第八章 日和の家族
「やっぱり我が家はさいこー!」
自宅のリビングで大きく手を広げた日和がくるくる回る。彩葉は、少し呆れたような、うらやましいような気持ちでそれを眺めていた。
「えーと、今日は木曜だから亮はサッカーか。もうちょっとしたら帰ってくるはず」
壁の時計を見ながら日和が言う。今は五時過ぎだ。日和は次にカレンダーを見た。
「ママとパパは……特に予定はなし、か。なら急な仕事とか入らない限り、六時半くらいには帰ってくるんじゃないかな。あ、先輩、あたしの部屋見る? こっちだよー」
日和は彩葉の返事を待たずに歩いていく。彩葉も興味がないわけではないので、その後を追った。
ドアを開けた日和が声を上げる。
「あれっ、なんか片づいてる。もー、ママとパパってば、あたしの部屋勝手にいじらないで、って言ってるのに」
「あんたはしばらく帰ってこないんだから、片づけた方がいい、と思ったんじゃないの?」
「かもしれないけどさー。あ、バッグはその辺に置いていいよ」
ショルダーバッグを床に置きながら、彩葉は部屋をきょろきょろと見回した。
壁にアイドルのポスターが貼られており、ベッドにはぬいぐるみがいくつも置いてある。全体的に女の子らしくカラフルで、にぎやかな雰囲気だ。
「あんたらしい部屋だね」
「そう? あ、これ見て。あたしの手作りなんだよ。かわいいでしょー」
日和がティッシュ箱を持ち上げた。パッチワークのカバーがかかっているので、手作りというのはそれのことだろう。
「へえ、いいじゃん。よくできてる。あんた、裁縫とかよくするの?」
「んー、家ですることはあんまりないかなあ。これは家庭科の課題で作ったやつだし」
喋っていると、玄関の方から物音が聞こえてきた。
「あ、亮帰ってきたかな」
日和がリビングに向かう。彩葉は念のため力の球を生み出した。
リビングには、ユニフォームを着た男の子がいた。ユニフォームの上を脱ぎかけた状態で手を止めて、目を丸くしている。
「姉ちゃん?」
「亮、おかえりー。あと、ただいま!」
「どうしたの? 何でうちにいんの? 学校は?」
「あんたたちに会いたくなって帰ってきちゃった。といっても、明日にはまた学園に戻らないといけないけどね」
それは、学園を出る前に彩葉がきつく約束させたことだった。家族と一晩過ごしたら必ず学園に戻ってくる、と。
日和が家族と会うのには協力するが、自力で力を制御できない危険な能力者をいつまでも学園の外にいさせるわけには行かない。
いくら彩葉がついているといっても、何があるかわからないのだ。治癒の能力者が常駐している学園ならそれなりの大怪我でも対処できるが、外では死人が出てしまう可能性がゼロではない。
「えー、今日だけー? もっといらんないの?」
「あたしもいたいけど、明日には帰るって約束しちゃったから。約束は守らなきゃだめ。でしょ?」
「うー……そうだけどさあ」
むうっと口をへの字にした亮の顔は、日和とそっくりだった。その頭を日和がわしゃわしゃとなでる。
「その分今夜はいっぱい遊ぼ! なんかゲームしよっか?」
「うん!」亮がぱっと顔を輝かせて日和に抱きつく。「姉ちゃん、おかえり! 俺も会いたかったよ!」
「ちょっともー、泥だらけのユニフォームで抱きつかないでよー」
文句を言いつつも、日和は亮を引きはがそうとはせず、抱きしめ返している。
その様子を見ながら、彩葉は微笑んでいた。胸が温かくなって、日和の脱走を手助けして良かったと思える。同時に少し胸の奥が痛んだが、それには気づかないふりをした。
「そーいやこのお姉さん誰?」
日和から離れた亮が、彩葉を見て尋ねる。
「あたしのルームメイト。ほら、電話で話したでしょ」
「ああ、母ちゃんみたいに口うるさいって人!」
亮の言葉に彩葉は半眼になって日和を見た。
「へー、あんたそんなこと言ってたんだ」
「本当のことでしょー。先輩いっつもお小言言うじゃん」
「それはあんたがだらしないからでしょ」
言い返してから、彩葉は、こほん、と咳払いをした。
「それはともかく、はじめまして、亮くん。本条彩葉だよ。よろしくね」
「はじめまして」
亮はにかっと笑った。その顔も日和に似ている。
