第二章18 溢れ出す狂気
何だこれ…。
燈は目の前の光景をどこまでも信じたく無かった。
本来あるはずの場所に無いジギルの上半身、下半身の切断面からは血が溢れ返る。
魔獣がジギルの上半身を咀嚼、骨や肉が噛み砕かれ、噛み千切られる音が燈の耳に響く。
恐らくジギルのものであろう赤い血液が魔獣の口から滴り落ちる様を、顔を上げた燈は目撃した。
観客席から聞こえる悲鳴など今の燈にとっては聞き流せてしまうものである。
嘘だ…。何だよ、何だよこれ…。
何が起きてるんだよ…。
先程まで全力で走っていた燈にとってまるで嘘のような脱力感が体中を侵食する。
そうだ…。きっとこれは夢だ、現実じゃない。俺は夢を見てるんだ。
あまりにも非現実的な出来事に、燈はそう結論付けた。現実逃避を図ろうとした。
だが、起きた事は紛れも無く現実である。
テノラが出現させた魔獣によってジギルは食われた。
どれだけ信じたく無かろうが、これは現実なのだ。
「な、なぁ…おい…ジギル?」
燈はゆっくりと、ジギルの下半身に近付きながら話し掛ける。
「ど、どうしちゃったんだよ? 何で何も…言ってくれないんだ?」
上半身の在った虚空を手でなぞりながら燈は言葉を続ける。
「そ、そうか…。夢だもんな! こんな事もあるよな?」
乾いた笑いを放ちながら燈は言う。
「ざーんねん。全部現実だよ? アカシ」
それを否定するように、彼を現実へと引き戻す言葉がテノラから放たれた。
ゆっくりと燈は振り返りテノラを見る。その表情は、とても酷いものだ。
「アハハハハハ! 良いね良いね! その顔!」
燈の顔を見たテノラはゲラゲラと笑う。
「テノラ…」
「絶望に満ちたその顔! 最ッ好!」
何を言っているんだこの子は?
「いやぁー良かったよ。まずはあの広場で魔獣を呼び出してー…まぁ本当はそれも計画外だったんだけど! まぁいいや、話を続けるね。それで住民の不安を煽る、からの私が今回のイベントを提案する。アカシ達だったら絶対乗ってくれるって確信はあったから。それで今日またこうして魔獣を呼び出したの!」
身振り手振りを交えながら、ペラペラとテノラは語り続ける。
「しかもアカシ! アカシはジギルっていう人材も作り出してくれた! 本当にありがと! どう? 自分を乗り越えたエルフが何も為せずに無残に死ぬ様は? 絶望した!? 私の楽しみをアカシは更に楽しくしてくれたの!! やっぱりいいね。頑張って前に進もうとするヒトを殺すのは!」
興奮した様子でテノラは燈を見る。
だが、今の燈にはテノラの話は頭に入ってもそれらの何一つとして理解出来ないでいた。
「テノラ…助けてくれ…、ジギルが…ジギルが…!」
目から大量の涙を流し、嗚咽にも似た声を発しながら燈は弱弱しく唇を震わせる。絶望の表情を見せてはいるが、彼の脳はまだこれが幻想だと信じていた。
彼にとって、何が現実で何が嘘なのか。
分からなくなっていた彼はテノラに助けを求める。
「もー! だから現実だって! ちゃんと状況を認識して!」
テノラは燈の頭を掴むと再度ジギルだったものに無理やり顔を向けさせる。
「ガアァッ!!」
「おぉっと!」
だが彼女が燈に触れた瞬間、魔獣がテノラに向け殺意の瞳孔を向けた。それに気付きすぐさま燈から手を離すと
「お座り!」
そう言って再び魔獣を制御した。
「危ない危ない、やっぱりアカシに触れたり触れられたりするとチートが解除されちゃう。厄介だなー、やっぱり一緒にいる時体に触れないように距離取っておいて正解だったね」
嘘だウソだうそだ。
テノラがいくら燈に話し掛けても今の彼にそれを聞けるほどの冷静は存在しない。
嘘だ…、嘘だこんなの…。だってテノラは仲間…、ジギルも仲間だ。なのに何で、何で、どうして…。
燈はその場に崩れ落ちる。
「う、ううううぅぅぅぅぅぅ……うあああああああぁぁぁ!!!!」
