第十二章 失言と誠意
彩葉は力の球を消すと、ふう、と息を吐いた。吐息は一瞬白くなってすぐに消える。
足踏みをして、冷えた体を少しでも温めようと試みる。マフラーと手袋、厚手のタイツを身に着けて、使い捨てカイロを腹の上に貼っているが、それでもずっと屋外に立っているとやはり寒い。
今日も訓練棟の外で日和を待っているところだ。時間つぶしに祝福の訓練をしているのだが、どうも集中力が続かずうまく行かない。
理由はわかっている。海雪と再会してからこの三日間、ほとんど寝られていないせいだ。
眠っては悪夢を見て飛び起き、寝るのが嫌になって起きたまま朝を迎える。二日連続でそんな夜を過ごしたせいで、昼間眠くて仕方がないし、体はだるいし、何にも集中できないし、頭痛までする。はっきり言って最悪のコンディションだ。
「えー、うっそー」
高い声が耳に届いて、彩葉は顔をしかめた。訓練棟の出入り口から出てきた二人組の少女の方を、つい睨みつけてしまう。少女たちは彩葉の存在になど気づかず、きゃあきゃあとじゃれあいながらバス停の方に歩いていく。
彩葉は苛々と地面を蹴った。寝不足なせいで忍耐力も低下しているのか、些細なことが癇に障る。
頭に響く甲高い声も、自分が最低の気分なのに傍でのんきに笑っている人がいることも、自分の苛立ちに相手が気づきもしないことも、そんなことに一々心をかき乱されている自分も、何もかもに向かっ腹が立つ。
彩葉は意思の力で苛立ちを抑え込んで、瞑想を始めた。訓練をやらないよりは、不調だとしてもやった方がいいだろう。どうせ他にすることもないのだ。
そうして時間をつぶし、昨日、一昨日と同じように、ほとんどの生徒がいなくなった後に訓練棟から出てきた日和と合流する。
日和は彩葉の前に立つと、口を開いた。
「あのね、海雪先生から伝言」
姉の名前に、彩葉はぴしりと固まった。
「海雪先生は事務室や生徒用の休憩室付近には絶対に近寄らないようにするから、あたしの訓練中は、先輩は生徒用の休憩室で待っててほしい、って。外で待ってたら風邪引くから、ってさ」
きり、と胸が痛む。喉元までせり上がってきた感情を呑み下して、彩葉は短く「わかった」と答えた。
「海雪先生、彩葉先輩のことほんとに心配してたよ。先輩のこと大事に思ってるんだと思うよ」
「わかってる」
そんなことは、わざわざ言われなくたってわかっているのだ。けれど、それでもどうにもならないことはある。
「海雪先生と会わないの? ……お母さんとお父さんのことで、赦せない、って思ってるの?」
彩葉は日和に半ば背を向けた。
「お姉ちゃんの話はしたくない」
「でも話すことで気分が楽になるかもしれないよ? 海雪先生に会ってもいい、って思えるようになるかも」
その言葉に、自分でも驚くほどの怒りがつき上げてきた。ばっと振り返って、日和を怒鳴りつける。
「あんたにはわかんないよ!」
ぐらぐらと煮えたぎるような怒りが頭の芯を焼いて、目の前の少女がひどく憎らしい。
「いいよね、あんたは運が良くて、人を死なせずに済んで」
――ずるい。うらやましい。どうして……。
「……どうして、あんたとお姉ちゃんが逆じゃなかったの?」
言ってはだめ、と頭の中で制止の声がする。だけど言葉が止まらない。
「知ってた? あんたが力に目覚めた時、電気の球がどんどん大きくなっていったでしょ? 威力も増していってたんでしょ? あんたが住んでたのが東京だったから、無効化の能力者がすぐに来られて大したことなく済んだけど、もしあんたが地方に住んでたら、大規模な被害が出てたかもしれなかったんだって。人が、大勢死んでたかもしれなかったんだって。あんたが人を死なせずに済んだのはただ幸運だっただけだよ! お姉ちゃんもあんたみたいに幸運だったら良かったのに! あんたとお姉ちゃんが逆だったら良かったのに……!」
はあ、はあ、と荒い息が耳に届く。それが自分の呼吸音だと、一拍置いて気づく。
