四十三話 移る人形の秘密(一色千代子の事件簿二十二)
ある日の講義が終わっていつものようにミステリ研に顔を出すと、兵頭部長と一緒に中学生の女の子がいてインスタントコーヒーをすすっていた。
「あら?・・・あなたは満さん?」
「こんにちは、一色さん。お邪魔しています」と言って私に笑いかける満さん。
満さんは島本刑事の娘さんだ。なぜここに?と思っていると、
「やあ、一色さん。今朝一樹兄さんから電話があってね、放課後この満さんを君に会わすよう頼まれたんだ」と兵頭部長が言った。
兵頭部長の説明によると、島本刑事から立花先生に依頼の電話があって、兵頭部長に伝言され、さっき大学の正門前で落ち合ってここに来たということだった。
「私に会いに来たの?」と私は満さんに聞いた。
「はい。一色さんを我が家の夕飯に招待しようと思って来ました。明日、我が家に来ていただけませんか?」
「え?・・・ええ、いいですよ」
「よかった!じゃあ、約束ですよ。母さんも一色さんに会えるのを楽しみにしてるわ」
私はどきりとした。以前、満さんに私が島本刑事の浮気相手じゃないかと疑われたことがあった。まさか、母子で私を糾弾するつもりじゃないでしょうね?
「それにしてもここにはたくさんの推理小説が置いてありますね」と満さんが本棚を見渡しながら言った。
「さすが、ミステリ研と名乗るだけありますね」
私と兵頭部長は苦笑した。
「満ちゃんは推理小説を読むの?」と兵頭部長が聞く。
「私は少年少女向けの本を何冊か学校の図書館で借りて読んだことがあるだけです」
「どんな本?ホームズものかな?」
「私が読んだことがあるのは『オタバリの少年探偵たち』や、江戸川乱歩の『少年探偵団全集』とか、『少女探偵ナンシー』などです」
「小学生や中学生向けの小説は読みやすくて、推理小説の入門としてぴったりだね」と微笑みかける兵頭部長。
『オタバリの少年探偵たち』や江戸川乱歩の『少年探偵団』はどちらかというと冒険小説で、私の好む本格推理小説ではない。アメリカで人気があるという『少女探偵ナンシー』のシリーズは読んだことがなかった。
「そういうのがおもしろかったのなら、大人向けの探偵小説も読んでみたら?」
「そうねえ。・・・でも私は今、『床下の小人たち』や『コロボックル物語』にはまっているの」と満さんに言われてちょっとがっかりした。
「今日はありがとうございました、部長さん」と兵頭部長にお礼を言う満さん。
「そろそろ帰ります。一色さんは明日来てくださいね。この大学の入口前で待っています」そう言って満さんは帰って行った。
「わりと、物怖じしない子だったね」と兵頭部長が満さんの感想を述べた。
翌日の午後四時頃に大学の正門を出ると、満さんが待っていた。
「待った?」と聞くと、「いいえ、私も今来たところです」と言われた。
「ところでご自宅はどこなの?」
「下町の方なので、電車で行きます」と言われ、二人で駅に向かう。
電車に乗って並んで座席に座るとさっそく満さんが聞いてきた。
「明応大学って一流大学でしょ?私も将来入学できるかな?」
「そうね、頑張れば入学できると思うけど・・・」満さんの学校の成績がどの程度かわからないので、一般的なことしか言えない。
「・・・ねえ、どうしたら頭が良くなるの?」と直球で聞いてくる満さん。
「それはもちろん受験勉強を含めた学校の勉強を頑張ることが基本だけど、それとは別に本をたくさん読むのがいいんじゃないかしら」と私は持論を述べた。
「本?・・・推理小説?」
「何でもいいのよ。探偵小説でも、児童文学でも。・・・・勉強に関係なさそうなものでもいろんな本を読むと、知識だけでなく思考力や読解力が上がると思うの」
「そうかなあ?」
「満さんは弁護士になりたいって言ってたわよね?弁護士の仕事がどんなものなのか私もよく知らないけど、法律の条文や判例をたくさん読むと思うから、活字に慣れておいた方がいいんじゃない?」
「弁護士ってのはあの時口から出た冗談だけど、でも、なるべく本を読むようにしてみるわ」
