婚約破棄
「セシリア・オールストン! 君との婚約は破棄する!」
突然男性の声が響きました。
そこは多くの家臣がいる場所であり、それを言ったのはこのグライス国の王子であるロイ様でした。
私は聖女として、国を守る結界に魔力を注入するという、城の地下にて行われる儀式を終え、クタクタになって報告に来たところでした。
結界によって悪しきものの侵入を防ぎ、国の安寧を図るのが聖女の仕事です。悪しきものとは例えば魔物であったり、他国からの呪詛の類だったりします。
そして、その聖女とは国で一人だけ選ばれる仕組みであり、国の安定のために第1王子と結婚することが習わしとなっていたのです。
なので、いきなりの婚約破棄に反応が遅れてポカンとするばかりでした。
しかし、それを私がショックを受けていると思ったのか、ロイ王子の隣には必要以上にピタリと身体をくっつけた少女がいました。
私の容姿は黒髪のロングで、ブラウンの瞳といった何ら代わり映えのない容姿である一方で、その少女の姿はキラキラとしていました。ピンク色の髪の毛が軽くウェーブしていて、肌も艶々としており、少し垂れた大きな瞳が庇護欲を誘います。
ですが、一番驚いたのはその少女というのが私の良く知った女性だったことです。
「残念だけど、ロイ王子は私の方がいいんですって。ごめんね、セシリアお姉様」
舌足らずな口調で言います。
「謝ることはないよ、フィリス。姉と違い、君は素晴らしい女性なのだからね」
そう言って、私に向けていた絶対零度の瞳とはうってかわった、優し気な視線を隣の少女へと向けます。
そして、改めて私に厳しい視線を向けながら言いました。
「そもそも平民である君と、この私とでは到底つり合いが取れないことは明白だった」
そう思われていることは王子の態度から分かっていました。
私は孤児院で育ちました。しかし、聖女の力があることが分かり、オールストン侯爵家に引き取られ、こうして城に聖女として勤めていたのです。
「あはは! ロイ王子ったら、もっとはっきり言って上げてよ! お姉様みたいな醜い女はイヤだって!」
「ははは。そこまで言っては可哀そうだと思ったから言わなかったというのに」
酷い言葉を、あろうことか妹と婚約者……。いや元婚約者から言われる。妹も義理の妹ではあるけれど。
でも事実な面もあったので、私はただ傷ついた。
(過労で顔色は常に悪くて、やつれているし。肌の艶も消えてなくなってしまった。食事もまともに取れていないから、痩せぎすで、手入れされていない髪もほつれが酷い)
「王子。それは……仕事が多すぎるからです……。毎日、深夜まで仕事が終わらず体調が悪いのです。休みもこの5年間全くありません。せめて、7日に1度くらいお休みをください」
その言葉に王子は、更にあきれ果てたという態度になる。
「やれやれ、お前の能力のなさを、過労のせいにするとは、やはり最低だな、セシリア! やはりお前と婚約破棄して正解だった!」
「本当に忙しいのです。それに余りの仕事量の多さに、最近は発熱しがちで集中力も途切れがちになっていて。歩くのもやっとで……」
「それもお前の能力がないせいだろう」
だめだ。何を言っても聞いてくれない。
「しかも、その聖女の立場を利用して、妹を陥れようとしたことも分かっているんだぞ!」
「えっ!?」
身に覚えのないことを言われて、更に驚く。もはや頭がついていかない。
「平民から成り上がったお前と違い、正式な貴族の娘であるフィリスのことを妬むあまり、階段から突き落としたり、毒を仕込んだり、私物を盗むなどの様々な犯罪行為をしていたそうじゃないか!」
「そ、そんなことは神に誓ってしていません!!」
「うるさい! お前のような力もない者は偽聖女に違いない! それに、ここにいるフィリスにも聖女の力が宿っていることが分かっている。今はまだ小さな力だが、きっと成長するだろう。そのこともお前が妹を憎く思った理由の一つであろう!」
「違います!」
