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第二章26 目覚める記憶 その1

「ふん…!!」

「ご…ほぉぁ……!!!」


 拳をカグの体から引き抜いたウォイドは彼の背中を思い切り蹴る。抵抗する間もなく、カグは階段を転げ落ちた。


「カグ……!!!」


 叫ぶ燈、彼はカグに駆け寄り自分の衣服を破き、止血をしようと試みる。


「おい、おい大丈夫かよ……!!」


 しかしその傷はすぐに治った。


「一体何を……しているんですか。ウォイド……!!」


 間一髪、カグの致命傷をサーラが創造再生によって治療したのだ。


「何とは…? ただカグを殺し掛けただけですが? 寧ろ即殺出来なかったのが、とても残念です」

「ふざけるな!! 自分が何をしたか分かって…!?」

「黙れ小娘、今貴様の命は儂が握っておる…という事が分からぬか?」

「っ!?」


 先程までの態度は何処へいったのか、とても臣下とは思えぬ口調と不遜な態度をウォイドは取る。


「ウォイド…貴様……!!」


 サーラによって全快したカグ、立ち上がりながらウォイドを睨みつけた。


「動くな、カグ。今この娘の命は儂の手中じゃ…どういう事か、分かるな?」


 腕をサーラの体に回しながらウォイドは言う。

 そう、生殺与奪の権利は今、彼が持っている。


「くっ……!!」


 あまりの自分の失態、そして置かれている現状にカグは唇を噛み締めた。


「ふぉっふぉっふぉ! ようやくこのときがきた! 待っていたぞ! 小娘の妖精が出払い、カグ…貴様の意識が逸れたこの瞬間をのう!!!」


 高笑いをしながら、してやったりとウォイドはサーラの体を締めている腕に力を籠める。


「うぁ…!!」


 圧迫されたサーラは、思わず呻く声を漏らした。


「やめろぉ!!!!!」


 苦悶するサーラの表情を見たカグは堪らず叫ぶ。


「ウ、ウォイド……あなたは、何がしたいのですか…?」


 呼吸を整えながら、サーラは口を開く。


「……ふん、哀れじゃのうサーラ。この期に及んでまだそんな事を宣っているとは……」

「な、何…?」


 ウォイドの言葉の真意を見出せぬサーラ、それを見かねたのか溜息を吐いた彼は仕方ないとでも言いたげな表情を作る。


「良いでしょう。ならば、全て……お話ししましょう。それでいいな……カグ?」

「なっ……やめろ……やめてくれ……!!」


 一体どうしたのか、先程までの怒りと憎しみに満ちた表情と声音とは一転してカグの顔は血が引いたように青ざめ声音はとてつもない焦りを孕む。


「サーラ…お主も気になるじゃろう…? 何故自分に記憶が無いのか」

「そ、それは……ウルファスを背負うものとして…力を授かった際に、神から不要と判断されたから…」

「そんな訳がないじゃろう!! 何処までも滑稽じゃなぁ…お主はぁ!!」


 下種げすびた笑い声が祭壇に響き渡る。


「ウォイド…それ以上喋るな…」

「もういいじゃろうカグ。この状況じゃ、言っても言わなくても最早変わらん」

「だ、駄目だ……駄目、駄目なんだ…やめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!」

「それでは、聞かせるとしよう…サーラ様」


 皮肉を籠めるようにサーラに敬称を使い、ウォイドは語り始めた。



--------------------



 南の森、その辺境にある集落…名をニシビ。

 各森の間や王族であるヌーイ家との抗争が絶えなかったが、小さく辺境の地にあるその集落では戦火の火が及ぶ事を辛うじて免れていた。


「お兄ちゃーん! 待ってぇー!」

「早くしろよー。置いてくぞー!」


 その村のある一家には、二人の子供、息子と娘がいた。彼らは毎日のように村の周辺の森で遊ぶ程には兄妹仲が良好だった。


「はぁ…はぁ…早いよぉお兄ちゃん」

「ったくお前が遅いんだよサーラ」


 息を切らす妹に呆れる兄。だが彼はニッコリと微笑むと背負っていた矢筒を自分の前側にやり、弓を案サーラに危害が及ばないように持ちながらしゃがんだ。


「ほれ」

「やったー!」


 サーラはすぐに兄の意図を理解した。兄の背中に自分の全身を預ける。つまりおんぶだ。

