推しへ、直接話をしに行きました
精神年齢が上だというのにトラックに轢かれそうになった私は水泥くんに抱き締められながら泣いてしまった。
泣いたと言ってもわんわんと泣きじゃくったわけではない。最初にボロボロ流しただけで、そのあとすぐに自分が外にいるということを思い出し、恥ずかしくなった私は「あ、ありがとうっ」と少し言葉に詰まりながら急いで彼から離れて立ち上がる。
しかし、尻もちをついた水泥くんを見て、役者の命でもある身体に傷をつけたのではないかと慌てて彼を手を引き身体を起こした。
「ごっ、ごめん、水泥くんっ! 尻もちもつかせちゃって本当にごめんね! 大丈夫だった? 怪我はない?」
「あ、うん。僕は大丈夫だけど、橋本さんの方こそ怪我はない?」
「大丈夫大丈夫。怪我してても擦り傷くらいだろうし。それよりなんで水泥くんがここに……? 打ち上げだったんじゃ?」
そう、そうだよ。水泥くんは打ち上げ中のはずだからここにいるのはおかしいのだ。
当然の疑問と思って尋ねたのだけど、水泥くんは難しい顔をしていた。
「……白樺さんが買い出し行くって連れ出されたと思ったらなぜか橋本さんを追いかけ出して……そしたら動画撮り始めるし、橋本さんは突き飛ばされるしで……」
まさかの白樺によって連れ出されたのか。仲良いのか悪いのかわからないね君達。……って、動画?
「えっ? 動画……撮ってたの?」
「うん。まるで何かが起こるのを見越したみたいに」
予知能力でもあるのか、それとも何かを察したのか。どちらにせよ私は突き飛ばされたんだから犯人が映ってるわけだ!
けれど、その肝心の白樺の姿はどこにもない。まさか動画を撮るだけ撮って帰った……?
「えっと……白樺さんは?」
「僕が橋本さんの元へ駆けて行ってからは……。先に帰ったんじゃない?」
「犯人を追っかけてやったんだけど?」
「「!」」
何食わぬ顔でひょっこりと会話に割って入って来た白樺に驚いてしまう。気配でも消しているのかと思った。いや、そんなことよりも。
「は、犯人を追ったんですかっ?」
「まぁな。脅しに脅した上で謝罪とか自首を促したけど、逃亡を図りやがった」
脅したって聞くととんでもない気がするんだけど。恐怖のあまりに逃げたのでは? 胸ぐら掴んだりとかボコボコとかしてないよね?
「とりま犯行の瞬間はちゃんと録画してっからあとで送っといてやるよ。とっととサツに行って潰してやれ」
「ちなみに私を突き飛ばした人って……」
「例のチケを譲った女」
……あぁ、やっぱり。いや、彼女じゃなかったら良かったと思ってたけど、現時点で疑わしいのは天月さんしかいない。
さすがにちょっとショックではあるけど、それと同時に苛立ちを覚えてきたのも事実。
腹を括ろう。前世の仲とはいえ、対応を甘くしてはいけなかった。今世の彼女は同じ顔の別人と割り切るしかない。
車道へ突き飛ばすだなんて悪ふざけではすまされないし、これはもう殺人未遂だからね? さすがの私も怒るし、もう黙っているつもりはない。
俯いて、ぎゅっと拳を作ると、そんな私を見て傷ついたと思ったのか、水泥くんが心配そうな声をかける。
「橋本さん……今から警察に相談しよう。僕も一緒に行くから」
「ありがとう、水泥くん。でも今日はもう疲れちゃったからまた後日一人で行くよ。そもそもこの件は私の問題だからね。それに水泥くんは打ち上げ最中でしょ?」
「そうそう。そろそろ戻らねーと。寧山さんもまだ? って電話来てたし」
「ほら」
「だけど……」
「私はもう大丈夫だよ。ちょっと驚いただけだからもう平気」
旗揚げ公演を終えての打ち上げなのに私のせいで邪魔は出来ない。泣いてしまったのもあるから水泥くんは私は一人にしたくないのだろう。
そこへ白樺が私の顔をジッと見てきて何かを確認するように顔を寄せる。
