表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
32/110

三十二話 暗闇の青春

「貴子、明日は講義ないわよね。何するの?」親友の薫が大学からの帰り際に私に聞いてきた。私たちは二人とも今年の四月から晨立大学に通っている。


晨立大学は副都心近くにある大学で、入学試験がそれほど難しくないせいか、わりとおしゃれな学生が多く通っている。


「私はまた映画を観に行こうと思ってるの」と私は薫に言った。


「また行くの?」とあきれる薫。


「またって言われても・・・連休中に新作の映画を三本観ただけよ」映画は娯楽の王様だ。五月の連休に何本か観に行くのはちっとも変なことじゃない。


「何の映画を観たの?」


「えっとね、『バスタード』に『女鹿』に『個人教授』よ。『バスタード』はジュリアーノ・ジェンマが主演で・・・」


「ああ、イタリア製西部劇(マカロニウエスタン)ね?」


「いいえ、舞台は現代のアメリカなの。西部劇っぽいアクションだけど」


「後は『女鹿』と『個人教授』?・・・いやらしい映画じゃないでしょうね?」


「どっちもフランス映画よ。屈折した恋愛を描いているかな?」


「で、明日は何を観るの?」


「新作映画で観たいのがないから、名画座に行こうと思ってるの。少し前の映画をしているはずよ」


「よくお金が持つわね」


「実は家庭教師のアルバイトを始めたの」と私は言った。


「日曜日の昼間とか、平日の夜とかに近所の女子中学生に勉強を教えに行ってるの。そのアルバイト代が入ったから、明日映画を観に行くのよ」


「あなたが家庭教師?女子高時代、そんなに成績優秀でもなかったのに?」


「中学生相手だから何とかできるのよ」と言い返す。


「明日は家庭教師がないのね?」


「ううん、夕方から教えに行く予定」


「映画は昼間観るの?」


「ええ。・・・平日の昼間のすいているときに映画が観られるなんて、女子高時代には考えられなかったことだわ。大学生になって良かった」私がしみじみと映画好きとしての嬉しさをかみしめていると、


「昼間っから暗い映画館の中にしけこんでいるなんて、暗闇の青春ね」と薫に言われてしまった。


「そんな言い方やめてよ!」と私は薫に文句を言った。


「確かに映画館の中は暗いけど、上映中はスクリーンの光でほの明るいし、暗闇なんかじゃないんだから」


私の反論に薫が笑い出した。「冗談よ、冗談。でも、昼間に日に当たらなければ、色白になっていいかもね」


「元々色白よ」と私は言い返してから、まだ笑っている薫と別れて帰宅した。


翌日、お昼前に家を出ると、途中のパン屋さんでクリームパン二個とコーヒー牛乳の三角パックを買って名画座に向かった。映画を観ながら食べるつもりだった。・・・薫にはああ言ったけど、映画館内の暗がりは食事をしてもばれにくいのがいい。


名画座の前に来ると今日の上映作品を見た。この映画館で今日上映している映画は、吉永小百合特集ということで『キューポラのある街』と『美しい暦』の二本立てだった。いずれも同名の小説を映画化したものだ。


私は切符売り場で入場券を買い、映画館の中に入った。ちょうど上映の合間で、私は明るい客席に入って行った。


平日の昼間ということで観客は少なかった。学生や高齢者が多く、社会人風の観客も何人かいる。何の仕事をしている人だろう、平日の昼間から映画を観に来るなんて?


そして圧倒的に男性が多かった。みなサユリスト、つまり吉永小百合の熱狂的なファンなのだろう。


多くの美人女優や美人歌手がいる中で、吉永小百合は別格だった。美人女優と言えば誰?と問えばほとんどの人が吉永小百合と答えるだろう。女である私から見ても、吉永小百合には格別の可憐さと美貌と演技力があった。確か私より五歳年上だが、既に大女優になっている・・・。


そんなことを考えているうちに映画が始まった。


『キューポラのある街』は七年前に公開された映画だ。鋳物工場の町川口市を舞台にした社会派青春映画で、貧困や人種差別を描き、吉永小百合を一躍スターに押し上げた作品だ。キューポラとは鋳物工場独特の煙突のことらしい。