そんなことを話しているうちに目的の駅に着いた。改札口を抜けると昔ながらの商店街が続き、商店街を抜けると住宅地に入った。
その中の一軒の玄関を満さんが元気よく開ける。
「ただいま〜!一色さんをつれて来たよ〜!」
満さんがそう叫ぶと、家の奥から割烹着を着た中年女性が現れた。満さんの母親なのだろう。
「ようこそいらっしゃいました」と私に頭を下げる母親。
「母さんだよ〜」と母親を紹介する満さん。
「ど、どうも、お邪魔します」私もあわてて頭を下げた。
「とりあえずどうぞお上がりください」優しそうに微笑む満さんの母親。その表情を見ると、私のことを夫の浮気相手なんてまったく考えていない・・・と思われた。
「は、はい。それでは遠慮なく・・・」
玄関から入ってすぐの和室に通される。部屋の中央に広めの座卓が置かれ、壁際にはテレビやサイドボードが置いてあった。ここで普段食事を摂っているのだろう。
サイドボードの上段にはガラス戸が付いていて、中に全国のお土産のようなものが飾られてあった。サイドボードの上にはこけしや花を挿した花瓶が置かれている。
私が勧められるままに座卓に着くと、その上に置かれていた急須と魔法瓶を使って母親が煎茶を淹れてくれた。私の前に煎茶を注いだ茶碗が差し出される。
「主人がいつもお世話になっているそうで」と母親。「お世話」の言葉に裏の意味があるんじゃないよね?
「こう見えて一色さんはとても頭がいいのよ」と口をはさむ満さん。
「それはそうでしょう?明応大の学生さんなんだから」
「ただ勉強ができるだけじゃなく、父さんが扱っている事件の謎も簡単に解いているそうよ」
「それはすごいわね。お世話になっているお礼と言うわけじゃありませんが、今日は夕飯を召し上がってくださいね。大したものは出せないけど」
「ありがとうございます。・・・あの、島本刑事はいつ頃お帰りになられますか?」
「大事件が起こらなければ、夕食時には帰って来ると思いますよ」と母親。
「それよりあの謎を解いてもらおうよ」と満さんが母親に言った。
「あんなこと。・・・誰かの勘違いに決まっているじゃない」
「一色さんなら絶対解いてくれるよ!」とやたら私を持ち上げる満さん。そんなに私のことを買ってくれているのかな?
「何の謎なの?私に解けるかわからないけれど、聞かせてもらえるかしら?」と私は満さんに聞いた。
「実はね、あそこのこけしの横に木製の人形があるでしょ?」と満さんは言ってサイドボードの上を指さした。
こけしの横に高さ約十センチの小さい木製の人形がある。頭は卵形で、ひょうきんなおじさんの顔が印刷されている。胴体は円筒形で、黒いタキシードのような服が印刷されている。そしてその下から細い1本足が伸び、円盤状の土台につながっていた。
「あの人形がどうかしたの?」
「あのおじさん人形は私のこけしと一緒に飾り棚の天板の真ん中あたりにいつも飾っているの。それなのにしょっちゅう端の方に移動しているのよ」
ホームズの『踊る人形の秘密』ならぬ『移る人形の秘密』か、と私は思った。
「そんなのお父さんが何気なく動かしたに決まっているわよ」と母親があっさりと言った。
「でも、父さんにしつこく聞いても『お前の人形なんかに触っちゃいない』としか言ってくれなくて、人形の方を見もしないのよ」と満さんが不満そうに言った。
「いつも出かける間際に聞くから、相手にされてないだけよ」と母親。
「だって夜寝る前はサイドボードの真ん中にあったのに、朝起きたら人形の位置が変わっているのよ。気がつくのがだいたい父さんが出かける頃だから、玄関で聞くしかないじゃないの」
「お母さんは知らないのですね?」と私は母親に聞いた。
「私も朝は忙しいから、あの人形にはあまり気をつけてないの。昼掃除する時には、必ず元の場所に戻すようにしているわよ」
「この人形が自分で動くわけはないから、きっとアリエッティみたいな小人が夜中に動かしているのよ」と満さんがとんでもないことを言った。愛読している『床下の小人たち』の影響かな?