「……あんたまさか泣いてたのか? 目赤いけど」
「! これはちょっとびっくりしてつい、ですよ!」
ヤバい。目が赤くなってたとは。化粧も崩れてるんじゃないのだろうか。それは気にしてなかったのでちょっと恥ずかしい。
「そ、それより、このことは寧山さんや雪城さん達には内緒でお願いします。これ以上心配かけたくないですし、推しには自分のことや演技に集中してほしいですから」
「橋本さんがそう言うなら……」
「まぁ、俺は元よりそのつもりだけど。あの人に余計な不安の種を植えつけたくないし」
「ありがとうございます。じゃあ、二人もそろそろ戻らないと。主役がいないのは盛り上がりに欠けるからね」
そう伝えて解散することにしたのだけど、やはり水泥くんは私のことが気がかりで仕方ないという表情をしていた。しかし、白樺に引っ張られるように連れて行かれてしまったので私は苦笑いでそれを見送るのだった。
後日警察に行くと言ったが、もう少し後回しにさせてもらう。
……いや、また何かをするようだったら問答無用にすぐにでも飛び込むけども。ただその前に天月さんと直接話をしたい。
ちゃんと本人の口からなぜこんなことをしたのかを聞きたいし、私にも言いたいことがあるから。
白樺からシロザクラさんのアカウントを使って例の動画が送られたので証拠はこちらも手にしている。
なぜか住所と本名まで送ってきたことについては驚いてしまったけど。いや、でもなんで天月さんの住所と本名知ってるの!? 情報漏洩恐ろしいんだけど!
……まぁ、さすがに家に突撃は避けるけど。そんなことしたら私が犯罪者扱いである。
ならばどうやって天月さんを捕まえるのか? そんなのは簡単である。私達は同じ推しを応援する同士。つまり同担なのだから推しのいる所へ行けば自ずと彼女に会えること間違いなし。
「天月さん。お話があるのでお時間をください」
そう。エターナルランドへ行けばいい話だ。えぇ、いましたとも座り見の最前列に。
彼女の隣には物産展で見かけた白樺リアコの方もいらっしゃるようだ。水泥くんリアコの彼女とは縁を切ったのだろうか。
まぁ、そんなことよりも用があるのは天月さんだ。彼女は驚いた表情でこちらを見ていたけど、何も驚くことはないだろう。
同じ推しを応援するんだからインパして見に来ることは何も不思議じゃない。どちらかがやめるまで会える可能性はあるのだ。……まぁ、人を突き飛ばしといてよく来れるよね、とは思うけども。
「天月さん、お友達?」
「いや……」
「はい、お友達です。だってこんなことする仲なので」
天月さんの言葉を遮り、自分のスマホを二人に見せつける。殺人未遂であるあの動画を再生……と、思ったらすぐに天月さんがその手を掴んで立ち上がる。残念、そっちのお友達に見せることは出来なかった。
「ちょっと話してくる」
「? 行ってらっしゃい……」
どうやらこちらの頼みを聞いてくれるようで私と天月さんはショー待ちしていた場から離れ、近くの植え込みへと移動する。
「一体なんの真似? ムカつくんだけど」
凄いなこの人。全く悪びれる様子がない。私がキレてもおかしくないやつでしょ?
「そっくりそのままお返ししたいんですけど。私に自作自演の窃盗容疑にさせたり、道路に突き飛ばしたり。特に後者のほうなんて殺人を犯すつもりだったんですか?」
「そうね、あんたみたいな繋がり厨なんて死ねば良かったのよ」
うん。清々しいくらいはっきり言うね。確かに前世でも天月さんはちょっと口が悪くて、良くも悪くもはっきり言うタイプだったからなぁ。ここまで敵意を向けられるとは思わなかったけど。
「別に繋がり厨じゃないんですけど」
「よく言うわよ。寧山さんの車に乗ったり、楽屋に出入りしたり何様のつもり?」
あ~~っ! 車乗ってる所まで見られてたのか! 思ってたよりも前々から目をつけられてた!
