第五章 フラッシュバック
訓練棟の事務室で日和が名前を告げると、三十代半ばの女性教師が奥から出てきた。
「はじめまして、田辺さん。私は若宮紗央梨。あなたに祝福の制御方法を教えるわ」
「はじめまして。よろしく」
日和にうなずくと、若宮は彩葉に顔を向けた。
「あなたが本条彩葉さんね?」
「そうです」
「田辺さんの力は大分強いそうだから、訓練の途中であなたの力を借りることがあると思うわ。よろしくね」
「はい」
若宮は彩葉と日和を訓練室の一つに案内した。
「ここは電気使い専用の訓練室よ。壁も天井も床も電気を通さない合成樹脂でできているから、電気使いが力を暴走させても被害が出にくいの。隣の制御室とはマイクとスピーカーで話せるようになっているわ」
若宮が指差した壁には大きなガラスがはめ込まれていて、隣の部屋の様子が見える。
ドラマなどで見る警察の取調室に似ているな、と彩葉はちらりと思った。もっとも、取調室よりも広いし、テーブルなど家具は一つもないが。
「制御室も見てみましょう」
連れていかれた制御室には、入ってすぐの所にハンガーラックがあり、つなぎが何着かかけられている。隣の訓練室が見えるガラス窓の手前には色々なボタンが配置された制御盤がある。
「この大きな青いボタンを押すと、事務室につながるわ」
若宮は真剣な表情になると、日和を、次に彩葉を見た。
「もし訓練中に私が怪我をして意識をなくしたり喋れない状態になったら、このボタンで事務室に助けを求めてちょうだい。壁が壊れて火事になるとか、校舎内の人を全員避難させなければいけない状況になったら、あの火災報知器を押してね」
若宮は壁に設置された報知器を指差した。
「説明はこのくらいでいいわね。じゃあ、あのつなぎに着替えましょうか」
「つなぎ?」
首を傾げた日和に、若宮が説明する。
「これは絶縁ウェアーなの。田辺さんの祝福が暴走した場合に備えて念のためね。田辺さんが自分の生み出した電気で怪我をすることはないし、無効化の能力者である本条さんも同じだけれど、火花で服が燃えてしまう可能性があるでしょう。だから、訓練中はつなぎを着るのよ」
「なるほどー。……でもなんか研究所を思い出して嫌だなあ」
「研究所であんたが着てたジャージみたいな服も絶縁ウェアーだったの?」
「そうだよ。今と同じで、服が燃えないように、って。確かあの部屋も電気を通さないゴウセイジュシ? でできてるって話だったし、ほんと思い出しちゃう」
顔をしかめながらも、日和はためらいなくつなぎに着替えていく。研究所での生活が嫌だったのは嘘ではないのだろうが、トラウマになるほどではなかったのだろう。
(まあ、退屈だったって言ってたもんね)
つまり、心に傷を負うような深刻な事件は起こらなかった、ということだ。
つなぎを着ると訓練室に戻り、若宮が日和に瞑想の手ほどきをする。
「若宮先生、わたしはあっちで自分の訓練をしていてもいいでしょうか?」
「そうね。この部屋内にいてくれるなら大丈夫だと思うわ。あなたの熟練度なら、何かあってもすぐに対処できるでしょうし」
信頼されていること、評価されていることが嬉しくて、彩葉は思わず笑みを浮かべた。期待に応えなければ、という気持ちがむくむくとわき上がってくる。
(自分の訓練をしつつ、田辺の様子にも気を配っておく、という課題、って感じかな。がんばろっと)
日和と若宮から五メートルほど離れた所に腰を下ろし、瞑想する。
それが終わると、半径一メートルほどの力の球を生み出す。力の球を大きくする訓練は日和の訓練の邪魔になってしまうので、できない。そのため、力の球の形状を変化させる訓練に専念する。
しばらく訓練したら、休憩し、また瞑想して訓練、というルーティンを繰り返す。
(うーん、やっぱり難しいなあ)
力を球以外の形にするだけならできるのだが、思ったとおりにはならないし、すぐに元に戻ってしまう。
すでに特務部隊の一員として働いている無効化の能力者たちと時々メッセージをやりとりして、力を操るコツをいくつか聞いているので、それを試してみているのだが、なかなかうまく行かない。
試行錯誤しているうちに訓練が終わる時間になった。
(田辺のお守りをしている間は祝福の訓練の時間が増えるから、その間にコツをつかめたらいいなあ)
そう考え、次の日も自分の訓練をする気満々だった彩葉だが、つなぎに着替えた後若宮に声をかけられた。
