五十一話 節子さんの両親の行方<解答編>
志賀直哉は小説の神様と呼ばれるほどその文章に無駄がなく美しいと言われているが、あいにく私はミステリ以外の文学の造詣は深くない。
正樹さんに志賀直哉のゆかりの地を聞かれたが、即答することはできなかった。
「はっきりわかりませんが、東京に移られたのならこちらに一度は顔を出しそうな気がしますし、京都は歴史が長く、ゆかりのある文人も数多いでしょうから、志賀直哉には直接結びつかない気がします」ととりあえず言った。
「となると、尾道以外なら石巻、城崎、松江、鎌倉、赤城山、我孫子、山科、奈良、熱海かな?山科と安孫子は京都と東京に近いけど」と兵頭部長が言った。
「石巻は生誕地であって、すぐに東京に転居したそうですから可能性は低いですね。東京以外を舞台とする志賀直哉の著作で特に有名なのは『城の崎にて』と唯一の長編の『暗夜行路』でしょうか?『城の崎にて』は兵庫県の城崎温泉が舞台ですし、『暗夜行路』は鳥取県の大山から見下ろした夜景の描写が有名ですね」
「比較的長く住んでいたのが我孫子や奈良のようだけど?」と聞く立花先生。
「この百科事典によると、それぞれの土地を舞台にした作品があるみたいです。例えば島根県松江市を舞台にした作品は『濠端の住まひ』、群馬県の赤城山が『焚火』など、千葉県の我孫子市が『流行感冒』、『和解』など、京都市の山科が『山科の記憶』など、奈良市は『奈良』という限定版の著書にまとめられた『奈良日誌』などの作品が出版されているし、神奈川県熱海市にも『朝顔』という作品がありますね」
「そのうちのどこかしら?」と節子さん。
「さすがにこれだけではわかりません。この近くに図書館がありますか?作品を読んで何か手がかりがないか、ちょっと調べてきます」
「なら僕も行くよ」と立花先生。
「もちろん僕も。ひとりじゃ大変だろ?」と兵頭部長も言った。
「あら、私も行くわよ」と立花先生の母親が言った。「で、何を調べるの?」
「この葉書の文面から読める『内中』などの言葉と何か繋がりがないか、ですね」
葉書の文面を再掲する。
節子・・・
私達・・・
志賀・・・
人と・・・
切っ・・・
内中・・・
た・・・
助・・・
て・・・
一・・・
父母・・・
・・・(・・・は読めない部分)
「なら私も協力します」と節子さん。「なら僕も」と正樹さんも言った。結局全員で家を出て市内の図書館に行った。
閲覧室に入ると書架から志賀直哉の書籍をできるだけ取って、閲覧机の上に広げてみんなで読み始めた。
こんなにたくさんの本を読んだからといって、何か手がかりが見つかるのだろうか?そんな思いがふと頭に浮かんだが、あまり時間が経たないうちに立花先生の母親が叫んだ。
「あああ!これよ!」
静かにするのがマナーの閲覧室で叫び声を上げたので、立花先生たちは口に指を当てて「しーっ!」と言いながら母親のところに集まった。
「これよ、これ!」声を上げないよう注意しながらも興奮を抑えきれない母親。指さすところを見たら、それは『濠端の住まひ』という作品の最初のページだった。
その短編小説は「ひと夏、山陰松江に暮らしたことがある。」という文章から始まって、二段落目に「人と人と人との交渉で疲れ切った都会の生活から来ると、大変心が安まった。」という一文があった。
「葉書に残っていた『人と』という言葉はこの文章のことじゃない?」とみんなに聞く母親。
「しかも『切っ』たという言葉もあるわ」
「しかし『人と』なんて言葉はいろんな文脈で使うから、そうとも言い切れないんじゃないかな?『切った』もそれなりに使うし」と疑問を呈する兵頭部長。
「でも、部長、『人と人と人との』と、『人と』を三回も繰り返すなんてなかなか印象的な文章じゃないですか?この作品を象徴する一文のような気がします。そうであれば、松江に引っ越したご両親がこの文章を引用してもおかしくない気がします」
「そうよ、そう!」と、私の意見に喜ぶ立花先生の母親。
「一色さんの言う理屈もわかるけど、それだけで断定は難しいんじゃないかな?」と立花先生が言った。
「じゃあ、志賀直哉の松江時代を調べて、ほかに松江との関連を示す言葉が葉書にないか調べてみましょうか?」と節子さんが言った。
