15:ミッションA‐2
嵐が去ったように、再び静寂を取り戻した天幕の薄闇の中、汐里はなんとかその場から立ち上がった。
産まれたばかりの子羊のごとくおぼつかない足取りで、それでも慌てて天幕の入り口に走り寄った汐里は、見覚えのあるチョコレートブラウンの長い髪が目の端に映って、きつくこぶしを握り締めた。
クリフォードの部下の一人が、ぐったりと気を失ったバーバラを荷物のように肩に担いでいた。
口にはさるぐつわ、目はその魔力を使えないためにか神殿の紋章の入った布で塞がれている。頬には大きな青痣が見えた。
殴られて腫上がっているのだと一目で分かった。
頭にかあっと血が上って行くのが分かった。
すぐに振り返って、カイルに訴える。
「カイル! バーバラさんが連れていかれたよ!」
その光景を見なくとも、クリフォードの言葉を聞いた時点で、カイルはバーバラが捕まったと確信を持っていたのだろう。その目で天幕の向こう側を見据えていた。
「分かっている」
走り寄って、カイルの手を乱暴に取った。
「ねえ! 今すぐ助けないと──」
「だが。仕方のないことだ」
汐里の言葉を遮るように、静かでいてきっぱりとした声がはっきりとそう言った。
ガツン、と。
頭をハンマーで強烈に殴られた気がした。実際は、殴られてなどいないが、カイルの言葉に打ちのめされたのは間違いなかった。
「なに、ソレ」
自分の声だと思えないほど、小さな声が漏れた。
「バーバラが暴走した結果だ。自業自得。うちの屋敷に使者まで来ているのに、その使者達はクリフォードの一団に帰らなかった。あげく、戻ってきたかと思えば、その二人がここで怪我人の手当てを手伝っていた。誰の目にも、バーバラが何かしたのは隠しようがない事実だろう」
二の句が次げない汐里に替わって、陸が口を開いた。
「カイルさん。バーバラさんは同士だって、前に言ってたじゃないですか」
以前からカイルとは知り合いだったらしい陸も、いくらか力強く訴えてくれたが、返ってきたのは更に汐里が肩を落として落胆するようなものだった。
「神殿には逆らえない。バーバラも分かっているはずだ」
驚きで、開いた口が塞がらなかった。
「なに、ソレ。サイテー」
次第に、悔しさで喉の奥から熱いものがこみ上げてきた。
ぐっと溢れそうになった涙を堪えて、ぐいと手の甲で目元を拭う。ショックでうつむいて立ち尽くした。
「ひどいよ」
ポツリとつぶやいたとき、カイルがついと手を伸ばしてきた。
「どうした、大丈夫か?」
少し前だったら、自分を心配してくれているんだと思った声も、今はひどく冷たいものに聞こえて、汐里はその手をはねのけた。
パシンと乾いた音が辺りに響いた。
「ひどい。そんなに冷たい人だと思わなかった」
悔しかった。
自分は何も出来ないんだ、と思い知ることが。
再び涙がこぼれそうになって、握りこぶしを爪が食い込むほどきつく握った。
「……なんとでも言ってくれ。神殿には、まだ目をつけられるわけにはいかないんだ」
そっとカイルが汐里から興味を失ったかのように、数歩離れて横を向いた。淡々としたその口調が、また余計に悲くて、無性に腹がたった。
「だから、『仕方がない、あきらめろ』ってゆーの!?」
勢いよく顔を上げて、カイルに詰め寄る。
「臆病者! サイッテー! あんたの体には、ブルーベリーソースみたいなまっ青な血が流れてんのよ! この冷血人間っ」
ぷっと、場違いに笑い吹き出す音が聞こえて、汐里はそちらに反射的に顔を向けた。
「あ、ワルい」
真剣に怒っていた汐里は陸を素早く睨んで黙らせ、カイルに視線を戻して、キッと睨んだ。
「いろいろ助けてくれて、ありがとう。でも」
何を言い出すのかと、カイルが正面で眉根を寄せた。少し迷ってちょっと俯いたが、顔を上げて声に出した。
「もうあんたの世話にはならない」
間近にいるカイルの表情は、心配げに汐里を見返していた。
──もう、何を言われたって、こんな冷血男にかまうもんか。
心に固く誓って、汐里はカイルに背を向けた。
「どこへ行く」
すぐにその背にカイルの声が聞こえたが、聞こえないふりをして汐里は出口に向かってぐんぐん歩いた。
だが、すぐにカイルに腕を捕まれて、ぐいと後ろへ引き戻された。
「ど、どこでもいいでしょ。あたしがどこへ行こうが」
堪えた涙が、目の際から流れ落ちそうに溜まっている。
汐里は、うっかりカイルを見て涙がこぼれてしまわないように、自分の足元に視線を落とした。
「カイルには関係ないんだから。……放して」
カイルの手を振り払おうと、腕を振った瞬間に目が合ってしまった。
ぷっくりと膨らんで重力通りに下へと落下した涙は、頬を冷たく伝った。カイルに見られたくなかったが、もう遅い。
汐里の涙に驚いたカイルは、汐里から目を逸らさないけれど、呆気にとられて固まっている。
力を込めて振りほどかなくても、汐里の腕から簡単にカイルの手はするりと解けた。
ついでとばかりに、冷静にと自分に言い聞かせて息を整えて、カイルを見た。
「カイルが何もする気がないんなら、あたしだけでもバーバラさんを助ける」
そう言うと、くるりと背を向けて外へと一目散に走った。
泣いてるところを見られるのが、バーバラを見捨てたカイルだと思うと本当に悔しかった。
とにかく、カイルから一刻も早く遠ざかりたい。
「シオリ」
後ろ髪を引くようにカイルの声が届いたが、汐里はそれを振り切るようにさらに走った。
汐里が出て行き、呆然とその場に立ち尽くしていたカイルの肩に、背後からぽんと手が置かれた。
「大丈夫ですか、カイルさん」
「あ、ああ」
ようやくカイルが首を動かして、横に立つ陸に注意を向けた。
「オレが走って、あいつ連れ戻してきます。長の手当てをお願いします!」




