橋本さんへ、どうすればあの人達を止められたのだろうか
時間は午後四時を過ぎた頃。新しく立ち上げたグループ“Another Life”の旗揚げ公演はすでに一ヶ月を切り、メンバー全員揃っての練習稽古も増え始め、本日もスタジオを借りて昼からしっかりと舞台稽古を行った。
「そろそろ時間だね、今日はこのくらいにしようか。みんなお疲れ様」
グループでは年長者ということもあってリーダーを任された寧山さんによって本日の練習は終了。
僕は急いで帰る準備に取り掛かり、少しでも早く百貨店に向かおうとした。
なぜなら、橋本さんが物産展に出店しているうちの店の手伝いをしてくれているから。
彼女も見に来てほしいと言っていたから何がなんでも僕は物産展に行かなければならない。
「ねぇ、みんなでご飯食べない?」
しかし、それを阻むかのように雪城さんが夕飯のお誘いをする。
一応、寧山さんがリーダーではあるが実質のリーダーは彼女だと思う。イベント慣れしているから経験もあり、公演舞台を始めるノウハウもある。そして発言力も強い。あとはリーダーである寧山さんを上手くバックアップもするので寧山さん自身も言っていたが、雪城さんがリーダーでいいのではないかと思っていた。
しかし、雪城さんは『私がリーダーだとなんだかパッとしないし、年長者が一番なのよ。あと言うこと聞かない子がいるしね』と語る。
あぁ、確かに……と白樺さんのことを考えて頷いた。あの人は寧山さんじゃないと言うこと聞かないだろうし。
「いいね。ラーメンとかカレーが食べたいなぁ」
「寧山さんが行くなら俺も」
寧山さん、白樺さん共に雪城さんと夕飯に行くようだ。付き合いが悪いと思われるだろうが、僕には先約がある。
「すみません、僕はこれから行く所があって……」
「あら、そうなのね。どこに行くの?」
「ちょっと物産展に……」
あまり深く聞かないでほしい。橋本さんがいるから、なんて言ったら絶対について来るでしょこの人達。
「物産展って今何やってるのかしら?」
「確か、関西方面の物産展だった気がする。電車の広告に載ってるのを見たよ」
「そういえば水泥くんは和歌山出身なのよね。故郷の名物を堪能しに行くってことかしら?」
「は、はい。実家が出店してるのでそれで……」
だから早く行かせてほしい。そう願って先輩方から解放されるのを待つが、今思えば無理やりにでも抜け出すべきだったのかもしれない。
「えっ? そうなんだ? 水泥くんのご実家って庵主堂っていう和菓子屋さんだったよね?」
「あ、はい」
そういえばずっと前に帰省したときのお土産として実家の和菓子を差し入れしたのを思い出した。確か、寧山さんはあのとき……。
『あ、このお店知ってるよ』
『本当ですか? 僕の実家なんです』
『そうなんだっ? だからかな、絆奈ちゃんがたまに舞台の差し入れで持って来てくれたんだよね』
『そ、そうなんですね……』
……とても複雑な気分になったのをよく覚えている。好きな子が実家の和菓子をライバル視してる彼に差し入れだなんて。しかもそれをわざわざ聞かされるのだから心がざわついたものだ。
「絆奈ちゃんが差し入れしてくれたときから好きなんだよね。僕も物産展で買わせてもらおうかな」
「えっ」
待って。この展開はまさか……。
「あ、もしかして水泥くんが何年か前にお土産でくれた栗羊羹のお店? あれ水泥くんのお店なのね! それなら私も経済回しに行くわ」
「あの……」
あぁ、まずい。これはもしかしなくとも……と思って白樺さんに目を向けると、さも当然のようにいやらしく口元を歪ませた。
「それじゃあ俺も行こーっと」
よりにもよってこの人まで! いや、寧山さんが行くと意思表示をし出したら自動的に白樺さんもついて来るのは当たり前のことである。
しかし、これは非常にまずい。橋本さんと絶対顔を合わすことになるじゃないか。せっかく僕が会いに行くつもりなのにこの人達に邪魔をされたくはない。
「それはさすがに悪いので、僕が代わりに購入しときますから三人は一緒にご飯に行ってください」
「気にしなくていいよ、それに水泥くんのご両親にも先輩として僕からちゃんと挨拶しておかないと」
「い、いいですよ! そんなことまでしなくて!」
「水泥くん、遠慮しなくてもいいのよ。遥々都内まで来てくださったのだし、私も直接買いたいわ」
「あ、寧山さーん。ネットで調べたら庵主堂の素材を使ったスイーツを出すカフェも併設されてるみたいなんでここもいいんじゃないですかねー?」
白樺 譲め余計なことを……! そこに橋本さんがいるっていうのに! 寧山さんも雪城さんも奴のスマホを覗き込んでノリノリだし……これはもう一緒に行くフラグってやつじゃないか。
……これはもう避けようがないと心の中で盛大な溜め息を吐き捨てた。
