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38 : Day -48 : Shirokane-takanawa


「で、なんだっけ?」


 漠然とした方向を決めて歩き出した矢先、サアヤは問うた。


「シロガネの肉、っていうことは、白金台あたりの焼き肉店かなんかに、お嬢の行きつけのお店があったりなんかしないかなーとか、そういう漠然とした感じ?」


 チューヤの答えも、いいかげんざっくりしている。


「そんなんじゃわかんねーだろ、ばかたれ。なーサアヤ、今夜はもう無理だよ。助けるのはわかったから、明日ゆっくりと探そうぜ」


「蛇にしてはいいことを言うな。ボクもそう思う」


 このふたりの見解が一致することもめずらしい。

 薄情なことを言う鍋部部員たちに、サアヤがメッメをしているあいだ、チューヤはもちろんナノマシン全開で周辺をサーチしている。


 現状は「こちら側」なので、悪魔の召喚などはできない。

 だがナノマシンの起動まで妨げるものではなく、むしろ夜中は、潜在化した魔術回路によって集中力がいや増す、というメリットがある。


 ……むこうから、変なひとがやってくる。

 チューヤはいち早く気づき、警戒を高めた。

 ふらり、ふらりと左右に揺れながら、つぎの街灯の下に見えたその姿は、かなり印象的だ。


 つるりと輝く禿頭。

 この季節にしては涼しかろう、ランニングシャツ1枚。

 でっぷりと肥えている。


 その手に見える楽器らしきものが、また目を引く。

 弦楽器のようだが、杖のように長い。

 そして、それを道先案内に突いているところをみると、目が見えないようだ。


 黒い色眼鏡をかけたその顔立ちもまた、日本人離れしている。

 いや、あきらかに日本人ではない。

 べべん、と太ったその男は、杖のような楽器を弾いた。

 瞬間、チューヤの背後からケートの声がした。


「あれ? イッヒさんじゃないですか」


 どうやらケートの知り合いらしい。

 本来は安堵してもいいところだが、なぜかチューヤは、いやな予感がした。

 ラーマパパもそうだが、ケートの知り合いには油断できない。


 イッヒさんと呼ばれた外国人は、その声に反応し、べべん、と再び楽器をかき鳴らした。

 どうやらエコーロケーションらしい。

 音(超音波)を出して、その反射を聞いて周辺のようすを知る、というコウモリやイルカなどがよく使う方法だ。


「知り合い?」


 ケートと座頭イッヒを交互に見るチューヤ。

 ケートはうなずいて、


「ああ。たまにラーマパパのところに遊びにくる。本名は知らんけど、みんなは座頭イッヒさんと呼んでる。本職は銀座の小学校の用務員で、僧侶もやってるらしい」


 盲目の用務員とはめずらしいが、僧侶を兼任しているのは尚めずらしい。


「変なやつの周りには、変なやつが集まってくるもんだな」


「きさまにだけは言われたくないぞ、蛇」


 そんな会話を無視して、再び座頭イッヒという男は、べべん、と楽器をかき鳴らした。


「べべん♪ あれはムジナか、キツネかいな」


 見えてはいないと思われるが、その視線のさきには、たしかに動物らしい毛皮が暗闇をよぎっている。

 ここは恵比寿のガーディアン・プレイス・タワーからすこし南へ下ったところ、左手に国立科学博物館附属自然教育園の森が広がっているあたりだ。


「いや、ネコだと思いますが」


 チューヤは言いつつ、もしかして三味線の皮にする気でしょ、という目で見つめる。

 座頭イッヒはゆらりと身体を揺らし、いい声で情感深く歌い上げる。


「親の皮じゃに懐かしかろう、べべん」


 二代目竹田出雲『義経千本桜』に、狐忠信という狐が登場する。

 静御前のもつ鼓が、自分の母親の皮を張ったもので、それを恋しがり大活躍する話だ。

 最近ではスーパー歌舞伎の見せ場としても、狐忠信の宙乗りは親しまれている。


「え……ほんとに猫の皮なんか集めてんですか」


 いぶかしげなチューヤに、当人に代わってケートがフォローを入れる。


「いや冗談だろ、たぶん。イッヒさんはドイツ人だから、イッツ・ジャーマンジョークだ」


 会話しながら、彼らはごく近い距離まで近づいた。

 あらためて見ても、まったく個性的な人間だ。ここが境界だったら、まちがいなく悪魔の力を使ってくるにちがいない。

 そこで、座頭イッヒは顎を上げ、臭いを嗅ぐようなしぐさ。


 ケートはしかたなく、友人として3人を紹介する。

 蛇は敵だが、という説明は面倒だからはしょった。


「キツネ、キツネ、罪深キツネ」


 べべん、と鳴らしながらお返しとばかり歌う、座頭イッヒ。

 それがケートの耳に引っかかる。

 ──彼は、だれに向けて、なにを歌っているのか?

