推しへ、また死ぬかと思いました
控え室からでも舞台で流れる曲が響いて聞こえる。一人でぼけーっと座りながら何をするわけでもないのだけど、私以外スタッフさんもいないので逆に不安なのだけど。
だって私は部外者だ。それなのに出演者の私物やら何やら置いているこの空間にファンを一人だけにして良いのだろうか? いや、良くないだろう。
とはいえ本番中だし、ただでさえスタッフさんも忙しいのに虚言を吐いたあの女性の話を聞くのに人を割いてしまっているのだから私の監視までしてる余裕はないだろう。まぁ、それに私は被害者なのだから。
信じてくれてるとはいえ、防犯意識が低いのではないだろうか。もちろん、私物を盗むような真似はしないんだけども。
……しかし、暇だし鏡前を見るくらいはいいだろうか?
楽屋をぐるっと見て回るだけ……そう言い聞かせるようにパイプ椅子に座っていた私は立ち上がって室内を歩く。
化粧前とも言う鏡前には誰が使っているのかわかりやすいように使用者の名前が書かれたシールが鏡の右上に貼られていた。
推しの鏡前は整理されているとはいえ物が多い印象。ワックスや制汗スプレー、フレグランスや飲みかけのペットボトルもある。
そして推しの領域まで物が溢れて侵入しているお隣は白樺の鏡前だ。色んな物がぐちゃぐちゃに置いていて、お菓子やら飲み物も多いようだ。
その隣は雪城さんの鏡前。こちらはメイク道具が沢山あるけど綺麗に纏められている。あと可愛らしい小物があったり、音楽プレーヤーなどもあった。
最後は水泥くんの鏡前。こちらは物が少ない印象だから殺風景と言うべきか。必要最低限しか物を置かないように感じた。ヘアセット用品や少し使い込まれた台本などが目立つ。
一通り見た所で楽屋のドアがノックされる。慌てて椅子に座って「どうぞっ」と声をかけると、やって来たのは例の女性に事情聴取をしていた男性スタッフさん。
ここに来たということは話が終わったのだろう。
「お待たせ致しました。話を聞いてみると初めから橋本さんを陥れようとしていたようです」
だろうなぁ。と思いながらそのまま話を伺うと、天月さんと同行者であることを認め、昨夜彼女から『潰したい相手がいるから手伝って』と連絡があったそうだ。
最初は自分のチケットを手放すのは嫌だと渋っていたが、上手くいけばすぐ席も取り戻せるだろうし、楽屋にも案内されるかも、水泥くんに会えるかも、と唆されたのだと。
……よく信じたよね、その話。結果的には水泥くんに会えたけども、望む結果ではなかったからなぁ。まぁ、バレる嘘をつくくらいだからちょっと残念な頭だったんだろうね。
いいように使われたことや公演も観れなくなったことにはちょっと同情するけども。
「もうすぐ休憩を挟むのでそのときにでも連れの人を呼んでみたいと思いますので、もう少しお待ちいただけますか?」
「わかりました」
スタッフさんが控え室を出ると再び一人になってしまった。
……しかし、なぜ天月さんが私を潰したいと思ったのだろうか。一応、しっかり顔を合わせたのは昨日が初めてなのに。
可能性としては昨日の楽屋での夕飯から離脱した際に、アナライメンバー達にお見送りしてもらった現場を見られたからとか……? って、それだけで狙われるの? リアコ天月さんめちゃくちゃヤバくない?
でも、お見送りは公演終了から結構時間経ってたからそれでも劇場近くにいたっていうことは出待ちしていたのかもしれない。
そもそも公式は出待ち禁止なんだけどね。遠巻きに見てたのだろうか。なんて傍迷惑な。
だとするとコーヒーをかけたのもわざとか……それはちょっとイラッとするなぁ。染み抜き大変だったんだからね。
しばらくしてから休憩に入るアナウンスが劇場から控え室まで聞こえてきた。これで天月さんを連れて来て詳しい話を聞くことが出来るだろう。
そう思って待っているとノック音が聞こえて「どうぞー」と返事をしてあげる。思っていたよりも早いなぁと思っていたら……。
「絆奈ちゃん、大丈夫?」
推しとその仲間達がやって来たのだった。そうだ、ここは彼らの楽屋なんだ。
「あ、はい。私は問題ないです。むしろすみません、控え室を使わせていただいて……」
「ううん、気にしないで。絆奈ちゃんは被害者なんだから」
「いえ、この度は私が不甲斐ないせいで皆さんに沢山迷惑をかけてしまいました。本当に申し訳ないです」
深々と頭を下げる。旗揚げ公演の千秋楽という日にこんな事件を起こしてしまうだなんて。巻き込まれたとはいえ、はっきり天月さんの誘いを断れば良かっただけの話だった。私にも非があるためとても申し訳ない。
そんな頭を下げる私に推しは肩を掴んで身体を起こしてくれた。
「絆奈ちゃんは何も悪くないよ。謝る必要なんてないし、この件が解決出来るように協力したいくらいなんだから」
「寧山さん……」
推し……今日もいい顔してる……。……ハッ! 思わず見とれてしまった。
