04 : Day -52 : Roka-kōen
「自分たちがどんな宇宙に住んでいるか、見せてあげよう」
ラーマパパの言葉に合わせて、映像は急速に引き、渦巻き型の銀河系が出現する。
美しく彩られていく、われらが天の川銀河。
周囲をリボンが取り巻き、幻想的な姿を見せる10万光年の螺旋。
「これ、私たちの銀河系だね!」
「アホの子でも、そのくらいは知ってるんだな」
ただし銀河系の正確な形は、じつはわかっていない。
森のなかにいて、森の形を探るに等しい困難があるからだ。
それでも天の川銀河の姿は、観測技術とコンピュータの進化で、より正確にとらえられるようになってきた。
「渦を巻いていることはわかっている。だが、正確な形はわかっていない。腕の数すら異論があるくらいだ。とても残念なことだが、われわれはそれを見たことがない。まだ銀河系の……いや、太陽系の外にすら出たことがないのだからね」
ラーマパパの口調は、真摯さに満ちている。
とある専門領野における科学者というものは、おしなべて知的好奇心の塊だ。
「たしかに、外に出て眺めもしないで、よくオレたちのいる銀河の形がわかるよな」
「べつにそんなこと知りたくないよ、って人々が多いのかもね」
「予算がこない理由まで、どうやらわかってくれたようだな」
リョージ、チューヤ、ケートの会話に重ねるように、
「わたしたちは、銀河系のこのあたりに住んでいる」
ラーマパパの言葉にしたがって、銀河が回転しながら6人の周囲に拡大されていく。
よく知られる渦巻き螺旋の形の外側に近いあたりに、赤い点が光る。
われわれの太陽系だ。
「へー、けっこう外側にいるんだねー」
「夜空を見上げた景色が、これだ」
円盤に対して視点が大きく移動しながら、横から見た図が、そのまま夜空を見上げた景色に重なっていく。
画面をくるくるまわしてみても、いまいち実感できないことは多いが、現に三次元的に示してもらえると明快だ。
「なるほどー、わかりやすい!」
「宇宙って、こんなんなってるんだね」
「じつに興味深い。……これは、円盤の内側から中心部を見ているわけか」
「この天の川銀河の観測については、日本がアメリカに協力している。それも太平洋戦争中、1944年に、ということをご存知かね?」
ラーマパパの問いに、だれも答えはもたない。
ケートさえ、初耳だという表情をしている。
壮大な宇宙の話をしていたのに、一気に地上に引きずり降ろされた感じだ。
──日本の潜水艦がアメリカの西海岸を攻撃するとの情報があり、ロサンゼルス周辺は当時、灯火管制によって暗闇に包まれていた。
この暗闇が、天体観測には最高の条件をつくった──。
そんな皮肉な話に、高校生たちはあいまいに納得する。
もうひとつ、敵性人間とされ正式の仕事に就けなかったドイツ人、ウィルヘルム・バーデがウィルソン山天文台に流れ着いたことが、枢軸国によるアメリカ天文学への貢献として、ひそかに知られている。
彼は、ロサンゼルスの暗闇を利用して行われたスペクトル分析から、その特性に顕著なちがいのある星々の二種類の集団を発見した。この「種族」という発想を含むバーデの大発見は、のちの星の進化についての研究に、大きな影響を及ぼす。
「人類史を知らずに宇宙は語れない、ってか」
星々の進化の研究に、人類の愚かな歴史が、小さな影響を与えた話。
あまり認めたくない気はしたが、ケートはそういうラーマパパの性格も含めて尊敬している。
太った好々爺は一瞬笑みを浮かべ、それから高校生たちを取り巻く壮大な宇宙空間のコントロールへともどった。
──銀河は、その中心で元素を合成しながら、みずからを輝かすエネルギーを生み出し、その過程を通じて内部構造を変えていく。
詳細な観測により得られた座標系と時系列は、強力なコンピューティングによる不断の営為によって計算され、一定程度の宇宙史を解き明かしつつある。
ラーマパパの操作にしたがい、プラネタリウムは銀河系の周囲を雄大に旋回する。
周囲には点のように見える光の塊。
接近すると、それが無数の光の集まりであることがわかる。
