13:混乱は神殿からやってくる④
腰が抜けて動けないと言った汐里に対し、陸は鼻でせせら笑った。
「腰が抜けた人間、初めて見たよ。オレ」
カチンときた汐里は、鼻で笑い返してやった。
「ふーん。あ、そっか、わかった。そっちだって動けないだけなんでしょ。無理しないほうがいいんじゃなぁい?」
厭味をおまけにつけて返された陸は、立ち上がれない汐里をキツイ視線で見下ろした。
「誰がなんだって?」
挑発に乗った陸が睨んでいるが、さっきのバーバラを思えば怖くもなんともない。ちくちく刺さる視線なんて可愛いものだと感じてしまう。
「人のこと鼻で笑ってるけど、さっきからそこを一歩も動いてないよねぇ?」
にやりと笑いを浮かべて言ってやると、やはり痛いところを突いていたらしい。陸がとたんに渋面になった。しかし、それがどうした、と次には言った。
「腰を抜かした奴よりは、断然マシだろ」
ふんと、鼻息も荒く居直った陸に、汐里は口元に張り付けたような笑みを浮かべて睨んだ。
「はあああぁ? ぬわぁに、ソレ」
「オレはここにちゃんと立ってるし、歩ける」
「歩けるもんなら、歩いてみなさいよ。あたしが、しっかりここで見てるから!」
お互い口元には不敵な笑み。ふふふふふ、と笑いを浮かべた二人は、膠着状態でしばらく睨み合った。
「ぅぅう」
しかし、長の呻き声が小さく響き、二人共はっとして入り口側に横たわるその姿を見た。
陸が慌てて一歩を踏み出そうと足を動かしたが、やはりうまく動けないようだ。歩き方がロボットのようにカクカクしていてぎこちないし、どうやら足が少し震えている。
認めるのは癪に障るが、動けるだけ確かに汐里よりもマシかもしれない。
「仕方ないよね。バーバラさん、別人みたいだったし」
表情もいつものバーバラではなかった。血のように赤く変化した瞳と、バーバラのまわりを取り巻いていた力は鳥肌が立つほど怖かった。ねっとりと重たい空気は、近くに寄ると押し潰されそうな圧力を感じた。
「魔法って、もっとなんかふわっとしていて、おとぎ話に出てくる夢みたいなものでしかなかったけど……」
圧倒的な力を感じた。
「夢のように可愛らしいものじゃなかったな」
独り言のつもりで呟くと、なんとか歩いて包帯や消毒、添え木を持って長の所へと戻った陸が、振り向き様にちらと汐里を見た。
「人が使うものだから、結局はそれを持った奴がどう使うかが問題なんだろ。銃とか剣とかみたいにさ」
汐里の言葉を拾った陸が、同じくポツリと呟くように言った。
「武器っていうこと?」
小さく頷いた陸は、長の方に向き直ると慣れない手つきで慎重に手当てしはじめた。
「オレも、黒い服の男達を見て殺してやる……って、正直思ったよ。実際に短刀も出したし。でも、ライジンの森に行けって、あの人が命令してるのを聞いてて、背筋がゾッとした。やばい、オレも人を殺すところだった、って」
陸は、この世界へ来てから覚えたのか、添え木をしたりする手つきは危なっかしいが、薬草の知識はあるようでちゃんと選んで使っているように見えた。陸はこちらに背を向けたままだったが、汐里はその後ろ姿を眺めながら話を聞いていた。
心なしかその陸の背中はしょぼんとして萎れて見えるが、初対面の印象が悪すぎる。優しい言葉をかけてあげようという義理は、それほど感じなかった。
第一、今だってそうだ。腰を抜かしたまま放っておかれて喜ぶ人間がいるだろうか。いや、いないはずだ。汐里は、仕返しに少し意地悪を言うことにした。
「そーだよねー。いつの間に出したのか、ナイフを手に持ってたし。あたしが止めてなきゃ、やってたかもねー」
少しちくりと仕返しをするつもりで言ったのだが、しばらく陸は黙って長の手当てをしていた。
予想していた反撃も返ってこないので、言い過ぎたかと汐里が反省していると、陸がようやく口を開いた。
「なんか──そんな、人殺しなんてしたら、帰れなくなれそうだよな」
