プロローグ
『...今世紀、いや未来永劫に語り継がれるだろう、VRMMOという新ジャンルを切り拓いた、いわば開拓者。冰桜斉太様にお越しいただきました。それでは冰桜様、宜しくお願い致します!』
『どうも。冰桜斉太と申します、宜しくお願い致します』
歩きスマホは俺的にもどうかと思うが、これは致し方ない。そう、致し方ないのだ。
俺は鈴木威亜。MMOにはまっているだけの、ただの一般高校生だ。後は多少シスコンと呼ばれることもあるが、俺の妹自身が否定しているのでシスコンでは断じてない。...妹がブラコンと呼ばれている事実や、だからこそそれを擁護する俺がシスコンと呼ばれているとか、そう言った事実は一切存在しておらず、よしんばそうだったとしても俺はただ妹が俺の心配をしてくれるので可愛がっているだけである。よって、シスコンという言葉は不本意である...まあ、妹が俺を起こすために頭を撫でてから耳元で「朝だよー」と囁いてくれるのを待って寝たふりをするぐらいしかしていないから大丈夫大丈夫。
帰宅道中、歩きスマホはよくないとわかっているのだが、俺は仮にも今から発表される手筈となっているソフト...『Cardinal Online』のβ版テスターとして非常に高倍率な壁を突破した非常に幸運な人間なのだ。昨年末、つまり今からおよそ10ヶ月前の某東京の大都市にて特別的に試運転されていたVR体験機を体験して以来、それを体験した、もしくはそのインタビューを聞いた人はVRMMOという業界に非常に大きな期待感を抱いているだろう。
当時のVRの体験機は、アルミの棺だった。これは比喩ではなく、本当にアルミで覆われた棺だったのだ。体全体を覆い隠して、トラッキング技術を用いて体を動かす...今で言うと、VTuberがガワの姿を動かすものに近いのだろうか?俺はそちら側はおっさん達が見るものと思っているので見ない。...まあ、俺の妹である柚が見てみたい、もしくはなってみたいと言うのならば一考の余地はあるのだが。
ともかく、それによって動かされた俺の体はラグだらけだった。これはしかも、一人用の、ほとんどサーバーへの負担がない状態で、である。要は、こんな軽い世界でこれだけラグいのなら、VRMMOなどもってのほかである。
それが、俺たちのようなMMO中毒者達にとっての総意だっただろう。
しかし、それを覆すように、今俺が見ているスマホの画面に映る白衣で少し陰影を見せる、いかにも研究者ですと言った感じの男...冰桜斉太個人のみの手によって開発されたVRMMO対応ハードウェア、『Unknown Full Cowl』は作られた。
アンノウンフルカウル、フルカウルというのはバイクに取り付けられる外装のことらしいが、そのバイクに関連するかのようにハードウェア本体はフルフェイス型のヘルメットのような形である。
頭部を守るのだろう本来の丸い形は放熱用に小型のファンが取り付けられ、またソフトやコンセントを挿す場所などが内蔵されているためかやや角張った形をしている。フルカウルじゃなくてフルスクエアだろ、とは近所のコーヒー屋兼バーを営む店主にして俺と同様にMMO中毒でもあるらしいダグラスという名の浅黒い肌の日本人とは思えない203cm97kgを誇る巨漢(27歳既婚)の言である。
『斉太さん、今回発表されたソフト...カーディナルオンラインのベータ版が明日より開始される、という事でしたが、完成度はいかほどでしょうか?』
画面の中の斉太が一瞬逡巡するような表情を見せた気がしたが、
『...そうですね。私には娘がいるのですが、彼女からすれば「望みの半分も叶えられていない。もっとクエストを増やせ」と言われてしまいましたよ』
というその言葉にステージで爆笑の渦が巻き起こったためか、すぐに忘れ去られてしまった。というか、娘がいるって初耳なんだが?きっと優しい感じなんだろうな。
『...名前は発表されましたが、続きは私の口から。カーディナルオンラインは、多重積層浮遊要塞「スケアクロウ」を中心として、頂である105層に存在するラストダンジョン、〈黒神の洞〉を攻略...というところを最終目標として掲げ、多重サーバー管理システム群〈Luna〉を稼働させて回る世界です。魔法という概念は、プレイヤーが保持するアイテムストレージやメニューなどと言ったもののほかには基本存在せず、また世界観とゲームバランスの崩壊を阻止するため、銃火器や重砲等も存在致しません。斬撃打撃、刺突に一部兵器...弓等の狙撃。これらのみがプレイヤーに与えられた攻撃手段です』
おお、けっこう細かいな。運営会社である『Icicle Roar』はソフト内でも会社内部でもバグばかりな場所だというのに、これだけまともな人員が育っているなんて。普通なら、腐ったやつがさらに腐ってドロドロと濁った場所に引き摺り込もうとするだろうに。
自分で思うほどに熱い風評被害だが、それが社風だ。現代日本を煮詰めればあの会社ができる、という諺にして他者からの揶揄は当たっているとしか言いようがないだろう。それでも、ソフトの運営自体は上手いのがなんとも言えないのだが。
それにしても、単純なゲーム設定なことだ。俺としては、ビームサーベルやらライトセイバーやら使ってみたいものだが、この分だと有り得そうにもない。
『...ですが。多重サーバー管理システム群〈Luna〉には、自動ゲームバランス調整機能が備わっていますので、何か非常に突出したプレイヤーが現れた、などの通常では有り得ないイレギュラーが発生した場合には、あるいは...と言うことはあり得る、と言わせていただきましょう』
...まじかよ。これ、実質的にチート使用を許可しているようなもんだぞ?いや、公式チートがありそうなので考えるだけ野暮だろう。どうせプレイヤーネームを『Luna』にすると初期からユニークスキル『月の民』が手に入るとかそう言うオチだ。毎回それをやって、強制的にアバターの姿を黒い鎌を持った女にされ、そしてその度に「なぁにぃー!?」と叫んでいる男を俺は知っている。まあ、ダグラス(3歳の娘を持つ)なのだが。
...もっとも、鎌しか装備できない体のお陰で、現実でも振るえるほどには鎌の熟練度は異常に高くなっているらしいが。
『...もっとお話を伺いたいところではございますが、お時間がやってきてしまいました。それでは、お別れの時間です。冰桜斉太様、本日はありがとうございました!』
『ありがとうございました。...そうそう、最後に一つだけ』
『なんでしょうか?』
アナウンサー首を傾げられた斉太は苦笑して...