気が進まない中、三人を引き連れ一昨日来たばかりの物産展へと辿り着く。
そもそもこの物産展は近畿地方の美味しい物が集まっているわけなので、余所に目を向けてあわよくば庵主堂のことやカフェのことを忘れてくれたらと思ったが、この人達は真っ直ぐに庵主堂へと向かうと言い出したのでそれを駄目だと言えるわけもなく、案内することになった。
「お? 恵介じゃないか。稽古は終わりか?」
庵主堂のブースへと向かえば父が真っ先に僕に気づき声をかける。隣でどら焼きの生地を焼いている祖父もこちらに気づき、手を振ってくれたが作業中なのでお祖父ちゃんとはまだ話は出来なさそうだ。
「うん。それで先輩達が庵主堂のお菓子を買いたいって言ってくれたから連れて来たんだ」
「それはそれは! いつも息子がお世話になっています」
「いえいえ、こちらこそ。水泥くんはとてもしっかりしていますし、役者として凄く頑張ってます」
父と寧山さんが話していると祖父がちょうどお客さんにどら焼きを渡して一段落を終えたらしく、こちらへ顔を出した。
「恵介、お疲れさん。仕事仲間を引き連れて来たんか?」
「う、うん……成り行きで……」
本当は来てほしくなかったとはさすがに言えなくて、否定することなく乾いた笑いと共に頷いた。
すると祖父は再び調理スペースに入ると、注文も受けていないのにどら焼きを作り始める。
出来たての綺麗に焼き上がった生地に特製のあんこを乗せてさらにもう一枚生地を乗せたら庵主堂のどら焼きの完成。
「恵介が世話になっとるからお礼も含めて食べてやってくださいな」
「えっ? いいんですか? ありがとうございます」
「出来立てをいただけるなんて嬉しいわ。おじい様ありがとうございます」
「どーもありがとうございます」
祖父が四人分用意したどら焼きを僕を含めた他の三人に渡していった。わざわざそこまでしなくても、と思うもお祖父ちゃんはそういう人なのだから仕方ないか。
僕もせっかくいただいたので熱々のどら焼きを一口頬張る。久しぶりの慣れ親しんだ味は今も変わらず美味しくてなんだか懐かしくなった。
「そういやぁ恵介。カフェには行かんのか? 絆奈ちゃんが待っとるやろうに」
お、お祖父ちゃんーー!! 何もこの人達の前で言わなくてもいいんじゃないかな!?
恐る恐る三人の様子を見ると、驚きながらも嬉しそうに目を輝かせる寧山さんに、にっこりと笑う雪城さんに、寧山さんの様子を見てあからさまに嫌そうな顔をする白樺さんがいた。……やはり隠し通せなかったか。
「なーんだ、水泥くんってば絆奈ちゃんと会おうとしてたのねー! 言ってくれたら良かったのに」
言ったら絶対来るから言わなかったのに……。どう回避すれば良かったのか。もうバレてしまったら顔合わすまで帰らないだろう。
「じゃあ、僕達も会っていいかな?」
「……いいと思います」
そう言うしかない。そうしか言えない。ただでさえ家族のいる前なのに、いえ、無理ですなんて言うと意地の悪い息子、孫、としか思われないデメリットしかないじゃないか。
はぁ、と何度目かの心の中の溜め息をついて、僕は隣の併設されているCafe・和心の里へと向かう。
お祖父ちゃんの話によれば数十分前までは列が出来ていたそうで今は少し緩和されているらしい。
ちょうどいいと言えばちょうどいいのだけど、行列が出来ていたらこの人達も諦めてくれたかもしれないと思うととても惜しいと考えてしまう。
「あ、水泥くん。いらっしゃらいま、せぇっ!?」
カフェの敷地へと足を踏み入れたらすぐに橋本さんが出迎えてくれた。白いシャツにカフェの前掛けエプロンを装着した彼女は髪も縛っていて清潔感もあり、誰が見ても良い印象を与えるだろう。
しかし、僕の後ろに引き連れた人達を見た橋本さんは出迎えの挨拶の途中で声が引きつってしまったようだ。……そうだよね、まさかこの人達が来るなんて思わないよね。ごめんね、驚かせちゃって……。
「こんばんは、絆奈ちゃん」
「ーーッ!!」
寧山さんが声をかけると、橋本さんは芥田くんと母のいる調理場へと走り出した。
しばらくして彼女の様子を聞いたと思われる佐々木さんが代わるように僕達の前に出て来る。
「絆奈は『突然の推しの供給に死にそう』っちゅーて心の準備が整うまで引っ込んどるわ」
「そう、なんだ」
彼女に席を案内され、橋本さんの逃げ出した理由を聞いて、なるほどと思いながら彼女が消えた調理場へ目を向ける。
「この人らみんな水泥くんの仕事仲間の人なん?」
「うん。先輩達」
「絆奈の推しの人は知っとるし、高校の文化祭にも来とった人やもんな。うちの模擬店にも来てたわ」
「あ、もしかしてお化け屋敷にいた子?」
「そうですそうです」
ちょっと待って。何その話。寧山さんが高校の文化祭に来た……? わざわざ和歌山にっ?