「今日は本条さんもこちらの訓練につきあってちょうだい。昨日で田辺さんも体内の力の存在を感じ取ることはできるようになったから、今日は意識して力を放出する訓練をするつもりなの。田辺さんの力だとこの専用訓練室の壁でも壊してしまう可能性があるから、力が出すぎた場合本条さんに無効化してもらいたいのよ」
「わかりました」
若宮は制御室に残り、彩葉と日和だけが訓練室に行く。日和は抑制装置を外して、制服と共に制御室に置いてきている。
若宮はガラス越しにこちらを見ながら、スピーカーを通して話しかけてくる。その指示どおり日和はまず瞑想をした。彩葉は壁際に立ってその様子を見守る。
『それじゃあ田辺さん、昨日の復習よ。あなたの体内にある力に意識を向けて。どう? 力の存在を感じ取れる?』
日和は少し間を置いてから返事をした。
「うん。感じる」
『ではその力を体の外に押し出してみましょう。息を大きく吐いて、体内の空気を外に出すのと同時に力も外に出すようイメージしてみて』
彩葉は、いつでも力の球を作れるよう身構えた。
日和は何度か大きく呼吸をしている。集中するためにだろう目を閉じて、顔をぎゅっとしかめている。
「うーん、できなーい」
『すぐにできないのは当然よ。力を体の外に押し出すイメージを、頭に強く描くの』
その後も日和は苦戦していたが、一度休憩と瞑想を挟んでから訓練を再開して、五分ほど経った頃、日和の全身がバチッと電気を放った。
電気は一瞬で消えたが、日和はぱっと目を開けてはしゃいだ。
「出た! 今電気出たよね?」
『ええ、よくできたわ。今の感覚を忘れないうちに、もう一度試してみましょう』
「うん!」
日和は成功したのが嬉しいようで、意気揚々と目を閉じた。一呼吸開けて、バリバリバリッと耳をつんざくような音がとどろいた。日和の体から発した閃光が次々と宙を走る。
彩葉は硬直した。
電光の一本がこちらに向かってくる。彩葉の視界が真っ白になり、脳内をいくつものイメージがよぎった。何本もの電光を体から発する金髪の少女。轟音の後、崩れ落ちるように倒れる二つの体。壁を駆け上がり、あっという間に視界の全てを呑み込んでいく炎。
胸が苦しい。息ができない。剥き出しの肌を焦がすあの時の熱さがよみがえるようで、なのに手足は氷のように凍えている。
「――ぱい、ねえ、大丈夫? 先輩、本条先輩ってば!」
『本条さん、聞こえる? 本条さん!』
不意に意識が現実に戻ってくる。彩葉は、自分が自分の体を抱きしめるようにしてうずくまっていることに気づいた。は、は、は、と短く速い息が口からもれている。全身が小さく震えている。
肩を誰かの手がつかんでいるのが視界に入る。彩葉は咄嗟にその手首を握りしめた。
「痛っ! ちょ、先輩!?」
日和の声だ、と脳が認識する。
(そう、これは田辺。さっきの音と光も田辺が出したもの。ここは天恵学園の訓練室で、わたしは高校一年生で……)
記憶とは違う点を脳内で並べ立てていく。そうすることで頭と心を現実に留められる気がする。
『本条さん、私の声が聞こえる? 私がわかる?』
「聞こえ、ます。若宮先生」
腹の底から声を押し出すと、頭の中が少しクリアになる感じがした。
『そう、良かった。保健室に行く? それとも安富先生を呼んだ方がいいかしら?』
「いえ、大丈夫です」声にすることで現実になる気がして、きっぱりと言いきる。「少し休めば、治ります」
『そう……一人にしてあげた方がいいかしら?』
若宮の声に過剰なほどの慎重さを感じて、彩葉は瞬いた。
だがすぐに理解する。若宮は彩葉の過去を知っているのだろう。彩葉は若宮の担当生徒ではないが、訓練に関わることもあるのだから、日和だけでなく彩葉に関する資料も若宮の手元に渡っていて不思議ではない。
彩葉はかぶりを振った。
「いえ、人がいてくれた方が落ち着きます」
『わかったわ。でも、気分が悪くなったらすぐに言ってね』
「はい」
『じゃあ田辺さんは、瞑想をしましょう。一人でもできるようになりましょうね』
「あ、うん。――それじゃ先輩、手、離して」
「え……」
日和の言葉に自分の手を見ると、まだ日和の手首をつかんだままだった。
日和の手を離すとまた意識が過去に戻ってしまいそうで、躊躇する。だが、これ以上日和に縋っているわけには行かない、と自分に言い聞かせて、彩葉は強張っている手を無理やり開いた。
「ごめん、田辺……痛かったでしょ」
力を加減する余裕がなかったので、全力で握りしめてしまっていたはずだ。
「うん、まあね。でも平気。先輩こそ……ほんとに大丈夫? 顔真っ青だよ?」
