06 : Day -52 : Chitose-karasuyama
長かった前夜祭も、終わりを告げるときがきた。
「それじゃ明日、渋谷で」
一同を玄関に送りながら、ケートは言った。
「ああ、また明日」
「ありがとーケーたん、ごちそうさまー」
「有意義なお話を伺えましたわ。ありがとう」
社会の良識をわきまえる高校生たちは、あいさつを交わす。
「で、どこにする?」
期せずして交錯する6人の視線。
「そうだなー。迷いやすいやつがいるから、わかりやすいところで……」
サアヤを一瞥するまでもなく、チューヤがすかさず予防線を張ったが、
「いや、決めないでおこう」
ケートの妨害によって突き破られた。
「……どういうことだ?」
いぶかしげな一同の視線を受け、ケートがその意図を開陳する。
「明日の集合は、運を天に任せないか? ってことだ」
「だから、どういうことだよ」
「楽しいハロウィンだよう。みんなで遊ぼうよー」
騒がしい一般ピープルにも理解できるように、噛み砕いて説明するケート。
「だから渋谷に集合、だろ? それはいい。渋谷エリアのどこか、決めずに集まって、最初に出会ったのが運命の相手、ってことにしようぜ」
なるほど、と知性の高いメンバーから理解を示す。
「まあ、ロマンチックですこと」
「……いやな予感しかしねえ」
「どのみち、まともに済む予感なんかない。そのくらい遊んでもバチは当たらんだろう」
いやな予感の張本人であるサアヤが、すなおに自分を表現する。
「迷子になる予感しかしないんですけど……」
「あっはは。サアヤにはきついミッションだったか。ま、死にゃしないだろ。いざとなったら非常連絡網もあるしな」
「心配するな。あたしが一億人のなかからでも見つけてやるさ」
「信じてるよ、フユっち! 根拠はないけど!」
「おう、本気だぜ!」
仲良き女子は、速やかに了解に達した。
「それで、時間は?」
「ハロウィンだからな。暗くなってからが本番だろうから、日没1時間まえに渋谷。日没までに会えなかったら縁がなかったってことで、グループチャットで落ち合えばいい」
「チャットしても、うまく合流できる自信ないよ……」
「そのときはチューヤに電話しろ。どの場所に放り出されても、自分がいまどこに立っているか、瞬時にわかる特殊能力を備えたやつだからな」
「変人みたいな言われようだな。東京はランドマークが多いから、見まわせば、だいたいわかるだろ」
チューヤにとっては、当然のスキルだ。
しかし、見まわしただけで自分の位置がだいたいわかるようなGPS人間は、
「あなただけですよ……」
その点、ヒナノすら認めざるを得ない。
マフユはむき出しのライバル意識で、
「おまえなんぞに負けないからな、チューヤ」
対抗する意志のないチューヤは静かに答える。
「う、うん。がんばってサアヤ見つけてあげて」
「ズルすんなよ!」
「そういう誇りが、このなかでいちばんなさそうなやつが、おまえだよ蛇女」
「なんだと、てめえ。あたしはズルなんか、し、しないわ」
「…………」
チャンスさえあればするだろう、と全員思ったが、このルールなら、応じる者さえいなければ問題はない。
「ふん、まあ好きにしろ。それも含めて、運命を手繰り寄せる力のゲームだ」
「なんかおもしろいことになってきたな。……どうした、チューヤ」
「も、もし、まっさきにお嬢に出会ったら……」
「あははは。いいね、そんときは付き合ってもらおうか?」
男子3人、3バカトリオの軽口。
ヒナノは一瞬、上気したような目をリョージに向けてから、その横でてれてれと笑うチューヤに気づき、鼻白んだような表情で、
「なにをバカな。世界が終わっても、ありません」
一刀両断、切り捨てた。
「ふっ。バカづら下げてどうした、チューキチ」
「うっせ、サアヤうっせ」
このあたりの人間関係も、若気の至る高校生らしい。
「指定エリアは、渋谷の市街地区域のどこかだ。集合は午後5時から6時にかけて。好きなところをふらついてろよ。そこで会ったメンバーが、運命の相手だ」
ケートの宣言で、ルールは確定した。
「まあいいでしょう、お好きになさい」
「おっけー。まっさきに見つけるぜ、サアヤ」
「楽しみー、けどちょっと不安~」
女子3人も、空気を読んで受け入れた。
鍋部は日々、高校生活を楽しまなければならない。
「待てよ、チューヤ」
エレベーターに乗りかけた5人の背後から、ケートが声をかける。
ふりかえるチューヤ。背後では、すでに全員がエレベーターのなかにいる。
「さきに降りてるぞ」
リョージの言葉で、閉じる扉。
チューヤとケートは数歩進んで、指呼の距離に立つ。
「なんだよ、ケート。ズルはナシだぞ」
ケートの服装はしどけなくはだけ、男の目から見ても一瞬、ドキっとする。
彼の少年のような外見は、多くの人間に愛されるようにできている。
ケートは懐からカプセルを取り出しながら、
「ある意味、チートかもな。……レベルは25を超えたか、チューヤ」
境界化しなくても、ナノマシンは起動できる。
こちら側で悪魔の召喚などはできないが、データの確認はつねに可能だ。
「あ、ああ。そういえば、ナノマシン上限解放のお知らせはあったかな」
「ほしいか?」
指の上でカプセルをくるくるまわすケート。
「くれるつもりで呼び止めたんじゃないの?」
途中まで手を差し出して答えるチューヤ。
