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小説

ノーカット

作者: ちりあくた

 E5系はトンネルに差し掛かり、車窓の田園風景は影を潜めた。代わりに現れたのは、疲弊に染まった灰色の顔面。それをじっと見つめていると、記憶はおもむろに過去へと遡っていく。ふと脳裏に浮かんだのは、学生時代の風景だった。


 高校時代のことだ。私と友人の田島は、「オカルト研究部」という奇怪な部活に所属していた。

 とはいえ、真面目にエセ魔術やインチキ心霊現象を調査していたわけではない。「研究」のお堅い二文字を掲げておきながら、実際の活動内容は「帰宅」であった。全生徒に入部が義務付けられている我が校では、死んだ魚の目をした生徒達がこぞって門戸を叩いていた。

 田島と私も、惨めな魚群のうちの一匹だった。カーストの波に揉まれて打ち上げられ、そうして底辺の最終処分場、「オカルト研究部」へとやってきたわけだ。

 回想すれば、頭を壁に打ち付けたくなるような過去だ。しかし当時の私たちは、「ごく自然の流れなんだ、悪いのは環境であり、自分は元々の胆力を発揮できず、ここまで落ちざるを得なかったのだ」という自己暗示により乗り切っていた。


 そんな「きたくぶ」とルビを振りたくなるような哀れな部活にも、「さすがに活動をしなければまずい」という顧問のなけなしの使命感が働いていたらしい。そうして月に一度、目的不明のミーティングが開かれていた。顧問がWikipediaで漁ってきた怪奇現象や伝承を、三十分ほど聞かされるだけの至極つまらない時間だ。おそらくこれを地獄の刑罰に加えても、他の八大地獄に引けを取らないだろう。

 当然我々はこの会を嫌っていた。部員たちは早急な帰宅を求めて入部してきたため、「活動」の字面を目にしただけで、動きのないグループラインにはブーイングのスタンプが送られ続けた。


 あの日も例に及ばずミーティングが開かれた。確か晩秋の一日だったと思う。その年は気温の変化が激しく、秋の存在を確かめられる景色は皆無だった。私たちは仕方なく、夏から冬へとバトンタッチする僅かな間隙を「秋」と呼んでいた。

 田島は夏に姉を交通事故で亡くしていた。以前までは誰彼構わず姉の愚痴を垂れ流し、「三回くらい死んだほうがいい」と酷な陰口を叩いていた彼であったが、現実の死は一回きりでも彼に効いたらしかった。姉については、「この前事故で」と無表情で私に告げた後、一切話題には出さなくなった。さらには、他人の会話中や英語の例文中でさえ、「姉」や「sister」の単語が聞こえれば顔を強張らせていた。

 だから、休み時間に偶然会った顧問から、その日のミーティングのテーマが「フォックス姉妹」だと聞いたときも、彼は引きつった作り笑いで「面白そうですね」と返事をしていた。言葉とは裏腹に、彼は理解を拒んでいるようだった。面白みというよりはむしろ虚無感を感じているように思えた。

 放課後。私たちはいつも通り、校舎最上階の端に位置する第三会議室へと向かった。そこは教室の三分の一の広さもないちっぽけな部屋で、オカルト研究部設立前までは物置としての存在意義しかなかったそうだ。だが悲しいかな、それくらいの規模や価値しかない部屋の方が、この部活にはふさわしく見えるのだった。

 前日、深夜まで往年のSF映画を眺めていた私は、潤んだ目を擦りながら部屋へ入った。


「フォックス姉妹というのは、えー……霊と交流できると告白したことで一大交霊ブームを引き起こし、近代スピリチュアリズムのきっかけを作ったとされる、十九世紀アメリカの姉妹のことだ。それと、彼女らは後に、超常現象・心霊現象の一つとされる、ラップ現象を起こす事ができる、言い方を変えるなら、死者の霊といわれる目に見えない存在と、音を介して対話や交信できる霊媒師、つまり霊能者だな、うん。それとして有名になり、その事が一大センセーションを巻き起こした」


 西陽が射し込む小部屋に三十分ほど、お経のように平坦な声が響いていた。顧問はほとんどの時間、俯いて手元の資料を眺めながら気怠げに話した。部員たちはしきりに頭を前後に揺らしながら欠伸を噛み殺していた。ここにいる全員が、自分たちがこんな辺境にいる理由、必要性を知らなかった。もちろんその場で疑問を呈する者はいなかったが。

 そうして怠惰かつ無駄な時間を終えた私たちは、待ち望んだ解散の時間を迎えた。いや、解散というよりは解放だった。部員の多くは荷物をまとめると、競争をしているわけでもないのに大急ぎで会議室から駆け出していった。私はその様子を見ながら「どうせ急いだってやることもないだろうに」と哀れんだ。が、数秒して、自分も同じ状況下にあることを認識して静かに息をついた。