そこで各書籍の巻末の解説に載っている志賀直哉の年譜を全員で手分けして調べてみることになった。
まもなく、「あ、これを見てごらん!」と正樹さんが言ったので、またみんなが集まった。
「ここに書いてあるよ。大正三年の初夏に松江市に行った志賀直哉が内中原一六七番地に居を構えたと。和辻哲郎に宛てた志賀直哉の葉書にもはっきりと住所が書いてある」
「内中原・・・それが葉書にあった『内中』みたいですね!」と私も思わず声を上げてしまい、閲覧室にいる他の人たちの視線を集めてしまった。
騒がしてしまった図書館を後にして立花家に戻ると、さっそく全員で相談する。
「おそらく、志賀直哉の住居があった松江市内中原町のあたりに引っ越したので、そのことを節子さんのご両親が年賀状に書いたのでしょうね。ただ、何番地かまではわかりませんが」
「私、松江に行って両親を捜してきます!」と節子さんが叫んで私たちは驚いた。
「すぐに見つかるとは限らないから、何泊かしなくちゃならないんじゃない?ひとりじゃ大変よ」と立花先生の母親が言った。
「なら、僕も一緒に行くよ。大学には早めの夏休みをもらうことにする」と正樹さん。
「いくら婚約したとはいえ、結婚前の男女が泊りがけの旅行に行くなんて・・・」と賛成しかねる母親。
「いいんじゃないの」と兵頭部長が口をはさんだ。
「何かあったって、孫が生まれるのが少し早くなるだけだよ、おばさん」
兵頭部長の言葉にみんなが引いていると、隣接する診療所から立花先生の父親が帰って来た。
「何を話してるんだい?・・・やあ、一色さん、お久しぶり。また来てもらって悪いね」と私を見て言った。私も頭を下げる。
「節っちゃんの両親が松江に引っ越したことがわかったんだ。それで僕たち二人で捜しに行こうと言ってたんだ」と正樹さんがあいさつを遮って説明した。
「でも、結婚前に旅行に行くなんて、外聞が悪いわ」とまだ反対の母親。
「あ、そう言えば・・・」私は不意に思いついた。
「戸籍を調べれば現住所がわかるじゃないですか?」
「戸籍って住民票のこと?松江市に行って市役所で住民票を出してもらうのかい?」と立花先生が聞いた。
「調べるなら尾道市の住民票じゃないかな?今思い出したけど、転出届を出せば住民票の除票が作られるはずだよ。そこに転居先が書いてあるよ」と兵頭部長。
「住民票の写しは本人か同居の家族しか請求できないはずだぞ。だから節子さんでも出してもらえないだろう」と立花先生の父親が口をはさんだ。
「弁護士に頼んでみてはどうだ?弁護士なら職権で松江の住民票を調べることができるだろう」
「でも、弁護士への依頼料がかかるんじゃないですか?」と遠慮する節子さん。
「旅行代とそう変わらんだろう」
「待ってください。住民票じゃなくて戸籍謄本を取るんですよ。実子である節子さんなら、本籍地の市役所でご両親の戸籍謄本を出してもらえるはずです」戸籍謄本は直系親族なら請求できるはずだ。
「戸籍には本籍が書いてあるだけじゃないの?」と立花先生の母親が聞いた。
「戸籍の附票に住民票の移動の記録が記載されているはずです」
「そうか!本籍は市内だから、月曜日にでも市役所に言ってみたら?」と正樹さん。
「はい、わかりました。ありがとうございました。・・・住所がわかればすぐに両親に手紙を書きます」と喜ぶ節子さん。
「ついでに二人で結婚のあいさつに行こうよ」と正樹さんが言った。
「一泊で帰って来れるし、節っちゃんはおじさんたちのところに泊まって、僕はひとりでホテルでも取るよ」
「それならいいけど」と立花先生の母親も二人の旅行を認めた。
節子さんと正樹さんにお礼を言われ、その日は立花先生の実家に泊まってご馳走をいただいた。
「何とか住所がわかりそうで良かったけど、どうせなら志賀直哉じゃなくて推理作家にちなんだ土地に引っ越してもらいたかったな」と夕食の席で兵頭部長がぼやいた。
「例えば横溝正史なら岡山県を舞台にした作品が多そうですね。八つ墓村も岡山県にあるという設定だったと思います」
「八つ墓村は架空の村じゃないのかい?」と立花先生。
