。あれがあたしの本当のパパなんだって……」
絆ちゃんの顔色が悪くなり、またうっすらと涙を浮かべている。
一体、絆ちゃんとしての彼女と本当の父親はどんな話をしていたのか。彼女を見る限り実父の話だけではなさそうだ。
「それで……あたしはママのイベント公演を一番近くで見てたの。パパもゲストでとても楽しかった。……けど、ママが本当のパパに乱暴されてた」
「……」
あぁ、なんてことだ。それは雪城さんがファンの男に襲われた事件じゃないか。まさかと思っていたけど本当にそうだったとは。
あの一番のファンを自称するダメ男が推しと雪城さんの子どもの本当の父親だなんて。
「もしかしたらこれが切っ掛けであたしが生まれるかもしれないって思った。……でも、ママは凄く嫌がっていて、あたしもやめてって訴えたけど、聞こえてないからやめてくれなくて悔しかった……」
例え声が届いたとしてもあの男はやめなかったと思う。それだけ酷い男だったよ、あいつは。
「そしたら、あんたが来た。本当のパパの邪魔をして、あたしが生まれる望みが完全に消えたけど……ママを助けてくれたのはありがとう、って思ったの」
そう言うと、絆ちゃんはまたボロボロと大粒の涙を流し始めた。
絆ちゃんにとって私は母である雪城さんを助けた恩人であり、自身が生まれる未来を潰した悪人という認識だと思われる。
……高校生としての音色ちゃんの記憶があっても、絆ちゃん自身はまだ十歳の子どもだもんね。きっと彼女も混乱しているのだろう。
「あ、たしはっ……ママが、傷つかなかったら、幸せだったら……ひっく……う、生まれなくてもいいって、思った……けど、やり直したかった……ママとパパに会いたかったぁぁっ……」
「音色ちゃん……」
なんて、言葉をかけたらいいかわからなかった。あの男のDNAが入ってるというのにあまりにも良い子でいじらしい。それなのにこんな子の一生を私が根から摘んでしまった。
可哀想、なんて私が思っていいのだろうか。むしろその一言で彼女の今までを表すにはあんまりだ。
結局、私は何も言えずにただ黙っていることしか出来ないまま、泣きじゃくる絆ちゃんが落ち着くのを待った。
しばらくしてぐすっと鼻を啜りながら、彼女は話の続きを始める。
「せめて……パパとママが幸せになってくれたらそれでいいって思ったのに、二人は全然結婚しないし、その原因があんただってわかった……あんたがパパを誑かしてんだって!」
「ちょっ、ちょっとそれは誤解だよ! 私はただのファンなだけ! 誑かすだなんてしてないよっ」
「言ったでしょ、あたしはずっとパパとママの傍にいたんだから! あんたはママよりパパに近いし、パパもあんたのことばっか考えてるんだからっ」
まずい。これはまずい。勘違いをされている。確かに、推しと雪城さんは夫婦関係になっていないし、推しは別に好きな相手がいるという話だけど、それを私だと思われている。とんでもない誤解だ!
「あんたに注意しようって思って、私は魂だけの状態で暴れ回った。そしたら急に意識が遠くなって、目が覚めたら私はこの身体を手にしてたの……三日前に」
「み、三日前!? そんな最近だったのっ?」
「それまではずっと火の玉の状態だったよ……。でも、これで直接あんたと話が出来るって思って、今日のイベントなら来てるんじゃないかってずっと会場の外で待ってた」
こんな寒い外でずっと待ってたというのかこの子は。勘違いとはいえ私に注意しようとそこまで……。
「絆ちゃん、私は誓ってそんな目で寧山さんを見てないから安心して」
「……本当?」
「本当だよ。私はただ絆ちゃんのパパを応援してるだけ」
「でも……パパ、は……」
そう呟くと絆ちゃんはまたじわりと涙を滲ませる。今度はどこに泣く要素があったのか、内心おろおろしてしまう。
「……パパ、あたしのこと嫌いなのに、こんなふうに邪魔したらもっと嫌いになっちゃう……」
「嫌い? 寧山さんが?」
恐らく彼女が生きていたときの話なのだろうけど、推しが娘を嫌うとはとても思えない。だって離婚するまではSNSで何度も娘の話をしていたあの推しだよ? 凄く可愛がっていたはずだ。
「パパはあたしが本当の子じゃないから嫌いになったし、あたしがいるからママもずっと悲しい顔してた。……あたし、生まれなければ良かった。ママはあたしを生んだから不幸になってパパも家から出て行ったもん」
「それは違うよ」
「適当なこと言わないでっ……何も知らないくせに」
「そりゃあ、私の知らないことはいっぱいあるよ。過去に戻る前の寧山さんと雪城さんがお互いに何を考えていたのか私にはわからない。でも、あの二人は絆ちゃんのことを大事に思っていたし、凄く好きだってことは理解してる」
