弐
「広い、平坦じゃ、だだっ広いにも程がある」
浜辺を離れて半刻も経たずが目指す葉をつけた木のある森が三方向へ途轍もなく遠いことに気付いた。
「ここが合戦場なら一体どれ程の規模が繰り広げられるのだろうか」
天狗様に頼まれたとは言え刀を取り返し化狸をただのタヌキにした筈が、どこぞの浜辺に飛ばされた上にそのタヌキが女子に化けて誑し込もうと迫る化け狸のままである。
未だ混乱冷めきらぬ中でこの女狸を叩きのめし追い払いたい衝動を覚えるも、同じ年頃の妹達の顔が脳裏に散らついて追い払うに払えない。獣の姿でも丸々と可愛いらしいから余計に質が悪い。
「向こうの森へ行こう、たぶん幅の広い葉のなる木だと思う」
「ギン兄、あっちの森の方が近いよ?」
「貴様どこでその名を覚えた!?」
「ふぇ?!冬の貯えを集めている折に旦那がそう呼ばれてるのを何度か見たからだけど間違ってましたか?」
「義ん兄と呼んでいいのはオイラの妹達だけだ、それと旦那って呼ぶのもやめろ」
「えぇ?じゃあ何て呼べばいいの?」
「知るか!いっそ狸のままのが喋らなくて楽かもな」
「そんなご無体な~。あ、じゃあギンさんでー」
「それも仲間内だけの呼び名だ、もういい、一歩譲って『義ん吉』って呼べば?」
「おお!ありがとうございます義ん吉さん。で、何であっちの近い森に行かないんですかい?」
「お前は松の葉を頭に差しても変化が出来るのか?」
「成程、よく見えますね義ん吉さん」
「形・高さ・色でなんとなく判別出来るだろ」
「流石鬼童子と呼ばれるだけありますね」
「なんだって?」
「さ!長話してるとすぐに日が暮れちゃいますよ?行きましょう、義ん吉さん!」
「ん~」
思うところあれど今は兎角歩を進めた。
__________
「義ん吉さんの仰る通り、いい塩梅の葉が生った木ですね!何の木でしょう?」
「わからん。こんなんは見たことない」
年を経た樹木であるのは確かだが、妙な気配のする木だ。長居はしたくないな。
「少々お待ちください」
ポンッ
言うと太刀を義吉に預け、子狸に姿を変えると一つの木の周りをグルグルと駆け回り出した。
するとその木から一枚の葉がひらひらと落ち、それを逃さずタヌキが掴み取った。
掴み取った葉を手に突き出して来るが何が何やらさっぱりわからない。心持ち怒ったような狸が義吉の持つ太刀の鞘に触れ、また人の姿を取る。
「差し出したら受け取ってくださいよ~!」
「解るか!?事前説明も無しに理解し合えるほど知った間柄でもないだろ」
「ちょっと期待しただけです。ま、人間と狸じゃ仕方ありませんね」
それから狸はタヌキの癖に懇々と儀式の内容を唱えてくれた。大雑把には一緒に葉っぱを手に取ってお互いの名を念じ、相互に力を融通し合う契約を結ぶといふものだった。
「何故相互に融通し合う?オイラは妖術の心得も何もないぞ?」
「そんなこと知ってますよ。しかしその刀には大きな力が宿っています。でも今もこうして私が持っているのに刀の所有者は義ん吉さのままです。溢れる力で姿形は変えられど、より高度な被服の具現化は所有者の許可を得て滞り無く力を頂きて可能となります。契約した暁には刀から離れても人の姿で居られますぞ」
「はぁ?こん刀の持ち主は天狗様じゃろ?お前が盗み出して苔山にぶっ刺していい加減な扱いしたから刀に認められんかっただけじゃろ」
「いい加減ではござんせん!古の儀式に則った正式な修行だったのです。霊験灼然なる法具を用いて神通を高むる崇高な…」
「盗みを否定せんなら認められんのも当然じゃな。しかし所有者の許可がどうのなら天狗様の許可が要るだろ、先ずは。その天狗様が居らんのにオイラが勝手に使てもええと言うてええもんかのう?」