「またそんな馬鹿なことを言って」と取り合わない母親。
「そうですね。そんな小人がいるはずないし、いたとしても小人が何であの人形だけを動かすの?」
「きっと自分の家の門番にしたくて、持って帰ろうとするけど、途中で力尽きてしまうのよ」
「・・・ほんとうにそう信じているの?」と私があきれ顔で聞いたら、満さんは顔を真っ赤にした。
「そうだったらおもしろいなと思ってるだけよ。・・・でも、小人の仕業でないとしたら、夜中に誰かが家に忍び込んで・・・」
「やめなさい!怖いじゃない」と母親が文句を言った。
「あの人形は満さんが買ったの?」
「ううん、前から家にあったから、こけしと一緒に飾ったのよ」
「じゃあ、あの人形が何なのか、知らないのね?」と私が言うと、満さんはさらに顔を赤くした。
「何よ!?何だって言うの!?」とむきになる満さん。
「あれはトリスおじさんの爪楊枝入れよ」
トリスおじさんはトリスというウイスキーのCMキャラクターだ。サントリーの元社員だったイラストレーターの柳原良平氏の作品で、人気が出て爪楊枝入れなどのグッズが作られるまでになった。
「え?ウイスキーのおまけの?・・・プラスチックのは見たことがあるけど、これもそうなの?」
「そうなの」と私は言って、人形の頭を持ち上げた。すると中に爪楊枝が何本も刺さっていた。
「最初に飾った時にその頭を外してみたけど、その時は爪楊枝が入っていなかったから気づかなかったわ。・・・いつの間に爪楊枝が入れられたの?」
「それはお父さんが爪楊枝を入れておいてくれって前に言ったから、私がたまに補充してたの」と母親が言った。
「え?じゃあ母さんがこの人形に触っていたの?」と追及する満さん。
「私は元の位置に戻してたわよ」
「じゃあ、父さんが触ってたのね!私には触ってないって、嘘をついたんだわ」と満さん少し怒った顔をして言った。
「ちょっと待って!」と私は満さんを制した。
「島本刑事は満さんが聞いた時にその人形の方を見ずに答えたんでしょ?」
「ええ、いつもそうだったわ」
「多分島本刑事はそれを爪楊枝入れとしか認識してなくて、満さんの人形だとは思ってなかったのよ。だから『トリスおじさんの爪楊枝入れを動かさなかった?』って聞かなきゃわからなかったのかもしれないわ」
「そうかな。・・・私が人形だとしか思ってなかったから、意思の疎通が図れなかったのね」と満さんが気を鎮めて言った。
その時、「ただいま」と玄関から声がして島本刑事が部屋に入って来た。
「やあ、一色さん、今日は来てくれてありがとう」と私に笑顔を向ける島本刑事。
「こんにちは、お邪魔しています」と言う私のあいさつを遮って、
「父さん、トリスおじさんの爪楊枝入れをいつも動かしてるでしょ!?」と満さんが父親に問いただした。
「ああ、前から言おうと思ってたんだ。爪楊枝入れをサイドボードの端の方に置くようにしてくれないか?そこが取りやすいし置きやすいんだ」
「・・・だからなのね。しょうがないわね。わかったわ」とあきらめ顔で答える満さん。
その話題を遮るように、「じゃあ、これから夕飯の準備を始めるから、一色さんはここで二人とお話しして待っててね」と母親が言って立ち上がった。
書誌情報
セシル・デイ・ルイス/オタバリの少年探偵たち(岩波少年文庫、1957年1月10日初版)
エーリヒ・ケストナー、セシル・デイ・ルイス/エミールと探偵たち・オタバリの少年探偵たち(岩波少年少女文学全集7、1960年11月10日初版)
江戸川乱歩/少年探偵団全集全5巻(光文社、1961年初版)
キャロリン・キーン/少女探偵ナンシー(金の星社、少女・世界推理名作選集1、1962年初版)など
メアリー ノートン/床下の小人たち(岩波少年文庫、1956年3月20日初版)
佐藤 暁/だれも知らない小さな国(講談社、1959年8月28日初版)
コナン・ドイル/シャーロック・ホームズの帰還(「踊る人形」所収、新潮文庫、1953年4月20日初版)
コナン・ドイル/シャーロック・ホームズの生還(同上、創元推理文庫、1960年9月30日初版)
登場人物
一色千代子 明応大学文学部一年生。
兵頭 崇 明応大学経済学部三年生、ミステリ研部長。
島本 満 島本刑事の娘。中学二年生。
島本長治 刑事課強行犯係の刑事。アラフォー。
立花一樹 明応大学医学部法医学教室の助手。兵頭 崇の従兄。
島本登美子 満の母。




