書けない手紙
彩葉は机の上に置かれている紙をじっと見つめた。女の子に人気のマスコットが描かれているかわいいメモ用紙だ。『お姉ちゃんへ たん生日プレゼントありがとう。』と書かれている。
そのメッセージを書いたのは、四日前のことだ。そこまで書いたところで、手が止まってしまい、結局寝るまで続きを思いつけなかった。それから毎日こうしてメモ用紙を取り出しては続きを書こうとしているのだが、何を書けば良いのか全く思いつかない。
いっそこれだけで済ませてしまおうかとも思うのだが、それではあまりにそっけない気がする。むしろ冷たいようにも感じられる。そんなメッセージを受け取ったら、海雪は悲しい思いをするのではないだろうか。
そう考えて、一生懸命に何か付け足そうとするのだが、努力は空回りするばかりだ。
彩葉は上から二番目の机の引き出しを開けた。メモ用紙と同じマスコットが描かれたミニメモやノート、鉛筆、定規、消しゴム、ミニタオルなどが入っている。海雪が、寮監を通して先週の彩葉の八歳の誕生日に送ってきてくれた文具セットだ。
その上に置かれているメッセージカードを手に取る。
『たんじょうびおめでとう 彩葉』
寮監から包みを手渡され、姉からの贈り物だと聞かされた時、彩葉は嬉しかった。このメッセージカードを見た時も、懐かしくて、まるで一緒に暮らしていた頃に戻ったようで、少し涙が出たくらいだ。
その気持ちを海雪に伝えたい。
本当なら会いに行って直接お礼を言うのが一番なのだろうが、それは怖くてできない。両親が死んだ時のことを思い出してしまいそうなのだ。それに、姉の顔を見たら、最後に会った時のようにまた怒りをぶつけてしまいそうな気もして、それも恐ろしい。
だから手紙を書いて彩葉の寮の寮監から海雪の寮の寮監に渡してもらおうと思ったのに、肝心の手紙が書けずにいる。
彩葉はメッセージカードを引き出しの中に戻して、引き出しを閉めた。もう一度鉛筆を手に取り、メモ用紙に向きあう。
今度は頭の中の引き出しを片っ端から開けて、書くことを探す。両親が死んでしまう一年くらい前から家に帰ってくるのが遅くなった父に時々書いていた手紙のように、最近あったことを書けばいいのだろうか。前の学校で友達と休み時間に交換していた手紙のように、『大すきだよ』と書けばいいのだろうか。
そのどちらも、この手紙にはふさわしくない気がする。
最後に顔を合わせた時のことを謝るべきなのかもしれないが、謝罪の言葉を書こうとしても、手が動かない。謝らなければ、と思う気持ちと同じくらい、あるいはずっと強く、自分は悪くない、謝りたくない、という気持ちが心の奥からこみ上げてくる。
そうやって悩んでいるうちに、今日も就寝時間がやってきてしまった。はあ、とため息をついて、彩葉はメモ用紙を引き出しにしまった。
次の日もその次の日も、同じことの繰り返しで、どんどん時間が経ち、気がつけば彩葉の誕生日から一ヶ月が過ぎてしまった。
今更お礼の手紙など出しても、どうしてもっと早く送ってこないのか、と姉を不快にさせるのではないだろうか。そう思うと、余計に書けなくなる。
冬休みに父方の祖父母の家に行った時に、祖父母に相談してみようと思ったのだが、祖母も祖父も姉の話題を出すと顔を強張らせて話をそらしてしまうため、うまく行かなかった。
天恵学園に転校してきてから半年以上経つが、彩葉にはまだ親しい友達がいない。そのため、友達に相談することもできない。
定期的に会っているカウンセラーとは色々話をするが、姉から誕生日プレゼントを貰ったことや、そのお礼の手紙が書けなくて困っていることは話していない。
というか、友達がいたとしても、おそらく話すことはできなかっただろう。
カウンセラーにも、姉についてはこれまでのところ一言も話していない。両親のことは時々話すが、姉について話そうとすると、胸の中がぐちゃぐちゃになってしまって言葉が見つからなくなるのだ。姉のことを知らない人、海雪が能力に目覚める前の家族のことを知らない人には、姉の話をしたくない、と思ってしまう。姉のことを悪く言うのも良く言うのも、自分の言ったことを肯定されるのも否定されるのも嫌だった。
そういうわけで彩葉が一人で抱え込んで悩んでいる間に、今度は海雪の誕生日が近づいてきた。
いつものようにお祝いのメッセージを送ろうかと思ったのだが、やはり何を書けば良いかわからない。海雪が彩葉の誕生日に送ってきてくれたカードのように、誕生日おめでとう、とだけ書けば良いのかもしれないが、そもそも彩葉は海雪の贈り物へのお礼の手紙を返していないのだ。
それなのに海雪に誕生日祝いのメッセージを送るのは、変ではないだろうか。祝いの言葉を送ってくるなら、なぜお礼の手紙を送ってこなかったのか、と海雪は怒ってしまわないだろうか。