 意外に事情通のドイツ人だから、深く考えようとするといくらでも不安がいや増す。


「どうしたチビ、アホヅラさらして」


 目ざとく突っ込むマフユ。


「アホ大将に言われると衝撃が大きすぎて気が遠くなるな」


 じっさいケートは、ふらりとよろけて言った。


「そりゃいい。遠くへ行ったまま二度ともどってくんな」


 マフユにはもちろん通じないが、理解した表情で、ぽんぽんとケートの肩をたたくチューヤ。

 俺にはわかってるよ、という意味だ。


「いまの、青大将にかけてたんだよな?」


「うるさいぞチューヤ、それでも日本男児か」


 日本人の美学においては、察する時点における完結性に得難い相互理解がある、とされる。

 つまり、あらゆるダジャレは「説明してはいけない」のだ。


「ラーマパパさんの知り合いなんだろ?」


「ああ、そうなんだが、先週ちょっと近所で問題になっているカラスの件でな……」


「そういや、千歳烏山の悪魔はヤタガラスだもんな」


「ヤタガラスを悪魔呼ばわりもどうかとは思うが。一応、日本神話の神の使いだろ」


「そういう基本的な語彙上の疑念は、そろそろ乗り越えてよ」


「ああ、そうだな、すまん。まあ、地元でちょっとした変態事案というか、カラス退治に付き合ったというか、付き合ってもらったというか、そういうことがあったのさ」


 そういうシナリオ分岐もありえたのか、と類推するチューヤ。

 並行世界の本質に、どこかで気づいている。

 変態事案という部分がすこし気になったが、怖いので追求しないことにした。


「南小路の娘のもとにゃ、北の大路を通りゃんせ」


 と、そんな座頭イッヒの都都逸を耳にして、ようやくチューヤたちもこの出会いの重要性に気づいた。

 三千世界のカラスを殺し主と朝寝がしてみたい、という有名な調子に重ねて、座頭イッヒは歌っている。


「イッヒさん、なんか知ってんすか?」


 ケートの問いにも、あいかわらず座頭は我が道を行く。

 ドイツ都都逸、都都逸ドイツ、イッヒ・ムジーク・シュトラーセ(私の音楽道)。


「あっしにゃあ、かかわりのねえことでござんす」


 だいぶまちがった方法で、日本文化を勉強してきているらしい座頭イッヒ。

 そもそも黒メガネで肥満体にランニングシャツ姿、仕込み三味線杖をつきながら、ときに音楽を奏で、都都逸を歌う。

 これほどシュールなキャラは、先日の渋谷のイベントで見かけたシロクマの残酷系ゆるキャラ、アクマダモンくらいだろう……。




 ベベン、と三味線を鳴らされると、それ以上追及することができなくなってしまった。

 ベベベベベンベ、ベンベベベベンベ、ベベベベベベ……。


「拙僧ことごとく、汝がものなり♪」


 ベベベベンベベ。

 座頭イッヒは、再び自由な歌声を響かせはじめる。

 どこかで聞いたようなメロディーのアレンジだ。

 ベベベベベンベ、ベンベベベベンベ、ベベベベベベ……。


「祇園の精舎に、諸行無常さが、沙羅双樹に盛者必衰ル♪」


「すいる……」


 スリルたっぷりだな、とマフユは思った。


「七福神つながりかな。布袋腹だし……」


 きわどいことを言うサアヤ。

 音楽好きの女子たちは、意外に楽しそうに座頭イッヒのリサイタルに聞き入っている。

 これが彼なりの日本文化へのリスペクトなのかもしれない、と察した。

 一方、ケートは「まずいな」という顔をした。


「どうした、ケート」


「いや、見てればわかる。……ほらきた」


 あの曲を、この感じで歌いだすと、どこからか太った黒スパッツの男が現れるのだという。

 ──すなわち変態事案。

 水先案内の神話的ヤタガラス色のスパッツを履いた男の出現によって、周囲の雰囲気が一変した。


「おぉおぉおぉおーっ、ドゥーム!」


 それは第二の太った黒。