怒りにくらんでいた目がようやくまともな機能を取り戻して、日和の姿がちゃんと見えるようになる。
日和は強張った顔で、目を見開いてこちらを凝視している。その顔の青さに、すっと頭が冷えた。
「ご、めん」
彩葉は口を手で押さえた。
「ごめん……ごめん、日和……ごめんなさい……」
しゃがみ込んで両膝に顔をうずめる。今の顔をこれ以上日和に見られたくない。きっとひどく醜い顔をしている。
(わたし、最低だ……)
日和はただ彩葉と海雪のことを心配してくれているだけなのに、酷いことを言って傷つけてしまった。
最悪なのは、彩葉は心にもないことを言ってしまったわけではない、ということだ。
なぜ日和と海雪は違うのか、という疑問は、最初に日和のファイルを読んだ時から彩葉の中にあった。
海雪が力を覚醒させた状況と、日和が力を覚醒させた状況は、同じではないが似たところがある。それなのに、日和は海雪のように覚醒のきっかけとなった相手を死なせずに済んだ。
それがうらやましいと、ずっと思っていた。海雪の力の出方も日和のようであったら良かったのに、と何度も考えた。
その気持ちが、一番醜い形で外に出てしまったのだった。
(わたしがこんなんだから……こんな醜くて残酷な人間だから……だから、お姉ちゃんにも……)
「あなたたち、何を騒いでるの? 早く行かないと夕食を食べる時間なくなってしまうわよ」
初めて聞く女性の声がする。
「あ……うん。……先輩、行こう。彩葉先輩」
日和の物だろう手が肩を叩き、腕を引っ張る。彩葉は、地面にのめり込んでしまいそうなほど重い体を叱咤して立ち上がった。これ以上日和に迷惑はかけられない。
だが、背を伸ばしたところでくらりとめまいがして、よろめいてしまった。
「ちょ、先輩……!」
慌てたように日和が支えてくれる。
「具合が悪いの? 安富先生を呼びましょうか? この時間ならまだ保健室にいらっしゃるでしょうし」
教師だろう若い女性が歩み寄ってきて、顔をのぞき込んでくる。彼女の口にした名前に、彩葉は目の前に光が射したような気がした。
「お願いします。安富先生を呼んでください」
安富に会いたい。話を聞いてほしい。安富なら変に同情したりせず、彩葉を叱ってくれるだろう。
それで彩葉の罪が消えるわけではないが、誰かに裁いてほしい。本来ならその相手は日和が良い、というか日和でなければならないが、今は彼女の顔を見られない。だからまず誰か別の人間に咎めてほしかった。
「わかったわ。安富先生に電話するから、あなたたちは中に入って休憩室で休んでいなさい」
休憩室まで行く間も、着いてからも、彩葉は日和の顔を見るのが怖くて、目を伏せたままでいた。もう一度謝りたいが、口を開いてまた日和を傷つけるようなことを言ってしまうのが恐ろしい。
日和も何も言わず、気まずい沈黙が二人の間にわだかまっている。
二十分ほど経っただろうか、教室のドアが開く音に顔を上げると、安富がいた。
「具合悪いんは、本条? それとも田辺さん?」
「あ、わたしです。……日和、少し席を外してもらっていい? 安富先生と話がしたいんだ」
「わかった」
日和はそっけない口調で返事をすると、部屋を出ていった。ドアを閉めた安富が彩葉の隣に座る。
「話て何?」
彩葉はぎゅっと両手を握り合わせると、口を開いた。八年ぶりに姉と再会したことから先程日和に言ってしまったことまで、あらいざらい打ち明ける。
話を聞き終えると、安富は、ふう、と息を吐いた。
「なるほどな」
彩葉は来るべき叱責に備えて、ぐっと腹に力を入れた。だが安富の口からは意外な言葉が出てきた。
「あんたの思っとること、別に全然普通のことやで。うちかてあんたの立場やったらおんなじこと思うわ。まあ、田辺さんにそれ言うたんは良くなかったけど、お姉さんと再会して動揺して、悪夢見て気分悪くて、おまけに寝不足で苛々しとったんなら、しょうがないんとちゃう?」
「え……」
彩葉はぽかんと安富を見つめた。
「で、でも、わたしは日和に酷いことを言ってしまって……」
