プロローグ②
あぁひもじい。
親鳥を待つ雛のように声をあげる腹をさすりながら、そう思った。
タイルが敷かれた道ではめいめいが談笑し、並べられた商品を眺めている。
道すがらにはミュールドックと呼ばれる、ミュール豚の肉を香ばしく焼き、葉物で包み、パンで挟んだもの一口サイズにカットしたものを売っている店があり、若い婦人が店主へ声をかけると、店主はにこやかにミュールドッグを包みで手渡した。
10程歩けば辿りつける距離で、婦人の手の中でかぐわしく薫るそれは、悪魔の瞳のように視線を掴んで離さない。あの香り立つ肉を口いっぱいに頬張ることができたら、それは幸福の極みだろう。肉汁のしみ込んだ山菜を咀嚼し、舌の上で転がすことができたのなら至高の快楽ともいえる。
おっといけない涎が。
顎を伝う唾液を袖で拭い、視線を戻すとなぜか婦人と視線が交錯する。
――ノーティ。
はっきりとは聞こえなかったが、口元はそう動いた気がした。
婦人は気味悪そうに小走りで歩み、やがては視界から消えた。
自らの恰好を見下ろす。
履物はなく、羽織っているボロの布には赤い染みがこびりついている。麻の布が申し訳程度に体を隠してはいるが、見てくれば裏道の孤児だ。
誰もが先の婦人と同じ目を向ける。思っているよりも目立つ格好だったようだ。
降り注ぐ雨の様な視線に居たたまれなくなり、逃れるように店の隙間に抜けた。
日の当たる表通りとは様相が異なり、ひとたび暗がりに入ると微かな異臭が鼻に着いた。生ごみや、捨てるのに困った粗大ごみが道に捨てられている。
その中でぼろ布を纏った男や女が身を縮こまらせ、視線をおとしている。一様にその顔には陰りがある。
歩みを進めると一瞬視線をあげるが、こちらの恰好一瞥して嘆息した。もう少しちゃんとした身なりをしていれば、彼らのお眼鏡にかなったのだろう。
段々と濃くなる異臭の中を進む。
恐らく人の手が入っていないのだろう。無数に転がされた廃棄物は、足の踏み場もないほどで、幾つかを踏みぬきながら進むと声が聞こえた。
「おい、そこのガキ」
背の高い細身の男が大仰な剣を肩に乗せてこちらへ向かってきていた。
「こっちは通行止めだ。とっとと引きかえしな」
「そうなんですか。それはそれは、ご丁寧にありがとうございます。道路の整備中とかですか?」
「なんだお前、ガキのくせに上等な口がきけるじゃねぇか。
まぁいい、いまここは俺が貸し切りだからよ。関係ねぇやつはとおせねぇ」
男の180cmほどの背丈で、藍色の短髪を左手で撫でながらそう言った。
「無理に通ろうとしたらどうなります?」
「ケンカ売ってんのかガキ。腕の一本でも落されてぇってんなら素直にそういえ」
どうやらこの暗がりの先には男の秘匿すべきものか、あるいは情報があるようだ。
押し通ることもない。
「言われた通り引き返します。その前に一つ聞いてもいいですか」
「なんだぁ?」
「このあたりで安くて…できれば200Rほどで買える、美味しい食べ物があれば教えてくれませんか」
男は虚を突かれた表情をして、頭を振った。
「…ここを戻って右に出ろ。んで右にずっと行くと『うまさNo1』の旗があるがあればハズレだ。その向かいの店で売ってる肉まんが俺のおススメだ」
「肉まんですか…それは…おっと涎が」
「はっ、変わったガキだな。そこらで野垂れてるやつらみてぇな卑屈さがねぇ。かといってギラついた感じもねぇ。飼い犬か? その身なりじゃ冒険者ってわけでもねぇだろ」
「その辺は、秘密にしときます。お兄さんの秘密にも触れないので、おあいこってことで。いかがでしょう」
「いっちょまえに交渉とは恐れ入るぜ! いいぜ、じゃあ情報料だ、俺のとっておきの店を教えたんだからな」
「……そうですね、じゃあその噂の肉まんを一つ奢ります」
一個だけですよ。と付け加えると、男は笑みを浮かべた。
「くはっ、なんだそりゃあ」
いい加減重くなったのか、剣の切っ先を地面に落とすと目を細める。
「まぁいいか、それで。俺はこの辺にいるからよ、その辺の奴にヴィクトールに例のものを届けにきましたーつって呼びな。死んでる目ぇしてるような奴には声かけんなよ。俺の知り合いだと思われっと面倒だ」
「わかりました。ありがとうございました」
慇懃に頭を下げると、踵を返した。もう頭の中は湯気のでた肉まんのことで一杯であった。張りのある生地噛みしめればあふれ出る肉汁に、口の中で広がる温もりは想像しただけでも垂涎ものだ。