 彼は黒のスパッツに両手を突っ込み、右へ左へ折れながら、トリッキーな動きで意味不明の言葉を叫んでいる。

 そして、その両手を出した瞬間、二の腕から手首にかけて、カラスの羽らしきアームカバーが取りつけられていることに気づく。


 乳首の部分にだけ穴の開いたシャツと、股間だけ変色したスパッツを履いて、深夜の白金台を徘徊する、カラス色した太った男。

 この時点で、たいへんな「事案」だ。


「だ、抱かれたくない……」


 サアヤの心から漏れた言葉。


「カラスには褒め言葉ドゥーム!」


 太った変態男は叫んだ。


「そういうわけで、どうやって変態を千歳烏山から追い出すか、という重要な問題を先週、われわれは話し合ったわけだよ」


 以上、ケートからの報告である。

 ふと視線を転じると、遠くからカメラマンがこちらを狙って撮影している気配。

 なるほど、と察するチューヤ。


「そーいや、たまに動画サイトで見かける芸人さんじゃん、あのひと」


 抱かれたくない芸人として不動の殿堂入りを果たし、現在は地上波からは消えて動画サイトに拠点を移している。

 真夜中の市街地で会うと、一段とインパクトが強いな、とチューヤは思った。

 どうせこれも、いつか必ず回収させられるだろう伏線に決まっている。


 そこで座頭イッヒは、にやりと笑い、くるり踵を返した。

 彼らがどういう関係なのかは不明だが、ともかく黒と白のデブが、並んで遠ざかっていく。それがいまは僥倖に思える。

 彼らと、いつか再びどこかで再会する可能性について考えると、ぞっとする。

 気がつけば撮影スタッフらしい人影もなくなっていた。


 ──静けさをとりもどした街路。

 マフユは冷たい口調で、ぼやくように言った。


「だから、あのとき帰っていればよかったんだ」


「ま、まあ、とくに被害はなかったでしょ。気を取り直していこう!」


 無理やり元気を絞り出すサアヤ。

 そのとき、再び新たな声。


「ようやく行ったか。あの野郎、本気でおれさまの皮を剥ぐつもりでいやがった」


 ふらり、と公園のほうから姿を現した、太ったネコ。

 一同、このネコに見おぼえがある──。


「てめえ、ゴロウ。ようやく現れたな」


 なかば安堵し、ヒナノへと近づく最後の快速チケット入手を自覚するチューヤ。


「豚の餌、食ってんだよ、ゴロウがやることは、決まってんだろ」


 飄々と言い放つ、ふてぶてしいネコ。

 堕天使オセが、こちら側でかぶる仮の姿だ。

 これはヒナノを追いかけるために、最善のカードである。

 なぜならゴロウは、ヒナノのガーディアンなのだから……。


「それはジロウだろ。ややこしいことを言うな! お嬢はどうした!?」


「お嬢? ああ、あのお高くとまったねーちゃんか」


「おまえが守るんだろ、ゴロウ。ガーディアンなんだから!」


「そうだよ。だからこうして、抜け出してきたんじゃにゃいか。……くそ、やってくれたぜ、あのキチガイ。フランス帰りは魔術がお得意ってか」


 激しく頭を振り、その場で地団太を踏むゴロウ。

 どうやら彼も、それなりの修羅場を潜り抜けて、ここにいるようだ。


「どういうことだ?」


「レストランだ、行くぞ悪魔使い」


 先行するゴロウ。

 追従するチューヤ。


「ほう、レストランか。おもしろいじゃないか」


「もう、フユっち! ご飯食べに行くんじゃないんだからね」


 あとにつづくマフユ。

 たしなめるサアヤ。


「ふん、あれを見て食う気ににゃるかな」


「たいがいのもんは食うぞ、この蛇は」


 まえを行くゴロウの言葉に、的確に返すケート。


「そういう問題じゃ、にぇーんだよ」


 ゴロウのこの言葉の意味を、一同ほどなく思い知ることになる。



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