妹に聖女の力が多少存在することは知っていた。でも、それを妬むだなんて……。
「うるさい! もはやお前が偽聖女であることは明白だ! 即刻この城から出て行くがいい!」
反論は一切受け付けられませんでした。
こうして私はあっけなく、王子から婚約破棄をされたうえに、偽聖女という汚名を着せられ、更に犯罪者であると後ろ指を指されながら、お城を後にしたのでした。
しかし、私の苦難はこれで終わりではありませんでした。
帰宅した私に、待ち受けていたとばかりに、義理の両親からのむごい仕打ちが待っていたのです。
「とんでもないことをしてくれたな、セシリア。お前はこのオールストン侯爵家で育ててもらった恩も忘れて、あだで返すとは!」
「違います! 聞いて下さい! 私はっ……」
「うるさい! お前の発言をいつ許可した!」
「っ……!?」
これが私の家での扱いでした。
孤児院から引き取り、育ててくれたことには感謝していますが、家での扱いはとても酷いものでした。
使用人か、それ以下で、食事を与えられない日も多く、当然、食事を一緒にとったこともありません。
両親は、ただ、私に聖女としての適性があるという理由だけで、引き取ったのです。王子との政略結婚を意図して。
だから、両親からの愛情は最初からありませんでしたし、そのうえ、妹が生まれて、微かではありましたが聖女としての才能があることが分かってからの私の扱いは、奴隷同然と言っていいものでした。
すれ違いざまに水をかけられたり、私物を壊されたり盗まれるなんて日常茶飯事でした。
そう、王子から言われた、私が妹にしたという仕打ちというのは、まさに私が妹や両親からされたことだったのです。
「ふん、汚らわしい平民の言葉など聞きたくないわ! 今から思えばお前を引き取ったことが間違いだった」
「ええ、そうね。あなたは本当に疫病神だわ。さっさとこの家を出て行ってもらいましょう」
お母様が言う。どうやら私は家を追い出されるらしい。確かに両親にしてみれば、王子との政略結婚の目途が消えた時点で、私を置いておくメリットはない。
「分かりました……孤児院に」
戻ります、と言いかけたところで、お父様が言った。
「だが最後に役に立ってもらうことにしよう」
「え?」
その顔はいやらしく歪んでいました。
「実は大層な結納金を提示してくれている公爵様がいてな、結婚相手を探しているそうだ。その伯爵様のお名前はクリフトン・マリオット公爵だ」
「なっ! それは」
お金を目当てに、嫁がせようというのだ。
「何を驚いている。幸運に思うのだな。お前にも役に立てる機会を与えてやるというのだから。ああ、先に言っておくが、セシル様は舞踏会などでは常に仮面をつけておられる変わり者で有名だ。噂によると、過去に魔物の呪いにかかり、とても醜いお姿になったかららしい。だが最近では舞踏会自体に出てこない。徐々に体力も落ちてきたからとのことだ」
「哀れな者ね。でも、あなたにはお似合いの相手ね。偽物の聖女に、醜く死にかけの公爵なんて、オホホホ!」
両親が嗤う。
だけど、私は出会ったことはないけれど、病に冒された公爵様をそんな風に言うことが信じられなかった。
そんな犠牲を出さないように聖女がいて、この国を守っているのだから。
だが、過労とショッキングな出来事の連続で、とても反論する気力もない。既に私の心も追い詰められて、心が死にかけているから。
「ともかく結納金さえもらえれば、この侯爵家もかつての栄光を取り戻せる。拒否権はない。さっさと嫁いで結納金をせしめてこい。そのあと、お前がどうなろうが知ったことではないがな」
「分かったわね! セシリア!」
私は無言でしたが、両親は勝手にそれを了承と受け取ったようでした。
いえ、そもそもこの家で、私の発言権などありはしないのです。
こうして私は無理やり、その公爵様の元へと嫁ぐことになったのでした。
すべてを失った私には何の希望もないようにこの時の私は思っていたのです。