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「これがそんなに大事なの?」
と、エリーヌが問う。
「大事だ、命よりも」
と、ガレットが応える。
二人が立つのは瓦礫の山。穿たれ、粉微塵になった建材の破片。鋭利な刃物で切られたように、真っ二つになった鉄骨。それらが折り重なり、積もって出来た山の上だ。
送電線が切られてしまったのか、繁華街のド真ん中だというのに、明かりは一つも無い。代わりに、見晴らしが良くなった天上から、月光が降り注ぎ、周囲を照らしている。
瓦礫の高い位置に陣取るのは、長い艶やかな金髪を風に遊ばせ、白磁のような手足を月下に曝す美少女、エリーヌ。フランス人形の様な完成された美しさの少女が持つのは、一丁のマスケット銃だ。
対し、エリーヌを見上げる位置に立つのは、ボサボサの黒髪を肩まで伸ばし、ヨレヨレのセーラー服に身を包んだ微少女、ガレット。絵に描いたような脱力系女子高生が持つのは、反りの少ない、一本の直刀だ。
物騒な得物と周囲の惨状が、その二人の少女が只者ではないと言う事をありありと物語っている。
廃墟に立つ二人の少女、それを照らす月光。退廃的な魅力を醸し出すそこは、さながら一枚の絵画の様だ。
と、エリーヌが笑みを作る。
先ほどの、ガレットの言葉に対してだ。
口の端だけを持ち上げ、据わった目をしているエリーヌのその表情は、冷たい微笑。美しい故にその不気味さを増した笑顔は、見る者をゾッとさせる。
「ふーん。そう、そうなんだ、そうだったよね?」
言いながら、エリーヌはポケットから紙袋を取り出した。さほど大きくはない、手の平の上に載るくらいのサイズの紙袋だ。
そして、
「ガレットちゃん、これが大好きだもんね?」
彼女は袋の中身を鷲掴みにし、空に掲げた。
エリーヌの手中に在るのは、一個のコッペパン。否、ただのコッペパンではない。そのコッペパンの表面には、縦に切込みが入っており、そこからは粒あんとマーガリンを混ぜたペーストがはみ出している。
ガレットの目が、カッと見開かれる。
「小倉マーガリン! 私の小倉マーガリン!」
ガレットがその名を叫び、手を伸ばす。
しかし、彼我の距離は遠い。伸ばした手は届かずに虚空を掴み、放った声は夜闇に溶けた。
今にも泣き出しそうなガレットの顔を見やり、エリーヌは一層笑みを深くする。
「そんな顔をして、本当にこれが好きなのね?」
「ああ、好きだ、大好きだ。私にとって、小倉マーガリンは大切な存在なんだ!」
「そう。じゃあ、聞くけど……」
エリーヌは小倉マーガリンを自身の顔に近づけ、問うた。
「私と小倉マーガリン、どっちが好き?」
「小倉マーガリン」
質問から返答まで、その差は僅か○.五秒。あまりの速さに、その言葉がエリーヌの脳に届くまでに、しばらくの時間がかかった。
「ふふふ……くふふ……」
硬直していたエリーヌの肩が震える。その口からは、押し殺したような笑い声。
そして、
「あはははははははははははははははははははははははは!!」
高笑い。
爆ぜる様に、溢れる様に、エリーヌの口から笑い声がほとばしる。
「はは、は、は、はあ……。分かってたけどね! 予想してたけどね、その答え! だけどさ、それにしたって早すぎない!? 即決、即決ですか? ああ、もしかして考えてすらいない? そんな対応されるとさ、淡い期待を抱いていた私が惨めじゃない!?」
エリーヌは髪を振り乱し、体をよじり、言葉を吐き出す。ガレットを見下すその瞳には、怒りと、羞恥心と、懇願の色が浮かんでいた。
「いや、ぶっちゃけどうでもいいです。早くそれ返して下さい」
と、ガレット。
彼女にはエリーヌの言葉が届いていないらしく、先ほどから小倉マーガリンを凝視している。口の端から涎を垂らしながら。
ガレットの態度に、エリーヌは苦悶の表情を浮かべる。
「どうでもいい、か。そうよね、ガレットちゃんってそういう人よね。小倉マーガリンがあると、そっちにばっかり意識がいっちゃって、私の話なんてちっとも聞いてくれないんだよね……」
言いながら、エリーヌはスッと姿勢を正す。
その顔には、先ほどの笑みが浮かんでいた。
不気味な、氷の微笑が。
「だからさ、こうする。ガレットちゃんが私の話を聞いてくれるように……」
エリーヌはゆっくりと、コッペパンのスリットに一指し指を入れる。
そして、
「こうしてやるんだから!!」
その指をスリットに沿って、一気に引き抜いた。その勢いに従い、小倉マーガリンが地面にぶちまけられた。
