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男前な彼女と振られ男。

作者: 流偉

 私こと吉井涼子には気になる異性がいる。


 「ああぁぁぁぁ・・・もう・・・」


 その異性が目の前で死にそうな顔をしてうなだれているのだがどうするのが正解だろうか。



 私は自分で言うのも何だが出来る女だ。いい高校からいい大学に入りいい会社に入ってそれなりにいいポジションを得ている。

 

 対して彼、神田祐平は大学生だ。3回生と聞いているから二十歳か二十一歳かそこらだろう。


 どうして神田君に惹かれたのかはわからない。長身で優しげな容姿を持った彼は5つも年下だし、何より恋人がいることも知っている。朝たまたま顔を合わせたときに見せる笑顔がかわいいとか、挨拶してくれたときの声が好みだとかはあるが、決定的な何かがあったわけではないはずだ。


 会えたときに嬉しいと、挨拶をすることが楽しいと、そう思ってしまったのだ。



 「こんなところで何をしているんだい?」


 声をかけると、神田君はゆるゆると顔を上げた。目も耳も顔も真っ赤だ。酒でも飲んでいるのだろうか。


 「いやぁ・・・鍵がなくて入れないんですぅ・・・」


 情けない声を出してふたたびうなだれる神田君。


 「はぁ・・・君はそんなに情けない子だったかい?」


 そう言って頭を振る。なんと言えばいいだろう。弱っている神田君は正直かわいい。


 「仕方ない。私の部屋に来るといい。お茶ぐらいなら用意させてもらうよ」


 気がついたらそんなことを口走っていた。我ながら思い切ったことを口走ったものだ。


 神田君は迷った様子だ。彼は男、私は女だ。そのあたりのことを気にしているのかもしれない。


 「えっと、遠慮させ」


 「遠慮することはないさ。まだ肌寒い。そんなところにいたら風邪をひいてしまっても知らないよ?」

 

 断ろうとする神田君を遮って続ける。


 「君に私を襲う度胸があるとは思えないな」


 年上というのはつらいものだ。いつだって相手より余裕があるように振舞わなければならない。神田君に惹かれるまで恋愛というものをしたことがなかった私だ。実は手のひらも背中も汗だくだし、顔も熱い。彼に気付かれていやしないかと思うがどうやら気付かれずにすんだようだ。



 男を部屋にあげた挙句、シャワーを浴びる。


 まともな男性経験もないくせに我ながら思い切った行動に出たものだと思う。思い返せばスーツ姿以外で彼と顔を合わせたことはないのではないだろうか。


 「・・・」


 鏡の前に立って、自分の姿を頭の先からつま先まで見る。前髪は眉の上で揃え、それ以外は顎のラインでそろえた髪。二重だが誰から見ても厳しく見えるだろう目に高めの鼻。薄めの唇。女にしては多少高い身長。無駄に育った胸。大きい尻。


 神田君の恋人は数回見たことがある。小柄で、やわらかそうなふわふわとした髪に優しげな瞳をした私とは正反対な女の子だった。身長が高く、優しい顔立ちをした彼とは本当にお似合いで、私の入る隙間など微塵もないのだと思った。



 リビングに戻ると、落ち着かない様子の神田君と目が合った。異性と二人きりになるのが初めてではなかろうに緊張した風だ。実際にはこちらの緊張も相当なものなのだがそこは年上の意地である。


 「それで?なにがあったんだい?」


 実際はもう見当がついているのだが、あえて聞く。


 「わかりますか・・・?」


 わかるとも。


 「まさに女の子に振られました、といった顔だね」


 以前、同僚が恋人と別れたときと同じ目をしていた。先ほど神田君を見たときにもしやと思ったが、事実だったようだ。


 「・・・」


 神田君は黙り込んでしまう。言うべきか言わないべきか、迷っているのだろうか。それとも、私には言いたくないのだろうか。


 「無理にとは言わないさ。君が話すというなら私が聞こう」


 こういう場合、吐き出してしまったほうがいいと私としては思う。


 少しの逡巡の後、神田君は少しずつ話し始めた。


 ◇


 私は嫌な女かもしれない。


 結論から言えば神田君は恋人と別れたのだという。もとは幼馴染だった二人は彼女の告白により恋人になった。しかし恋人として2年を過ごすうち、少しずつではあるがすれ違いが生じてしまっていたという。

