表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
オペレーション・デーモンスレイヤー  作者: 淀平ヴァウ平
8/8

最後の賭け

「完敗です、ヴェルニヒ先生」

 数日後、シオンは質素な墓の前にいた。


「先生。目を覚ましてください。先生ほどの財産を失うのが、世界にとってどれだけ損失となるか」

 若き日のシオンは、師のヴェルニヒに訴える。

「教えたはずではないですか、シオン。価値は人によって異なると」

 経済の大家であったヴェルニヒは、近頃経済分析よりも童話づくりに力を向けていた。

「先生が登場して20年で、貧困層が17%減少しています」

「それは私だけの力ではないし、過去に20年間で17%を超える減少があったことは何度でもあります」

「その大部分が先生の力であることはご自身がよくお判りでしょう。17%の改善は、近代的な銀行が登場する以前とでは価値を比較できません。先生はおっしゃっていたじゃないですか、呼吸するように世の中の動きを読んでこそ真の経済学者だと。あなたは呼吸をやめるのですか?」

「ねえ、シオン。私はね、世界を良くしたかったんですよ。そのために貧困の改善に力を尽くしてきました。でも、せっかくよくなった貧困率が、なぜまた悪化してしまうのでしょう? 結局私のやっていることは、応急処置なんです。経済は人を救う助けになる。でも、経済が人を救うのではない」

「ならば、何が世界を救いますか?」

「他人を思いやることです」

 シオンは笑った。その笑いに、師の考えを拒否したいという思いが含まれていることに、シオンは自覚していた。

「そんなことわかっていますよ! しかし、自由意思に任せて人間が他人を思いやり続けることなどできはしない。だからこそ我々は思いやりをシステム化してより善良な世界を目指しているのでしょう」

「そのシステムを構築しようと考え、実行すること自体が自由意思によっています。今、世界はまだ二本の足で立てない赤子だからシステムという両手を使ってハイハイしなくてはならないんです。いつか、二本の足だけで立って歩けるようになります……シオンは、永遠に人類からおしゃぶりを取り上げないつもりですか?」

「そんなことできはしません! できないからこそ法が、我々が、経済があるのでしょう」

「できないことだからやるんですよ。できることをやるのは、呼吸するようなものなのだから」

 最後まで、ヴェルニヒは笑顔を絶やさなかった。


 ヴェルニヒなき後の経済界でシオンは一躍寵児となり、『ヴェルニヒの後を継ぐ者』の意を込めてシオニヒの異名で呼ばれ、『預言者』の名を不動のものとした。一方でヴェルニヒは静かに童話や劇を作り続け、世間から忘れられていった。シオンからはそれは没落に見えた。「勝った」と思っていた。自分を、経済を見捨てた師を心の中で罵ってすらいた。時を経て、師への怒りは消え去った。それでも勝利したのは自分だと信じていた。師は経済の可能性を信じ切れなかった、偉大ではあるが一歩及ばなかった人なのだと。


 リナに宣言した「できることならなんでも」は、ヴェルニヒが自分によく言って聞かせたことだった。

 師はそういう人だった。一度「できることならなんでも」と言ってしまったら、できることならやるのだ。無論、「死ね」などと言われれば拒む。心理的な理由であっても、できないことであれば拒否はできる。ルールとして曖昧なところはある。だが、自身の良心に照らして受け入れられる範囲のことであれば拒否はしないのだ。やがて、シオンもこれを真似した。

「いいんですか、シオン? 『できることならなんでも』と言ってしまったからには、できることであれば拒否はできませんよ」

 2人は何度もその遊びをした。お互いができるぎりぎりのところの探り合い、気持ちよく受け入れることのできる範囲で最大の無茶な要求、互いを深く知る者同士でなければなし得ない魂の交流だ。

 師と決別した後も、この誓約はシオンの人格の中央に居座り続けた。


 リナの語った人形劇は、ヴェルニヒが書いたものだった。

 リナに語った願いごとの誓約は、ヴェルニヒに植え付けられたものだった。

 ヴェルニヒの影響を受けた願いが、ヴェルニヒの影響を受けた自分の運命を決した。他者を駒のように操ってきた自分が、盤面の上の駒に過ぎなかったのだ。

 おそらくは、このようなピンポイントの巡り合わせをヴェルニヒが予見していたわけではなかったろう。それでも、何百何千という可能性の網目の1つとして、このような出会いは視野の内にあったに違いない。長年かけて仕込んできた何千という銘柄の1つが暴騰したのだ。相場においては、読みの正しさは結果によってのみ示される。師は正しかった。

 そしてその時また、その先も同時に見えたのだ、自分がヴェルニヒの駒ならばヴェルニヒに影響した者は誰なのか、ヴェルニヒに経済という手段を選ばせ、それに挫折して以降は物語という手段を選ぶように仕向けた者は誰なのか、その影響者に影響を与えたさらなる先行者は誰なのか。『時の初めに立っていた者』は誰で、その意志はどこまで正しく伝わっているのか。この伝言ゲームの果てに、『最後に立つ者は何をやっているのか』。

 齢80を超えて、久しく感じなかった経験を思い出した。はっきり見えているのだと信じていたものの輪郭が明瞭になり、それまでは見えていたものがおぼろな影だったのだと気づく天啓のような瞬間を。

 その驚愕に、シオンは笑ったのだ。自分の知識から類推できたはずのこの謎を見落としたまま慢心し続けていたことを、もはや自分にはこの謎を解き明かす時間など残されていないことを悟り笑ったのだ。だからこそ、シオンはリナにすべてを投資した。自分に代わってこの謎を解き明かしてくれることを、それが無理ならば、その課題を次の代に継いでくれることを期待して。


 いずれリナも気づくだろう、魔王など数ある世界の問題の1つに過ぎないことに、人間と魔物などさしたる差はないことに。そして、自分がリナに望んだことの真意についても。

 死後の世界は証明できない。

 アレルのように蘇生した事例があってさえ、それは単に肉体が一時的な休眠から蘇ったということに過ぎない。肉体の覆し得ない最終的な終わりとしての死の後に、心は、知覚は残るのか。もし残るのであれば、この投資によって自分はあの世で今後の世界の行く末を、リナの活躍を、笑いながら見る権利を得ることができる。死後の生が存在した上で投資をしていなかったなら、自分には後悔しか残らない。捨て金になろうとも、ヘッジすべきリスクだ。

 魔王領はすべてくれてやる。頼んだぞ、おそらくは我が最後となる友よ、かけがえのない戦友よ。

 これは、私の死出の賭けなのだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