顔をのぞき込んでくる日和に、彩葉は何とか笑みを浮かべてみせた。
「休めば治る、って言ったでしょ。ほら、あんたは訓練に戻って」
「うん……」
日和はまだ心配そうにしながらも立ち上がって離れていく。
彩葉は目を閉じて息を吐いた。背を伸ばし、昔心理療法士に教わった呼吸法を脳内から引っ張り出し、行う。
(フラッシュバックなんて、もう何年もなかったのに……)
日常生活を送るには何の支障もないほどには回復していたのだ。しかしそれは、心の傷が完全に癒えたということではなかった。
(学園長の言うとおりだ。わたし、こんなんじゃきちんと仕事をこなせるはずない)
人の役に立てるようになりたいなら、トラウマを乗り越えなければならないのだ。電気使いという存在にも、かれらが起こす現象にも、慣れなければいけない。
そう思ったから先程、日和から離れたいか、と若宮が暗に尋ねてきた際、否定したのだ。
(田辺にはちょっと悪いけど、利用させてもらう)
日和のお守り任務を、トラウマ克服の訓練だと考えるのだ。日和が電気使いだという事実を頭の奥に押しやるのではなく、常に意識する。日和が電気を放出した時は、目をそらさずにしっかり見つめる。
(本当はこういうの心理療法士の先生に相談しながらやった方がいいんだろうけど……田辺にトラウマのこと知られたくないし、しばらくは自力でやってみよう)
頻繁にフラッシュバックなどのストレス反応が起きたり体調を崩したりして、独力では無理だと感じるようになったら、その時には心理療法士に助けを求める、ということでいいだろう。
彩葉は目を開けて、ゆっくりと立ち上がった。幸いめまいやふらつきはない。手と足に意識を向けると、先程よりは随分温まったものの、まだ少し冷えている。
呼吸を意識しながら、ストレッチを始める。気持ちを切り替えてリラックスするためだ。五分ほど続けたら、瞑想に移行する。それを何度か繰り返すと、心も体もほとんど平常の状態に戻ったように感じた。
顔を動かして、離れた場所にいる日和を見つめる。今の日和は電気を発してはいないので、金色に染められた髪に視線を据える。
(金髪の、電気使い)
そう心の中でつぶやくと、少し鼓動が速くなる気がする。奥歯を噛みしめ、両手をぎゅっと拳にして、日和の金髪を見つめ続ける。
だが、初っ端から無理して倒れたりしては困るので、一分くらい経つと目を閉じて瞑想する。気持ちが落ち着いたら、また目を開けて日和を見つめる。
それを繰り返して三十分ほど経った頃、若宮が声をかけてきた。
『本条さん、調子はどう?』
「大分良くなりました。心配かけてすみません」
『そう、良かったわ。もう動ける?』
「大丈夫です」
『それじゃあ、今日の訓練はここまでにしましょう。家に戻って、本条さんも田辺さんもゆっくり休んでちょうだい』
「え……でも、まだ終わりの時間じゃないですよね?」
『そうだけど、今日は二人とも動揺しているでしょう。無理はしない方がいいわ』
「……すみません、わたしのせいで……」
『謝る必要はないのよ。あなたはよくやっていると思うわ』
声には本物のいたわりがこめられていた。やはり若宮は自分のトラウマを知っていて、先程何が起きたかもほぼ正確に推測しているのだと、彩葉は確信する。
自分の事情を細部まで知られている可能性が高いことや、気づかわれることに、いくらかの居心地の悪さを感じる。だが、彩葉は素直にその心づかいを受け入れることにした。
心に傷を抱えていることも、それが理由で他の人たちに配慮してもらうことも、恥じるようなことではない。それは昔心理療法士にしつこいほど言われたことだ。
「えっと、じゃあ、ありがとうございます。お言葉に甘えて休ませてもらいます。それで、明日まで引きずらないようにしますから。――田辺も、それでいい?」
話を振ると、日和はうなずいた。
「う、うん。あたしは全然オッケーだよ」
話がまとまったので、制御室に行ってつなぎから制服に着替える。その途中で、日和が突然叫んだ。
「あのさ!」
彩葉はシャツのボタンをはめる手を止めて、日和に視線をやった。日和はどこか不安そうな顔で、彩葉と若宮を交互に見た。
「本条先輩がさっき具合悪くなっちゃったのって……あたしのせいだったりする? あたしの力の影響、とか……」
予想外の言葉に、彩葉はぽかんとした。若宮がなだめるように日和に話しかける。
「心配しなくていいわ、田辺さん。あなたの力にそんな影響はないはずよ。仮にあったとしても、本条さんは無効化の能力者なのだから、本条さんには効かないでしょうし」