それでも送らなければ、と思いもするのだが、メッセージを書こうとすると、お姉ちゃんの誕生日なんてお祝いしたくない、という気持ちが出てきてしまう。祝いたい気持ちと祝いたくない気持ちの間で心が揺れ動いて、どちらにも行けず真ん中で立ちすくんでしまう。
そうこうしているうちに、海雪の誕生日は過ぎてしまった。
そうすると、お礼の手紙も祝いの言葉も送ってこない自分に海雪は腹を立てて見切りをつけてしまったのではないか、と不安で仕方なくなった。
姉はもう自分のことを嫌いになったかもしれない、と思うと悲しくて、さびしくて、夜中にベッドで声を殺して泣く夜が増えた。
海雪が両親の一周忌に送ってきた手紙は、怖くて読めなかった。
姉に嫌われたかもしれないという不安は、九歳の誕生日が近づくにつれてふくれ上がって、誕生日の前の数日はろくに眠れなかった。
だが、彩葉の九歳の誕生日にも、海雪はまたプレゼントを送ってきてくれた。そのことに彩葉は大きく安堵したのだった。
けれど、海雪への手紙が書けないのは変わらず、同じような一年を過ごすことになった。十六歳の誕生日の次の日、勇気を振り絞って海雪と向きあい、関係を修復するまでの八年間、ずっと。
*****
彩葉は机の引き出しから取り出したメモ用紙を眺めた。どことなく古びたメモ用紙には、『お姉ちゃんへ たん生日プレゼントありがとう。』と書かれている。たどたどしい字にも、漢字が書けずにひらがなを使っていることにも、幼さが感じられる。
(あの頃は本当に子どもだったなあ)
かつての自分を思い返して、彩葉は苦笑した。姉への手紙が書けずにいた理由は、今ならばわかる。
あの頃の彩葉は、姉への愛情や、誕生日プレゼントを貰って嬉しい気持ち、姉の誕生日を祝いたい気持ちと同時に、姉に対する強い怒りや恨みも抱えていた。正反対とも言える二種類の感情の折りあいをつけられず、だから姉に伝える言葉を決めることができなかったのだ。
けれど、今は違う。姉に対する負の感情は薄れ、更に今の彩葉は、姉への愛情も恨みもどちらも自分の感情だと受け入れ、その両方をずっと抱えて生きていく覚悟を決めている。だから、姉に伝える言葉に迷うことはない。
彩葉は、机の上に置いてある箱とメッセージカードに視線を移した。微笑みながら、スマホを手に取って時間を確認し、電話をかける。電話はすぐにつながった。
『もしもし、彩葉?』
「お姉ちゃん。今電話大丈夫?」
『うん、大丈夫だよ。ちょうど家に帰ってきたところ』
穏やかな声で言ってから、海雪は大切な言葉を贈る口調で続けた。
『十七歳おめでとう、彩葉』
「ありがとう、お姉ちゃん。プレゼントも、ありがとう。ちゃんと届いたよ」
『気に入ってくれた?』
「うん、今から使うのが楽しみ」
海雪からのプレゼントは、アロマオイル六種類と散布器だった。
『お風呂で香りに包まれるのが好き、って言ってたから、それならこういうのもいいかな、って思ったんだ』
「でも、わたしの好きな香りばっかりで驚いた。何でわかったの?」
『実は、田辺さんに協力してもらったんだ』
「あー、なるほど。それでかあ」
数時間前、寮に帰ったら海雪からの誕生日プレゼントが届いていると思う、と話していた時、日和が意味ありげな顔をしていた理由がわかった。
『今日は田辺さんにお祝いしてもらったの?』
「うん。カフェでケーキ食べて、ボウリング行って、カラオケ行った。楽しかったよ」
『良かったね。プレゼントは何貰ったの?』
「えっと、ハンドクリームと……リップ」
口ごもってしまったのは、プレゼントの袋を開けてお礼を言った彩葉に、日和がいたずらっぽく『ね、知ってる? リップとか口紅を恋人に贈るのって、「キスで少しずつ返して」って意味なんだって』と言ったからだ。
突然のことでどぎまぎしてしまって、その様子をおかしそうに笑われて、少し悔しかった。でも満更でもない気分もあって、途中で行ったトイレで貰ったばかりのリップを塗ってみた。カラオケの部屋に戻ったら、日和は目敏く気づいて、嬉しそうに笑ってキスをしてくれた。
盛り上がって深いキスを長々としてしまったので、海雪には言えない。いや、軽いキスだったとしても恥ずかしくて言えないが。
それから少しの間他愛もないお喋りをして、彩葉は海雪との通話を終えた。
スマホを机の上に置きながら、最後に交わした「またね」という言葉を思い返して、胸がじんわりと温かくなる。
また海雪と電話で話すことができる。望めば明日にでもかなう。長期休みには直接会うこともできる。それがどれほどの幸せか、改めて噛みしめる。
海雪とはLIMEもよく送りあっているし、最近ではやりとりできるのに慣れて普通のことになりつつあったが、昔書けなかった海雪宛の手紙を見つけて、それは決して当たり前のことではないのだと思い出した。
そのことを忘れないため、そして時々思い出すために、これはずっと大事に取っておこう、と彩葉は書きかけの古い手紙を引き出しにしまい直したのだった。
終