それに対し、『美しい暦』は田舎の女子高に通う主人公の爽やか青春映画だ。六年前の作品で、芦川いづみと長門裕之が演じる女子高の先生どうしの恋愛も描かれていた。しかし私は先生の恋愛よりも、生き生きと描かれている女子高の生徒たちの様子から、今年の三月に卒業したばかりの母校のことを思い出した。


楽しい三年間だった。薫は入学直後からの友だちだが、二年生になって麗子さんや恵子さんとも仲良くなった。そして麗子さんの家で催されたクリスマスパーティーや卒業前祝いパーティーでは、生徒会長(当時)とも話す機会があった。


あの生徒会長(当時)には手相が観れるという特技があって、私たちはみんな占ってもらったものだ。


私は「大学で映画好きな彼氏ができそう。その人と結婚するかは微妙なところね」と占われた。その彼氏とはまだ巡り会っていないけど、一緒に映画を観に行けたらいいな。


薫は結婚前に赤ちゃんができると占われて焦っていたわね。忘れたのかしら?でも、大学在学中の話ではなさそうだから、今は気にする必要はないか。


そんなことを考えながら映画のエンドロールを眺めていたら、私とは反対側の席に座っていた男女のアベックが立ち上がった。もう帰るのだろう。


そのアベックを何気なく見たら、女子高時代の同級生の麗子さんに似ていた。


はっとして凝視する。


スクリーンから反射する光で横顔を見たので確信はないが、やはり似ている。連れの男性は同い年かやや上くらい。多分大学生だろう。もちろん知らない顔だ。


私は麗子さんの占いの結果を思いだそうとした。確か・・・「恋愛、結婚は二十五歳で子宝には恵まれそう」と言われていた気がする。大学時代の交際は言われなかった。


そのままロビーの方へ出て行くアベック。私はエンドロールが終わり、場内が明るくなってから立ち上がった。


映画館を出る。そこには麗子さんらしい女性の姿はもうなかった。


「今から帰れば家庭教師の時間にちょうど間に合うだろう」と思いながら、私はとぼとぼと駅に向かって歩き始めた。


「あれが麗子さんなら、相手の男性とはどういう関係?」とか、「私の運命の彼氏は今どこにいるの?」とか、いろいろ考えながら。


駅前に着くと大勢の人が行き交っていた。そして私の少し前の雑踏の中に見知った顔の女性を見つけた。


その人物も男性と仲睦まじげに話しながら歩いていた。私はその様子を見てまた茫然としてしまった。




翌日、大学の講義室で薫の顔を見つけると、すぐに近づいて昨日のことを報告した。


「ねえ、私昨日映画館である人を見かけたんだけど、誰だと思う?もちろんスクリーンの中でって意味じゃないわよ」


「そんなのわからないわよ。芸能人でもいたの?」


「なんとね、麗子さんよ。白沢麗子さん」


「へ~、元気だった?」と全然驚かない薫。


「話しかけてないわよ。だって麗子さん、男性と一緒だったもの」


「何それ!?」薫が食いついた。「彼氏なの?」


「だから話しかけてないから、彼氏かどうかわからないわよ」


「麗子さんは令成大学に行ったのよね?入学してまだ一月余りなのに、もう彼氏ができたのかしら・・・?」


「だから、彼氏かどうかわからないってば」


「それでその二人はどこへ行ったの?」


「私が映画館を出たときにはもういなかったわ」


「何やってるのよ。すぐに後を追って、気づかれないように尾行しなくちゃだめじゃない」


「私は浮気調査をしている探偵じゃないのよ。そんなことできるわけないじゃない」


「残念ねえ。・・・近いうちに同窓会を開いてもらって、そこで追求しようか」


「それとね、駅前で別の男女のアベックを見かけたの」


「誰、誰?また同級生?」


「それがね、生徒会長だった美知子さんよ」


「へ~、あの生徒会長が?さすがに仕事が早いわね」


「何の仕事が早いの?」


「だって、生徒会長は秋花しゅうか女子短大に進学したでしょ?女子短大なのにもう男を捕まえるなんて。・・・あ!」


突然薫が叫んで私は驚いた。


「どうしたの?」


「生徒会長って在学中に婚約者がいるって噂なかった?確か後輩のお兄さんとか・・・」


「さあ、私は知らないけど」


「その男性だった可能性があるわね」


「私はその噂も相手の男性も知らないから、そのひとかどうかわからないわ」


