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恋、三年分

17の夏、向日葵畑で写した光

作者: ナガツキ



「菅崎。お前、将来やりたいことはないのか?」







_______学校、校舎裏。

何の用もなく、俺はここに足を運んでいた。目の前では、光の中で向日葵が風に揺れている。

「もう……このままずっと、夏休みが続けばいいのに」

情けない声が夏の風に乗って、どこへもしらぬ場所へと運ばれて行く。じりじりと太陽に焼かれていく中で、俺は無意識のように両手を前に出した。

親指と人差し指で作ったフレームを前へとかざしながら、そっと片目をつぶって覗き込む。その先に写るのは、黄色い中に立つーーひとりの女。



……女?



弾かれたように立ち上がると、ジャージ姿の女はきょとんとした顔でこちらを見つめた。

二人の間を、優しい風が横切る。

赤色のジャージからして、学年はひとつ上の三年生だと分かるが……一体こんなところで何を? 三年生の夏といったら、受験勉強一色のはずなのに。

疑問符が張り付いている俺の顔に気づいたのか、女は土のついた軍手をはらいながら、向日葵に負けじと笑った。

「おはよう、後輩」

白く細い体に不釣合いな低い声は、俺の脳天をぐっと掴むように絡みつく。初対面のくせに距離を感じさせない女の態度に、ふっと気が緩んだ。

「なんでわかったんですか。後輩なんて。俺、制服ですし目立つようなやつでもありませんよ」

一歩、向日葵畑へと近づくと光が目に飛び込んで来る。とっさに手をかざすと、先輩はおいでと手招きしてきた。

「ここに座ると、ちょうど向日葵で日陰ができて涼しいんだ」

向日葵畑の間にある、人が通れるほどの細い道には、折りたたみ式のイスがひとつ置かれていた。なるほど。さっき、突然現れたのかと思ったが、ずっと座っていたから気づかなかったのかもしれない。どうぞ、とうながされるまま腰を下ろすと、なんだか特別な場所に入ってきたみたいで、少し胸が踊った。

「このままずっと、夏休みが続けばいいのに」

唐突に投げかけられた言葉が、俺の意識を連れ戻す。それって俺がさっき言った…。

「君が後輩ってわかった理由」

一瞬、間をあけて再びゆっくりと口を開いた。

「三年生でそんなこというやつなんていないよ。みんな、先に向かってる」

綺麗なふたつの瞳が、俺のすべてを見透かすように射抜く。先ほどまでと違う汗が、俺の背中を伝った。

「せ、先輩は! …ここで、何してるんですか」

落ち着け、俺。別に動揺することなんてないだろ。なにも…ない、はずなのに。落ち着かない心臓が、うつむいてもなお暴れている。どうしたもんだか、先輩の目はもう見られなかった。

「わたしか?」

先輩は、特に気にも留めないような返事を返す。見えはしないが、きっと向日葵の花を覗き込んでいるのだろう。かすかに視界の端っこに見えるシューズが、つま先立ちをしていた。

「ここの向日葵畑…っていっても小さなものなんだけど。これは、もともと祖父がつくったんだ」

先輩は、ゆっくりとかかとを下ろすと、今度は方向を変えて同じようにかかとを上げた。

ーー踊ってるみたいだ。

未だ視線を落としたまま、その低い声に耳を傾ける。

「祖父は、この学校を運営している人と知り合いでね。子供の頃から、夏休みの間だけ、わたしもここに来て祖父の手伝いをしてたんだ。…それで、三年前に祖父が亡くなってからは、わたしが一人で世話をするようになった」

ぽつりとつぶやくようにそう言うと、力なくかかとが下ろされた。うつむいたままでよくわからないが…最後は声が震えているように聞こえた。

いま、どんな表情をしているのだろうか。そっと顔を上げようとするとーー



「どうだ、綺麗だろ? 祖父の向日葵畑は」



なによりも眩しい笑顔があった。それは、夏の空より、海より、向日葵よりも輝いていて、鮮やかだった。





「…いない、か」

毎日いると思ったんだけどな。

あからさまに肩を落として、とりあえず特等席に座る。もしかしたら、と思ったが当然のように椅子は空いていた。

俺は、名前も知らない先輩とここで話した時間が忘れられなかった。昨日の夜はなかなか眠れなかったくせに、朝早くに目が覚めて、考えるよりも早く支度を済ませると、玄関を飛び出して馬鹿みたいに走ってきた。次の日くらいだったら、また来ても許されるかもしれない。そんな言い訳のようなものを、何度もなんども繰り返しながら。

だが、ここには向日葵しかいなかった。毎日世話をしているわけではないのか、寝坊しただけなのか、特に時間が決まっているわけではないのか、俺にはなにもわからない。ただ、あの人がここにいないということは、そのまま別れを示している。学年が違う人と、偶然校内で会うには確率が低すぎる。とはいっても、いるかわからない人に会うために夏休み中、毎日学校にくるのも何となく気が引ける。俺だったらそんなやつ絶対に引くだろう。だったら、チャンスは今日しかない。…そう思ったんだけどなぁ。