「ここまで来て意地の悪いこと言わんでけろ~。このままではホントに力を失い獣に堕ちてしまうぅ。そうなったらこれまでに蓄えた霊力が暴走して死んでしまう!死なずとも分別のつかぬ化け物になって何時かは殺し殺されてしまう!死ぬならせめて子を成し血を繋げて逝きたい、盗んだことは謝るし償います故堪忍してけろ!無駄死には嫌じゃ~」
毛むくじゃらの顔に泣きつかれて哀れに感じる反面、妹の繰り出す女の涙の力を嫌という程理解しているつもりの義吉は、それでも半信半疑ながら契約してやることにした。
「あーはいはい、泣くな泣くな。わかったからその契約言うのやっちゃるから。どうすりゃいい?」
「ありがとう!義ん吉さま~!」
「早よ言えや」
「では始まれば私は元の姿にならねばならないので確認します、儀式の間はお互いが呼び慣れた名を意識します。私なら『義ん吉』さんです。なので今ここで私に名前をつけてください!義ん吉さん!」
「あ?本名を教えてそれを念じるんじゃないのか?」
「本名を知るのは強力な御呪いが必要な時ですが、それ以外にも大事な意味があるので今は結構です。今回は誰から誰に、誰が何か分かれば良いので愛称でも構わないのです」
「何だか軽い契約だな。名前か……ん~」
「あ、隠神など余りにも崇高で畏れ多いのは避けて下さいね」
「うん、やっぱり“カブ”だな。前々から思ってたがカブにしよう」
「え?」
「コロコロ丸っこくてみんな『カブみたいな~』って言ってたし、オイラもそう見えたからな」
「丸いのは冬毛でそう見えるだけで、今はそうでもないでしょ?」
「儀式中はカブになるだろ。それから?」
「・・・私がイイと言うまで葉っぱを離さないでください。以上です。」
「何だそれだけか」
「ええ、難しい事は私が全部しますもの。この儀式は妖術の師弟がお互いの霊力を見失わず、修行に際してはお互いの力を確認し合ったり力を受け渡して補助したりするします。だから義ん吉さんも私の神通力を認識出来て頑張ればその刀の霊力を使えたりしちゃうかも?」
「そりゃ一石二鳥だな、ならとっとと済ませて先を急ごうや」
「あの…スゴイことなんですよ?神通力は修行すれば誰でも習得できてもその刀を扱うのは…」
「天狗様のような力が使えれば凄いなー。もういいか?オイラは念じて掴むだけでいいんだよな?じゃ、この刀はオイラが持っとくぞ」
ポンッ
「・・・・・」
それから儀式が始まってからの一刻の間、何事も無く無事に終了した。
__________
「如何です、立派な物でしょう?人里に紛れて修行していたので目は肥えてるんですよ~」
変化の葉っぱを手に入れて早速変身の術を披露するカブ。云うだけあって獣の顔が人間にしても可愛らしい狸顔になり、着物も丈夫そうな緑の旅装をしている。網笠も綺麗な仕上がりで足元を見れば草鞋も義ん吉の履く草履に劣らぬ一品だ。
「…見てきた中で最高の品を思い浮かべたつもりなのですが、良い物をお持ちですね」
「そりゃどうも」
「ところで一つ聞かせてください。頼んでおいてこんな事言うのもアレですが、どうしてタヌキのまま連れて行こうとしなかったのですか?冬籠りに肥えているとは言えそれ程ノロくは有りませんし、肩に乗るにしても大して重くはないと思うのですが?」
「…村に着いて宿に泊まるとしよう。その時部屋に獣を上がらせると思うか?旅人が獣を生け捕り店に来たなら大抵、代金に持参したと思うだろう。カブも毛皮にされたくはないだろ?毛皮にせずに一緒に泊まらせろと言おうものなら、馬ならまだしもそれを口実に宿泊を拒否されてもおかしくはあるまい」
「ほー」
「それにその格好なら素性の知れん鎧武者一人を泊めるよりは、随分印象がマシになるだろうさ」
「短時間でよく考えましたね、御見逸れしました義ん吉さん」
「褒めても何も出んぞ」
日はだいぶ高くなったもののまだ正午には成っていない筈、何かと使えそうなカブも手に入ったことだし、地元民を探しに行くとしよう。