3.恋の相手として
「いっちゃん?」
名前を呼ばれ、我に帰る。
俺のことを“いっちゃん”と呼ぶのは神崎だけだ。
「久しぶり……だね。朝会うの。ねぇ、いっちゃん。あのさ……」
神崎は俺の家の前で立ち止まったまま、話を続けようとする。
俺はこいつが嫌いだ。一方的な嫉妬だって、自覚している。でも、仕方がないじゃないか。
「……悪いけど急いでるから。急ぎの用事じゃなかったら、またにしてくれないか」
ぴしゃりとそう言い放つと、冴華はショックを受けたように口を噤み、俯いた。
肩まで伸ばされたやや色素の薄い髪が彼女の顔を隠し、表情は見えない。
俺は神崎をその場に残し、早歩きで学校へと向かう。後ろから小さな、ごめんね、という声が聞こえた。
罪悪感を振り払うようにして、足を前へ前へと早める。
もう俺に付き纏わないでくれ、と切に願う。お互い嫌な思いをするだけなんだから。
♢
俺と神崎が通う、県立斉賀高等学校は地元じゃそこそこ有名で、自慢できるくらいの偏差値、大学進学率を誇る進学校だ。
俺は家から通いやすく、学力的にもちょうどよかったのでこの高校を受験した。恐らく神崎も同じような理由だろう。
本音を言えば、神崎と違う高校が良かった。でも、彼女が同じ高校を受験するなんて知らなかったし、知っていたとしても多分俺は進路を変えなかったんじゃないかと思う。
だって、尺じゃないか。
いつまでも小さい頃の挫折した思い出に振り回されるなんてごめんだ。そんなことで、自分の選択肢を狭めたくなんかない。
そうだよ。俺は面白い小説を書くんだ。
そのために、俺は恋をするんだ。
ふと、神崎の顔が浮かんだ。
黒目がちな大きな瞳、日に焼けてもすぐ戻る白い肌、セミロングの茶髪。どこか小動物を彷彿とさせる容姿。
小学生の頃は変わらなかった背丈も、今となっては俺の方がずっとでかい。そういえば、中学生の頃、クラスの男子が神崎を可愛いと言っていた。一般的に見て、神崎はモテるんだろう。
挫折のトラウマを払拭するために、毒をもって毒を制す、原因を用いて治療するアイソパシー療法みたいに、神崎を好きになったら俺は成長できるのだろうか。