第二十九話 不気味
遠くで誰かが喚くような声が聞こえ、アシュリーはベッドからゆっくりと半身を起こした。隣では、デージーがスースーとかわいらしい寝息を立てながら眠っている。コンコン、と扉をノックする音が響き、アシュリーは静かにベッドを降りた。
「アシュリー、ちょっといい?」
扉を開けたのはジュリア。その表情は硬い。何やらイヤな予感がし、アシュリーは眉をひそめた。
「何かあったの?」
「うん。ちょっとリビングに来て」
すぐさま踵を返したジュリアのあとに続きリビングへと向かう。リビングでは、ストックが苦悶の表情を浮かべてソファに横たわっていた。
「ストック! どうしたの!?」
「だ、団長……すみません。ヘタ打っちゃいました」
慌てて起きあがろうとしたストックを、ガーベラが「ダメよ!」と制する。
「行政庁の庁舎に忍び込んだんですが……なぜか待ち構えられていて……二人の団員が手にかかりました」
「待ち構えられていた……!? いったい、誰に!?」
口を開きかけたストックが一瞬口ごもる。言うべきかどうか、迷っているように見えた。
「その……屈強なドワーフです。サイサリスの長官、ネメシアと名乗りました……」
アシュリーの顔が驚愕に歪む。待ち構えられていたこともそうだが、しかもそれがネメシアという事実にアシュリーは驚愕せざるをえなかった。
「ネ、ネメシアが……?」
「はい……どうやら、我々が忍び込むことを予見していたようです……目的の書類も、事前に彼が抜き取っていたみたいですし……」
アシュリーは、頭を石で殴られたような衝撃を覚えた。
ネメシアが、私たちの動きを読んだ? そんなこと、ありえない。サフィニアがそばにいるのならともかく、あいつはサイサリスを追われたはず。
まさか、サイサリスにサフィニア以上の切れ者がいたということか。でも、そんな情報は入っていない。
「あ……でも、団長。ハルジオンの居住地は、何とかわかりましたよ……」
「ほ、ほんとに? でも、書類はネメシアがもっていたんじゃ……」
「ええ……でも、一瞬の隙をついて書類を見たんです」
痛みに顔を歪ませながらも、何とか笑おうとしているストックのそばにアシュリーがしゃがみ込む。
「ご苦労様、ストック。それに、ごめんなさい……私の読みが甘いせいで、こんな目に遭わせてしまって……」
「や、やめてください、団長。それよりも、早く次の行動を起こさないと……。私が書類を盗み見たことに彼も気づいているかもしれません。そうなると、ハルジオンの耳に入り居住地を変えられるかもしれません」
「そう……ね。でも、とりあえずは様子見よ。待ち構えられていた、というのがどうにも腑に落ちないわ。もしかすると、新たな脅威が現れたのかもしれない」
「新たな脅威?」
ザクロとガーベラが首を傾げる。
「ええ。サフィニアに代わる、サイサリスの頭脳担当がね」
「んー……バジリスタに、というかアストランティアにそんな頭のいいヤツいるかなぁ……? そんなヤツいたら、噂くらいは耳にしていると思うんだけど……」
ソファの後ろで腕組みをしたままダリアが言う。アストランティアで生まれ育った彼女は情報通でもある。
「高い確率で、ネメシアに知恵をつけたヤツがいるはずだわ。どれほどの者かはわからないけど、ヘタするとこちらが罠にかけられるおそれがある。少しのあいだ、情報収集と様子見ね」
全員が静かに頷く。
「ジュリア。ストックに治癒魔法をかけてあげて」
「うん。でも、おそらく胸骨が折れて内蔵も少し傷ついていると思う。私の治癒魔法じゃ完治は難しいかも」
「少しでも痛みが引けばいいわ。ストック、あなたはしばらく安静にね」
「面目ないです……」
「気にしないで。あと、ザクロ。亡くなった団員に家族がいるのなら、そのケアを」
「わかりました」
あとのことを皆に任せ、アシュリーは自室へと戻っていく。その口は堅く結ばれ、眉間には深いシワが刻まれていた。
翌日――
ネメシアはステラを伴い、禁軍の司令官ハルジオンのもとを訪れていた。『緋色の旅団』に狙われていること、住まいを知られてしまった可能性が高いことを告げに来たのだ。が――
ローテーブルを挟んで向きあうハルジオンの顔は険しい。歴戦の猛者といった雰囲気をまとう壮年のエルフは、忌々しいと言わんばかりに口を開いた。
「話はわかった。が、私は住まいを変えるつもりも拠点に引きこもるつもりもない」
腕組みをしたまま、ネメシアとステラをジロリと睨む。
「し、しかし司令官。それでは、テロリストに襲撃を受ける可能性が……」
「そうならぬよう、テロリストを捕まえるのが貴様の仕事ではないのか?」
「う……」
正論なだけに、ネメシアは口をつぐむしかなかった。
「ハルジオン様。禁軍の司令官がテロリストに暗殺されたとなると、国に混乱を招きます。考え直していただけませんか?」
ハルジオンの目を真っすぐに見つめたままステラが言う。が、ハルジオンは「フン」と鼻を鳴らしそっぽを向いてしまった。