「ふん、つまらん男だ。必死に欲して手に入れたものだからこそ、価値やありがたみが出るもんだぞ」
「じゃ、いいよ。自分でなんとかする」
「キミにそんな甲斐性はない」
「はっきり言うね……」
そのとき、ケートは指の上のカプセルを、口を開けてみずから口に含んだ。
「なんだよ、結局くんない……」
つぎの瞬間、ケートの唇がチューヤに重なる。
唖然として動きを止めるチューヤの口に、唾液に濡れたカプセルが滑り込む。
ケートの舌が触れ、しびれたような感覚とともに、チューヤはごくりとそのナノマシンの塊を飲み込んだ。
──しばらく言葉が出ない。ケートは、どういうつもりなのか。
「そういう世界もあるんだよ、知っておけ、チューキチ」
どこかいたずらっぽく笑って、ケートは一歩、退いた。
「け、けい……」
「まあ、キミらとボクは、ちがうといえばちがうのかもしれんがな。……ボクはこうして、自分から進んでここに立ち、みずから選んで、あの部屋にもどる」
彼は、なにを言いたいか。
そのメタファーを正確に類推できるほど、チューヤは頭がよくない。ただ、なんとなく、このことには意味があると感じてはいる。
──ケートとラーマパパの関係。
親戚筋には当たるが、直接の血縁関係はない。
日本に暮らしたいというケート当人の希望により、自由に住居を選んだ。かつ高度な教育を受けさせたいという親の希望も作用した。
昔から、マーヤママは最大の教育要員として、ケートの数学的素養を涵養してくれたが、中学高校と進むにつれ、より高度かつ適切な助言者が必要とされた。
そうして選定されたのが、ラーマパパという援助者だった。
ラーマパパは、有名な天文学者であり、アメリカの政府筋にも強いパイプをもっている。彼が日本にやってくるのは、重要な同盟国だから、という表向きの事情もある。
当然、ケートの援助者として、自由な学究生活の面倒を見、適切な機会を与える助言者としての役割も期待された。
彼が知りたいと思うことを教え、知るべきだと思われることも教えた。
当初は、家庭教師的な存在だったという。
ある日、その関係は歪んだ。
当人に言わせれば、教育の延長線ということになるが。
すくなくとも両者の関係は、新たな段階へと達した。
それが「大人になること」なんだと、ラーマパパはケートに教えてくれた──。
「誤解のないように言っておくが、ラーマパパはすばらしい人間だ、教育者としても」
ケートは、まずチューヤのただれた思い込みから修正にはいった。
「そ、そうなの?」
「そうとも。彼の天文学教室がどれだけ人気か、三鷹の天文台を訪れるまでもないだろ? 理科に造詣が深く、多くの小学生、中学生の受験に役立つ授業をやってきた。彼のおかげで理科に興味をもち、最先端のサイエンスを切り開いている人間は、多数いる」
「そっか、たしかに先生としては、優秀なんだ」
「超一流の天文学者だよ。その点はまちがいない。そして最高の教育者でもある。理科が好きになってほしい。心からそう思っている。子どもたちに向けて、最高のカリキュラムを組んでいる。
教わる栄に浴した子どもたちは、だいたい成績が上がる。やる気が出て、そのさきへと突き進む。ラーマパパの教育は、ほんとうに正しいんだ。理科が大好きで得意な人間を、たくさん育ててきた。
ボクの理数系知識の多くも、ラーマパパから教わった。ほんとうにすばらしい教育者だ」
チューヤの先入観が、こね直されていく。
それでも彼は軽く首を振り、彼自身の常識と良識にすがりつく。
「……おまえは、被害者なんじゃないのか」
「くだらんな。そんな低劣な見方しかできんのは、ほんとうにくだらん。生まれつきの性向、性癖が問題視されるとしたら、彼は運がわるかっただけだ。それに彼は、だれも殺していない、むしろ多くを助け、大きく育ててきた。たとえ多少のマイナスがあったところで、プラスがあまりにも大きければ、そんなマイナスは無視されるべきだ」
「本気で言っているのか」
「もういいだろう、黙れ。ボクは決めたんだ。彼が魔法の指輪をはめていて、特異な思想を持っていたとしても、理科系の教育信念とサイエンス重視の思想は、まちがっていない。そして、ボクたちにとって、それこそが正義なんだよ」
ケートの思想は固まっている。
むしろ、いぜんとしてあいまいなままのチューヤのほうが、ケートを見習わなければならない可能性すらある。
すくなくとも、ここで出せる結論ではない。
「あのさ、もしかしたら」
「行けよ、チューヤ。──ほらカプセル、もひとつ。サアヤの唇に、同じようにして流し込んでやれ」
軽い所作で、新たなカプセルを取り出すケート。
メーカーにコネクションをもつ以上、在庫は豊富だ。
サアヤの唇に。その言葉の意味を想像して、頬を染める草食系男子。
「いや、その」
「なんだ、いやならボクが代わりに」
「いただきます!」
バッ、とケートの手からカプセルを奪う。
ケートは唇の端をゆがめて、彼がときおり見せる、若さをあざ笑うような、どこか老成した挙措で踵を返した。
「じゃ、明日な。……運命を、試そうぜ」
ケートの背中が、ドアの向こうに消えていく。
チン、と背後で無人のエレベーターの扉が開いた。
チューヤは唇に触りながら、どこか茫洋としてエレベーターへと乗り込んだ。
このさきに待つ運命とは、なんだろう……。