「生徒会長に話しかけなかったの?」


「知り合いとはいえアベックには声をかけづらいじゃない。すぐに雑踏に紛れてどこかに行っちゃったわよ」


「あ~、ほんとうに貴子は探偵失格ね」と薫に言われた。元々私は探偵でも、探偵になりたいわけでもないんだけど。


「それじゃあ来週の同じ曜日にその映画館と駅前に行ってみようか?またその二組のアベックが訪れるかもよ」


「そうかなあ・・・?」広い都会だ。彼女らが毎週同じところに行くとはとても思えない。


「そんなに話を聞きたいなら、日曜日に麗子さんの家を訪ねてみたら?家にいたら話を聞けるわよ。・・・生徒会長の家は知らないけど、麗子さんなら知っているかも」


「実家には相手の男性がいないでしょ」と薫が言った。要するに相手の顔が見たいだけか。


「それに私たちが相手の男性のことを問い詰めているところを麗子さんの親に聞かれたらまずいじゃない?」


「そうかもしれないわね。真剣な交際だとしても、まだ親に紹介する段階じゃないでしょうね」


「だから来週、その映画館に行きましょうよ!」


「でも、まだ上映されている映画が入れ替わってなかったら?」同じ映画を何回も観る金銭的余裕はない。


「別に映画館に入る必要はないわよ。映画が終わる頃にその近くで張っていればいいんだから」


「あの界隈に何千人の人が通行していると思っているのよ。そんなの砂漠から一粒の砂を探すような無謀なことじゃない?」と私は反論した。


「無理だったらそれでいいし、新しい映画がかかっていたら、それを一緒に観てもいいわよ。どうせ暇だし」


暇だからそんなことを言うんだ・・・と私はあきれてしまった。


「わかったわ。ちょっとお手洗いに行ってくるから」私は薫を置いて講義室を出ようとした。


すると講義室の出入り口近くで男子学生に声をかけられた。


「君、鈴木さんだったね?昨日名画座で君の姿を見かけたんだけど、君は吉永小百合が好きなのかい?」


突然話しかけられて、私は焦って答えた。「え?いえ、吉永小百合が特に好きなわけじゃなく、いろいろな映画を観るのが好きなの。・・・え、と、嶋嶺しまね君だっけ?」


「そう、嶋嶺好男しまねよしおだよ。僕も映画が好きでね、あの映画館にはよく行くんだ」


「そうなの・・・」私は嶋嶺君の名前の漢字を思い出した。


嶋嶺好男・・・しまね好男・・・シネマ好き男?


「名画座で来週かかる映画も同じだったかしら?」


「確か来週は小津安二郎の『お早う』と『秋刀魚の味』に入れ替わる予定だったよ」


「小津安二郎監督作品か。『東京物語』とか観たことあるけど、その作品は観たかしら?」


「良かったら来週、・・・その、一緒に観に行かないかい?」嶋嶺君が顔を赤らめながら私を誘った。・・・ひょっとして彼が私の運命の人かしら?


「いいわね。行きましょう」私は薫や麗子さんのことをすっかり忘れて快諾した。


登場人物


鈴木貴子すずきたかこ 晨立大学一年生。松葉女子高校出身。映画好き。

佐藤 薫(さとうかおる) 晨立大学一年生。松葉女子高校出身。

白沢麗子しらさわれいこ 令成大学一年生。松葉女子高校出身。

小柴恵子こしばけいこ タムラ洋装店店員。松葉女子高校出身。

藤野美知子ふじのみちこ 秋花しゅうか女子短大一年生。松葉女子高校前生徒会長。

嶋嶺好男しまねよしお 晨立大学一年生。映画好き。


映画情報


ジュリアーノ・ジェンマ主演/バスタード(1969年4月25日日本公開)

ジャクリーヌ・ササール主演/女鹿(1969年4月25日日本公開)

ルノー・ヴェルレー主演/個人教授(1969年4月26日日本公開)

吉永小百合主演/キューポラのある街(1962年4月8日公開)

吉永小百合主演/美しい暦(1963年8月11日公開)

佐田啓二主演/お早よう(1959年5月12日公開)

笠智衆主演/秋刀魚の味(1962年11月18日公開)

笠智衆主演/東京物語(1953年11月3日公開)


書誌情報


早船ちよ/キューポラのある街 (彌生書房、1961年4月初版)

石坂洋次郎/美しい暦(新潮文庫版、1954年5月20日初版)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