 荷物をまとめ終わり、田島と私も彼らの後を追おうとした。だが、思わぬ邪魔が入った。


「すまん、田島、吉山。ちょっと頼まれてくれないか」


 声をかけてきたのは、会議室の端で後片付けをしていた顧問だった。「嫌です」と内心では即答したものの、現実でそんなことができる度胸は持ち合わせていない。おそらく顧問も、私たちが「イエス」しか言えないことを前提に頼んできたのだろう。


「はい、なんですか」

「この後生徒に数学を教えなきゃならないんだ。もう時間だから、この資料を名前順にまとめて欲しい。終わり次第、職員室の俺の机に置いといてくれ」

「あ、はい、分かりました」

「すまんな、押し付けちゃって。じゃ、よろしくな」


 罪悪感の「ざ」の字もないような声色で彼は言う。

 そうして顧問の足音が遠ざかるのを聞きながら、田島と私は部屋に茫然と立っていた。気づけば橙色の夕日は、廊下に繋がる扉にまで浸食域を広げていた。外の喧騒と、室内の静寂だけが残った段階で、田島は口を開いた。


「はぁ……吉山、やろう」

「ああ」


 私たちは机の上に重なった二つの束に手をつけた。顧問が授業中に配布した数学Ⅲのプリントらしい。とはいえ、当時の我々はフクソスウヘイメンなどという異言語を理解できるはずもなかったが。

 一通りまとめ終わる頃には、日は地平線上に少し頭を見せるだけになっていた。盛んに燃えていた陽光は、次第に黒々とした空気を纏ってきている。

 最後にプリントを持っていく人員が必要だったのだが、私はその役を買って出た。


「じゃ、持っていくから先帰ってていいよ」


 別に、二人仲良く職員室へ向かえばよい話だった。だが、どうしても気が進まなかったのである。

 当時の私は奇妙な考えを抱いていた。彼の姉が死んだ頃から、彼の表面に、外見をそっくり真似た皮が張り付いているんじゃないかと思い始めたのだ。少し暗くなった以外は特段変化のなかった彼だが、身内の死を経験しても飄々とした態度でいられることが私には考え難かった。


 私の発言に対し、彼は「ありがとう」と頷いた。そうして、背中の大半を覆い尽くすようなリュックを担ぐと、重たげにそれを背負った。「じゃ」といって教室から出ていく彼の背は、ひしゃげて円弧状になっていた。

 本当なら下を向きたいのに、前を向かなくてはならないから首を無理やり上げている。

 そんな風に感じたのは考えすぎだったのだろうか。


 映画ならここでカットインが入るのだ、と思った。


 昨日映画鑑賞をした影響だったのだろう。だが、それにしても唐突な思考だった。私は、私に対して驚きを隠せなかった。

 何か自分の本音と関係があるのかもしれないと直感する。大抵取り留めのない思考というのはそういうパターンが多い。一考する価値はあるな、と私は考える。


 確かに先程の状況は、映画だったら場面転換にぴったりなシーンなのだろう。彼の背中と、それを心配げに見つめる私。そこで場面は後日へ。

 彼は本来ならば、リュックを背負った後も長い帰宅路を辿り、家に着き、飯を食い、寝る。でも、それらは全てカットされる。物語には必要ないからだ。何か私たちの心情や関係性が変化するならともかく、代わり映えしない日常などエンターテイメントにならない。


 ……所詮、映画なんて転換点の寄せ集めなのかもしれないな。そう思った。

 自分の本音の捜索から始まった思考だったが、着陸地点はあまりに陳腐な映画論だった。


 これらの思考の中で、私はある部分が心にこびりついて離れなかった。


「彼はリュックを背負った後も、長い帰宅路を辿り、家に着き、飯を食い、寝る。」


 ちょうどこの時、彼はそうしていたのだ。カットも何もなく、代わり映えしない「田島」として、重い首を捻じ曲げながら。


 ……かわいそうだな。


 私は純粋な感情を抱いた。

 彼は今までも、これから先も、カットされて時が飛ぶこともなく、永遠に悲劇を背負い続けて生きていくのか。制服に着替える時も、学校で他愛無い会話をする時も、もちろん、さっきの部活だって。そんな無限地獄を味わうのだろうか。

 映画の主人公の憂鬱は、せいぜい二時間前後のちっぽけな代物だ。だが彼には終わりが見えない。

 もしかしたらいつかは、ふと悲劇を忘れるのかもしれない。だがそれは所詮、彼の記憶のみからの消滅である。事実は未来永劫、痛々しい胸の傷として残り続けるのだ。

 だとしたら、姉の死なんかよりも、彼の人生こそが悲劇だ。


 はっとして周囲を見ると、廊下はすっかり闇に覆われていた。私は自分らしくもない恥ずかしい思考回路に蓋をすると、急いで鞄を背負い、プリントの束を抱えて職員室へ走った。


 もちろんその後、新幹線に乗っている今もだが、カットが訪れることなどあるはずもなかった。

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