 

 「思えば、僕たちは一度も喧嘩をすることがなかったんです。」


 恋人や友人同士の喧嘩は互いの仲を深めるためには必要なことだと聞くが、この年になってもそこまで親しい友人もいないしましてや恋人などいたこともない。


 神田君は真に彼女のことをわかってやれなかったのだと言う。穏やかに付き合ってきたつもりが、本当のは相手のことをわかってやれていなかったのだと。


 本当にそうだろうか。


 神田君とその恋人の彼女が一緒にいる場面は私は何度も見ている。幸せそうだった。神田君も彼女も本当にお互いが好きで、想いあっていて、それを見るたびに私は心を爪で引っかかれるような気持ちになっていた。


 恋とは、愛とは、どういうものなのだろうか?


 「結局、僕はダメな男でした。振られて、女々しく嫉妬して、酒に逃げて、でもあまり酔えなくて、何も忘れられなくて、鍵を落として、吉井さんにこんな話までして」


 私は出来る女だ。だが、こんなときにどうすればいいのかなんてまったく学んでこなかった。涙混じりに話す神田君にどう言葉をかければいいのかすらわからないのだ。


 ふと思い出した。つらいとき、悲しいことがあったとき、母はいつも私にどうしてくれただろうか。私はそっと神田君に近づき、頭を胸に抱いた。


 「辛かったな」


 そのまま頭を撫でる。


 「辛かっただろう。でも、悪くない。君は悪くないんだ。」


 どうやって慰めればいいかはわからない。だけど私が小さなころ、母は私が泣いているといつもこうやって胸に抱きしめて頭を撫でてくれた。不思議と辛いことも悲しいことも胸の中から消えていくような気がしていたものだ。


 「よく頑張ったな」



 神田君はそのまま眠ってしまったようだ。名残惜しいがそのまま神田君の頭を離しソファーに寝かせ、毛布をかけてやる。そっと寝顔を覗き込むと、神田君は眉根を少しひそめた。先ほどまで涙を流していた瞳は今は閉じられているが、はっきりとわかるほど腫れている。


 頬に触れたい衝動に駆られるが、起こしてしまっては可哀想だ。ふと嘆息して洗面所へ向かうと、火照った顔を水で洗い流す。冷たい水が心地よい。


 鏡を見る。見慣れた自分の顔がいつもより歪んで見える。気付いているのだ。今自分の心に渦巻く汚れた感情に。

 

 なんて嫌な女。神田君が失恋したと聞いて、傷ついた彼を見て、自分の胸で泣く彼を見て、嬉しいと思ってしまった。現に鏡に映る自分の顔は歪に歪んでいる。


 悪魔のような顔をした私が囁くのだ。これでチャンスが回ってきたじゃないかと。彼が自分のほうを向いてくれるかもしれないじゃないかと。


 本当に嫌な女だ。



 けたたましく鳴る目覚ましの音。目を開けるとほぼいつもどおりの風景。違うのはソファーの上で神田君が寝ていることだけだ。


 顔を覗き込むと、泣き腫らしたまぶたの腫れは引いているようで穏やかな寝顔を浮かべている。じっと見ていたい衝動に駆られるがそうもいかない。


 普段どおりのエプロンを身につけ、朝食の準備を始める。今日は神田君の分も含めて二人分だ。いつもより気合の入った朝食を作らなければなるまい。


 「うむ」


 完成した朝食を前に満足の声を上げる。目玉焼きにわかめの味噌汁、ご飯。シンプル・・・というのは少し寂しいが仕方ないだろう。


 朝食もできたことだし、そろそろ神田君を起こさなければ。しかし顔を覗き込むとまだ起こすのがもったいなく感じてしまう。


 「恋、か・・・」


 口に出してみるとそれが驚くほど心に染み込んでいくのがわかった。そうだ、私はこの彼に恋をしているのだと、吉井涼子のすべてが肯定している。それと同時に、私は神田君にとってどういった存在なのかという不安も一緒に襲ってくる。