「…何やってんだか」

結局、いつもそうだ。なにをやっても空回り。後悔ばかりが積み重なって、重たい腰をあげる勇気なんて減って行く一方だ。

身体中を駆け巡る嫌な空気を少しでも追いやるようにため息をつきながら、指のフレームをゆっくりと上げる。すっと背筋が伸びていくのを感じた。

俺の唯一の趣味。

俺の唯一の安らぎ。

蝉の声も、溢れる光も、なにもかもがフレームの中に収まっていくようでーー


「うわぁ⁉」


突然、首筋に感じた冷たさにいままで出したこともない声がこぼれた。

勢いよく振り返ると、飛び込んできたのは赤いジャージ。

「おはよう、後輩」

思いっきり心臓が跳ねた音がした。全身から一気に汗が吹き出るようだ。

「さっき走ってきたのが見えたから自販機で飲み物を買ってきたんだ。いる?」

お茶とオレンジジュース、両手に一本ずつ握られているのは俺にどちらか好きな方を選んでもらおうとしてくれたのだろうか。

「……いただき、ます」

恐る恐るオレンジジュースを受け取ると、やっぱりジュースがよかったか、と興味深そうに頷きながらお茶をポケットにつっこんだ。


ーー来てた。また、逢えた。


俺はそのまま蓋を開けて、一気に喉へと流し込む。横で向日葵の葉を撫でる先輩に、鳴り止まぬ鼓動が聞こえないよう、わざと喉を鳴らしながら。

飲み終わるのを待っていてくれたのだろうか、そっと息をついて缶を口から離すと、先輩はぬっと覗き込んで聞いてきた。

「わたしは中条夕麻。お前は?」

「菅崎光輝…です」

こうき。そう、ポツリとつぶやいたかと思えば

「そうか!」

ぱっと、顔をほころばせる先輩。何か口を開こうとしたが、思わず息を止めてしまうほど近い距離でのその表情に、慌てて口を結ぶ。

「じゃあ菅崎。ひとつ、わたしの頼みを聞いてくれないか?」

屈んでいた腰を伸ばして、振り返った先に置いてあった指定鞄の中から取り出した物を、俺の目の前に突き出す。

「写真を撮ってほしい」

「…写真?」

そっと受け取ると、先輩は照れ臭そうに笑ってから向日葵の方へと向き直る。

「あぁ。この向日葵と、この場所と、この季節を。菅崎に撮って欲しいんだ 」

夏の音に負けじとクリアに響くその声が、風となって身体を貫く。

「どうして…俺に?」

恐る恐る聞いてみる。大事なこの景色を撮りたいのだったら、自分で撮った方がいいんじゃないか? そう、思って。

けれどーー

「写真、撮りたいんだろう?」

けれど、そんなもの先輩の笑顔の前では無意味だった。

暑く波打つ心臓が、言葉よりも早く返事をした。



"撮りたい"



強く、確かな形となって俺の頭を縦に揺らす。

返事を確認すると、じゃあ今日一日よろしくお願いします。そういって先輩は小さくお辞儀した。



「向日葵の世話をしているから適当に撮ってくれ。使い捨てのカメラ、あと一つバックに入っているから無くなったら勝手に取ってってもらって構わないからな」

返事の代わりに、バケツを持って校舎の方へと歩いて行った先輩の後ろ姿を一枚撮った。

揺れる黄色い畑を一枚。青空を写してもう一枚。しっかりと構えた先にある景色に、そっと目を細めてシャッターを切る。見逃したくない、焼き付けたいものを切り取っていくように。

いつのまに帰ってきたのだろうか。レンズの向こう側では、先輩が向日葵に水をあげている。ちょうど日陰をでた場所で、光を反射した水が喜ぶように輝く。気づくと、俺は先輩のあとを追うようにレンズを向けていた。




"菅崎。お前、将来やりたいことはないのか?"



唐突に聞こえてきた、担任の言葉。

うるせぇな。…邪魔すんなよ。

やりたいこと?

ないわけないだろ。そんなん昔からずっとーー



「光輝」


ーーーーへ?



「光に輝く。と書いて、光輝で合ってるか?」

「…はい、そうですけど」

カメラを下げて直接、先輩の方をみるとカバンから取り出したもう一つのカメラを構えた先輩が、こちらを向きながら笑った。

「初めて会ったときと同んなじ顔だな」

シャッターを切る音と、風が吹いたのは同時だった。

「なに撮ってんですか、いきなり!」

「見てたら私も撮りたくなったんだよ。結構うまく撮れたぞ?」

だからって…。

そう続こうとしたのに、目が合うと同時にぐっと詰まった息に、なんだかばつが悪くなりそっと息を吐きながら視線をそらした。

ーー少しの沈黙が続く。

首筋を伝う汗が、地面に幾つか丸いあとを作った頃。

「光輝」

凛、とした声が空気を裂いた。

「向日葵の花言葉。光り輝く、と書いて光輝。お前と同じだろ?……どうだ、夏そのものだと思わないか」

一回、また一回と鼓動を打つ心臓が、この瞬間。もうこれ以上はないほど、強く揺さぶられた。

同じ…。この花の、花言葉と?

