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金庫

作者: 宮本 くつろぎ

 ある子供部屋。


 子供が目を離したすきに、普段はじっとして動かないおもちゃたちも、ここぞとばかりにおもちゃ箱を飛び出す。


 カーボーイの人形やらぶたのおもちゃやらが意思を持って自由勝手に動き回る。言葉も話すし、陽気に笑うし、歌だって歌う。人間よりも豊かな感情表現が出来て、思いやりもある。

 

 また別の場所。閉館後の博物館。


 日も落ちて、外は闇に包まれる。館内に残るのは警備員と展示物だけ。

 その展示物たちもお客の前では微動だにしないが、夜になると我先にとガラスケースを飛び出す。


 彼らの熱気はすさまじいもので、昼間のうっぷんがそんなに溜まっていたのかと言いたくなるほどだった。これに負けずとも劣らない警備員のテンションも相当なもので、一緒になって四方八方、館内を行き来する姿は本当に心底楽しそうだった。


 そんな話があるように、ありとあらゆるものたちは人の目をかいくぐって行動している。


 銀行内の金庫もこの例外ではない。

 重く厳重なつくりの扉の奥には、よだれが出るような数の紙幣が眠っている。

 でも私たちの目の届かないところで、彼らが大人しくしているわけがないのである。たとえささやかな枚数だけを常備している銀行であっても広々とした金庫の中に所せましと紙幣を積んだ銀行でも、お札たちは自由に解放される時を待ち望んでいるのだった。


 閉店後、金庫の戸締りを確認しに銀行員がやって来る。

確認を終えて出払うまでを彼らは横目で見つめた。扉の閉まる大きな音がする。鍵のかかる音もした。

 

 紙幣に描かれた福沢諭吉の肖像たちは視線を天井に移す。

 壁にくっついた一台の監視カメラが頭を壁に3回打ち付けた。これで誤作動を起こして映像が適当なものに差し替わる。

 200の福沢諭吉の瞳がその様子を注視し、映像が差し替わったとみるや勢いよくバラバラバラバラと上のものから順に、階段をうねうねと下りる、あのおもちゃのばねのように跳んだ。


 机の上に、五千万枚、厚さ50センチほどに積んだものが10×10の百わく並ぶ。その数、五十万枚。総額五十億円。それらがすごい勢いで机から地上に飛び降りるのだった。


 一万円札たちは声や口調こそ福沢諭吉にそっくりなのだが性格なんかは、てんでばらばらで、福沢諭吉的要素はほとんどない。


 目的もなくひらひらとそこらを練り歩く奴がいたり、丸まったり伸びたりする奴がいたり。

壁を芋虫のように伝う奴もいれば、高いところから雄たけびを上げながら飛び降りる奴もいた。

神妙な面持ちで話しをするのもいたし、歌を歌う奴もいた。

思いついた説法を長々と語るのもいて、中には口論を始める連中もいた。


 クローンというやつにきっと近い存在で、お互い気の合う仲間なのだろう。

 監視カメラもぺったんぺったんと壁を伝って器用に降りて来た。彼を交えての宴は夜通し続く。


 朝日が昇り今日はこれくらいにしておこうかなとカメラが巣に帰る素振りをみせるころ。お札たちも撤収するのがルールなのだが、これが中々面倒くさい。俺が上だ、お前が下だ、と喧嘩になるのだ。札束の下の方は組体操の下の方みたいに重くて辛い。誰もが上に乗りたいし、下になりたくない。


 天は人の上になんたらといったものだが、どうやらお金の世界は勝手が違うらしい。


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