これについては、ケートの口からも説明できる。
「球状星団だ。100億年以上たった星どもの老人クラブだよ」
「じつに興味深い。彼らの話を聞ければ、多くの謎が解かれるだろう」
銀河の回転するディスク、中心のバルジから視線を仰向ければ、全天のハローに分布する球状星団が、ひっくり返した宝石箱のように輝きを放つ。
これらの成り立ちを考えることは、宇宙論にとって非常に重要かつ、おもしろい。
「うちらの銀河に、大部分の質量を剥ぎ取られた伴銀河の成れの果て、なんだろパパ」
「そういう老人もおろうが、そうでない若者もいるだろう。それに、これらの老人が見てきた歴史は、そのまま宇宙の歴史でもある」
ケートとラーマパパの会話を、他の高校生たちは聞くでもなく聞いている。
──現在までに銀河系の周囲には、三桁ほどの球状星団が見つかっている。
球状星団を構成するのは、ほとんどか太陽質量以下の寿命の長い星であり、この「老人クラブ」のメンバーの年齢だけとってみても、宇宙の年齢が、すくなくとも100億歳以上であることがわかる。
彼らはその長い寿命を通して、これまでにどんな宇宙史を見てきたのだろう──。
「そう言われると、なんかワクワクすんな」
「リョージも? いや、じつは俺も、さっきから背中ぞくぞく止まらん」
このときばかりは男子たちの気が合う。
そもそも男子は生物化学的に、「デカく」て「動くもの」が大好きにできている。
宇宙のデカさは、折り紙付きだ。一見、動いているようには見えないが、じつのところ壮大な宇宙物理学にしたがって脈動している。
未知なる宇宙に挑む科学者の多くは、その少年のころの気持ちを保ち、かつ深刻にこじらせていった結果、といってもいいだろう。
もぐもぐと餌を食らっていた女子たちは、ちょっとだけ反省してロマンチックな気持ちを思い出そうと努力したが、マフユの派手なげっぷでその気も失せた。
サアヤは、軽くむせているマフユの背中をとんとんとたたきながら、
「もう食べすぎだよォ、フユっちー」
「チビのオゴリだと思うとな、永遠に食える」
「どういう理屈ですか、あなたは……」
プラネタリウムには、浮き上がるようにいくつかの計算式。
ここまでくると食いつくのはケートだけで、リョージとチューヤは早々に離脱せざるを得ない。
──天の川銀河に満ちている水素ガスから出る電波を観測し、どの方向からどの強さの電波がくるかで、星の分布を計算できる。
こうして天の川銀河の立体的な地図ができていく。
星の多いところをつなげると、たしかに渦巻き模様になっているらしい。
さらに外苑部分では、円盤が大きくゆがんでいることがあきらかになった。
「右側は5000光年ほど上がっていて、左側は3000光年ほど下がってから、また上がっている」
「銀河って、意外に歪んでるんだね」
たしかに美しいが、必ずしもシンメトリーではない。
「なんでこうなってるの?」
「20万光年ほど離れた小さな銀河、マゼラン雲が関係しているだろうと考えられる。マゼラン雲は現在、秒速380キロで銀河系の横を通りすぎていっているところだが、その影響で外苑部が歪んでいるのだろう」
「空間が波打っているわけだ」
ケートの言葉にしたがい、無数の計算式が空中に投影される。
対象年齢=ケートの世界は、他の面々にはさっぱり意味がわからない。
「じつは、銀河系の周囲にはマゼラン運を含む矮小銀河が多数あり、これらが特定の軌道で周囲をまわっている。矮小銀河を観察することにより、このように──銀河の周囲にリボンのような星の線が描かれていることも、あきらかになっている」
ラーマパパの言葉にしたがって、再び拡大した銀河系の周囲に、長く壮大な美しいリボンが描かれる。
マゼラン雲、いて座矮小銀河などの文字が空間に浮かび上がり、その軌跡に美しい色がつけられている。矮小銀河から飛び出した星の数々が、銀河系を取り巻いているのだ。
計算式はともかく、ビジュアルはたしかに感動的だった。
「赤い星の寿命は長い。全方向の観測データから、その色を抜き出して軌道をポイントしていく。それがこのリボンのようなレッドラインだ」