 初めての感覚だ。彼を知りたい。私を知って欲しい。でも彼を知るのが怖い。知ってもらうのが怖い。


 「本当に幸せそうに眠って・・・」


 私がこんなにもぐるぐると思考しているのにこの男はまだ眠りこけている。そう思うとなんだか腹が立ってきた。


 「てい」


 鼻をつまんでやる。


 「んん・・・ぁあ?」


 なんだその声は。


 「目が覚めたかい?」


 そう言うと、神田君はソファーから転がり落ちそうな勢いで起き上がった。


 「す、すすすすすみません!」


 そこまで謝らなくてもよさそうなものだが。思わず笑ってしまう。


 「なに、かまわないよ。とりあえず朝食が出来ているから食べるといい」


 「あ、ありがとうございます」


 神田君はそう言うと向かいの席について箸を取った。同時に神田君の


 「(しかし、これではまるで・・・)」


 夫婦のようだ。


 これはまずい。意識した瞬間に一気に顔が熱くなる。とそのとき、正面からぐぅ、と大きな音が鳴った。神田君のお腹からだ。


 一瞬の静寂。


 「ハハハ!元気になったじゃないか!」


 私がこれだけ意識しているというのにこの間抜けさだ。胸の奥に渦巻いた汚れた想いであるとか、後ろめたさみたいなものはすべて吹き飛んでしまった。


 こんな彼だから。


 ひとしきり笑った後、コーヒーに口をつけ、神田君に問いかける。


 「どうだい、前は向けそうかい?」


 少しの間の後、神田君は視線を下げ小さな声で言った。


 「・・・はい」


 「声が小さい!」


 私がそう言うと、神田君は視線をはっきりとこちらに向けた。


 「はい!」


 いい返事だ。


 「よし!」


 自然と笑いあう私と神田君。神田君の心が少しでも晴れれば、と思ったが、どうやら私の心も晴れやかな気持ちになったようだ。


 ふと、神田君が時計に目をやる。


 「あああぁぁぁ!!!」


 どうしたというのだろう。そんな大きな声を上げて。


 「じ、時間!」


 私も時計を見る。午前8時30分だ。


 「ぬぁ!?」


 思わず変な声が出た。普段、私は8時25分の電車に乗っている。つまり遅刻は確定だ。なんということだ。人生25年、遅刻などしたことはないというのに。


 「や、やばいっす!俺今日1コマ目!」


 慌てに慌てる神田君を見ているともう遅刻などどうでもいいようなことではないかという気になってくる。


 「まぁ落ち着きたまえ神田君」


 バタバタとしていた神田君が動きを止めこちらを見る。


 「お姉さんと一緒に遅刻しようではないか」


 「いやいやいやいや!」


 失礼な。25年の人生でもっとも色っぽい声を出した自信があるというのに。

 

 「すいません吉井さん!今度お礼します!失礼します!」


 そう言うと神田君は駆け足でドアを開け、部屋から出て行った。バタバタとした足音の後、部屋を開けようとする音が聞こえた。開かないようだ。


 神田君よ、君は鍵を落として部屋の前に座り込んでいたのではなかったのか・・・?


 「ふ、ふふ」


 笑いがこみ上げる。たった1日でこれだけ笑ったのは初めてかもしれない。


 「好きだよ、神田君」


 ぼそり、とつぶやいてみる。


 「すいません!吉井さん!」


 「ぬあああぁぁぁ!!!」


 ガタンという音とともに突如神田君が再び我が家の扉を開けた。


 「ど、どうしたんだい・・・?」


 心臓が大きく跳ねている。


 「さ、財布の中にお金がなくて、通帳が家の中で・・・」


 「そ、そうか・・・」


 つまりはお金を貸して欲しい、と。


 「わかった。返すのはいつでもいいから」


 出来うる限りの平静装いつつ財布の中から千円札を数枚、神田君に渡す。


 「本当にすいません!助かります!」


 そう言うと再び神田君は私の部屋から出て行った。


 まだ、心臓は暴れるのをやめない。顔も熱い。


 「本当に、君という奴は・・・」


 この1日でどれだけの初めてを体験しただろう。一番笑った日も、一番ドキドキした日も。そして、自分の嫌な部分も自覚してしまった。


 「さて」


 私もいい加減出社準備をしなければいけない。出社すれば上司からは大目玉を食らうだろう。


 けれど、今しばらくはこの余韻に浸っていたい。この胸の鼓動も、顔の火照りも、今だけしか体験できないものだから。


 でも願わくば、もっと多くの初めてを体験したい。


 初めて、恋をしたのだから。

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