第13話 惣斉の秘密
「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」
地元のアニメショップで、息の荒い女が一人、血走った目でいた。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
マスクに眼鏡をし、頭は帽子で隠しているその女は、目的の物を探し、店内を散策する。
「はぁ……これ……あった……」
女は店の片隅にひっそりと置いてあったそれを手に持ち、二冊のライトノベルを囮にして、物を手に入れた。
「これで……これで……」
女は物をカバンの中に入れ、早足で帰宅への道を急いだ。
「早く……早く……」
女は走る。小走りで、誰にもバレないように、走る。
それは、アニメショップから脱出し、数分後の出来事だった。
「お」
「……っ!?」
マスクに眼鏡をした女、惣斉真紀は、遠くの人影を視認するや否や、走り出した。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
「おーーい、待てーーー!」
男は惣斉を追う。逃げる惣斉を、追う。
「そこの女、止まりなさい! 生徒会だ! 即座に止まりなさい!」
惣斉は男の声を無視したまま、一目散に逃げる。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
人気のない裏路地に逃げ込み、惣斉は姿を隠した。
「どこに行った惣斉――!」
男の声は段々と遠ざかっていく。
「惣斉―! 惣斉―――!」
声が遠ざかっていくことを確認した惣斉は、安堵の吐息を漏らす。
「良かった……」
うなじにびっしょりと汗をかいた惣斉は帽子を取り、汗をぬぐった。
「これでなんとか……」
「見~つけた」
「~~~~~~~~~~~~~~~~~っ!」
声にならない声が、裏路地に響いた。
「静かにしろ! 犯罪だと思われるだろ!」
惣斉は声を出さない。声音から自分が判別されることを恐れたからだ。
男、佐久間夜は惣斉の近くに、いた。
「おい惣斉、何逃げてんだよ人の顔見てよお。そりゃあ逃げられたら追いかけるしかねぇよなあ」
「……」
惣斉は無言で、また歩き出した。
「おいおい惣斉ちゃんよお、無視か? おいおいおいおいおい、どこ行くんだよ」
惣斉は早足で逃げる。
「知ってるか惣斉、警察見た時に普通の速度で歩くよりも走って逃げたほうがバレやすいらしいぜ。こういうのってなんていうか知ってるか? ストライサンド効果っていうんだよ。情報を秘匿しようとする動きが逆に情報を拡散することにつながるこういうのを、ストライサンド効果っていうんだよ。面白いよなあ」
「……」
惣斉は佐久間の声に耳を貸さない。
「おい惣斉、なんで無視すんだよ。無視されると余計にその裏に何があるか気になるだろ。こういうのなんていうか知ってるか? カリギュラ効果っていうんだよ。禁止されればされるほどやりたくなる。人間の心理だよなあ」
「……」
ちょくちょく挟まれる無駄な知識に、惣斉は内心苛ついていた。
「おいおい何か言えよ。ここまでついてきたんだからもうずっとついていくしかなくなるだろ。こういうのなんていうか知ってるか? コンコルド効果っていうんだよ。ギャンブルでおなじみ、コンコルド効果。損切りをし辛い人間の心理を巧みに表してるよなあ」
「……」
何度も何度も似たような心理学を披露し、追いかけてくる佐久間に、惣斉は我慢の限界だった。
「大体いつものお前だったら死ね、とか言ってすたすた歩いていくよな。なのに今回は何も言ってこない。それがむしろ雄弁にお前の状況を表してんだよなあ。こういうのなんていうか知ってるか? 俺も知らな……」
「うるさーーーーーーーーーい!」
惣斉はその場で、叫んだ。
「何なの佐久間あんた、人が優しくしてたらその優しさにつけこんで何度も何度もぐちぐちと」
「無視は多分優しさとは違う感情なんだな」
「なんだな、じゃないでしょ! 何本当、別にあんたなんかと喋りたくないから無視して逃げただけ。ついてくんな変態」
「べ、別にあんたのためを思ってついてきてるんじゃないんだからね!」
「ツンデレぶるの止めて!」
「君の瞳に乾杯」
「高級ホテルのプロポーズ止めて!」
「お姉さん、俺とお茶しない?」
「ナンパ止めて!」
「め、眼鏡眼鏡……」
「昭和の漫才止めて!」
「ね、姉さん……っ!」
「生き別れた弟止めて!」
「し、静かに…………木々が……泣いてる……」
「特殊能力者止めて!」