「確か八つ墓村のモデルになった大量殺人事件が、実際に岡山県であったはずだよ」と兵頭部長。
「そんなところに引っ越して、喜んで年賀状に書く人なんかいませんよ」と立花先生の母親があきれ顔で言った。
以下は兵頭部長から聞いたその後の話。
市役所で戸籍の附表を見たら、やはり節子さんの両親は松江市の内中原町に転居していた。そこでさっそく節子さんは婚約したことと、次の土曜日に正樹さんと一緒にあいさつに行くことを手紙で伝えたらしい。
東京から松江までは新幹線と国鉄の急行を使うと片道十一時間以上かかるので、飛行機で羽田から大阪経由で出雲空港に行くことにした。
空港では節子さんの両親が出迎えてくれて、松江市内までバスで一時間かけて移動した。途中で宍道湖の湖畔沿いの国道を走り、湖の風景に感動したそうだ。
松江市内の島根県庁前でバスを降りて、県庁を抜けて両親の自宅に向かった。県庁のすぐ隣には松江城がある城山という低い山があり、その周りがぐるっとお堀で囲まれていた。
両親が住んでいる内中原町はそのお堀沿いにある閑静で落ち着いた町で、まず自宅にお邪魔して、正樹さんが節子さんの両親に改めて結婚の許可をもらった。快諾された後に、両親の案内で松江城の天守閣などを見て回ったらしい。
近くにある武家屋敷跡や小泉八雲記念館も巡り、出雲そばをいただいて楽しく過ごしたそうだ。
「結婚のあいさつもできたし、観光もできたし、一色さんに改めてお礼を言ってくれとの正樹兄さんからの伝言だよ」と兵頭部長が言った。
「あまりお役に立ちませんでしたけどね」
「ちなみに例の年賀状の文面だけど、節子さんが何て書いたか聞いたら、さすがに両親も忘れていて思い出すのに時間がかかったけど、だいたいこのような内容だったらしい」と言って兵頭部長が私にメモ書きを見せてくれた。
節子、新年おめでとう。
私達は今松江市にいます。
志賀直哉を知っていますか?
人と人と人との交渉で疲れ
切った都会の生活から逃れ、
内中原町の濠端に住んでい
たそうで、私たちも知人の
助けを得てその近所で暮し
ています。お盆になったら
一度そちらに帰ります。
父母より。其迄お元気で。
〒六九〇 松江市内中原町・・・
「志賀直哉と同じ心境になっていたから『濠端の住まひ』の一節を書き写したんだろうね」
「この文面によると、何もしなくてもお盆にはご両親に会えたみたいですね」
「まあそうだね。だけど未来のことは誰にもわからないからね。少しでも早く両親の居場所を知りたかっただろうから、一色さんの助言にとても助けられたと節子さんが感謝していたそうだ」
「と、ところで、節子さんの披露宴に招待されるというお話でしたが、その日私は何を着ていけばいいんでしょう?」と私は差し迫る問題について聞いた。
「さ、さあ・・・。男なら礼服に白ネクタイでいいけど、女性はあまり派手すぎないフォーマルな装いでいいんじゃないかな?」
「と言われましても、今ひとつぴんと来ません」
「僕に聞かないで、女性陣に尋ねてくれよ」と兵頭部長に突き放された。
「高校生だったら制服で良かったのに、いろいろ気を遣って大変だわ」と同情してくれる美波副部長。
「私もまだ経験がないからはっきり言えないけど、間違っても白いドレスを着て行ったらだめよ」・・・さすがにそれくらいはわかっています。
書誌情報
志賀直哉/城の崎にて(新潮文庫、1948年3月20日初版)
志賀直哉/暗夜行路 前後編(新潮文庫、1951年9月30日、10月5日初版)
志賀直哉/万暦赤絵 他二十二篇(「濠端の住まい」所収、岩波文庫、1938年10月15日初版)
志賀直哉/奈良(三笠書房、1950年3月20日初版)
横溝正史/金田一耕助推理全集第9巻 八つ墓村(東京文藝社版、1959年初版)
登場人物
一色千代子 明応大学文学部一年生、ミステリ研部員。
兵頭 崇 明応大学経済学部三年生、ミステリ研部長。
立花一樹 明応大学医学部法医学教室の助手。兵頭 崇の従兄。
立花正樹 明応大学医学部耳鼻咽喉科学教室の医局員。一樹の兄。兵頭 崇の従兄。
平田節子 立花先生の実家のお手伝いさん。二十五歳。
美波凪子 明応大学文学部三年生、ミステリ研副部長。