立体映像を操作するラーマパパの指は、芸術的に美しい宇宙をみごとに体現している。
何重もの矮小銀河が描く無数の星のリボン。なにより美しいのは、幻想的な星空は、すべて計算によって確定された「事実らしい」ことだ。
天の川銀河が向かう方向と、その逆方向で働く重力の大きさがちがうことで、銀河が引き伸ばされ、このような軌道が描かれるということが、数式とともに表示される。
その文字すらも芸術的で美しい──と感じているのはケートだけかと思えば、チューヤとヒナノもすこしだけ感心してそれを眺めている。
この数列に込められた人類の叡智には、敬意を表さざるを得ない偉大さがある。
──いぜん全容は解明されていないが、矮小銀河が天の川銀河に合体することによって、さまざまな天体現象を演出しながら、やがて消え去る花火のように、何十億年もかけて現れては消えていく。
「むしゃむしゃ、うまいなこれ。おまえら、さっさと食わないと、あたしが全部食っちまうぞ」
ビュッフェ形式で部屋の片隅に積んであった料理は、すでに半分方、特定の胃袋によって片づけられている。
北のバイキングの末裔、暗黒の底に暮らすマフユには、星空などなんの興味もない──。
ふいに宇宙がゆるやかな回転をやめ、太陽系を目指して急激に視点が収斂していく。
ラーマパパは落ち着いた声で、
「さて──それではわたしたちの大事な客人、カトリック的世界観に守られたご令嬢に敬意を表し、あなたの宇宙をご覧になられたい」
その操作に合わせ、ヒナノの周囲に天体のリボンのように、フォーカスの光が集まる。
「…………」
ヒナノは無言で、自分の立ち位置を探る。
彼女の怜悧な視線は、ケートから、部屋の奥、ラーマパパのシルエットへと素早く走っている。
そのラーマパパの動きにしたがい、天体図が大きく座標を変えていく。
──現れたのは、キリスト教の宇宙。
太陽には聖フランチェスコ、木星にはダビデ、それぞれの惑星がそれぞれの徳性と聖霊をともなって、回転する天球儀。
宇宙の中心はあくまで地球であり、地上は、天上界の最下位である月の下にある。
「これは14世紀的な概念だが、古典派はこのあたりから暗に勢力を伸ばしてきていたはずだね?」
ぴくり、とヒナノの肩が跳ねる。
信仰を裸にされたところで、恥ずべき一点もない、と彼女は自身を励ます。
「中心が地球であれ太陽であれ、宇宙をまわしているのは天使たちですわ」
ヒナノの背中に、天使の羽が生えたようなエフェクトが舞ったのは、ラーマパパ一流の皮肉か、それとも。
──たとえ科学の最先端を突き進み、宇宙飛行士になったとしても、宇宙に回転運動を与えている原初的、根源の力に、神を見出す人々は現にいる。
周辺空間には『神曲』の世界。
その宇宙はアリストテレス=プトレマイオス的でありながら、第八天までのすべての天体が、諸霊とともに配置されている。
「そう、不動の地球に関する多くの記述には反感を示す人々もいたが、ヨシュアは、神が太陽を天の中空にとどまらせたという記述をもって、地動説を否定はしていない……という見方もある」
ラーマパパが、ゆっくりと姿を現す。
彼が動かすまでもなく、この部屋を包み込む最高度の「システム」は、それを生み出した人々の期待に十全の応答を返すだろう。
大規模言語モデルは鋭敏にラーマパパの言質を拾い、空間にヨシュア記10:13を浮かび上がらせる。
──中世ヨーロッパで、宗教に革命をもたらそうとした多くのキリスト者たちが、旧来の既得権者たちを否定しながら、それでも自分たちの信仰を守るために、でっちあげようと努めた「合理的な思考」の跡だ。
「お詳しいのですね」
ヒナノの唇が、不敵に吊り上がる。
「情報を収納したり取り出したりする能力は、もはや人間には、たいして求められてもいないだろうとは思うがね」
パワーは機械のほうがあきらかに上だし、インフォメーションも半導体が上になった。
人工知能は多くの意味で、ほどなくシンギュラリティを超える。
それでは人間は、これからなにをしたらいいのだろう?