そしてその場で頭を抱え込みうずくまりながら、様々な感情を叫びに乗せた。
「おぉーそうそう! 顔だけじゃなくて体全体で絶望を表現! いいよーアカシ!」
燈の周りをテノラは陽気に飛び回る。
「っ!!」
「おぉっと!」
だがそんな彼女に上空から突然斬り掛かる者が現れた。
「テノラ、てめぇ…」
それはエリスである。大剣をいつも以上に握り締めた彼女が激しくテノラを睨み付ける。
テノラは距離を取ると魔獣の傍まで飛んだ。
「エリスお姉ちゃん! 危なかったよ今の!」
「ったりめぇだ。殺すつもりでやったんだからなぁ…」
「ひっどいなぁー!」
「ひでぇのはどっちだよ…!」
エリスが激しい怒りの炎を燃やす。
「アハハハハ! 私と勝負する? いいよ、やろう! まぁ絶対負けないけどねぇー!」
そう言ってテノラは言った。
「ガーちゃん!」
まるで愛称のような名が呼ばれると、ジギルを捕食した魔獣がそれに反応しエリスに襲い掛かる。
「っと!?」
攻撃を剣で防いだエリス、だが魔獣の攻撃はそれでは終わらなかった。
「ガアァッ!!」
魔獣は大きな口を開くとそこから水の竜巻を吐き出した。うねりを増しながら、その竜巻はエリスに向かってくる。
「くっ!!」
エリスは苦渋の表情を浮かべた。攻撃を避けるのは容易い、だが周囲への被害が及ぶと思ったのだ。
そして、理由はもう一つ。エリスの近くで、未だ呻き声を上げながら頭を抱えている燈がこのままでは攻撃に巻き込まれてしまうのは明白だった。
「おいアカシ! 立て!!」
「俺は、俺は…俺は……」
「っこのバカ野郎が!!」
生気を失ったようにポツポツと主語を呟く彼を抱えエリスは跳躍した。
-------------------
「落ち着いて下さい! 冷静に!!」
防人達は観客に向かい呼び掛ける。先の数秒の間に、観客達の避難誘導は開始されていた。
そしてそれはサーラ達も同様である。
「サーラ様。こちらです」
今回ここにウォイドはいない。カグはサーラの身の安全のみを確保する事を最優先に動いていた。
「あ、あの方は…」
舞台を見ながらジギルの死体をサーラは見詰める。カグは首を振った。
「即死でした。サーラ様の力を第二段階へ上げても、間に合いません」
「っ…」
サーラは悔いるように目を閉じた。
------------------
「この子はねぇ。ガロノクロスって名前の魔獣なんだー! だからガーちゃんって呼んでるの!」
未だ舞台では魔獣とテノラ、そして燈を抱えたままのエリスが対峙している。
「海辺に生息してる子でねー! 私が周辺の村の人たちを殺してる時に会ったんだー!」
「ごちゃごちゃうるせぇな…!!」
「もー! 友達の紹介してるのにそんな事言わないでよ! あっ、ちなみにこの前の魔獣はアドシュンプのアーちゃんね! でもエリスお姉ちゃん達が殺しちゃったからなぁ…」
今は無き友の事を思い出し、テノラは心底残念そうな顔を浮かべた。
「はっ…! やっぱ頭のネジぶっ飛んでやがるなぁ!!」
「エリスお姉ちゃんに言われたくないよ!?」
会話を重ねるエリスとテノラ。
その間エリスの脳内ではテノラに勝つ算段を見出そうとしていた。
この前と一緒だ。突然魔獣が出現した…今までの言動からテノラが呼び出したのは間違いねぇ。だがどうやった?
テノラが魔獣を体内から吐き出したのを目撃してはいないが、今までの情報と分析から少しずつ核心へと迫ろうとするエリス。
後もう一つ気になる点…それはあのガロノクロスが人間になついてるって事だ。
ガロノクロスはとても凶暴で飼いならす事が不可能のため、狩猟して食料にする以外の選択肢はない。
だがテノラはその不可能を可能にしていた。ガロノクロスに命令できるほどに。
へっ…、まぁ奴がどうやってんのかは分からねぇが見当は付く…!
エリスの頭には一つの解が浮かび上がっていた。それも確信を帯びたものだ。
こんな訳分かんねぇ力…神異に決まってる!!
