17:ミッションB-1
時間にしてほんの数分だったように思う。
まだ夜の闇が支配する道を、すぐにカイは戻ってきた。自らのローブの下に隠すようにして持ってきたローブを、カイは汐里に差し出した。
「はい、どうぞ。お嬢さん」
「……御親切に、どーも」
理由も聞かずにローブを貸してくれるのは非常にありがたいが、素直にありがとうといえなくなる『お嬢さん』発言に、汐里はうろんな表情でカイを見た。
「お嬢さんって……。黙っててくれるんじゃあなかったの?」
受け取ったローブをすぐに頭からすっぽり被った汐里は、カイを見極めるつもりで相手の出方をうかがった。カイは、予想に反し、いたずらっぽく微笑んだ。その緑の瞳と目が合って、ふいをつかれてどきりとした。
「僕は、良い人だからね。もちろん黙っているよ」
自分で自分を良い人なんて言う奴は、胡散臭い。
出そうになった言葉を、苦いものでも飲み下すように努力して飲み込み、汐里はわざとらしく咳払いをひとつした。
「黙っていてくれるならいいの」
「そう? じゃ、人の良い僕からもうひとつ忠告」
何をいわれるのかと身構えると、ふっと汐里の正面にぐっと近づいたカイは、汐里の髪を痛くないくらいの軽さでついと引っ張った。
「な、何?」
無言で微笑む天使の顔に、汐里は盛大に走って逃げたい衝動に駆られる。文句なしに美形、の整いまくった顔を間近に見るのは、中々心臓に悪い。自分は何も悪いことをしていないはずなのに、ごめんなさいと言いたくなってしまう。
汐里の気も知らないで、カイはその表情を困ったような微笑に変えた。
「この髪は地毛なんだね」
汐里の無言を、肯定ととったカイは、続けた。
「髪が短い女性は、神官に見付かるとまずいよ。テンペスタス国内は、女性で髪が短いのは罪人なんだ。君は違うだろう、シオドリクくん?」
神妙な顔でこっくりと首を縦に動かすと、カイは滑らかな動作で汐里の髪から指を離した。
「本当のことがばれないように必死にならなければいけないよ。言葉や仕草にも気をつけて」
「わかった。でも、ばれるとどうなるの?」
「……とにかく、元の場所に帰ったほうがいい」
笑顔に押し切られる形で、汐里は仕方なく頷いた。
帰りたいけど、帰れないときはどうすればいいだろう。バーバラを見捨てたくはないし。カイルのことは許せないし。元の世界には戻りたくないし。
「元の場所には、まだ戻れないの」
唇をかみ締めて言うと、カイが困った様子で自分の後頭部を手をやった。
カイは本当に親切心から忠告して助言してくれたし、ローブも調達できた。これ以上甘えるわけにはいかない。汐里は出来る限りの元気を寄せ集めて、なんとか微笑みを浮かべた。
「ありがとう、カイ。帰る前に用事を済ませないといけないの。だから、ここにいる間は、ちゃんと気をつけるよ」
まさか神殿の黒ローブを着ているカイに、今から魔女として捕まっているバーバラを逃がそうとしています、などといえるはずがない。親切なカイに嘘をついている、という罪悪感が小さな棘のように心に刺さって痛んだが、仕方がない。
汐里の気を知ってか知らずか、カイは小首を傾げて、波打ちきらめく白金の髪を揺らした。
「本当に?」
「うん。本当に気をつけマス」
冷や汗を垂らしそうになりつつも、力強く返事をした汐里の手を取ると、何か自分の手に持っていたものを握らせた。
「何?」
手を開くと、そこにはつややかな琥珀が中心に据えられたペンダントが載っていた。触れると折れてしまいそうに繊細な透かし彫りの金細工は、琥珀を囲うように円形を描き、花……小さなラッパ型の花が縦に連なっている……が模られ彫られている。
「お守りだよ。君にあげる。かわいいシオドリクくん」
蕩けるような天使の表情に、汐里は再び盛大に走って逃げたい衝動に駆られた。
毛穴が一斉に開いて、ぶわっと体中から変な汗が出た気がして、汐里は回れ右をした。
「あ、ありがとう」
かわいい、などと面と向かって言われたのは産まれて初めてだったので、耳まで赤くなってしまうのは仕方がないと思う。
どちらにしろ、性格的に自分がかわいくないのは、自分自身が一番よく分かっている。それでも、照れるものは照れる。さっきまでは、何ともなく見れていたカイの顔を直視することが、全く出来なくなってしまった。
動揺したままの汐里が、ぎこちない仕草でペンダントを首から下げるのを微笑ましそうに眺めていたカイは、ふいに顔を上げて汐里の背後の茂みを見つめた。
「誰かいるのか?」
厳しい口調で問いかけると、茂みが大きく揺れた。汐里にも緊張が走る。
しかし、現れたのは陸だった。
「陸っ。なんでここに?」
問いには答えずに、陸は汐里の服装と、その隣に佇むカイを交互に見た。カイにはすぐにその視線の意味が分かったらしく、肩を竦めてみせた。
「そこの君が敵意剥き出しなのは、僕がこの服装だからかな。困ったものだね。神殿は大分、嫌われているらしい」
その割にはおもしろそうな表情でため息と共に言うと、カイはローブの裾を翻して二人に背を向けた。
「じゃあね、シオドリクくん」
ひらひらと軽く手を振って、颯爽と去っていった。
「カイ、ありがとー!」
遠ざかっていくその背に向かって、汐里は大声で叫んだ。声はちゃんと届いたらしく、カイは振り返ってひとつ大きく手を振ると、また歩いていった。