「寧山さん、今来たスタッフの人から伝言で例の女性は捕まらなかったとのことですよ」
そこへ水泥くんが間に割って入る。どうやら天月さんを連れて来れなかったようだ。しかもちょっと不服そうだったので水泥くんは彼女を捕まえられなくて悔しいのだろう。私のためにそこまで思ってくれて本当にいい子である。
「休憩直後すぐに席を立ったって話よ。化粧室だと思うけど席に戻り次第再度スタッフに向かわせるつもりだけど」
「そうなんだ……」
雪城さんからの話も聞いて推しは難しい顔をする。恐らく推しもなんとなく察しているのかもしれない。休憩時間はこのまま席に戻ることはないだろうと。
本来のチケット主である同行者の水泥くん追いリアコが依然として席に来ないのだから作戦は失敗したと思っていてもおかしくはない。
だから呼び出されないためにも休憩時間に入った途端すぐに席を立ったのだろう。このまま戻って来ない可能性もあるが、推しを見るために幕開けギリギリに戻って来る可能性もなくはない。
「戻り次第公演中だろうと引っ張って来るしかねーだろ」
「いえ、そこまでするのは望みません。出演者である皆さんや観劇するお客さんの集中を削ぐことになりますので、公演終了後にお願いしたいです」
「公演終了後なんて逃げたらもうそれまでだろ」
「元より大事にするつもりはないのでそのときは諦めます」
さすがに公演中にゴタゴタがあったら役者も客も困るだろう。最終公演をストレスなく演じてほしいし、観劇してほしい。
そう伝えると白樺は舌打ちする。なぜ私が舌打ちされなければならないのか。
間もなく休憩が終わるので、出演者達はスタンバイするため楽屋から出て行く。彼らを見送り三度一人の空間を過ごすのだった。
その後、結果から言うと、天月さんの捕獲には失敗した。休憩明けギリギリに彼女は席に戻ったので、終演後すぐにスタッフが声をかけたのだが、すぐに逃げ出したとのこと。
まぁ、そうなるだろうなぁと予想はしていたので仕方ない。本人から直接話を聞きたかったが、これに懲りて変なことはしないでもらえたらいいな。
……本音を言えば謝罪させたかったんだけどね! 前世のよしみで我慢してあげよう。精神年齢はこっちが上なんだ。大人の余裕を持たなければ。
と、いうわけで仕方ないのでこの件は終わりにしようと気持ちを切り替えるのだけど、どうやら推し達は不服そうな顔をしていた。
「さすがにちょっと悔しいわよね……」
「あの、私は大丈夫なのでせっかくの旗揚げ公演が終わったのにそんな顔しないでください。このあと打ち上げなんですよね?」
「それなら絆奈ちゃん、打ち上げは」
「出ません。これ以上は私が申し訳なさに押し潰されそうなので」
推しよ、沈んでいた表情がパッと変わるのは有難いが、目を輝かせながら誘わないでほしい。さすがに私も打ち上げに参加するような気持ちではないのだ。
はっきりと断ったのがいけなかったのか、落ち込ませてしまったらしく雪城さんに慰められていた。私だっていつも推しに流されるわけにはいかないのだ。
「……橋本さん、大変だったよね。力になれなくてごめんね」
「そんなことないよ。みんな私を疑わないでくれただけでも有難いことなんだから。むしろ私の方が迷惑かけちゃった立場なんだし」
「寧山さんも言ってたけど、橋本さんは何も悪くないよ。橋本さんはそんなことする人じゃないってことは僕もよくわかってるから」
「ありがとう、水泥くん。このあとの打ち上げ楽しんでね」
最終公演でこんなことに巻き込まれたというのに水泥くんもそうだけど、みんな責めないし優しい……。
「白樺さんもありがとうございました」
「……」
白樺にも庇ってもらったという信じられないことが起きたので一応お礼を伝えたが、彼は黙ったままフンと顔を背いてきた。本当になんなの君は!? 私のことを崇めているのか、敵視してるのかどっちなの!? 両方!? ややこしいんだけど!
色々と懸念が残ることもあるけど、私はみんなに挨拶をして先に帰らせてもらうことにした。まったく、とんでもない一日である。
外はすっかり日が暮れていた。もう時間は二十時を過ぎてるのだから当然だ。早く帰ろう。
劇場の帰り道にある一際大きな交差点。これを渡れば駅に到着する。人の量は疎らで思っていたよりも少ない印象だった。
信号待ちしている間、夕飯は何しようかなと考える。なんだか精神的にどっと疲れたから適当にどこかでお弁当とか持ち帰り出来る物でも食べようか。
アナライ旗揚げ公演お疲れ様一人パーティーとしてお寿司でも食べるのもありだし、なんならちょっとリッチな焼肉弁当とかもいいな~。
さらにおつまみやビールを飲んでもいいよね! 今日は散々な目に遭ったわけだし!
夕飯についてあれこれ考えてると、ついにやけてしまう。嫌なことがあったときはやはりビールに限る。そう思っていたら……。
ドンッ!