「そやな。それは悪い。けど、一度口に出してしまった言葉はもう返らへん。いくら後悔したって遅いんや。大事なのは、これからどうするかやろ。自分が悪いことしたてわかってるなら、しっかり田辺さんに謝り。すぐに赦してもらえんでも、田辺さんがもういいって言うまで何度でも誠意を尽くして謝りや。それがあんたがせないかんことやろ。自分を責めて落ち込むことやない」
「そう……ですね。でも……また日和を傷つけるようなこと言ってしまったら、って思うと怖くて……」
「その気持ちもわからんでもない。けど、だからといって田辺さんと向きあうのを避けてたら、田辺さんとの関係が修復不可能になるまで壊れてまうで。あんたはそれでいいん?」
「……嫌です」
「せやったら、怖くてもがんばって向きあうしかない。震えながらでも、泣く資格ないって思いながらべそべそ泣いてもうても、みっともない姿さらして自分のことがもっと嫌になってもうても、きちんと謝るんや。誠意ってのは、そういうことやろ」
「はい……」
安富はぽんぽんと彩葉の頭を叩いた。
「大丈夫や。あんたならできる。あんたは誠実な子やからな」
「ありがとう、ございます」
「気分ちょっとは楽になった? 具合はどうや?」
「あ、大丈夫です」
「ほんまか? ちょっと立ってみ」
彩葉は椅子から立ち上がった。今度はめまいもなくしっかり立てた。安富の指示どおり軽く体を動かしてみるが、特に問題はない。
「ほんまに大丈夫そうやな。それならさっさと学食行き。夕飯まだやろ? 食欲なくてもしっかり食べるんやで。空腹やと気力も出てこんからな」
「はい」
安富は帰っていき、彩葉も廊下に出て、待っていた日和に声をかけた。
「日和、学食に行って夕飯食べよう。……その後で、話をしたい。いい?」
日和は束の間彩葉を見つめてから、こくりとうなずいた。
学食に着いた時にはすでに二十時を回っており、ぎりぎりの時間だった。
学食自体は教職員のために夜遅くまで開いているのだが、中等部・高等部の寮の門限が二十時半なので、二十時十五分になると生徒は追い出されてしまうのだ。
食欲も時間もないので、うどんを頼み、急いで腹につめ込む。日和は日替わり定食を頼み、やはり猛スピードで食べていた。
スタッフに急かされながら学食を出、家に戻る。
リビングのソファーに座ると、彩葉は日和に体の正面を向けた。深々と、膝につくまで頭を下げる。
「さっきは本当にごめんなさい。あんたに酷いこと言って、傷つけてしまった。あんなこと絶対に言うべきじゃなかった。何度謝っても足りないけど……ごめんなさい」
しばしの沈黙の後、日和が言葉を発した。
「先輩の言ったこと、あたしショックだった。それに傷ついた」
「うん……」
「訊きたいんだけど、先輩はあたしを傷つけようと思って言ったの?」
「……そういう気持ちが、全くなかったとは言えない。あの時はあんたにすごく腹が立ってたの」
「先輩、あたしのこと嫌いってわけじゃないよね?」
彩葉はがばっと頭を上げた。
「そんなことない! それは絶対にない!」
むしろ好きなのだ。この状況では絶対に言えることではないが。
「わかった。正直に答えてくれてありがと。先輩、本当に悪かったって思ってるんだよね?」
「心の底から思ってる。あんたに信じてもらうためなら、何でもやる」
「じゃあ、一週間あたしの分まで家事やってよ。それで赦してあげる」
彩葉はまじまじと日和を見つめた。
「……赦して、くれるの?」
「嫌いじゃないけど頭に血が上って傷つけたくなる、っていうのはあたしにもわかるもん。……あたしも、ママやパパにそれやろうとしちゃったし」
日和は少し顔を曇らせたが、すぐにぶるぶると頭を振った。
「とにかく、先輩の気持ちはわかるから、今回は赦してあげる。先輩、反省してるみたいだし」
「ありがとう……」
日和は照れたように笑ってから、「ほら、じゃあお風呂の準備してきてよ!」と彩葉を促した。
彩葉も微笑んで、風呂場に向かった。




