推しへ、虐められっ子に懐かれました
夏休みが終わり、教室の嫌な騒々しさもなくなって平和な学校が送れる……そう思った矢先のことだった。
「……ぁ、の」
か細い声が聞こえてきて、本を読んでいた私が顔を上げると、そこには水泥くんが立っていた。
どうしたのと尋ねようとしたところで水泥くんが誰かにぶつかられてしまい、少しよろめく。
「いってぇな! ドロ水のドロが付いたやんか!」
出た。ゴミくん。夏休みが終わって一ヶ月も経たない内にまた水泥くんを虐めるのか。
「ちょっと、ゴミくん。どう見てもぶつかったのはそっちでしょ」
「誰がゴミやねん! 本女は黙れや!」
「は? なんで黙るの? 黙るのはそっちでしょ? 人の机の前で、私のテリトリー内に入って来て騒ぎ立てるしか出来ないなんてモブの中のモブでしょ? そんなに突っかかって何様のつもりなの。ゴミはゴミらしくゴミ箱の中に入ってなさいよ。それともまだ水泥くんのことを泥水って呼んでるお馬鹿さんだから自分がゴミだって気づいてないの? 哀れすぎて泣けちゃうわ。いいから早く私のテリトリーから出て行ってよ。ゴミ臭くなっちゃうんだけど」
いでよ、オタクのマシンガントーク。一つの言葉で十くらい返せる自信があるんだから。
「ぐっ、うっさい女!」
ほら、見なさい。大したことも言い返せずに逃亡したわ! 私の勝利!
心の中でガッツポーズをしたところで水泥くんに目を向ける。
「それで、水泥くん。何か用?」
「ぁ……その……ぁ、りがと……」
俯きながら小声でそう告げると、彼は足早に自分の席に戻った。
お礼を言われたのだけど、さっきのゴミくんを追い払ったことについてなのかな? でも、その前に声をかけて来たんだからもっと別の用があったのでは?
……まさか、夏休み前の泥水飲用強要事件のお礼ってことないよね? もうあれから数ヶ月経ってるんだけど。
……。……まぁ、いっか。とりあえずお礼の言える良い子というのはわかったかな。
そんな感じで主にクラスの男子リーダー格であるゴミくんが水泥くんにちょっかいを出さない限り、水泥くんは平和に過ごせているようだった。
まぁ、相変わらず一人ではいるみたいだけど、そこまで構うほど私は優しくはない。
本当は出来るだけ波風立たずに学校生活を送りたかったんだけど、こればかりは中身が大人なくせに我慢出来なかった私が悪いしね。
それから数日後、昼休みに借りていた本の返却と新しく本を借りるため図書室に訪れていた。
(……それにしても)
背後から人の気配がして、バッ、と振り返ればその人物は慌てふためきながら物陰に隠れる。……いや、見えてるんだけど。
水泥 恵介……何故私の後をつけるのか。
「……」
「……」
私に用事でもあるのかと思ったのだけど、隠れるとはどういうことなの?