「パパ。あんたが天使に消されないうちに、この罰当たりな画像のほうを消したほうがいいぜ」
いつの間にか空間には、デカルトの姿が投影されていた。
これが罰当たりな連想だということに、もちろん多くの友人たちは気づいていない。
粒子という考え方に基づく、機械論的な宇宙。
そこで神は、以後、ニーチェへとつながる近代史のなかで、殺されていく。
宇宙観の根本的転換を示すデカルトの著書『哲学の原理』が紐解かれようとしている画面を、ラーマパパは手で振り払うようにしてかき消した。
後に控えていたケプラー、ライプニッツ、ニュートンといった名士たちが、出番をなくして悲しそうに引き下がる。
──宇宙は神を否定したのか?
いや、まだそうとは言い切れない。
「どうあがいても、宇宙は神学ではなく、数学によって表現されるべきものだからな」
画像を消させておきながら、もっとも痛烈に「神学機構」を批判するのは、当のケートである。
ヒナノは優艶にふりかえり、
「あなたの名を、禁書目録に」
「ごめんよ、どこかのインデックス」
絡み合う視線が奈辺の思想を地盤に屹立するか、同級生たちの視界には深奥まで理解できず、なお懸崖は広がっている。
ラーマパパは、リョージのほうを顧みて言った。
「きみの星も、見たいかね? 宿命のライバルくん。……宿命か。いいね、若さに満ちた響きの言葉だ。リョージくん、だったか。うちのケートより強い、きみだ。わしは好きだよ、強い男はね。弱い男は、もっと好きだが」
見ようによってはいやらしい笑いを浮かべ、ラーマパパの指がリョージからケートへ、そして再びリョージにもどる。
忖度という言葉の意味をだれよりも知る域に達した人工知能は、すぐさま宇宙を別の色に染める。
風景が一転、リョージの勤務する中華料理屋を思わせる、道教寺院に囲まれた中華街の一点にフォーカスしたかと思うと、その宇宙観は多彩な神々を描きながら、わかりやすい北斗七星、南斗六星へとすべっていく。
リョージはすなおに、自分につらなる宇宙観に身をゆだねる。
「へえ、これが中華料理屋の宇宙ってやつか」
「コスモを燃やす料理の世界ってやつだね!」
「これでフカヒレのひとつも出てくりゃ文句ないんだけどな」
少女たちの思いを無視して、映像は男たちの世界を疾駆している。
たいへんな格闘家たちを擁し、南北に分かれて対立するホクトセイクンとナントセイクン。
リョージの背後に道教思想があることを、ラーマパパはいつ知ったというのか。
「……本来は太上老君の派閥なんだよな、おまえは。そこに、なぜルシファーが絡んでいるのか、小一時間、問い詰めたいところだが」
ケートはリョージの立ち位置を、かなりよく知っている。
「ただの客だよ、ルイさんは。いつか斉天大聖の力を身につけたオレは、たぶん最強になると思うぜ。ウッキー!」
冗談めかして猿のしぐさをするリョージ。
しかしそこに冗談にならない背景があることを、ケートは理解している。
「つぎはそちらの、よく食べるお嬢さんの星座でも追いかけようかな?」
ラーマパパの言葉に反応して、鶏のから揚げを頬張るマフユの上に、スポットライトが集まる。
「ボクは興味ない。トイレ行ってくる。行こうぜチューヤ」
「なんで連れション。まあ、ちょうど行きたいから行くけども」
ケートとチューヤが部屋から姿を消すなか、舞台には北欧の星空が展開していった──。