 妹を背負った兄は、歩いて森の中へと入っていった。


-------------------


 森へ入ってすぐ、兄はサーラを降ろし、そこからは二人で並んで歩いた。


「いいかサーラ。今日の目的は遊びじゃない、俺達家族の晩飯を獲りに行くんだ。お前がどうしてもって言うから仕方なく連れて来たけど、本当はダメなんだからな?」

「はーい」

「ったく本当に分かってるのかー? まぁ、とりあえず俺から絶対離れるなよ」

「うん!」


 サーラは元気よく返事をすると兄の腕に抱き着いた。


「やれやれ…」


 呆れたように言う兄だったが、そこには妹に懐かれ顔が綻ぶ兄の姿が確かにあった。


 そして事件はその数十分後に起こった。


------------------


「お兄ちゃん…!お兄ちゃん…!!」


 森の中で、サーラの兄は魔獣に腹部を噛み千切られた。本来その魔獣はこの場所にはいないはずだった。しかし度重なる森で起きる抗争によって、住処を追いやられた狂暴種が来てしまっていたのだ。

 サーラを庇うように突き飛ばした兄は魔獣の餌食となったのである。


「に、逃げ…ろ。サーラ……」


 兄は自分の死を悟った。自分が絶命するのを直感した。彼に出来る事は、自分の家族…最愛の妹をに逃げるよう指示する事だけだった。


「嫌だ…嫌だよ……嫌だよ…」


 兄が捕食されるのを、妹は涙を流しながら見ていた。サーラは動く事が出来ず、兄の命の灯が消えゆくのを震えながら見る事しか出来なかったのだ。

 しかし、例えサーラの体が硬直していなくても彼女が逃げるという選択肢を取る事は無い。何故ならば、彼女は兄が大好きだからである。

 兄が最愛の妹と思うように、妹もまた兄の事を最愛の兄と思っていた。


 お兄ちゃんが、死んじゃう…そんなの嫌だ…嫌だ…嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だぁぁぁぁぁぁぁ!!!!


「お兄ちゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!!!」


 絶望、悲嘆、全てが収束する…そして、サーラは至った。自分の力の一端に。

 彼女の手が光り輝く。それを薄れゆく意識の中で、兄は見ていた。


「え……?」


 起きている事態を、兄は理解出来なかった。それは今まで感じた事も無い、誠に異様な感覚だったのだ。

 食い潰された臓物が、ぱっくりと開いた腹部が見る見る内に修復されていく。

 魔獣が幾ら食おうが、たちどころに彼の傷を治していった。


「何だよ……!! これぇ……!!」


 痛みと、それを癒す感覚が交互に兄を襲う。痛みに関しては凡そ子供が耐えられるものでは無かった。しかしその耐えられぬ痛みと損傷はすぐに消え去り、また痛みが襲う。

 兄は頭がおかしくなりそうだった。

 しかし彼はこの地獄の連鎖を終劇させる方法を知っていた。それは、とてもシンプルな、ただ一つの方法。


「う、うううううああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」


 近くに落ちていた矢を、兄は拾った。そして自分の真上で未だに食事を続ける魔獣の喉元に向かいその矢を突き刺した。


「ギャアァァァァァァァァァ!!!!????」


 たちまち魔獣は絶叫する。抵抗しようとその体を動かし暴れたが、兄は矢を持つ手を放す事は無かった。

 激痛に耐えながら、必死で矢を握りしめ、首の奥の奥へと矢を差し込んでいった。


「あああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」


 雄叫びが森に響き渡る。

 そして最後の一息とばかりに、腕に力を籠めた。


-----------------


「はぁ…はぁ…はぁ……」


 魔獣との死闘、制したのはサーラの兄だった。

 息を切らしながら、自分が生きている事に現実味を抱けず錯覚を覚える彼は自身の腹部を見た。


「な、何で……」


 出血した大量の血は、確かに兄をこれでもかという程に汚している。しかし、その血が噴出したであろう肝心の箇所に何一つとして傷が見当たらない。まるで最初から無かったかのように、消え去っていた。