正解である。
「テノラぁ!! てめぇ、神異保持者だな…?」
「正ー解! 素敵でしょ? 私のチート:魔獣操作! 魔獣を好きに操れるんだー! これでいっぱい友達作ったんだよ?」
「はっ…! ンな力に頼らねぇと友達作れねぇとか終わってるぜお前…!!」
「ふっふーん! チートに選ばれなかった人の僻みにしか聞こえないもーん!」
「うるせぇな…なら、アタシがてめぇを殺したら神異持ってるてめぇはアタシより弱ぇって事だよな?」
「…勝てないよ?」
低いトーンで言いながら、テノラは可愛らしい少女染みた笑みを見せる。
「確かにてめぇはアタシより強い…それは分かる。だが、引く理由にはならねぇなぁ…! アタシの目的は、てめぇより強い奴を倒す事だ! ここでてめぇを倒して、アタシの強さの糧になれ…!!」
対照的にエリスは悪人のような笑みを見せた。
「エリスさん!」
「バアル、他の奴らは?」
「芸者の方々は外に逃がしました! ハンズさん達は最初は暴れたんですが、何とか無力化して…」
その言葉で、バアルがハンズ達を一時的に気絶させたとエリスは理解する。
「バアル、アカシを頼む」
燈達を助けるために来たバアルに燈の身柄を託すエリス。
「アカシさん!? 大丈夫ですか!!」
「うっ……うぁ…あ、嘘…だ」
未だ錯乱状態の燈を見て、バアルは心が締め付けられる。
「アカシさんを安全な場所まで運んだらすぐにこっちに合流します!」
「必要ねぇって言いたい所だが、助かるぜ」
「はい! では!」
バアルは燈を抱えて、舞台から離脱した。
「あー! アカシ行っちゃった…せっかく『アンチート』と戦えると思ったのにぃ。あの時も結局アカシアタシの友達を攻撃してないし、運が無いなぁ私」
あの魔獣がテノラの神異で操られてるんなら、アカシがいてくれた方が本来は心強ぇ。だがあんな状態のアイツじゃあ足手まといだ。
打ちひしがれ、絶望に満ちたまま茫然とし続けている燈では戦力として期待できない。
「じゃあやっちゃえ! ガーちゃん!」
テノラの呼び掛けに反応するように、ガロノクロスは大気を体内に取り込む。
上半身を反り上げ、膨張し続ける腹部をエリスは目にする。
「さっきよりもデカい一発!」
「ガアアアアァァァァァァァァァァァァァァ!!!」
唸る魔獣、腹から声を出し最後の一滴まで絞り出すような方向と共に、水の竜巻が放たれた。
「テノラ、てめぇ何か勘違いしてないか…?」
「ん?」
必死の一撃、だがその最中に冷静に放たれるエリスの一言にテノラは不思議そうに彼女を見る。
「アタシが強ぇっつったのはよぉ。お前の事だぜ。別にそこにいる魔獣じゃねぇよ」
エリスの大剣に火が灯る。そして彼女は、それを持ったまま自信を中心としてその場で回転を始めた。
「うわぁっ!? 何それ!」
あまりにも突飛な行動にテノラは面食らう。
「いくぜぇ!! ダンスとあの時防人がやってた技から生み出したアタシの新技ぁ!! 火回転!!」
超回転するエリス、みるみる剣に宿る炎に包まれた彼女の姿はまるで火の竜巻だ。
「らぁっ!!」
エリスは飛び上がる。紅蓮の竜巻が水の竜巻と激突する。
「おおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!」
雄叫びを上がながらエリスは更に自身の回転を早める。火の竜巻は水の竜巻、その内部へと侵入しなおも魔獣へと向かい突き進む。
そして遂にエリスの攻撃に耐えられなくなった水流は霧散し大量の水滴が辺りへと飛び散る。
「嘘ぉ!?」
「こっからだ!!」
ガロノクロスの攻撃に競り勝ったエリスは先程よりも剣の柄を更に強く握る。そして空中にいながらも腰を落とし、重量のある大剣を地面と平行にしながら頭部の位置まで持ち上げた。
「超火炎ぶった連斬り!!!」
それはガイセン監獄でアオと戦った際、限界を超えたエリスが見せた必殺技。その強化版である。
彼女は未だ残っている回転のエネルギーを利用して剣を振る力の一端とする。そして魔獣の頭から足元に掛けて、流れるように無数の斬撃を食らわせた。
「アアアアアアアアアァァァァァァァァァ!!!???」
炎の軌跡が魔獣の体中に刻まれる。そして数秒遅れで、そこから大量の出血がなされた。
「その魔獣ごときで、アタシと殺り合おうなんざぁ…舐めてるとしか思えねぇなぁ!」
息絶え、倒れるガロノクロス。その血を体中に浴びながらエリス大剣を肩に掛けるように持つ。
「あっちゃー。まさかガーちゃんがやられるなんてなぁ…うーん、まぁいいや!」
切り替えるように声を上げたテノラはパンと音を立てるように手を叩いた。
「また来るね! 今度はもっと、沢山遊ぼう!」
「っておい待てや…っ!?」
会場の天幕を突き破りその場を去ったテノラを追おうとするエリス、だが先の魔獣で放った大技によって魔力と体力を消費している体でそれは得策ではないと判断し、怒りに満ちた表情でテノラの背中を見送った。
よろしければポイント評価や感想、レビューやブックマークをお願いします!