エリーヌの奇行に、ガレットは言葉を失った。何が起きたのか、瞬時には理解できなかった。言葉を失って、改めで目の前の光景を直視し、顔が青ざめる。
「お前……、何をやって……」
言い終わらぬ内に、エリーヌは再びスリットに差し入れる。そして、再び小倉マーガリンを描き出した。いや、掻きむしると言った方が正しいか。
髪を振り乱し、体をくの字に折り、狂ったように何度も。
何度も。
何度も。
何度も。
小倉マーガリンが無くなるまで、内壁にこびり付いた物が無くなるまで、小倉マーガリンが染み込んだコッペパン諸共。完膚なきまでに、徹底的に、エリーヌは小倉マーガリンをこそぎ落とす。
ガレットはエリーヌの行為が理解できなかった。そして堪らなく悲しかった。悲しくて、悲しすぎて、彼女は膝から地面にくずおれた。
そして、
「あああああああああああああああああああああああああああ!?」
ガレットは絶叫した。悲しみが、理性を凌駕したのだ。怒涛の様に押し寄せてくる悲しみが、悲鳴となって吐き出される
「やめろ、やめてくれ……。頼む、やめ……」
懇願するガレットの言葉は届かず、小倉マーガリンは内壁を抉られ、見るも無残な姿に成り果てていた。
それを持つエリーヌの表情は、恍惚としていた。
「ほら、小倉マーガリンは無くなった。ここに在るのは、ただの汚いコッペパン、でしょ?」
「ああ……ああ……」
「さあ、小倉マーガリンは無くなった。さあ、私だけを見て! その綺麗な瞳を、私の姿で満たして!!」
ガギンッ
エリーヌの言葉を遮り、金属音が響く。
それは、ガレットが直刀を地面に突き立てた音だ。
彼女は直刀を支えにして、ゆっくりと起き上がる。ゆっくりと、ゆっくりと。伏した操り人形が、糸に引かれて起き上がるように。その不気味な様は、幽鬼を連想させる。
その様相に、エリーヌは体の震えを覚えた。いや、震えているのはエリーヌだけではなかった。石礫が、ガラスが、柱が、壁が、空気が、二人を取り巻く空間その物が。ガレットから放たれる気、怒気によって、ガタガタと音を立てて震えているのだ。
「す、すごい……」
エリーヌは恐怖すると共に感嘆した。興奮した。それは快感だった。恐怖という名の快感が、彼女の神経一本一本と撫でる。
心地よいと、エリーヌは思った。
そして、その心地よさを与えてくれるガレットという少女に、感謝の念を覚えた。
「ああ、嬉しい……。嬉しいよ、ガレットちゃん。ようやく私を見てくれた。ようやく私を意識してくれた。この殺気、全部私に向けているのでしょう? 全部、私のために!?」
「ああ、そうだよ……」
地の底から響くような声を発し、ガレットはエリーヌを睨む。その眼光は、到底人の物とは思えぬものだった。
その眼光に当てられ、エリーヌは頬を染める。
「お前、自分がした事が分かってんのか?」
「分かってるよ、ガレットちゃん。だって、こうしてガレットちゃんが私を見てくれるように、した事なんだもん」
「理由はそれか? たった、それだけのために?」
「うん!」
エリーヌは、満面の笑みで応えた。
「ふざけるな!!」
そこに、ガレットの怒号が飛ぶ。
「小倉マーガリンが何をした!? 小倉マーガリンは優しかったんだぞ!? 日常に疲れた私の心と体を、いつも癒してくれていたんだぞ!? そんな残酷な事をされる理由がどこにあった!?」
「あるよ。小倉マーガリンは私達の邪魔をした。ガレットちゃんを誘惑して、私達を引き離そうとしたんだ。だからこうして……」
「そんな理屈がまかり通ってたまるか!!」
ガレットは直刀を引き抜き、その切っ先をエリーヌに向けた。
「お前のそのふざけた理屈で犠牲になった小倉マーガリンの代償、決して安くはないぞ」
「ふふふ、いくらくらいかな? 私、ガレットちゃんのためなら、なんでも捧げるよ?」
「命だ」
「……え?」
小首をかしげるエリーヌに、ガレットは剣を構える。
大上段。
ガレットが、もっとも得意とする構えだ。
それを見たエリーヌも、撃鉄を上げ、マスケット銃を構える。
「……本気、なんだね?」
「本気だよ。小倉マーガリンの仇だ、お前は死ね!!」
言うが早いか、ガレットは地面を蹴る。
弾丸の様な速さで飛んでくる彼女に、エリーヌは笑みを見せる。
「ガレットちゃんのためなら、この命は惜しくないよ? だけど、今はダメ。ようやくガレットちゃんと結ばれたんだもん、愛し合えたんだもん!! これからの二人のためにさ、殺し合おうよ!! ゆっくりと、じっくりとさ!!」
銃口をかち上げ、飛んでくるガレットに向かって弾丸を放つ。
鋼鉄の刃と鋼鉄の弾丸がかち合い、夜空に閃光が走った。




