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第二章23 開戦

 聖地北壁


「いやぁ、てめぇが隊長だったのか」


 大剣を片手でクルクルと回しながらエリスは言う。

 北壁の警備と守りを行っているのは三番隊だ。一時的に三番隊へと配属されたエリスはその部隊の隊長に目を向けた。


「まさかまた君と会うとはな」


 三番隊隊長、シムト・キューブ。彼は一回目の魔獣発生の際に二番隊隊長のカイルと共に駆けつけたエルフだったのだ。


「にしても、何か視線が気になるな…」

「ははは、それはしょうがない。ウルファスでは女性が戦うために戦場に出るなんて有り得ないからな。まぁでも…この前の一件で俺は君がどれだけ強いか理解しているつもりだ。安心して背中を預けさせてもらうよ」

「嬉しいねぇ。その遠慮なさ」

「一度戦場に足を踏み入れれば、男性も女性も関係ないからな。いるのは武器を持ったヒトだけだ」

「へっ、違いねぇ」

 

 シムトの言葉に笑いながらエリスは納得する。


「あ、そうだ。巫女様から聞いたけどよぉ。襲撃があるまでアタシらはここに滞在するって事でいいのか?」

「あぁ。俺達の任務は、北壁に拠点を構えいついかなる襲撃にも対応する事だ」


 予測では東の森が攻撃を仕掛けるまで二週間を切っている。

 つまりその間、エリスを含め各壁にいる部隊はこの場に常駐するというのだ。


北門ここ以外の場所が攻められたら、アタシらはどうするんだ?」

「その場合は兵の半数をここに置いて、もう半数でそこまで向かう。つまり第二部隊を分割するわけだ」

「了解。大体分かったぜ」

「それならいい。なら早速、配置についてもらうぞ」

「あぁ!」

 

 配属された以上、シムトはエリスの上官でエリスはシムトの部下だ。

 命令はこなさなければならない。そしてそれを拒む理由は、一片たりともエリスには無かった。



-------------------



 エリスが北壁に駐在するようになって一週間が経過、現在神殿内では燈とバアルが二人で行動する事が多くなった。

 今彼らは神殿の中を歩き、神殿内の構造を再度把握していた。


「アカシさん。いいんですか?」

「ん? 何が?」

「そ、その…デフさん達には何も言わなくて…」

「…」


 バアルの質問に、燈は一瞬思考した。


「…うん。今俺が何を言ったって、意味が無い。言うのは、全部終わってからだ」


 燈は少し苦笑するようにバアルを見る。

 今彼が何を言っても、説得力は無い。示せるのは行動のみだ。


「そ、そうですか」


 納得したように前を向き直すバアル。

 等間隔で並び立つ神殿の支柱の間から夜風が二人の頬に触れた。


「ん、あれは…」


 肌で冷たい空気を感じながら歩く。だがその時燈は十メートル程先、そこに人影を見つけた。

 一歩、一歩とそこへ近づく二人。やがて月明かりに照らされるように、その人影の姿が、鮮明に燈達の目に映り込んだ。


「カグ!」


 そこにいたエルフは、燈の知人だった。


「あ、は…初めまして! バアルです!」

 