何も言ってこないならこちらも気にせず、そのまま次に読みたい本を借りる。
次の授業が始まるまで図書室で読もうと、席に座ってページを捲り、物語に集中しようとしたのだが……。
「……」
「……」
気になる。離れて座る水泥くんの視線が気になって仕方ない。いや、目元が見えないから確証はないんだけど。
せっかく白樺×寧山のラブストーリーのネタになりそうな恋愛物語の本を読もうとしたのに水泥くんの存在が気になって気になって本の文字が入ってこない。
気にしたら負けなのかもしれないし、万が一、私の気のせいだったら嫌なのでこっちからは話しかけないようにしよう。
それから一日、二日、一週間と水泥くんの謎の視線は続く。その歳でストーカーはやめた方がいいと思うんだけどどうしたものか。
それから一ヶ月後。ようやく彼が動いた。
「ぁ、ああ、あのっ」
いつものように図書室で返却して、新しい本を読んでいた私の前に水泥くんは声をかける。
「なに?」
「……お……」
「お?」
「お、すすめの……本、教えて……くだ、さぃ……」
「え」
一ヶ月。一ヶ月も後をつけられ、視線を感じていたのを気にしながらも我慢したというのに用件がまさかのオススメの本!? さすがに驚かずにはいられない。
「オススメ、ね……」
まぁ、聞かれたのなら答えないわけにはいない。
とはいえ、中学年向けの本ってなんだろう。今、自分が読んでいるものは主に高学年向けばかりなので彼には早いだろうし。
どうしようと悩みながらも適当な本棚の前に立ち、見繕ってみる。
「あ、これなんかどうかな」
とあるタイトルが目に入り、水泥くんに差し出す。
タイトルは『王子とルドンの大冒険』
「王子がドラゴンのルドンと友達になって悪い人や魔物を倒して行く話なんだけど、そういうの好き?」
挿絵も多いし、比較的見やすい部類ではあると思うが、念の為に簡単ではあるがあらすじを伝えて確認すると、本を受け取った水泥くんは大きく頷いた。
「最初はちょっと王子が可哀想なんだけど、ざまぁ系の話だから見れると思うの」
「ざまぁ……?」
「あ、いや、なんて言うかそのっ、スカッとするって感じ!」
純粋な小学生には通じない単語を使ってしまった。でも、言いたいことは伝わったようでこくりと首を縦に振る。
「……ありがと……」
「どういたしまして」
これで解放されると思ったら、早速彼は私の三つ隣の席に座り、読書を始めた。マジか。
近くも遠くもない距離だから余計に気になってしまう。とにかく、今日は我慢するしかない。
今日は、なんて思ったのが私の甘い考えだったようで、水泥くんは私が図書室に行く度に付いて来るようになった。
教室にいるときは自分の席で本を読み、図書室に付いて来たときは私の三つ隣の席に座って読む。
もちろん、私達の間に会話はない。何故こんなことになってしまったのか。
……あぁ、ゴミくんを追っ払えるからかな。それなら納得。私の近くにいる方が安心と踏んだわけだ。
「あの……」
「ん?」
目の届く所にいるのが慣れてきた頃。水泥くんが再び声をかけて来た。
「……えっと、読み終わって……その、面白かった……」
「それなら良かった」
「それで……また、オススメを……」
おっと。また本をご希望なのかこの子。とは言っても、私は暇潰し程度と妄想力を高めるために本を読んでるだけであって文学少女じゃないんだよね。
「水泥くん。私と水泥くんはきっと本の好みが違うと思うの。だから何でも私のオススメを聞いて本を読むといい本に出会えないと思うよ」
「……」
「本は自分で探して見つけるのもまた楽しさの一つだし、表紙が気に入ったから読んだり、あらすじを見て読んだり、色々な読む理由を自分で見つけてみてよ」
どうだ。それっぽい理由を語って本選びの仕事を辞退する私の機転の良さは。
それに対して水泥くんの表情は読めないが、理解してくれたのか、こくんと頷いてくれた。
そのあとは自分で本を選び、読むようにはなったが、相変わらず私の視界に入る所に彼はいる。
それから一ヶ月。互いに無言で読書をする時間が増えていく。
この頃になると、私も水泥くんがいても気にしないくらいには読書に集中出来るようになった。
「水泥くんって本が好きなの?」
ある日、図書室で本を読み終えた私は授業まで時間があるのでちょっとした息抜きとして水泥くんに話しかけてみる。
もちろん、読書中の彼は驚いた様子を見せて答えるのに少し時間を要した。
「……ぁ、そんなに……でも、橋本さんは……ずっと、読んでるから……その……」
「気になった感じ?」
「……ぅん」
それくらいの年齢ならゲームとか漫画とか他に興味がいきそうなのに、私が読んでいるという理由で読書するとは。
……もしかして、私フラグ立てた? 乙女ゲームならフラグ立ってそうだよね?
確かに今の私は前世に比べると可愛くなる努力はしているし、おかげで底辺ではないと自覚はしているけど、フラグを立てるつもりはない。
いや、しかし、乙女ゲームというより、ギャルゲーかな。水泥くんの見た目そっち系の主人公みたいだし。
(……って、小学生相手にフラグもクソもないか)
正直言っちゃえば、彼はすぐ飽きるかなと思っていた。
私が言うのもあれだけど、目的もなしに本を読むのはつまらないと思う。ましてや、誰かが読んでるから読む、なんて気になる本でない限り、なかなか続かないものだ。