そう伝えても彼女は嘘だというように首をぶんぶんと横を振った。
「私は前回も今も寧山 裕次郎を応援してるから少なくとも彼の人間性はそれなりにわかってるつもり。SNSでよく娘のことについて話もしていたし、誰がどう見ても娘が好きなんだってわかる内容だったよ」
十歳の子どもならまだ両親のSNSの内容も知らないだろう。ならば私の覚えていることを彼女に伝えよう。どれだけ絆ちゃんが推しに愛されているかを。
「八月に家族で海に行った内容があったよ。娘のためにソフトクリームを買ったけど落としてしまって娘に怒られてしまったとか、運動会のリレーで一位を取った娘に感激したとか、娘に内緒で買った誕生日プレゼントをすぐに娘にバレてしまったけど、喜んでくれて嬉しかったとか。絆ちゃんとの思い出も色々呟いてくれてたよ」
「パパ……」
「雪城さんだってあなたを生んだことを不幸だと思ってないはず。彼女は子どもが大好きな人だから、本当の父親がどんな奴であれ堕ろさなかったっていうのは絆ちゃんを必要としたから、愛しいと思った証拠だと思う」
「……っ、うぅ」
実際のところ、推しと雪城さんが離婚した理由はわからない。でも、この子が推しと血の繋がった子だったらきっと前世では三人仲良く過ごしていただろう。
それもこれもあのくそファン男が悪い。娘にまで近づいて知らなくてもいい事実を言うのだからほんと抹殺してほしい。
そういう大事なことは推しと雪城さんがタイミングを見計らって言うつもりだったのかもしれないし、ずっと隠し通すつもりだったのかもしれない。
「きっと、もう少し時間があれば二人はよりを戻す可能性もあったと思うの。寧山さんは別れても雪城さんのことが好きだったと思うし、雪城さんも色々悩んでいたのかもしれない」
「ひっ……く、ぅ、う」
「全部私の憶測でしかないけど、確信することはあるよ。絆ちゃんがこんなに両親が好きってことはそれだけ二人が絆ちゃんを愛してくれたからなんだって」
「うぅっ、あ、あぁっ……あたし……あたしっ、ママにあたしなんて生まれなければ良かったって、言っ、ちゃったぁぁ……もう、謝れない……のにっ!」
あぁ、恐らく雪城さんと喧嘩して仲直り出来ないままこんな目にあったのか。悲惨にもほどがある。
魂だけの存在になって、誰にも相談出来なくて、ずっと両親だった二人の傍にいることしか出来なかった。
それでも、自分さえ生まれるのを待てばいいと思っていたのに私がそれを阻止した。
それだけじゃなく二人は結婚どころかお付き合いすらしていない。両親が両親になっていないなんて絆ちゃんにとっては絶望に近いものなのかもしれない。
……私は間違ったことはしていないつもりだし、雪城さんが酷い目に遭う未来を阻止出来て良かったと思ってる。後悔だってしていなかった。
でも……この子を見たら、私のしてきたことは本当に良かったと言えるのだろうか。
ずっと泣いてる彼女にかける言葉も思いつかないし、私のせいでこうなってしまったのに慰めることすらおこがましいのかもしれない。
でも、私以外に過去に戻った話なんて出来る人もいなければ怒りをぶつける相手もいない。ならば少しでも私が寄り添ってあげるべきではないだろうか。
向かい合っていた席を立ち、絆ちゃんの隣に座って後悔で悲しむ彼女を優しく抱き締めて頭を撫でた。
私では雪城さんの代わりにはなれないけど、少しでも紛らわせることが出来れば御の字だ。
「直接謝れなくても、絆ちゃんが今反省しているなら大丈夫だよ。雪城さんは絶対許してくれるし、こうやって抱き締めてくれる」
「うっ……うぅ……」
「それに絆ちゃんは間違いなく寧山さんと雪城さんの子どもだよ。寧山さんとは血が繋がっていなくても二人に育ててもらった絆ちゃんはこんなにも優しくていい子に育ってる」
「ひ、っぐ……うん……」
「私のことが憎いなら憎んでいいし、相談に乗れることは相談に乗るから。一人でずっと寂しかったよね。よく頑張ったね」
彼女の存在を認めるように声をかけると、絆ちゃんはぎゅっと縋るように抱き締め返した。
「あ、たし、わからないのっ……これからどうすればいいか……」
「私もいるから一緒に考えよう、絆ちゃん」
そう答えれば腕の中の彼女はこくこくとゆっくり頷いた。
橋本 絆奈。死に戻る分を含めこの世に生を受け五十数年。気づけば子をあやす母の真似事をしていた。
「……よし。じゃあ、沢山泣いたから何か気分を上げるためデザートも奢っちゃおうかな」
「!」
赤くなった目で食いつくように顔を上げる絆ちゃんを見て内心可愛いなぁと思うと同時に悲しみを少しでも逸らせることが出来て安堵したのだった。