「寧山さん、なんの話なの?」
「あぁ、絆奈ちゃんが高校のときに文化祭で僕が当時所属していた劇団の演目で劇をしてくれたんだ。その様子を劇団みんなで見たいからってことで撮影に行ったんだけど、彼女の演技良かったよ」
初耳なんですけど。僕のいない間にそんなことになっていたなんて。僕も見たかった……!
「それにしてもやっぱ役者さんなだけあって絆奈の推し以外にも綺麗な人もおるし……」
「あら、ありがとー」
「イケメンもおるねんな」
「どーも」
佐々木さんが雪城さんに目を向けると彼女は嬉しそうに笑いかけ、白樺さんに目を向けると彼は満更でもない笑みを向ける。
その様子を調理担当の芥田くんが睨みながら見ているんだけど、白樺さんは気づいてるのか気づいてないのか、どちらにせよ動じてる様子はなかった。
「それじゃあ、注文決まったら声かけてなー」
次の客が来店したようで、佐々木さんはそちらに向かうと僕達は注文するものを決めるためメニューへと目を向ける。
品数が多いわけではないのでそれぞれ注文するものがすぐ決まると、調理場で来客用の水を注ぐ佐々木さんに声をかけた。
彼女はすぐ傍にいる橋本さんを引っ張って、彼女を僕達に遣わせることにしたのか、背中を強く押している様子が見える。そして心の準備が若干出来たのか、橋本さんが注文を取りにやって来た。
「絆奈ちゃんやっと来てくれたわ。お仕事中にごめんねー?」
「い、いえ、お待たせ致しました。すみません、あまりにもびっくりしてしまって……」
「そこまで驚かせちゃったなら申し訳ないなぁ。でも、絆奈ちゃんが働く姿は貴重だから僕は見られて嬉しいよ」
「あはは……ありがとうございます」
寧山さんの言う通り仕事中の橋本さんを見る機会なんてそうそうない。髪も縛っているせいか、普段見る橋本さんと違うので新鮮ではあるし、何より……可愛い。
「橋本さん、その格好よく似合ってるよ」
「ほんと? ありがとうー。そういえば仕事してるとこを見られるのってないもんね」
「パン屋のときと変わんなくね?」
そこへ横から会話に入ってきたのは白樺さんだ。瞬間、場の空気が変わる。なんでこの人が知ってるんだと。
「パン屋さんって……絆奈ちゃんが働いてる所?」
雪城さんが白樺さんにそう尋ねる。恐らく彼女も寧山さんも初めて知ったのだろう。二人とも興味深そうにしていた。
僕も知っていたとはいえ、実際に見たことはない。だからこそなんで白樺さんが橋本さんのユニフォームを知っているのか。
橋本さんは気まずそうにしているし、というか困惑してる様子。
「そうです。この前たまたま鉢合わせたんスよね」
「……迷惑かけてないですよね?」
「俺がそんな奴に見えるってのか?」
「少なくとも僕にはそう見えますけど」
「お前は知らねーと思うけど、えに……いや、絆奈と俺は親しい間柄だし」
……は? 何をいけしゃあしゃあと適当なことを言ってるんだこの人は。それよりも何よりも前から気になっていたことをぶつけてみる。
「そもそもなんで名前で呼んでるんですか。呼び捨てだし」
「言っただろ。親しいんだよ、俺らは。なぁ?」
「えっ!? えー……と、そう、ですね……」
目を泳がせながら答える橋本さん。否定しないのか、否定出来ないのか、どちらにせよ僕の知らない間に二人に何かあったのは間違いない。そういえば駅で二人が一緒にいたのもだって見たことあるし。
「じゃあ、僕も今度絆奈ちゃんが勤めてるお店に行ってみようかな」
「いいわね、私も行かせてもらうわ」
「えっ、いや、そこまでしなくても……」
「そ、それより、注文しませんか? 橋本さんをずっと拘束するわけにもいきませんし」
橋本さんが困っていそうなので助け舟を出す。というか、僕個人がこのまま勝手にこの人達に約束を取りつけたくないからだ。
彼女のプライベートにどんどん入り込んでくる。それが嫌だけど止められない。寧山さんも雪城さんも白樺さんまで。
僕の好きな人が好意的に見られるのは嬉しいことだけど、彼女に近づきすぎるのは勘弁してほしい。
一先ず、注文して彼女を卓から離すことが出来た。その後は退店するまで橋本さんと接する機会はなかったので、僕としては残念ではあるが、この人達に関わらせるよりかはマシだと思うことにする。
「皆さん、稽古終わりにわざわざ寄っていただいてありがとうございます。良ければSNSで宣伝お願いしますね!」
見送りに来てくれた橋本さんはお礼と共に宣伝までお願いしていた。手伝いに来てくれたというのに彼女はしっかりしているというか、ちゃっかりしているというか。
まぁ、僕の実家だから自分が宣伝するのは当たり前だよなと思ったので彼女の言う通りにしたら、その日の夜は僕だけでなく寧山さんと雪城さんがしっかり宣伝してくれたし、白樺さんに至っては店名は出さないものの、食べたスイーツの写真と共に『寧山さん達と食った』と投稿していた。
うん……少しは集客効果あるんじゃないかな。