改めて向き直るその花は、堂々とまっすぐ伸びていて…とても、とても眩しい。こめかみのあたりが、なんだかすごく熱くなってきた。

「わたしはさ…去年、すごく迷ったんだ。…自分の進路、やりたいこと、何もわからなくって」

いったん言葉を切ると、先輩は昨日のように向日葵を見上げた。

見たことのある風景に、初めて会ったときの見透かされるような、射抜く瞳を思い出した。

「人に聞いては慌てて、また迷って。……実は、いまでも少し迷ってる。わたし、一人で寮に入って、大学行こうかと思っててさ」



"みんな、先に向かってる"



なんの迷いもないと思った。凛としたこの声に、俺みたいな弱さなんてないと思ってた。きっと、俺だけが迷ってて、みんなより一歩も二歩も遅れてるんだと思ってた。でも…違う。俺は、逃げてたんじゃなくて甘えてたんだ。この人は、まっすぐ先に向かってる。前を向いて、逃げ出さないで、ちゃんと自分で向き合っている。やりたいことがあるくせに、自分には無理だと決めつけて、周りと比べて落ち込んでる俺なんかとは…全然違う。



「でもさ、菅崎。…お前に会って良かったよ!」


良かった…?

いま、俺に会って…良かったって……。

唐突に言われた言葉が、どこか固いところを射抜いた。

聞き間違いかと、下を向いていた顔を上げるとーー



「ありがとう、菅崎」




昨日と同じ、なによりも眩しい笑顔があった。それはやっぱり、夏の空より、海より、向日葵よりも輝いていて。



とても。とても、鮮やかだった。





「写真、ありがとね」

先輩は、カメラを受け取ると少し名残惜しそうにバックへとしまった。夏の始めなのに、なんだか終わりのように切なく思えてくる。なんとなくだけど、もう会えないだろう。そう思った。明日からは、俺は夏休みの課題に追われるだろうし、先輩はこんなにゆっくり向日葵の世話もしなくなるだろう。なんてったって受験生なのだから。

「昨日…気づいてたと思うんですけど。俺、進路関係で呼ばれてたんですよね。聞かれても何も答えられなくて…なんか家にも帰りたくなくて……。それで、あんなとこいって…。でも、それで先輩に会えて…。その、なんていうか……良、」

目の前が一瞬、白く変わる。不意打ちにシャッターを切られた。

「ちょっ…先輩!」

きっとすごく恥ずかしい顔をしていたであろう瞬間は、まんまと写真におさめられてしまった。やられた…。そういえばカメラは二つあったんだった。意地悪く笑う先輩は、もうしないよ、ともう一つのカメラもバックにしまう。

「シャッターを切る菅崎の横顔、すごい綺麗だった。背筋も伸びてて…本当、向日葵みたいだったよ」

ありがとう。そういって差し出された右手をそっと握った。



それじゃあ。

はい。

宿題、ちゃんとやんなよ。

はい。

夏バテなんかになんなよ。

はい。

じゃあ…。



そっとほどきかけた手。



また、見過ごすんだろうか。

また、後悔して、へこんで、次もまたそうやって…。

駄目だ。そんなのもうやめだ。そんなのもう二度とーー



「先輩!」

ほどきかけた右手を、しっかりと掴んだ。少し驚いたように大きくなった目を離さないように、真っ正面から捉える。

「先輩の受験が終わったら…そしたら、二人でどっか遊びにいきませんか⁉ …合格祝いっていうか、なんていうか…」

終始視線を泳がせる俺と変わって、噴き出すように先輩は笑った。

「合格祝いか。じゃあ…頑張らなきゃだな。落ちたら、合わせる顔がないからな」

約束。そう言ってから離された右手は、まだほんのりと熱を帯びていた。




手を軽く降って別れると、先輩とは別の方向へと、振り返らずに走った。

もう一度会うときには、もっとちゃんと、胸を張って会いたい。初めてと言っていいほどの強い感情が、俺の足を軽くさせた。

まずは何をやろうか。これから何をしようか。とどまることなく溢れ出す気持ちに突き動かされながら、まだ見えもしない先に向かって走り出す。背筋を伸ばして、上を見上げて。不安や悩みも、全部全部抱えながら。




前へーー。

前へーーーーー。







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― 新着の感想 ―
[良い点] 思春期の迷い焦り、そして主人公の成長を上手くまとめていると思います。 [気になる点] ヒロインの描写が少なく想像しにくい。 [一言]  読んだ後すっとするような、自分も何かあるんじゃない…
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