「……でも、無効化できない影響があるとか、本当にない? わかってないだけ、とか……」
「……確かに祝福にはまだまだわかっていないことが多いから、ありえないと断定はできないわ。でも、違うと思うわよ」
「何で?」
「それは……」
若宮が困った顔でちらりと彩葉を見る。彩葉は口を挟んだ。
「若宮先生の言うとおり、あんたのせいじゃないよ、田辺。あれはその……わたしちょっと雷が苦手で、だから驚いたっていうか、ショック受けたっていうか……そういう理由だから」
「そうなの?」
日和がほっとした顔になる。
「あ、でも、それじゃ先輩、あたしの傍にいるのきついんじゃない? よくそんな任務受けたね」
「まあ、学園長命令で拒否権なかったからね」
「えっ、そうなの? 先輩、任務に熱心で、嫌々やってるようには全然見えないのに」
「仕方なく引き受けたことでも、引き受けたからには責任持って全力を尽くすよ。当然でしょ」
「先輩ってやっぱり真面目だよね。でもちょっと危なっかしいかも」
「何それ。わたしのどこが危なっかしいっていうわけ?」
「うーんと、あんなに具合悪くなっちゃうくらい雷苦手なのに、あたしにべったり張りついてようとするところ? もっと自分をいたわってあげた方がいいと思う」
「……そこまで自分を蔑ろにしてるつもりないよ」
「そーかなー。もうちょっと肩の力抜いて程々に手も抜く方がいいんじゃない?」
「そういうわけには行かないでしょ。任務に手抜きなんて以ての外。でも、わたしだって別に常に気を張りつめてるわけじゃないよ。ちゃんとリラックスできるよう工夫してるんだから」
「そうなの? どんな?」
「入浴剤入れたお風呂にゆっくり浸かるとか、お気に入りのドラマ見てのんびりするとか」
「あっ、そういえばさあ。あたしも入浴剤入りのお風呂に入ってみたいんだけど、今日いい?」
「え……まあ、いいけど。でも入浴剤はわたしが選ぶからね」
「えー。希望くらいは聞いてよー。あたし、一昨日のお花のやつがいい」
「昨日はひのきの香りのにしたから、お花系にするのはいいよ。でも一昨日と同じのにはしないからね」
「うん、それでいいよ! やったー! お花の香りのお風呂楽しみ! ていうか、お花の香りの入浴剤っていくつもあるんだ?」
「数えきれないくらいあるよ。薔薇に、ラベンダーに、桜に……」
喋りながら着替えを再開する。若宮がほっとしたようにこちらを見ているのに気づいて、目礼した。若宮は微笑んでうなずいた。
そうやってその日の訓練は終わり、次の日。彩葉は実戦訓練の時と同じか、それ以上の気合いを入れて、訓練に臨んだ。
昨日と同じく、日和は瞑想をした後力を外に放出する訓練を始める。だが日和は、昨日よりも悪戦苦闘しているようだった。
昨日二度成功しているのに、一晩寝たらやり方を忘れてしまったのだろうか。そう思った彩葉だったが、別の可能性を思いついた。
「田辺、ちょっといい?」
「何?」
日和が彩葉に顔を向ける。
「あんた、わたしに気をつかって、力を出しすぎないように調整しようとかしてない?」
日和がぎくりとした顔になる。
「いや……えと……だって自分のせいで人が具合悪くなるのとか嫌じゃん!」
彩葉は、はあ、と息を吐き出した。日和の気持ちもわかるが、そこは乗り越えてもらわないといけない。
「今日は心の準備できてるから、昨日みたいにはならないよ。わたしのことは気にしないで、思いっきりやりなって。じゃないと訓練にならないでしょ」
「うー……知らないからね!」
日和は叫んで顔を前方に戻すと、目を閉じた。一拍置いて、その体から大量の電気がほとばしり、轟音が空気を震わせる。
彩葉はひゅっと息を呑んだ。動悸がして手足が冷たくなる。だが、昨日のようにフラッシュバックが起こることはなかった。体は震えているが、座っているせいもあって、倒れるまでは行かない。
彩葉は目を閉じて呼吸法を行いながら、安堵していた。
昨日みたいにはならない、と日和に対しては言いきったが、本当はそれほど自信はなかったのだ。けれど、昨日よりずっと軽い症状で済んでいる。
これで少しはトラウマ克服に近づいたのではないだろうか。このまま訓練を続けていけば、きっと目的を達成できる日が来るはずだ。
そう思うと、彩葉の胸は軽くなった。
トラウマと向きあうのは心にかなり負担がかかることだと思うので、現実には彩葉の真似はしないで、きちんと病院に行ってプロの助けを借りることをお勧めします。