「そうだ!」亮は日和に向き直った。「姉ちゃん、超能力見せてよ。超能力! 電気バリバリってさ!」
「それは無理。あたしはまだ力を制御できないから、学園の訓練室以外では使ったらだめなんだ」
「えー、つまんねー。――じゃあ彩葉さんは? 彩葉さんも超能力者なんだろ?」
亮が期待に満ちた目で彩葉を見上げてくる。
「わたしの祝福……能力は無効化だから、目に見えるものじゃないんだ」
「ちぇー、何だよー。がっかりー」
つまらなそうな顔をしている亮の頭を、日和がぽんと叩いた。
「しょうがないでしょ。ほら、早く着替えといで。ゲームの準備しとくから」
「はーい」
亮が自室に行った後、彩葉と日和はゲーム機の準備をした。といっても彩葉はゲーム機に触るのが初めてだったので、日和の指示どおりに動いていただけだが。
「先輩、ゲームの間いつもみたいにあたしの腕触っといてね」
日和がささやいてくるのに、彩葉は「わかってる」とうなずき返した。カラオケやゲーセンなど日和が興奮しやすい場所では、彩葉が常に日和の体に触れておくことにしているのだ。
着替えて戻ってきた亮が、さっそくゲーム機のコントローラーを手に取る。それから、思い出したように言った。
「姉ちゃん帰ってきた、って、母ちゃんと父ちゃんにLIME送っといた! 今夜はごちそうかも」
「それは楽しみー。あ、でも、晩ごはん先輩の分も用意してもらわないと。それも送っといて」
「わかったー」
亮がスマホでメッセージを送り終えると、ゲームが始まった。彩葉にとっては全くの初体験だが、日和と亮があれこれ教えてくれる。
亮は性格も日和に似て人懐こいようで、初対面とは思えないほど気軽に彩葉に話しかけてくる。彩葉に対して屈託なく接してくる生徒は学園には多くないので、ちょっと慣れないが、嬉しくもあった。
和気藹々とゲームをしながら一時間ほど過ぎた頃だろうか、ガチャリと玄関のドアが開く音がした。
「ママかパパが帰ってきた!」
日和がコントローラーを放り出して、玄関に駆けていく。彩葉は急いで力の球を生み出し、その範囲を玄関まで広げた。
「ママ、ただいまー! おかえりー!」
「おかえり、日和。それにしても、どうしたの、急に帰ってくるなんて。亮から連絡貰って驚いたのよ」
「だってママたちが会いに来てくれないって言うから。それじゃあ、あたしが帰ってくるしかないじゃん」
「それは……」
日和と中年女性が喋りながらリビングに入ってくる。日和は母親の腕にしがみついていた。
「あ……そちらが夕飯を食べていくっていうお友達?」
日和の母親が彩葉を見て言う。彩葉は立ち上がって頭を下げた。
「はじめまして、本条彩葉です」
「天恵学園でのあたしのルームメイト。晩ごはん食べるだけじゃなくて、泊まってくよ」
「ああ、無効化能力者の……」日和の母親は一瞬ほっとした顔をしてから、微笑んだ。「日和がいつもお世話になっています。日和の母です」
「今夜はお世話になります」
「姉ちゃん、彩葉さん、早くゲームの続きしようよー」
じれったそうに声を上げた亮に、日和が「はいはい」と母親から離れてこちらに向かってくる。
だが、日和の母親が口を挟んだ。
「亮、ゲームはその辺にして宿題してらっしゃい。どうせまだ終わってないんでしょう」
「えー、まだゲーム途中だよ。せっかく姉ちゃんが帰ってきたんだし、もうちょっといいじゃん」
「だめよ! 部屋に行きなさい、って言ってるでしょ!」
突然大声で叫んだ日和の母親に、彩葉は驚いて少し身を引いた。
日和は目を丸くして、ぽかんと母親を見つめている。亮を見ると、こちらも同じ様子だった。日和の家ではいつもの出来事、というわけではないらしい。
我に返ったらしい日和が、口を開いた。
「えと……ママの言うとおり、宿題はやらなきゃだめだよ、亮。ゲームの続きはごはんの後にでもしよ。今は宿題してきなよ」
場を和ませようとしてか、日和は明るい声でそう言って亮の頭に手を伸ばす。
「亮に触らないで!」
悲鳴のような声に、日和がぴたりと手を止めた。日和の母親は、しまった、というように口を押さえている。その顔は青ざめていた。
日和がぎくしゃくした動きで母親の方を向く。
「何で……亮に触っちゃだめなの?」
日和の母親は答えない。日和がごくりと唾を呑んだ。
