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銀文字の書

旅人と神の贈り物

作者: 杜野 玖真

 ある夜、街道から少し離れた木の根元で、一人の旅人が野宿をしていた。

 その明かりに惹かれたのか、背を丸めた小さな影が近寄ってきた。

 影は老人だった。背中は老いで丸くなり、重い荷を背負っているかのよう。

 長く巡礼の旅をしてきたのか、外套の裾は擦り切れほつれている。


「 やぁ、ご老人。その襤褸ぼろじゃ寒いでしょう。もう少し火をおこしてあげるからあたりなさい。」

 そういって焚き火に木をくべなおした旅人だった。

「親切なお方、ありがとう。」

 老人はかさつく声で礼をささやく。

 そういって焚き火のそばにゆっくりとうずくまった。

 使い古した皮の手袋をしたまま、手のひらを差し出して炎をぬくもりにあずかる。

 乞食のような粗野さはなく、どことなく品の良さを感じる老人だった。

 これは元は血筋の良い家の出の人かと思い、旅人は気の毒になった。


 旅人は次に着く町への日数を数え、余ると思われるパンと干し肉、干した果物を差し出す。

「巡礼の方とお見受けします。あまりにもお疲れのご様子ですので、どうかこれを喜捨としてお納めください。」

 老人は深くかぶった頭巾をかすかに揺らした。

「温まらせていただけるうえに、食べ物まで。あなたに慈悲の恵みがあらんことを。」

 そう囁いて祈りのしぐさをする。


 夕暮れ前に汲んだ小川の水を黒くすすけた鍋で沸かす。

 薬草茶葉はないが、旅の間は温かい物が飲み食いできるだけでも馳走だった。

 旅人は自分のたった一つ持ち歩いているすずの杯に入れて差し出した。

 老人はゆっくりゆっくり食べ物を口に運んだ。

 頭巾の奥は、右半分を髪をたらして隠し、深い皺としみに覆われた左半分が時折のぞく。

「あぁ、なんという慈悲と献身だろう。いまだこの世には徳が枯れておらぬとは。」

 老人の独り言を聞き、旅人は彼の人生が自分の想像しうる以上の苦難の道だったと考えた。

「つらい人生であったでしょうが、今夜は焚き火も食べる物もあります。夜空も晴れて暖かい。どこへ向かわれるかは存じませんが、こうして旅路でめぐり合ったのも何かのご縁、この幸運に感謝してすごしましょう。」

 老人はかすかに微笑んだようだった。

「よき旅人よ。焚き火と食べ物の礼にひとつ話を聞かせたいがいかがかな?」

「よろこんで。ですがお疲れになりませんように、無理なさいますな。」

「気遣い感謝いたします。では―――」


      *     *     *


 あるところに、一柱の神がいた。

 神、とは呼ばれはしたが、いつからそのように呼ばれていたかは定かではない。

 ただ、人にはない力を持ち、様々な姿をもつためにそう呼ばれるようになったものだった。


 ある時、人の集落から泣き叫ぶ声を聞いた。

 小さな子供たちがはやり病にかかり、消えゆく子供らの命を引き止めようと

必死になって慟哭する親とその家族の声だった。

 神は自分の知りうる限りの薬となる草木と鉱物を用いて子供らの痛みを和らげたが、その病は子供ら自身が乗り越えねばならないものだったので、かなりの数の子供が黄昏の彼方へ去っていった。