「!?」
その瞬間、背中に強い衝撃を感じた。軽くぶつかったとか当たったとか、そんな生易しいものではない。容赦のない力で突き飛ばされたのだ。
不意の出来事に身体は何が起こったのか理解出来ず、道路へと倒れてしまう。
「いたた……」
身体起こしてハッとした私はまだ歩行者信号が赤のサインを出していることに気づき、慌てて車道を確認するとトラックがこちらへと向かって来るのが見えた。
早く逃げないと、そう思うも死ぬ前の光景を思い出し、身体強ばって動けない。嘘でしょ……こんなこともあろうかと轢かれる前に逃げるイメトレを何度もしたというのに。力が入らない、身体が震える。
運転手の人が気づいて急ブレーキをかけてくれることを祈るしかないの? そんな一か八かの賭けなんてしたくないのに!
しかし、トラックはクラクションも鳴らさないし、まだ私の存在に気づいていないのか、スピードを落とす様子もない。夜道だから目立たないのだろうか。
そうしている間にトラックはもうそこまで来ている。胸の鼓動が早くなり、警鐘を鳴らしているみたい。
あぁ、もうダメだ。私、また死━━。
「橋本さんっ!!」
その声が聞こえてすぐに腕を強く引っ張られた。その反動で私の名を呼ぶ主が尻もちをつくものの、しっかりと私を抱き留めている。
トラックは私達の存在に気づいているのかわからないまま、普通に横断歩道を横切っていた。
そう。さっきまで車道に出ていた私はいつの間にか歩道へと戻されていたのだ。水泥くんのおかげで。
「み、どろくん……?」
「良かった……無事で……」
「私……まだ、生きてる……?」
「うん。大丈夫、ちゃんと生きてるよ」
またあの死を迎えるのかと思って生きた心地がしなかった。でも、彼の言葉を聞いて酷く安心した私は緊張の糸が切れたのか、ボロボロと涙が溢れてしまう。
「ご、ごめっ……いい大人が、こんなことで泣いて……」
トラックに轢かれそうになったから泣くなんてまるで子どものようだ。なんと情けないことか。
必死に涙腺からの分泌液を拭っていると、水泥くんにギュッと強く抱き締められた。
「怖い思いをしたんだから当然だよ」
「っ……」
水泥くんの優しさが今の私にとって凄く身に沁みて、また涙液が溢れ出てくる。
昔は私の後ろについて来ていた彼が今ではこんなにも大きくて、頼りになっているのだと改めて気づかされた。
「はっ……はぁっ……」
走る。走る。全力で現場から離れるために走る。人通りの少ない道を通って、かなり距離が出来たという所でその足を止めた。古臭い街灯に手をかけ、息を整える。
「はぁ……あは、アハハッ!!」
やった。やってやった! あの害悪を制裁してやったわ! 生意気に私の寧山さんの車に同乗する上に近づくからこうなるのよ!
昨日だってそう。出待ちは禁止だから遠くから見守ろうと寧山さんが出て来るのを待ってたらなんであのアマが出て来るのか意味わかんなかった。しかも寧山さんに見送られてたし。
あの女、関係者席にもいなかったからただのファンなのになんで寧山さんに近いのよ。何様のつもり?
あいつを潰さなきゃ、そう決めた私はすぐにあのアマと接点を持ち、仲間を使って潰すことにした。
でも、結局あいつはしくじったらしく隣の席は空席のまま舞台は始まるから集中出来やしなかったし、スタッフが私を捕まえようとするからすぐに逃げてやった。
邪魔な虫が潰れなくて腹立たしい。怒りは治まらなかったけど、寧山さんを見守りたいのでまた劇場から離れた場所でジッと彼が出てくるのを待った。
それなのに、それなのに、またあの虫が出てきた。信じられない。こんな時間まで寧山さんの近くに陣取っていたわけ? 悲劇のヒロインぶってんの? ムカつく。羨ましい。私の場所を奪うな。死ね。死ね。死ね死ね死ね死ね!!
こっそりあいつの後をつけて、横断歩道で信号待ちしている背中目掛け、力強く突き飛ばしてやった。面白いくらいに前に転んだからいい気味だ。
最後まで見届けられなかったのは残念だけど、私の仕業だとバレる前に逃げなければいけなかった。
「身の程を知れクソアマ!」
運が悪けりゃしぶとく生き残ってるだろうけど、運が良ければあの世に逝ってる可能性だってある。一度戻って確認でもしようか。
「どーも、ぼっちで楽しんでるところいい?」
「は……?」
誰も通らないと思っていた。通ったとしても話しかけられることはないと思っていた。しかし、目の前にはアナライメンバーの一人、白樺 譲の姿が……。
「し、らかば……さん?」
「ちょっと話しよーぜ。拒否はすんなよ」
一方的なことを言い出したかと思えばスマホを取り出して、動画を見せつけてきた。先程、あの女に制裁を加えた様子が映されていて、身体の血の気が引いていく。
そんな私を見た白樺の表情はまるで悪人のような笑みを浮かべていた。
悪魔に、捕まってしまった。