「……あたしが超能力者だから……?」
日和の母親はうつむいた。その姿が言葉よりも雄弁に語っていた。
「あたしが、亮を傷つけると思ってるの? そんな……そんなことしないよ。ちゃんと気をつけてるんだから……」
「そうだよ、母ちゃん。俺さっきからいっぱい姉ちゃんに触ってるけど、何ともないよ。ほら……」
亮が日和に手を伸ばす。
「やめなさい、亮!」
厳しい声に打たれて、亮が体をすくませる。
凍りついたような静寂が部屋を満たす。彩葉はただ力の球を維持することに全力を注いでいた。
ガチャリ、という音が不意に部屋に落ちる。玄関のドアが開いた音だ、と彩葉は一瞬遅れて理解した。
「ただいま。……ママ? どうしたんだ?」
日和の父親だろう中年男性がリビングに入ってくる。
「パパ……」
日和が泣きそうな声を上げる。それから父親に駆け寄った。
「聞いてよ、パパ! ママってば酷いんだよ。あたしが亮を――」
「やめろ!」
伸ばした腕を払いのけられて、日和がふらりとよろめいた。
「何で……?」
「あ、危ないだろう……」
日和の父親は、無意識にだろうか、両腕を掲げて防御体勢を取っている。
「パパも……あたしが怖いの?」
日和の父親は目をそらした。それを見つめる日和の横顔に、何かに気づいた表情が浮かぶ。
「ひょっとして、会いに来てくれなかったのも、それが理由? あたしが怖いから?」
日和は父親と母親を交互に見るが、どちらも娘と目を合わせようとはしなかった。
「……酷い。ママもパパも酷いよ! 超能力者になったからって、何でいきなりあたしのこと怖がるの!? あたしは何にも変わってないのに!」
日和の父親が、腕を下ろして咳払いをした。
「おまえが超能力者だから、というだけじゃない。おまえはまだ力の制御ができないんだろう。電話でそう言っていたじゃないか」
「それは、そう、だけど……」
「だから危険なんだ。学園で力の制御方法を学んでいるんだろう? なのにどうして帰ってきたんだ。力が制御できるようになるまで、学園から出てくるべきじゃない」
「それは、だって……だけど……だけど、今は危険じゃないよ。抑制装置着けてるし、先輩が……先輩、今あたしの力無効化してくれてるよね?」
日和に視線を向けられて、彩葉は無言でうなずいた。
「ほら、無効化されてるもん。大丈夫だよ。あたしに触ったって怪我したりしないよ」
日和は縋るような目で父親を見つめた。だが日和の父親は、緩く首を振った。
「それでも万が一ということがある」
日和の顔からすうっと血の気が引く。母親に視線を移し、妙に平坦な声で尋ねる。
「ママは? ママも、それでもあたしが怖い? 触ってほしくない? 傍に、いてほしくない?」
「わたしは……」
うつむけていた顔を上げて日和を見た日和の母親は、だがすぐにがくりと頭を垂れた。
「ごめんなさい、日和……」
日和が強く拳を握りしめる。白くなっていたその顔が一転して真っ赤になる。
「ママの馬鹿! パパの馬鹿! 二人とも大っ嫌い!!」
日和はくるりと身を翻すと、玄関に向かって走っていく。彩葉は慌ててその背を追いかけた。
「田辺!」
日和の両親の体を押しのけて走り、日和が玄関のドアを押し開けたところで追いついて、その腕をつかんで引き止める。
「離して!」
「一人で出てっちゃだめ!」
日和がはっと振り向く。その目をまっすぐに見つめて、はっきりした声で言う。
「あんたの今の状態で、わたしから離れたら、だめ。わかるでしょ?」
日和はうつむいた。そして、食いしばった歯の隙間から押し出すように言った。
「でもあたし、ここにいたくない。ママとパパと、いたくない」
「わかった。ここを出よう。荷物取ってくるから、待ってて」
彩葉は急いで日和の部屋に行き、自分と日和のバッグを回収した。玄関に戻る途中、リビングのドアの前で立ち止まって、日和の両親に声をかける。
「日和さんは、わたしが責任持って学園に連れ帰りますので、ご心配なく。それじゃあ、失礼します。――じゃあね、亮くん」
亮は泣きそうな顔で彩葉を見、口を開いたが、結局何も言わずに閉じてしまった。
日和はきちんと玄関で待っていたので、彩葉は小さく安堵の息を吐いた。日和にバッグを渡し、手をつないで、日和の家を出た。




