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花御堂(2)





「あ……いや、失礼しました」


俺は花御堂の中から現れた目の前の女性に、うっかり見惚れてしまいそうになり、焦って頭を下げた。


「いえ、こちらこそ、突然お声をかけてしまって申し訳ありません」


少し高めの、澄んだ声だった。


「あ……、もしかして、今日面接の?」


そこで、俺は、次年度採用教員の面接が今日行われる予定だったことに思い当たった。

急に実家に戻らなくてはならなくなった教員の後任で、新学期直前だけど緊急に面接することになったのだ。

もう時間がないこともあって、在籍している教師陣が大学の後輩に声をかけたと言っていた。

俺は担当教科ではなかったので詳細は知らされてはないが。



「はい、そうです。職員室に伺うように言われたのですが、こちらから校舎に入ってもよろしいのでしょうか?」


「ええ、大丈夫ですよ」


俺が答えると、彼女は「ありがとうございます」と言って傘を閉じようとした。

そして、


「あら………。もしかしてさっき『花御堂』と仰ったのは、このことですか?」


と、クスクス笑いながら尋ねてきたのだった。

その口調が品があって、とても柔らかいと感じた。



「ばれたか。すみません、突然そんなこと言われたら驚かれますよね」


照れたわけではないけれど、なんだか照れ笑いみたいなものを浮かべてしまう。


「いいえ。いいえ、ちっとも。……でも、この傘で花御堂を連想されるなんて、風流ですね。古典の担当でらっしゃいますか?」


「いや残念ながら、地理なんです」


「そうなんですか?それでも花御堂をご存じなんですね」



確か、面接予定の教員は現代文担当だったはずだが、免許は国語全般だから、当然古典にも詳しいだろう。

彼女が季語でもある花御堂を知っているのは不思議でもない。


彼女は乗っていた花びらを溢さないように注意しながら傘を閉じた。

俺は彼女の動きを追いかけつつ、


「……実家の近所に寺があるんですよ」


と簡潔に答えた。

すると彼女は「ああ、それで…」と納得したように微笑んだ。


実家の思い出を蘇らせていたせいか、その近所にあった寺の風物詩までも呼び覚ましていたらしい。

大学進学で家を出てから、一度も訪れてはいなかったけれど。


俺は上着を着直しながら、彼女に話しかけた。


「ところでその花びら、どこでくっついたんですか?まだ桜が散るには早いと思うんですけど……」


だって、さっき俺が通った桜並木には初桜すら姿を見せていないのに。

けれど彼女は、さあ…?というように、首を傾げたのだ。


「この辺りに来たのははじめてですので、どこ…と、ご説明するのは難しいんですけど……おそらく、雨が降りだして傘を開いたときに、どこか一軒家のお宅の庭の木の花がきれいに咲いていたと思います。塀からはみ出している枝もありましたから、そこから落ちてきた花があったのかもしれませんね。でも確かに、桜にしてはちょっと早いですよね。早咲きの桜でしょうか……?」


少し困ったような表情を浮かべて説明してくれる彼女だったが、俺は、それが桜だろうと寒桜だろうと、はたまた桜に似たまったく別の花だったとしても、そこを突き止めることは必要ない気もしていた。



桜前線、なんてものはあるけれど、しょせんはそれだって、ごく平均値にすぎないのだから。

なにも横並びに ”いっせーのーで!” で咲く必要もないのだし。


桜だろうと何だろうと、それぞれのタイミングで花咲けばいい。



大切なのは、散っても、また咲くということだと思うから………


……そう思えるようになっていた自分に、俺は一人、満足していたのだった。


あの実家があった場所、今度久しぶりに行ってみようか。

あの寺の桜も、花御堂も、懐かしさに浸りに寄ってみようか。



俺がなんとなくそんなことを考えていると、隣で彼女が小さな深呼吸をしたのに気付いた。



「緊張してる?」


「え?あ、はい。それは……少し」


どこか頼りなさげに見上げてくる眼差しに、年甲斐もなくドキリとする。


「……大丈夫だよ。うちの在籍教師からの紹介だろう?よほどのことがない限り、きみに決まりだと思うよ?」


「よほどのことが、なければいいんですけど……」


それでもまだ自信が持てない彼女。

そんな彼女を、俺は、可愛らしいなと思った。

そして、ちらっと彼女の傘を見遣ってから、もう一度「大丈夫」と言ってみせた。


「一足先に誕生日をお祝い(・・・・・・・)したんだから、きっと願いを叶えてもらえるんじゃないかな」


「え?」


俺が言ったことに、彼女は不思議顔を向けてくる。

けれど、すぐに思い当たったようだった。



「ああ、花御堂ですか?」


彼女の花開いたような笑い顔に、俺は目を細めて頷いた。


「ふふ……そうだといいんですけど。でも、やっぱり風流でいらっしゃいますね」


そう呟いて靴を脱ぐ彼女の後ろ髪に、小さな花弁が。

俺はそれをそっと指で拾う。


「―――っ?」


俺の仕草に慌てて振り返る彼女。

そのふんわり揺れた髪まで花の匂いがしていて、俺は、妙に胸が騒いだ。


「ああ、ごめん。これが髪に……」


平静を装って、指に摘まんだものを見せると、彼女はくすぐったそうに頬を薄紅に染めた。


「こんなところにもくっ付いてたんですね。ありがとうございます……」



花の傘の下から出てきた彼女が、花の匂いや欠片を纏っていても不思議ではない。

だけど、咲きはじめた桜とともに懐かしい記憶を辿っていた俺は、その小さな花弁が、何かのシグナルのようにも感じられたのだ。


だからかもしれない。

俺は、俺の隣で紅くなっている彼女に、


「もしよろしかったら、花御堂、一緒に見に行きませんか?」


そんなことを言っていたのだ。

彼女は驚いたようにアーモンド型の目をさらに大きく揺らしたが、そこに不快な色はなかった。

それどころか、ほんのわずかな思案ののち、


「……そうですね、今年の四月八日は日曜ですし。ぜひご一緒させてください」


そう答えてくれたのだった。


そのときの彼女は、花のように可愛らしい笑顔だった。



”変わらないもの” なんて、存在しない。

あの桜達だって、刹那と永遠が混在してはいるけど、決して変わらないわけじゃない。

それは間違いない。


けれど………


俺は、面接の緊張も忘れて破顔する彼女を見ながら、密やかに思っていた。



願わくば、

彼女との出会いは ”刹那” ではありませんように――――――











花御堂(完)








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