「それに白樺まで取り入って私を脅すなんてとんだ尻軽で吐き気がするんだけど」
「寧山さん含め白樺さん達は友人です。勝手に勘違いしないでもらえませんか? 皆さんにも失礼なので」
本当は友人だなんて言葉は言いたくなかったのだけど、ただのファンというにはさすがに深く交流している。
……どうしてこうなってしまったのか。そのおかげで私の恐れていた過激なファンに目をつけられるという事態が起こってしまったし。
「なんなのあんた。寧山さんの彼女気取り? あんたみたいなブス寧山さんに似合うわけないだろ! 顔見て出直して来いよ!」
口調が荒くなってしまった天月さんが私の胸ぐらを掴んでくる。
この際私がブスだろうがなんだろうがどうでもいいのだけど、あまりにも幼稚な悪態に思わず「はぁ……」と溜め息混じりの声が出てしまう。
その瞬間、パシンと乾いた音と共に頬に痛みが走る。目の前の女は怒りに顔を赤く染まっていた。
「どう考えても私の方が寧山さんのことを一番に想ってんだから! 私が寧山さんの一番のファンなの! 勘違いすんな!!」
まるで雪城さんのガチ恋野郎を見ているようだった。そのことを思い出すと頬を叩かれたこともあり一気に頭に血が上る。
そして、本能のまま同じように天月さんの頬にビンタを食らわせた。目には目を歯には歯を、ビンタにはビンタを。やられたらやり返す。
「っ!」
「ねぇ、一番のファンを名乗るならもう少し推しのことをよく考えて発言と行動してよ。同担潰して楽しい? 推しに頼まれて行動してるわけ? 違うでしょ? 全部自分のためだよね? 推しのことなんかこれっぽっちも考えてないし、自分の欲求のためにしか動いてないよね? ファンの行動によって周りからの推しの評価にも繋がるってことをどうしてわからないの? ちょっと考えればわかるでしょ。あなたがバカじゃないなら」
淡々と早口で物申す。誰が推しの一番を名乗ろうが構わないけど、それに値する言動を備えてから口にして欲しい。
「推しのことを好きになろうが愛してようが私は全然構わないけど、ファンなら推しの迷惑になる行動は謹んでよ。せっかくの推しの舞台で問題を起こして推しがどんな気持ちになるかわかる? しかも自分のファンが犯人だと知ったら傷つくのわからないわけ? 別のファンからは『あの人のファンは人に迷惑をかけるんだって』って嘲笑われてもいいの? そのせいで他の推しのファンが担降りしたらどうすんのよっ?」
「っ、担降りすればいいじゃない! 寧山さんのファンは私一人で十分よ! 私だけが彼を支えられる!」
「んなわけないでしょ! 今の推しはどれだけのファンがいるかわかってんの!? あなた一人で何がどう支えられるわけ? 推しの生活費がいなくなるのよ! ファンはみんなで推しを支えるの! あんた一人しかファンがいなくなったら役者生命も終わりになるでしょ! なんでそんなこともわからないのっ? 同担拒否は勝手だけど、同担を増やさずに潰したらただのアンチと変わらないのよ!」
精神年齢に相応しい対応をしようと優しく言い聞かせるつもりが、段々とヒートアップしてしまった。私の悪い癖だが、もう止まらない。
「そもそも推しのタイプはしっかりして自分を応援してくれる人って忘れてない? 今の天月さん何一つ掠りもしないし、むしろ逆。推しの応援どころか推しの役者としての道を邪魔してるじゃない! 私を目の敵にする暇があるなら推しだけを見続けて、推しが恥ずかしくならない淑女になりなさいよ!」
「っ……」
一気に色々吐き出したけども、言いたいことの半分位は言えて少しすっきりした。やはり顔を合わせて思いの丈をぶつけるのが一番スカッとする。
