第六章 喧嘩日和(2)
「ううー。だめ。全然できないー。もう無理ー」
日和は目を開けて、あぐらを組んでいた足をほどいた。クーラーが効いた室内にいて、運動していたわけでもないのに、汗まみれになっている。何時間も祝福の訓練をしていたせいだ。
だが進捗は芳しくない。自分の意思で力を出すのはできるようになったのだが、量が全く調整できないし、出した力を引っ込めるのはいくらがんばってもできない。
『少し休憩にしましょうか。飲み物を取ってくるわ。何がいい?』
日和と彩葉のリクエストを聞いた若宮は、制御室を出ていった。
「あーもーほんと嫌んなるー」
日和は床に座ったまま背後に両手をついて、天井を見上げながらぼやいた。
「まだ訓練始めて二週間くらいじゃん。そんなすぐにはできるようになんないよ」
壁際の定位置から彩葉が声をかけてくる。
「でも二日目か三日目から全然訓練進まないんだよ? こんなに毎日毎日やってるのに!」
祝福の訓練は毎日続けた方が効率良く伸ばせるということで、日和が自力で力を制御できるようになるまで毎日やることになっている。
なので、平日だけでなく休日にも訓練があるのだ。しかも休日の訓練は約四時間で、平日より一時間以上長い。
それだけでもうんざりなのに、一週間以上全く進展が見られず同じことを延々と繰り返しているだけなので、余計に嫌になる。
正直、「もうやめたー!」と言って投げ出してしまいたい気分だ。というか、一昨日実際に「もうやだ! これ以上やりたくない!」と言って、若宮になだめられたばかりである。
けれど、どんなに嫌気が差しても、やめることは許されない。訓練を拒むと、拘束されて、刑務所のような環境で一日中訓練を強制されるそうなのだ。
それに比べれば、訓練は一日数時間だけで他は――学園内に限定されるとはいえ――自由に過ごせる、というのはまだましだ。
だが、まし、というのは、好ましい、からは程遠い。
毎日休みなく訓練を強要されるというだけでも、日和としては人権侵害を訴えたいところなのだが、残念ながら能力者の力の制御訓練は何よりも優先される、と法律で決まっているのだという。
能力者は一般人に比べて、自由を制限されることが多い。そのため人権団体からの抗議も時々あるそうだが、力を暴走させる能力者が怖いのは皆同じなので、能力制御訓練の強要に関しては人権団体さえ目をつぶっているという。
能力者を神の使いや生き神と崇める人たちの団体が、抗議してくるくらいらしい。
「飽きたよー。もう飽きたー」
足をバタバタさせて愚痴っていると、訓練室のドアが開いて、ペットボトルを三本持ったつなぎ姿の若宮が入ってきた。
訓練で日和が力を放出し始めてからは、若宮は基本的に制御室にいるのだが、こうして休憩時には訓練室に入ってくるので、毎日つなぎに着替えている。
「はい、田辺さん。これを飲んで気分転換してちょうだい」
カフェオレのペットボトルを若宮から受け取った日和は、蓋を開けてごくごく飲んだ。
「あー、甘さが脳にしみるー」
訓練でいいことといえば、無料で飲み物が貰えることくらいだ。
といっても、選択肢は、紅茶、緑茶、ほうじ茶、烏龍茶、コーヒー、だけで、ジュースや炭酸飲料はないのだが。集中力を高めて訓練に役立つ飲み物を飲め、ということらしい。
祝福を使うと頭が特に疲れる気がするので、日和はもっぱらカフェオレを飲んでいる。
「これで集中力を取り戻して、またがんばりましょうね」
彩葉にレモンティーを渡した若宮が戻ってきて、日和の向かいに座り、自分のほうじ茶のペットボトルを開けながら微笑む。
「えー、いくらがんばったってできるようになる気しなーい」
日和は頬をふくらませた。
「本条先輩がいれば自分で力制御できなくても何とかなるんだから、力の制御訓練はもう諦めて、先輩と四六時中くっついてるのに慣れて何も感じなくなるよう訓練した方がましかもー」
「馬鹿言ってんじゃないわよ!」
横から怒鳴り声が飛んできて、日和は驚いて彩葉の方を向いた。
「自力で制御できなくていいはずないでしょ! そんな意識でやってるから、力の制御が上達しないんじゃないの!?」
彩葉が立ち上がって、つかつかと歩み寄ってくる。日和はぽかんとその様子を見ていた。
彩葉がいつまでも日和についているわけには行かないのだから、と若宮にたしなめられるだろうと思っていたし、彩葉も呆れたり小言を言ったりするかもしれないとは予想していたが、怒るとは想像していなかった。
日和の元にたどり着いた彩葉は、腰を曲げて日和に顔を近づけ、指を突きつけてきた。
「いい? あんたは、絶対に、自力で力を制御できるように、なるの。それを頭の芯まで刻み込みなさい」
高圧的な口調に、日和はムカッとした。
「あたしにくっついてるのが嫌だからって、そんなに怒んなくてもいいじゃん。ちょっと言ってみただけで、別に本気じゃないし」
