1
明津一彩はヒトである。野望はまだない。
生まれも育ちも野良猫よりか遥かにいい「僕ら」は、いかにして生きていくのか。
動物として欠陥を抱えたヒトたちの、苦悩と未来の物語。
人生において、いちばん幸福であるべき瞬間はいつだろうか。
告白やプロポーズが成功した時?
会社やオーディションに受かった時?
オトナの夜を堪能した時?
まあその他にも、色々と思い浮かべるものはあるだろう。
でもそのどれもが「いちばん」ではないというのだ。
なら「いちばん」はなんなのか。
それは「朝」だという。
正確には、朝、目が覚める瞬間。
それこそが、いちばん幸福であるべき瞬間なのだそうだ。
どうしてそんな瞬間が1番幸福じゃないといけないのか、分かる人はそういないだろう。かくいう俺も、初めて読んだ時は理解ができずに、応答を急かすように乱雑にページをめくったのを覚えてる。
そして、目を通して。……悔しくも、納得してしまった。
だから俺は、朝が嫌いになった。
俺の朝が幸福であることなんて、ないのだから。
チュンチュン、ピチュン、チュン。
俺の朝はいつだってこうだ。
爆音に叩き起こされるでも物理的に叩き起こされるでもなく、ただ決まった時間に滴る黒いしずくの音色で目が覚める。
最近はもうどっちが先かも曖昧で、もしかしたら目覚めの方が先なのかもしれないけど、まあどっちにせよ、敷き布団から身体を起こす合図がそれだった。
もしかすると先の音をスズメかなにかの鳥類だと思ってしまったかもしれないが、それは違う。
決していないってわけじゃないんだけど、ほら。
一彩の手に引かれたカーテンが身を束ねると、そこにはなにもない。鳥どころか、街灯も電柱もなかった。そこにあったのは、一面の黒だけだった。
小さい頃はこう、とにかく黒いものを嫌がったり怖がったりするっていう印象がある。実際俺も嫌だった気がするし、なんなら暗闇は今でも別に好きじゃない。
だけど、これはまた別だった。
一彩はパタパタと行き来しながら準備をした後、ベッドのふちに腰を掛けて、ハイボールを入れるような取手付きのグラスに入った黒い液体を舌の上で転がしながら思う。
大人になったなぁ、俺。と。
そしてそのまま時間は流れていく。
これも大人の時間の使い方なんだろうなぁと、眠気とカフェインに酔いしれた一彩は思い、悦に入るのだった。
……やってしまった。
一彩は教室にひとりきり。
40席ある教室のなかで、ひとりきり。
ーーーっ!!
慌てて教室を出て入り口に刺さっている札を凝視するも、その表記が変わるわけじゃない。
完全にやってしまったと、一彩は再度自分の机に戻ってきて突っ伏す。
これはあるまじきことだ。
早く着くこと自体は、俺家近いしチャリだし、なんとなーくそんな気がしてた。だからそんなに驚くことじゃない。
問題なのは、1/40に俺がなってしまったことだ。
こんなの、やばいに決まってる。
新年度を迎えてのクラス替え初日。
教室に向かうとそこには1人の男子生徒が。
1人で。ぼっちで。男子生徒が。
だめだ、最悪の未来しか想像できない。
こんなの、良くてぼっち確定、最悪だと変態認定で一年お陀仏だ。
俺はクラス替えに乗じてイメチェンして一発逆転を狙ってたわけでもないし、努力が無駄になる〜みたいな心配はない。
でもさぁ、でもだよ?
初日でマイナスに極振りだなんてあんまりすぎるだろ。
かといって廊下を徘徊していれば変態味が増す気がするし、そうじゃなくても、通りがかりの先生なんかに教室が分からなくて困ってると思われると面倒くさい。
どうすればいいんだー!!と頭を抱える一彩は、耳を巻き込んでいて気付けない。教室のドアが音を立てて開いたことに。
「そこの男子、なにやってるんだ?」
ゆえに、気づいたときにはもう遅い。
詰み盤面にて、相対すなり。
「ーーーえと、地元のクラブチームがどうしたら勝ち上がっていけるのか考えてました。」
これは相手に勝つための試合じゃない。
もちろん初手をどう打つかによってはまだやりようがあったかもしれない。でもこの状況じゃ、将棋でチェックをかけろっていうくらいの無理難題だ。
だから俺は、最もらしい理由でこの場をやり過ごそうと。
「それにしても早いな。新入生じゃあるまいし、緊張したわけじゃないだろう。」
「……家が近いので。」
「そうか…家が近い……家が」
あれ、なんか普通に逃げきれそう?
一彩は聞いた事のあるような声に小さな疑問を覚えつつ、ただそれよりも厳しい声を浴びせてくるでもドン引きしてくるでもない相手の態度に、もしかしたらいけるかもと希望を見出して。
「あーー。お前あれか、ひいろか。あかつひいろ。」
漢字わからんけど、と笑う相手に虚を突かれた一彩は、意識して下げていた頭を思わず上げてしまう。
そうして初めて、相手の顔が目に映る。
俺が爪先立ちしてギリギリ並べるかどうかという位の、ヒールを履いているのを加味しても十分にモデルに匹敵するような背丈に、元アイドルと言われても信じられる整った顔。
覚えがあると思った声にも自信がなくなるような、見たことのない美女がそこにはいた。
「そこまで言われると先生も流石に照れるぞあくつ。」
「……照れられる程のことは言ってないです。学校では見たことないっていう話です。」
いやそもそも口に出してたつもりはなかったんだけど。
照れ照れ///と古風な喜び方をしている相手にかき乱されながらも、なんとか出てきた情報で渡り合おうとする。
「先生は2-Bの担任ですか?」
「んーいや?私は担任なんて持たないよ。めんどくさいからね。」
うわーって思っただろ〜今。先生国語の先生だから分かっちゃうんだぞそういうの〜とウザ絡みをしてくる。この人、飲んでるのか?
「じゃあなんでこの教室に?」
こういう人相手には飲まれたら終わりだと直感した俺は、自分のペースで話を進めようと口を開く。あわよくば、大人らしいところを見せてくれと願いながら。
「ちょっと探しものをしていてね。」
「じゃあもう探すのに戻ったほうがいいですよ。ここには俺しかいないわけですし。」
「んや、探しものは見たかったんだ。」
「……何を探してたんですか?」
「その前に自己紹介をしておこう。私は柚月詩乃。しがない国語教師だ。」
よろしく〜と差し伸べられた手を、一彩は取る気になれない。だってこの流れは、おそらく……
「それじゃあ早速ついてきてもらおうか、あくつくん。」
うん、取らなくても変わらなかった。
どうやら探しものは、始業式の2時間前から教室に居るような変わった人材だったらしい。
拝読ありがとうございます。
この作品は毎日20時〜21時ごろ更新になります。
指摘や感想は自由なので、遠慮なく書き込んでもらえると嬉しいです。
*全てに目を通しますが、スケジュールの都合上、返信や内容への反映はこちらの独断を持って適宜行わせていただきます。