 親とその親族は「神なのにどうして助けてくれなかった」となじった。

 神はただ哀しげにうつむいてその集落を去った。

 また別の集落に同じ病がはびこり、またも神は足を止めて人々を癒したが、最後は石持て追われる身となった。

 さらに別の集落、こちらの集落と訪ねて回ったが、同じことが起こった。

 いつしかその神は「疫病の神」と恐れられ、人々から遠ざけられるようになった。

 とはいえ神の残した薬の知識ははやり病以外の病苦を癒す事に用いられ、その知識を誰が伝えたか人が幾世代も重ねたのちに忘れ去られたのだった。


 また別の時、神は旱魃かんばつによる貧困にあえぐ集落を訪れた。

 太陽が長きに渡り大地を痛めつけ、雨雲は遠く彼方の山にしかなく、最後の草も枯れ果てた土地だった。

 神は集落の人々を、水の枯れぬ河のほとりに導き、水を畑に引くすべを教えた。

 ただ、神は人々に長く続く旱魃が終わったら、元の土地に戻りなさいと忠告して去った。


 やがて数年にわたる旱魃は終わり、村は以前の土地にあったときより数倍も豊かになり、商売を始めるものも出てきた。

 そうして神の忠告もおざなりにして、その地に留まり続けた。

 だがあるとき、遠くの山に真っ黒く不吉な雨雲がかかった。

 そして雨がその村に降り始める頃、河は濁流となって村を襲った。

 豊かな畑は泥に覆われ、人々は身一つで命からがら高台に逃げ出した。

 家々はその財産ごとうねる水の流れが飲み込んでいった。

 その後には何一つ残っていなかった。


 そこにかの神が来て、人々に言った。

「なぜあなた方は、旱魃が終わった後もとの土地に戻らなかったのだ。」と。

 人々は神の忠告を忘れており、神を「災厄の神」となじった。それを見て神は悲しげに立ち去った。

 仕方なく人々は荒地に戻った元の土地に戻り、最初から土地を耕し始めた。

 旱魃で痛めつけられていた土地は、長く休まったために豊かな地味ちみを取り戻し、河辺の村より何倍も豊かになった。

 やがて、そこに戻るようにと忠告を誰がしたのか、人々は忘れていった。


     *     *     *   


「なんともやりきれない話だ・・・。」

 旅人はため息をついた。老人は静かにかさつく声でつぶやく。

「これらの話のように、幾度慈悲と幸運が訪れても、それを感じぬ者が多いのがこの世の中。

これらのように救いようのない事ばかり多いが、それでも―――」

 老人はしずかに頭巾を肩に落とし、襤褸の外套を脱いだ。

 背中が曲がっていたのではなく、その盛り上がりは輝きを放つ象牙色の大きな鳥の翼だった。

 右半分の顔を覆う白にも見まごう金の髪をかきあげると、薔薇色の頬をもつ美しいかんばせだった。

 だが左半分は旅人が見たとおり、醜く皺が刻まれ老いさらばえていた。


「なぜだろうか。人に忌み嫌われ追い払われても、人の間を歩くことをやめられぬ。おそらく人を愛しているからだろう。」

 あまりにも尊い姿に旅人はひれ伏し、顔を上げられなかった。

「大変粗末なものを差し上げてしまい、お詫び申し上げます。どうかお許しを―」

 神はゆるゆると翼を広げ、金属的な声でかすかに笑った。

「皆、最初はこうしてひれ伏す。だが最後は敬して遠ざける。哀しいが私はそういうものなのだろう。」

「正しい物事が正しく伝わらないのは、命の短い我ら人の怠慢でありましょう。私は旅人ですが吟遊詩人です。あなたの行いと栄光を正しく伝える努力をいたします。」

「気にすることはない。百年千年ののちにも正しく伝わるかどうかわからぬのがこの世の常だ。だが………。」


 神は優雅に草むらに歩み寄り、一株の球根を引き抜いて旅人の前に置いた。

「これを。あなたがどこかの土地に根を下ろしたとき、その地のどこかに植えなさい。」

「・・・何か忠告はございますか?」

 先ほどの話で人が二度の忠告を無視を覚えていたのだ。

 神は楽しげに笑った。

「ない。これには美しい花が咲く。決して絶えることはないだろう。多くの富をもたらしたりするものではないが、この花が咲く土地には、人々の目には見えることなく訪れるようにしよう。あなたが私に捧げた慈悲によって多くの恵みが子々孫々に受け継がれるように。」

 そして神は大鷲の翼のきしりにも似た羽音を立てて、漆黒の夜空へ飛び立っていった。


 旅人は長いことひれ伏していたが、やがてかさり、と薪が崩れる音にふと顔を上げた。

 目の前には神に差し出された土まみれの球根。

 丁寧に土を落とし、皮袋におさめた。


 旅人はほどなく腰をすえても良いと思える土地を見つけて家を建て、神の言葉がたがえて伝わらぬようよくよく言葉を吟味して近くにそびえる山の岩を磨いて神が語った物語を刻み込んだ。

 そこにあの「神」が彼に預けた球根を植えた。

 やがて球根はすくすくと葉を伸ばして、冬の終わり、春を待つかのように小さな鐘のような愛らしい白い花が咲いた。

 球根の名は待雪草。花言葉は「希望、慰め、逆境のなかの希望、恋の最初のまなざし」

 神はその季節に咲いた最初の花を髪に挿し、いまだに人々の中に姿なく降り立ちて恵みをもたらしているという。



-fin-


読んでいただきありがとうございます。

物書きするときは、プロットねりねりすることもありますが、

自分の場合は、物語が頭に降って来ることが多いです。

これもそうやって書いた物語のひとつです。うん、神様も大変だ。

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