「この屋敷は、遥か以前に天帝陛下から賜ったものである。時代遅れで古臭い建物かもしれんが、私にとっては命と同じくらい大切なものなのだ。それを捨ててよそへ移るなど、私にはできん」
それからも、ネメシアとステラは何とかハルジオンを説得しようとしたものの、それが実を結ぶことはなかった。
ハルジオン邸からサイサリスの拠点へ戻る道すがら、ネメシアは深々とため息をついた。
「司令官には困りましたな……」
「そうですね。知ってはいましたが、まさかあそこまで頑なとは」
「移動に地下通路を使うほど慎重な方なのに、テロリストに襲撃されることは何とも思わないのでしょうか」
「地下通路を使用しているのは、誰かからの襲撃を恐れているのではなく、単純にあまり顔を見られたくないのでしょう。禁軍は天帝陛下の命令で隠密行動をすることもありますし」
「なるほど……」
「こうなったら、何としてでも私たちで『緋色の旅団』の襲撃を止めるしかありませんね。とりあえず、拠点に戻って今後の計画を立てましょう」
ステラの言葉に、ネメシアは力強く頷いた。
――リビングのソファにドカッと腰をおろしたのはダリア。
「どうやら、間違いなさそうだよ」
彼女は先ほどアストランティアで情報収集をして帰ってきたばかりである。
「こっそり見張らせておいた団員からの情報だ。ハルジオン邸と思わしき住居に、ネメシアとエルフが一緒に入っていくところを見たそうだ」
地図に目を落としていたアシュリーの眉がぴくりと跳ねる。
「エルフと一緒に?」
「あ。男だよ?」
「いや、それはどうでもいいけど」
アシュリーがこめかみを揉みながら考え込む仕草をする。
ネメシアがハルジオンのところへ出向いたのは、おそらく警告のためだ。私たちに居住地を知られた可能性がある、だからよそへ移ったほうがいい、とでも伝えたのだろう。
一緒に出向いたエルフは誰なのだろうか。サイサリスの職員、もしくは実働部隊? 何となくだが気になる。
「そのエルフが気になるの?」
「うん……何となく、だけど」
ジュリアの言葉にアシュリーが答える。と、そこへ――
「皆さん、お茶が入ったのです!」
ティーポットとカップをのせたトレーを片手に、デージーがリビングへとやってきた。途端に和らぐ空気。
「ありがとう、デージー」
アシュリーがニコリと笑みを向けると、デージーもにっこりと破壊力抜群の笑顔を見せた。手慣れた動きでローテーブルの上にカップを並べ、紅茶を注いでいく。
「あ~……デージーが淹れてくれる紅茶は美味しいな~……」
「ほんと……」
ダリアとジュリアがうっとりとした表情を浮かべる。双子なので仕草までそっくりだ。
「えへへ。ありがとうございますなのです」
ぺこりと頭を下げたデージーは、トレーを胸に抱えたままちらちらとアシュリーを見やった。
「ど、どうしたの? デージー?」
何か言いたげな様子のデージーに気づき、アシュリーが声をかける。
「あう……あの、その……デージーも、アシュリー様たちのお話に混ぜてほしいのです」
「それは……」
困ったような顔をするアシュリー。ダリアとジュリアも顔を見あわせた。
「デージーも、デージーもアシュリー様のお役に立ちたいのです」
「……ダメ、よ。デージー、あなたの気持ちはとてもうれしいわ。でも、あなたのキレイな手を私は汚したくない。血なまぐさい話も聞かせたくないの」
「で、でも……デージーは、デージーは……!」
顔を伏せ、胸の前でぎゅっとトレーを抱えるデージーの様子を見て、アシュリーの胸にチクッとした痛みが走る。
デージーが悲しそうな顔をするのは、何より堪えるのだ。アシュリーは立ちあがると、デージーの小さな体をぎゅっと抱きしめた。
「ごめんね、デージー。それに、ありがとう。でも……お願い。私は、なるべくあなたを危険に晒したくないの。それに、あなただけはキレイな体で、まっとうに生きてほしい」
「アシュリー様……」
「それに、あなたは十分私たちに貢献してくれているわ。あなたが淹れる紅茶も、作ってくれるご飯もとても美味しいし。あなたの笑顔も、私たちを元気にしてくれるわ。だから……」
抱きしめられたまま、デージーは目を閉じてキュッと唇を嚙んだ。
「あう……わかりましたなのです……困らせるようなことを言って、ごめんなさいなのです……」
「ううん。私のほうこそ、ごめんね。あとでまた、一緒にカードゲームをしましょ。それまで、読書でもしていてね?」
「はい、なのです」
まだ少ししょんぼりした様子だったが、デージーはぺこりと頭を下げてリビングをあとにした。その後ろ姿を見送ったガーベラがアシュリーへ向きなおる。
「団長は……本当に彼女のことを大切に思っているんですね」
「……私がすべてを失ったあと、あの子だけはずっとそばにいてくれたわ。私があの子にどれだけ救われたか」
ダリアとジュリア、ガーベラがそろって目を伏せる。「ごめん、暗くなっちゃったわね」と苦笑いしたアシュリーは、ティーカップに口をつけると、再びテーブル上の地図に目を落とした。