『...この世界は、攻略されるまで電子要塞となる、とだけ申しておきましょう』
何かを押し隠したような笑みと共に、そう言って席を後にした。
「...何言ってたかさっぱりだ」
最後に彼が残した言葉に少しだけざわざわと憶測が飛び交ったが、その内に冰桜斉太の紹介時間が終わったのか、『まだまだ語りたいところではありますが、次のニュースをお伝えします』と言う無情な一言によってそれは幕を閉じた。
まあ、天才の考えることはよくわからないと言うのは常だ。だが、やっぱり何をしようとしているんだ、あいつは。そんな、深い思考に沈んでいっていたからこそ───
俺は、周りから音が消え去っていたことに気づけなかった。
「...あの、ちょっといいですか?」
そんな声をかけられて、思わず前を見てみると、そこには少女がいた。
銀のロングヘアは軽くカールがかけられていて、半眼に開かれた碧眼と相まって眠そうなロシア風美少女...と言った容貌である。
夏だからかワンピースを着ているが、160程度の背丈には双丘が乗っておらず、背が低ければ俺は「ロリっ子だ!」と大きな声で言っているだろう。
「...むぅ。僕はロリっ子じゃないのに...。」
やべ。口に出ていたか。地の文と思わせて口に出す、まるでラノベに使われる古典的なネタじゃねえか。
「いや、これはラノベじゃ無くて現実だよ?...まあ、良くも悪くも日本人ってことか...。」
おいごら、誰が悪い日本人だ。それとどうやって地の文読んでるんだ、ロリガキ!
心の中でそう憤慨すると、ロリガキはおれに「むきゃー!」と猿のような威嚇をした。
「心の中でそうやって僕のこと馬鹿にして!その脾腹引きちぎってやろうか!まあ実際今から死んでもらうけどねえ!」
怖っ。最近のロリガキはこれだから...。
「偏屈ジジイか!ええい、修正してやる!」
そう言ったロリガキは2回も俺のほおを殴った。2回も打ったな...親父にもぶたれたこと...いや、頭に拳骨落とされることはよくあるけど。
「ああもう、名言が台無しだよっ!まあ僕は君の上官でもなんでもないんだけど...。」
...こいつ、ノリいいな。でも、俺のこと殺すとか言ってるし、頭のネジ飛んでるんだろうな。あーこわいこわい。
「思ってもないことを思うなー!」
また怒って、今度は飛びかかってきた少女。まあ、180て前ほどある俺に拘束されてすぐに抵抗をやめたが。
「...まあ、こうなったらしょうがないか」
なにが?と思うまも無く───
「...え?」
俺は地面に伏せていた。しかも、俺が両腕を拘束していたはずの少女は何事もなかったように...いや、何事も有る。今彼女は、空に浮いているのだから。
「悪く思わないでよ?一旦世界をリセットして、またここに戻る。この次元群は、そうやってできてるんだからさ」
少女は、俺にナイフを向けた。ククリナイフと呼ばれる、先端が湾曲した鎌のようなナイフで有る。そのまま俺の首も...まあ、落とそうと思えば落とせるだろう。
そう考えた時、俺はふと自分が死にかねないと言う状況なのにも関わらず心が冷めていることに気づいた。
理由はわからない。ただ、妹である柚への愛情さえ嘘に思えるような、そんな虚無としか表現できない感情が俺の胸を満たしていることに気づいてしまったのだ。
「...突然そんな事を言われても」
突然そんな事を言い出した少女の方を見ると、頭を掻きむしって何かに抵抗するように辛そうな顔をしていた。
「僕じゃどうしようもできないんだよ。...君に、妹なんていない。いても、君が会いたい、素直で優しい妹じゃないんだよ?」
俺の方を...いや、俺の中の何かを縋るように見つめる少女は、俺の思考...もしかしたら、今俺の心を満たす闇のような感情の元に向かってそう言っているのか。
「...それでもいい、だって?そんなわけないでしょ!君は、...そう」
何かを叫びかけた少女だったが、俺の虚無精神くんとの会話はどうやら嫌な形で終わってしまったようだ。
少女は俺へかけていたと思しき重力増加魔法的何かを解除すると、その手に持ったククリナイフの刃のついていない方で俺の首を上げた。
「...わかったよ。今すぐ楽にしてあげるね、イア」
なんで俺の名前を知っているんだ。そう言う間もなく、俺の胴と首はなき別れを果たした。