 カグとは初対面のバアルはそう言って頭を下げた。


「そんなかしこまらなくてもいい」

「は、はい!」

「ちょくちょく姿は見たけど、こうして話すのは久しぶりだな」

「あぁ…そうだったな」


 燈が好意的に接しようとするも、カグは何やらあまり乗り気ではないようである。


「? 何かお前調子変だぞ?」


 そして燈はそれを感じ取った。歯切れの悪いカグの返答から、そう感じたのだ。


「正直…気分はあまり良くない」

「な、何か病気か?」


 本気で心配そうにする燈にカグは少し笑った。


「そうじゃない。これから始まり戦いに、辟易としているって話だ」

「あ…そう言う事か」

「理解が早くて助かる」

「そうだ。サーラ様の所にはいなくていいのか?」


 カグは常にサーラの斜め後ろに立っている。その光景を思い出した燈は彼に問うた。


「サーラ様は今、自室で執務中だ。いくら俺が護衛でも、あの方の自室にまで同伴する事は出来ない」

「プライベートって事か?」

「あぁ、それに…少し外の空気に当たれと命令されてしまった。そう言う訳で、サーラ様に危険が及べばすぐに察知できる範囲でこうして外に出て来たって訳だ」

「そ、そう言う事か。でもすごいな。ここからサーラ様の自室って結構離れていると思うけど」


 燈の言う通り、サーラの自室は五階建ての神殿の最上階の最奥…そして今彼らがいるのは一階だ。仮にサーラが助けを呼んでも燈はカグがその声を捉えられるとは思えなかった。


「俺は小さい頃森の生き物を狩猟して生活してたからな。その名残で目と耳は特別良い。それに仮にこれらが機能しなくても、サーラ様が契約している妖精が俺に危機を教えてくれる」

「へぇ! それは便利だな…って小さい頃?」


 カグの身体的性能に感心した燈だが、彼が言った言葉に一つ腑に落ちないものを感じる。


「カグって昔からサーラ様に仕えるよう英才教育された身分の高いエルフ…みたいなものだと勝手に思ってたけど、違うのか?」

「…あぁ、違う。俺は元々南の森の辺境に住んでたエルフだ」

「南の森って事はブランカさんの所か」

「そうだな…当時は王族の軍隊と南の森の民で争いが起きていた。そこで偶然ウォイドに腕を見出されて、すぐにサーラ様の護衛を務めるようになったんだ」


 月に照らされ、反射するように光る床を見ながらカグは言う。


「すごいな…大出世じゃないか。でも、良くサーラ様の護衛をなんて大役任されたな」


 いくらカグの弓の腕が確かだとしてもあまりにもトントン拍子の急過ぎる展開に疑問を覚える燈だった。


「当時は俺もサーラ様もまだ子供だ。同じ年くらいのエルフが傍にいた方が安心するだろうって考えだ。それに…」

「それに…?」


 一縷の影が覆われたカグの顔。その表情は読み取る事は出来ない。だが、差し込んだ月が彼の片目だけを鮮明に照らし出す。

 その眼は、酷く悲し気だった。


「…今から言う事は、お前を信用して言う。だから…外には口外するな」

「わ、分かった」

「お前もだ、バアル」

「は、はい…」


 突然豹変したカグの雰囲気、それに圧倒される燈とバアル。念を押された二人はただ屈するように工程の返事をする事しか出来ない。


「サーラ様は、記憶喪失だ」

「……は?」


 カグのカミングアウトに、燈の頭は認識と理解が追い付かなかった。


「ど、どういう…?」

「そのままの意味だ。サーラ様は幼い頃、記憶を失っている。自分の過去を全て忘れ去ったんだ。名前も含めてな…当時はかなり荒れていた、そこで落ち着かせるために同年代で、護衛としての力量も申し分ない俺が選ばれたんだ」


 淡々と衝撃の事実を語り続けるカグの口を、燈はただ黙って見る事しか出来なかった。

 そして全てを言い終わり、彼の口が閉じるのを見届けた燈は恐る恐る聞く。


「……な、何で俺達に…それを?」

「何で…だろうな……お前らには、知っておいてほしかった…多分、それだけだ」


 儚げな表情、悲し気な目、自嘲気味に揺れる唇…それらで構成されたカグの顔を、燈はどういった面持ちで見ればいいのか、分からなかった。

 何か言葉を掛けようと思慮する燈、しかし何一つとして言葉が浮かばない。

   

「もう行く…じゃあな」


 その様子を悟ったのか、理解したのかは分からないがカグはそう言って踵を返し歩き出した。


「あ…」


 燈は思わず手を伸ばす。口よりも先に、動いたのは体だった。

 しかしその手はカグの背中に触れる事無く、ただ虚空をなぞるだけ。


「……っ、カグ!」

 