 だが兄は、あれがまごう事無く現実である事は理解していた。倒れている魔獣の死体が、血だらけの自分の体が、そして自分が死を自覚する程の痛みが…如実に現実を強調しているのだから。


「そ、そうだ……サ、サーラは……」


 状況は掴めない。しかし彼にはもっと他に確認すべき事態がある。それは妹の安否である。

 周りを見渡す兄、彼はすぐに自分の妹を目で捉えた。


「う、ううぅぅぅ…うああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」


 サーラは、その場で動き出す事が出来ずに、泣いていた。

 鼻水と涙をおびただしいほどに流しながら、彼女は座り込んでいた。


「サ、サーラ…大丈夫だったか!!」


 すぐさまサーラの元に駆け寄る兄、彼女を落ち着かせるべくその体を抱きしめた。


「よ、良かったぁ……お兄ちゃんが、無事でぇ…お兄ちゃんが……死んじゃったらぁ、私…私ぃ…!!」


 鼻をすする音と、喉がつっかえたような物言いで、サーラは兄を抱きしめ返す。


「大丈夫、大丈夫だ…お兄ちゃんは何処にも行ったりしない。しないから…」

「ほんと…? ほんとに……?」

「あぁ…!」


 何度も確認するサーラに、兄は何度も優しく答え続けた。


 何だ…何が起きたんだよ…?


 だが、兄の混乱は増幅していくばかりだ。サーラを抱きしめながらも、彼は何故自分が生きているのか、それを必死で考えていた。

 兄はまだ子供である。魔法は上手く使えない、つまり回復魔法は使えないのだ。しかも兄の負傷は回復魔法でどうこう出来る域を遥かに超えていた。

 死の間際であれど、自分が何かした訳では無い事を兄は重々承知していた。 

 ならば…、と兄はもう一つの可能性を思案する。

 それは有り得ないだろうとすぐに切り捨てるべきもの。考えるのも馬鹿馬鹿しいもの。

 だが、考えずにはいられない。兄は覚えていた。死の間際、死の淵で見た目に映る光景を。

 自分の妹の手が、光り輝いていたのを。


「サ、サーラ……」

「う、うん…? 何…?」

「お、お前…何か…自分がやったって……そんな感覚、無いか…?」

「え…ど、どういう事?」

「い、いや…分からないなら、いいんだ」


 そ、そうだ…サーラが…そんな事、ある訳ない。


 兄は妹の言葉から、すぐに考えていた可能性を排除しようとした。

 しかし、その可能性は次の妹の発言で…覆る事になる。


「よ、良く分からない…けど、お兄ちゃんが…魔獣に襲われてる時……何か、私…体から、何か変な感じが…したよ? そ、そしたら…お兄ちゃんが、急に元気になって、でもまた元気が無くなって、そしたらまた私の体から…変な感じがして…そしたらまたお兄ちゃんが…」

「っ!? そ、そうか……」


 年相応のサーラの説明に、兄は驚愕と動揺を食らう。


「な、なぁ……サーラ」

「ん…? なぁに?」


 恐る恐る、冷静さを欠かないように兄はサーラに言った。


「すぐに…帰りたかったんだけど、もう少し付き合ってくれ…ないか?」

「え……う、うん良いけど…で、でももう危ない事はしないでね?」

「あ、あぁ…大丈夫。ちょっと気になる事がある、だけだからさ」


 これは、確認せねばならない。


 そんな気持ちを胸に秘め、兄はサーラを連れて先程よりも集落に近い方へと進んでいった。

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