「本気じゃなきゃいいって問題じゃないでしょうが! 力を制御できなくてもいいとか、考えるだけでもありえない、って言ってんの!」
日和が彩葉と喧嘩するのはいつものことだが、彩葉はこれまで見たこともない剣幕で、日和は思わず怯んだ。
「落ち着いて、本条さん。田辺さんは、口ではあんなことを言っていても、訓練をがんばっているわ。だから、そんなに怒らないであげて」
若宮が仲裁に入ってくれる。
「田辺さんだって、本当はちゃんと自力で力を制御できるようになりたいし、訓練を真面目にやるわよね?」
若宮に視線を向けられて、日和は慌ててうなずいた。
「う、うん」
「ね? 田辺さんもこう言っているわ。だから赦してあげてちょうだい」
彩葉の顔の険しさは変わらなかったが、少しは気が治まったのか、日和を最後に一瞥すると、くるりと踵を返して元いた場所に戻っていく。
日和は思わず安堵の息をもらしていた。
「び、びっくりしたあー。……でも、あんなに怒んなくてもいいのに。そりゃあたしも悪かったけどさあ……」
小声でぼやくと、若宮が真面目な表情で言った。
「本条さんは、祝福の危険性をよくわかっているのよ。自力で力を制御できない能力者は他人を傷つけてしまって、それによって自分の心も傷つけてしまうことがある、ということもね」
若宮の真剣さに呑まれて、日和は返す言葉を見つけられなかった。若宮はふっと表情を緩めて微笑む。
「だから、自力で力を制御できるように、がんばりましょうね」
「うん……」
その後もまたここ一週間以上やっているのと同じことの繰り返しだったが、さすがの日和も愚痴をこぼす気にはなれず、おとなしく訓練に専念した。
彩葉は、日和の失言がよほど腹に据えかねているようで、ずっと日和を無視している。訓練が終わって家に戻ってからもそれは変わらず、刺々しい沈黙は、思ったよりもこたえた。
風呂が沸いたので、日和はおずおずと彩葉に声をかけた。
「先輩、今日はお花の香りじゃない入浴剤入れる日だよね。あたしはそっちはいいや、ってこの前言ったけど、やっぱり試してみたいな。……いい?」
リビングの床に座って瞑想していた彩葉は、無言で立ち上がると、洋室に行き、少ししてから戻ってきた。無言で入浴剤のパックを日和に押しつけ、また瞑想に戻る。
日和はしょんぼり肩を落として、風呂場に向かった。反応を返してくれるようになっただけましだが、日和への怒りはまだ完全に解けてはいないようだ。
(やっぱりちゃんと謝らなきゃだよね)
そう決めた日和は、入れ違いに風呂に入った彩葉が出てくると、さっそく頭を下げた。
「ごめんなさい、先輩! 先輩はあたしのために色々我慢して傍についててくれるのに、その先輩の気持ちも考えずに無神経なこと言って、本当に悪かったと思ってる! 先輩が早く任務から解放されるように、あたしこれからはもっと訓練がんばるから」
そっと頭を上げて、彩葉の顔色を窺う。
「だから、あたしのこと、赦してくれる?」
じっと日和を見つめていた彩葉は、数秒後、はーっと息を吐いた。
「言っとくけど、わたしは別に、あんたのお守りを続けるのが嫌だから怒ったわけじゃないよ。ただわたしは……祝福の制御訓練を真面目にやらない能力者が大っ嫌いなの」
彩葉の口調は吐き捨てるようで、本当に嫌いなのだと伝わってくる。
だが日和は、彩葉が怒った理由が、自分にくっついているのが嫌だから、ではなかったことにほっとしていた。あそこまで怒るほど嫌われているのだろうか、と実は結構傷ついたのだ。
「そうなの? じゃあ、あたしのことは嫌いじゃない?」
「あんたが真面目に訓練をやらないなら嫌いになるけど、真面目にやってるんでしょ?」
「やってる! これからもやる!」
「じゃあ、別に嫌う理由ないよ」
「良かったあー」
彩葉は少し意外そうな顔になった。
「あんたもそういうの気にするんだね。人に嫌われても気にしなさそうなのに」
「えー、気にはなるよ。嫌われて嬉しいわけないじゃん。でも、そうだなー、人に嫌われるから、って理由で自分を変えようとは思わないかな。自分の悪いとこは、まあ直そうとはするけど、あたしのあたしらしさを嫌ってくるような奴のご機嫌伺いなんかしてらんないし」
彩葉がおかしそうに笑った。
「あんたってやっぱり図太いね」
「それちょっと失礼じゃない?」
「本当のこと言っただけでしょ」
「言い方ってものがあるでしょー」
言い返しながら、日和も笑っていた。こういう他愛もない言いあいは好きなのだ。好意を持った相手とは、遠慮せず何でも言いあえる関係を築きたい、と日和は思うので。
そういう意味では、彩葉のことは結構気に入っているかもしれない。
(まあ、先輩には本気で苛つかされることも多いけどなー)
だが、お互いのことをもっと知って相手に慣れてしまえば、いい友達になれるかもしれない、と思うこともある。
(実際にどうなるかはまだわかんないけど、そうなったらいいな)
そう考えながら、日和は彩葉と言いあいを続けたのだった。