帰るという単語が飛び出し、ぼんやりと陸が手当てしている様子を見ていた汐里はきょとんとした。
「え?」
一拍置いて、ああ、そういえば普通はそうだよね、帰りたくなるよねー、と心で頷く。家に帰りたい、とは、今のところ汐里には思えなかった。
この世界に居ることを後悔するほどのひどい目に、まだ遭っていないからかもしれない。確かに巨大な虫も怖かったし、火事も、バーバラの魔法も怖かった。
けれど。
怖い思いをしても、現実のあの母親のいる世界の方がずっと嫌だった。
「……ふぅん。そっか。帰る気あるんだ」
「お前、ないのか?」
陸の手前、一応考え直してみたが、唸っても何も出てこない。友人リカが心配していないかどうかが唯一、気になるぐらいだ。
「あんまりないかも。帰れるとも思えないし。だって、一年と三ヶ月? いや、四ヶ月かな。そのぐらい経ったのに、あんたも帰れてないし」
汐里の発言で気分を害したらしい。陸は軽蔑の眼差しで汐里を見た。何も言わなくともその目が「サイテイ」だと語っている。
「オレは帰りたくて、もっと昔にここに落ちてきた長とかこの村の連中に、散々聞いてみたけどダメだった。ここへ落ちてきて帰った奴はいないってさ」
この村に着いたときのバーバラの発言に続き、陸もまた『落ちてきた』という。汐里はふと気になって聞いた。
「ねぇ。この世界に落ちてきた覚えがあるの?」
「……お前、ないのかよ」
心底、気の毒な生き物を見るように可哀想な目で見られ、さすがに汐里は心地悪くなった。しかし、そんな記憶は逆立ちしたって出てこない。ないものはないのだから、どうしようもない。初日の夜に、人並みに考えてみたと思う。だが、頭を捻って考えたところでそもそも存在しない記憶など思い出しようがない。
飲んだこともないお酒を飲み、酔ってしまっていたので、目が覚める前がどうだったかなんてさっぱり分からない。だって、絶対にずっと寝ていたし。
「ない。目が覚めたら異世界で虫に追われて、食べられそうになったもん」
「思うに、あれは虫への生贄なんじゃないか。村の連中は口を揃えて、この世界に落ちてきたと思ったら、ライジンの森で熊みたいなでかさの虫に襲われたって言ってたし」
陸の発言で熊みたいなでかさだったカマキリ蟻を思い出し、汐里は恨みっぽい視線で陸の背を睨みつけた。
「ちょっと、やめてよ。あたしはまだアレを見てからそんなに日にちが経ってないの。すっごいリアルに思い出しちゃうじゃない!」
虫は平気だが、あの大きさとグロテスクさは気持ち悪かった。普段、小さな虫ではよく見えないような細かな模様や質感、触覚、足などが動く様と音は、出来れば記憶の底から消し去ってしまいたい。
「バーバラ! いるのか?」
天幕入り口から顔をのぞかせたのはカイルだった。
「カイルさん」
入り口のすぐ横に居た陸は、その声に顔を上げた。
汐里も、急に飛び込んできた声にそちらを見上げるとカイルと目が合った。その端正な顔が煤で汚れて所々黒くなってしまっていた。
「シオリ!? なぜここにいるんだ?」
驚いて駆け寄ってきたカイルは、腰が抜けて立ち上がれない汐里をひょいと子供を高い高いするときのように持ち上げて近くの荷箱の上に座らせると、改めて陸と汐里を見た。
「あいつ、また暴走したのか」
苦虫を噛み潰したような表情で言うとカイルはまたこちらへと目を向けたので、汐里はようやく口を開いた。
「向こうはもういいの? 火は消えたの?」
「ああ。もう後片付けをしている。村の連中が動くのが早かったから、火も森のほうへは移らなかった。ところで、汐里。なぜここへ?」
カイルはやや焦った様子で、尋ねた。
「なぜって、お手伝いにバーバラさんと一緒に来たの。それで、怪我した人の手当をして」
「とにかく、事情を説明する時間がない。汐里はコレを羽織って、何か聞かれたらオレに町で保護された、何も覚えていないと言ってくれ」
汐里に自分の汚れてしまった上着を着せると、いいな、と念を押した。