 ええいままよ、そう意気込んだ燈はカグを呼び止めた。


「ん…?」


 燈の声に彼はその場で立ち止まる。振り返る事はしなかったが、燈の次の言葉を待つような素振りだ。


「……死ぬなよ」


 来る東の森との戦争、命を懸けたやり取り。

 当然命を懸けるのはサーラの護衛であるカグもである。寧ろ、この戦争で彼は最後の砦なのだ。

 燈が、彼と言葉を交わすのは最後かもしれない。

 そんなはやる思いが、燈にこの言葉を吐かせた。 

  

「…互いにな」


 そう言って、カグは再び歩き出した。

 去る背中をただ見詰める燈、そして確かに燈は見た…カグの背中に圧し掛かる、確かな重責を。

 燈は、カグの姿が暗闇に完全に消えるまで…その背を見続けた。


「バアル君」

「はい?」

「この戦争、絶対に止めよう」

「……はい」


 二人は、再度決意を新たにした。 


 そして…四日が経過する。



-------------------



「ユス、ムヒュー。この度は共同戦線の申し出の承認、感謝する」

「いえいえ、聖地の巫女様の頼みとあらばこの程度」

「聖地に仇為す勢力の討伐、これに参加できるなどなんたる僥倖でしょうか」


 聖地側は北の森、西の森への協力を取り付けた。それにより北、西の森の兵士を神殿へ召集。壁付近の防衛強化により手薄になった神殿内の兵力増加に貢献する形となった。

 現在大量の兵士が神殿付近、そして今サーラが座するこの祭壇に配置されている。


「それにしても一体東の森はいつ攻撃を仕掛けてくるんでしょう?」

「我々の予測では、恐らく今日だと思います」


 ユスの疑問に、サーラは答える。


「サーラ様!!」


 そんな時、防人が息を切らしながら慌てた様子で祭壇へ足を踏み入れた。


「来ましたか」

「は、はい…敵は東西南北、それぞれの門から同時に攻撃を開始…!! 既に、各所では戦闘が始まっています!!」


 防人のその報告が、戦争が始まった事をその場にいた全員に知らしめた。



------------------ 



 防人がサーラへ報告に行く約十分前、北壁の門前に馬に乗った軍勢が現れた。


「来たか」

「聞け!! 聖地の巫女に準ずる、哀れなエルフ共よ!!」


 先頭にいるのはその軍勢の頭であろう。彼は腰の鞘から剣を取り出すと、それを掲げるようにして門の上にある見晴らし台にいる者達へ向ける。


「おーおー威勢がいいなぁ」


 見晴らし台にいたのはエリス、そして部隊長のシムトだ。


「今から行うのは謀反ではない。至極真っ当な革命である!! 我々の大義のために、ここを越えさせてもらうぞ!!」

「エリス、ここは俺が行く。お前は他に不審な所が無いか引き続き観察に徹してくれ」

「了解、まぁいざとなったらそっちに行かせてもらうぜ」


 頼もしいエリスの返事を聞いたシムトはそのまま見晴らし台から飛び降りる。門の前、すなわち東の森の兵士たちと対峙する形を取った。


「一人か? 舐められたものだな」

「…そんな訳がないだろう」


 兵士のリーダーの嘲笑に、シムトは嘲笑で返した。


「行くぞ!!!」


 シムトが叫ぶ。すると東の森の軍全を挟み込むように左右から三番隊の防人達が現れた。


「なっ…、周辺の草木に隠れてたのか…!!」

「隠密行動は俺の部隊の得意技でな。さぁ…始めようか。俺の名前はシムト、シムト・キューブだ」


 槍を回し、構えてシムトはリーダーであろう男を見る。


「…ふん、良い度胸だ。俺の名前はバンジョー・フヌト!! 偉大なる御方、王族の正当後継者であるベルン様の護衛団大隊長だ!!」


 そう言ってバンジョーは左手で馬の手綱を握り、馬を走らせた。そして右手で持ってた剣を馬と平行にするように構える。

 対してシムトは槍を突き出すようにして、そのまま自分の足で走り出した。


『うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!』


 シムトとバンジョーを含み、その場にいた護衛団の兵士と神殿の防人達の雄叫びが周囲に木霊こだまする。


 それが、開戦したという事実を遺憾なく示した。

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