天月さんはというと返す言葉が思いつかないのか、それとも私の勢いのあるマシンガントークで圧倒されてしまったのか、口をきゅっと閉じていた。
胸ぐらを掴む手にも力が入っていないようだったので荒々しく彼女の手を振り払っておく。
「私は……邪魔、してない……邪魔なのはあんたよっ!」
キッと眼光強く睨みつけられる。雪城さんのリアコ野郎といい、思い込みの激しい人はなかなか自分の非を認めない。こういうのが他の真っ当なリアコの人の肩身を狭くさせるのだから困ったものである。
「天月さん。私は証拠があるにも関わらずなんですぐにでも警察に駆け込まなかったかわかる?」
「……」
「もちろん、あなたのためなんかじゃない。全部推しのため。私は推しの給料のため、推しの人気のため、ファンを一人も欠かしたくないの。天月さんだって前科者になりたくないでしょ? 推しだって自分のファンがくだらない嫉妬で人殺しになりかけたなんて悲しむもの。だから最終警告。私の前に現れるなとは言わないけど、また私に危害を加えるようなら容赦なく警察に突き出すし、推しを応援する生活を取り上げるつもりだから」
本当だったら髪の毛を掴んで警察に連れて行って謝罪させたいけど、大事になって推しに迷惑をかけたくない。
「一番のファンなら、本当に寧山さんが好きなら、推しの幸せを考えて行動して」
「……寧山さんの、幸せ……」
ぼそりと呟く天月さんの言葉に覇気はなかった。少しでも私の言いたいことが伝わればいいのだけど。
「一先ず、私の言いたいことはそれだけだから。私のことを憎む時間があれば推しのこと考えてくださいね」
そう告げて彼女の前から立ち去った。天月さんは俯いていたため、反応も表情はわからない。とはいえ、軽く脅すつもりが説教じみてしまったな。
……しかし、やはり対応が甘かっただろうか。天月さんのことは許すつもりはないのだけど、死に戻る前の彼女がチラついてしまい、最後のチャンスを与えてしまった。中身は全く違うというのに。
きっと彼女と仲良くする未来はもうないだろう。私もそんな気持ちになれないし。天月さんとこうなってしまったのは非常に残念ではあるけど。
心も晴れないし、解決出来たかどうかもわからないけど、それはこれからの天月さん次第だと思う。ただただ彼女がもう馬鹿なことをしないように祈るしかなかった。
『初めまして、縁さん。天月と申します。SNSではお世話になってます……あの、新刊ください』
同人誌即売会にて少し緊張した面持ちで初めて顔を合わせたときのことを思い出す。
今世ではまたこの出会いが再現されるんじゃないかって昔は期待していたけど、結局天月さんの進む道は変わってしまった。
推しが結婚しなかったから、という前世とは違うルートに入ってしまったが故に。たったそれだけで他人の人生が大きく変わってしまう。
そりゃあ、周りの人達も前世とは違う生き方をしてる人も多いけど、悪い方向に向かってるわけじゃない。
でも、天月さんのように人に危害を加えるような落ちぶりは初めてだ。知り合いだけにその様変わりはショックだけど、改めて気づかされた気がする。
今の私は死に戻る前とは環境が変わっているから、交友関係も前世と同じになるとは限らない。ニーナのときが上手くいったから天月さんともそうなるものだと思っていたのが大きな間違いだろう。
仲良く出来なかったのもそうだけど、それより何より悲しいのは……
「……天月さんのしらねや作品がもう読めないのか」
そう、しらねや文字書きの天月さんとは会えないことだった。私は前世の同志を一人を失ってしまったんだ。つらい。