2.2
明津一彩はヒトである。野望はまだない。
生まれも育ちも野良猫よりか遥かにいい「僕ら」は、いかにして生きていくのか。
動物として欠陥を抱えたヒトたちの、苦悩と未来の物語。
さてここでひとつ、僕の考えを聞いてほしい。
あーいや、分かっているんだ。
みんなが知りたいのは僕が目の当たりにした秘境の話で、それ以外なんて二の次だって。
でもだからこそ、聞いてほしい。この話はどうしても今、必要なんだ。
たとえば、年中無休でパンツを露出している人がいたとしよう。日曜日の大トリに長いこと鎮座してる大家族の彼女みたいに、意識せずともいつでも見えるような、あんな感じで。
そんな人に、みんなは欲情できるだろうか。
たぶん、できないだろう。僕もできない。
実姉や実妹のいる人が、いない人に向かって言う「幻想なんて捨てた方がいい」「そんなに良いものじゃない」と口を揃えるのと同じにおいがするこの問題に、僕はこう答えを出した。
「エロをエロたらせているのは希少価値であり、普遍となってしまったエロは、もはやエロではない。」
暴論に見えるかもしれないが、これがさほど的を外していないと思えるのには、まだ根拠がある。
どこかのサイトで見た話、現代の結婚っていうのは3割〜4割が離婚という形で終わりを迎えるらしい。そしてその原因とされていた文字列の中に、レスというものがあった。
これこそがまさしく、普遍になってしまったエロがエロではなくなってしまった結果ではないだろうか。
基本的に人間というのは発情期がなくて、いつでも煩悩で溢れているような動物だ。それなのに人生で一番大きい選択と言い換えることもできるような「結婚」を揺るがすレベルのレスを生み出しているのだから、なにかワケがあると思うのが自然だろう。
そ!し!て!
どんなワケがあればそうなるかと考えてみると、どうだろう。僕の答えに帰結しないかい?
そんなわけで僕は、普遍的なものにはエロは宿らないというのをひとつの信条として生きている。
それを踏まえた上で、お待ちかねの光景描写へと進もう。
ああいやその前に、彼女のパンツが見えたことに関して、僕が責められる筋合いはないというのは言っておこう。まったく一ミリも、一ミクロンだって僕に責はない。だって彼女は、自分の足で僕を飛び越えたんだから。
まるで絶対王政下の下僕のように彼女の声に従った僕の頭上を、彼女は昆虫をモチーフに何十年も続いているヒーローものの必殺技みたいな軌道で通り過ぎたんだ。
窓の枠にでも上ったのかもしれないとさえ思う高い跳躍はそして、地球の宿命である重力を、一時的に緩和して。
結果、彼女…いや、彼女のスカートが再び宿命にがっちり縛りつけられるまでの数秒間がうまれたっていうわけだ。
これで僕が無実潔白なのは分かってもらえただろう。
じゃあ、今度こそ目の当たりにした光景の、いちばん大事な部分にいこうか。
彼女のパンツは、パンツだったのだ。
パンツではなく、パンツ、だったのだ。
拝読ありがとうございます。
この作品は毎日20時〜21時ごろ更新になります。
指摘や感想は自由なので、遠慮なく書き込んでもらえると嬉しいです。
*全てに目を通しますが、スケジュールの都合上、返信や内容への反映はこちらの独断を持って適宜行わせていただきます。