「どいつもこいつも俺を馬鹿にしやがって……俺はやってやる、やってやるからな……!」
「危ないおじさん止めて!」
「ねえ知ってる? シロアリはアリの仲間じゃないらしいよ」
「突然の豆知識止めて!」
「ここに千円があります。私が指を鳴らすと、一万円になります」
「手品しないで!」
「君にはお世話になったね。これをお納めなさい」
「わいろ止めて!」
惣斉は、はあはあと肩で息をしながら、怒ったように言った。
「ところで、何してたんだ?」
「よく話続けようと思えるね」
半ば批判がましい顔で、惣斉は佐久間を見た。
「っていうかなんで私って分かったの? マスクに眼鏡に帽子に、それに距離も離れてた」
「いつもお前のことを、見てるからサ」
「本当は?」
「体の全体的な動き方」
佐久間は、そう言った。
「AIでも判別できるくらい、人の歩き方だとか一挙手一投足にいたるまでの所作振る舞いは個人差がある。特にお前は若干猫背で、まっすぐ進むときでもきょろきょろ周りを見渡す癖がある。すぐに分かった」
「変態じゃん……」
惣斉は佐久間から数歩距離を取った。
「それにお前バレー部だろ? こんな手が隠れるまで袖伸ばして」
「え、なんで知ってるの本当に」
惣斉は袖で、より一層手を隠した。
「お前が俺を追いかけてる時、バレー部に話しかけられてただろ。それにバレー部はただでさえ腕がケガしやすい。外に出るのにそれを隠したがることもあるだろう。ちゃんと部活をやってる証拠だ」
惣斉は袖をまくり、手を見せた。佐久間の予想通り、惣斉の手にはあざが出来ていた。
「見すぎ……変態……」
「なんでだよ」
佐久間はため息交じりに、言った。
「で、お前何かやましいことがあるから俺を見た瞬間に逃げ出したんだろ? 何があったんだよ?」
「べ、別に何もない! 何もないから! もうあっち行って!」
惣斉は佐久間を押しのけ、無理な体勢で走り出した。
「へぶっ!」
「おっと」
無理な体勢で走り出したのが、悪かった。惣斉は膝からこけ、カバンの中身をぶちまけた。佐久間はカバンの中から出てきた参考書が地面に触れる前にキャッチした。
「なんだ、ライトノベルかよ……。別にこんなので逃げる必……要はな……い……」
「あ……ああぁっ……」
佐久間は、不意にその参考書の下に視線を向けた。否。視線が吸い寄せられた。
「……」
「ああああああぁぁぁぁぁぁっ……!」
一番見られたくない奴に見られた、と惣斉は顔から血の気が引いた。
佐久間の視線の先には、全裸で絡みつく二人の男の姿が、あった。
「ああっ……ああああぁぁぁっ……」
惣斉は今にも死にそうな声で、大切そうに、佐久間から本を受け取った。
「ああああぁぁっ……」
惣斉は佐久間に背を向けた。
「言わないでください……」
ほとんど嘆願に近いような声で、言う。
「お願いします、言わないでください! なんでもしますから! あなた様の奴隷にでも道具にでもなります! だから言わないでください、お願いします佐久間様!」
そして惣斉は必至で頭を下げた。
「いや、別に大丈夫です」
「お、お願いしますっ! お願いします!」
惣斉は何度も何度も、必死に頭を下げる。
「いや、じゃなくて別に言わないって」
「……え?」
予想外の言葉に、惣斉はぽかんと口を開けた。
「いや、いつものお前なら『やーーーい、惣斉の弱点見つけた! ひゃっほーー! 全世界に発信だーー!』とか言うのに……」
「俺への印象がひどい」
佐久間は肩をそびやかした。
「他人の趣味にとやかくいう趣味はない。やおい本だろうがなんだろうが、人の弱みに付け込むのは笑えない。でも、そんなに隠し通すようなものなのか? 別にバレたところで……」
「甘い! 甘すぎる!」
惣斉は本をぎゅっと抱きしめたまま、叫んだ。
「お前はまだ女社会を知らない。BLが人権を得たといってもまだまだ最近のこと。そんなものを趣味にしているとバレれば鞭でたたかれ、社会からは迫害され、魔女狩り裁判のような惨事が待ち受けていることは想像に難くない」
「何時代だよ」
佐久間は笑う。
「じゃあ通販しろよ」
「高校生だぞ! クレジットカードないから! それにうちは共働きじゃないから誰が受け取るかわからないんだよ!」
必死の形相で、惣斉は言った。
「分かった分かった。分かったから、さっさと膝洗って来いよ。絆創膏もやる。そんなに見られたくないなら今度からは平静を装え。邪魔して悪かったな」
佐久間は惣斉に絆創膏を三枚渡すと、帰った。
「え、本当に……本当にこれだけ……?」
惣斉は呆然としたまま、のろのろと膝を洗いに行った。




