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二十五話 耽美文芸同好会

私は大学に入ってから不満だった。私が入学した明応大学にはいろいろなクラブやサークルがある。私は昔から読書が好きで、女子高では文芸部に所属していたから、その関係のサークルを探してみた。


まず、歴史が古い文学研究会。純文学や大衆文学を読み、評論し合い、また、自分でも小説を書くという活動を行っている。ただし文学全般を対象としているため、特殊な分野の文学を愛する学生たちは新たなサークルを作っている。


例えば児童文学研究会。児童文学は児童の純性を育む読み物として、読みやすくて内容が楽しく、時に幻想的で、一方で過激な描写は制限されている。子どもの頃に感銘を受けた人たちが大学生になっても児童文学を読み、語り合い、また自ら執筆するという活動を行うのはある程度理解できる。私はあまり興味がないけれど。


また、現代詩研究会というのもある。こちらは詩歌を対象とするサークルで、俳句や短歌なども守備範囲のようだ。同様の活動を行っている。


そしてサブカルチュラルなのがミステリー研究会とSF研究会。推理小説や空想科学小説はマニアックな愛好家がいて、そういう人たちは普通の文学にはあまり興味を示さないことが多いので、別サークルとして設立されている。冒険小説や幻想小説を含むが、舞台設定によってどちらかのジャンルに分かれるようだ。


しかし私が愛好するのは耽美小説だ。・・・耽美小説とは何か?と疑問に思う人もいるだろうが、単刀直入に言えば男性同性愛を扱う小説だ。・・・もちろん私は女性だから、自身で男性同性愛を経験したいわけではない。そういう背徳的な恋愛になぜか心を魅かれるのだ。


女子高時代は友人や後輩とキスし合ったことがある。しかしそれは友人にえも言われぬ魅力があったからだし、私を慕ってくれる後輩が愛おしかったためで、私自身は女性にしか興味がないというわけではない。嗜好は男性同性愛(の文芸)にあるのだ。


しかし「男性同性愛」と口に出すのは憚られる。英語で言い換えればいいというものでもない。そこで思いついたのが「耽美」という言葉だ。


もともと耽美主義たんびしゅぎという言葉がある。美の実現を至高とする芸術思想で、しばしば反道徳的な内容を含む。広義ではいろいろな内容を含むが、その中で最も耽美と思えるのが男性同性愛だと思っている。


一人で耽美小説を楽しむのもありだけど、やっぱり同好の士と語り合いたい。できれば同好会・・・「耽美文芸同好会」を作りたい。そして活動実績を積み、いずれ大学の公認サークル、「耽美文芸研究会」に昇格させたい。


そのために必要なのは同好の士を見つけることだわ。でも、どうやって?・・・まさか、手当り次第に「男性同性愛に興味がありますか?」って聞くわけにも行かないし。


そこで私は考えた。大学で講義を受けるために教科書とノートをブックバンドで束ねるのだけど、一番上に三島由紀夫の『仮面の告白』と『禁色』の文庫本を重ねておくのだ。


もちろん表紙が見えないように裏表紙を表にして束ねておく。これだとちらっと見られても何の本かすぐにはわからない。


しかし読書好きな人は他人が持っている本に興味を持つだろう。そして背表紙の文字から三島由紀夫のその系統の本と知る。そして「耽美小説」に興味がある人なら私に話しかけて来るだろう・・・。


ところが私の思惑に反して、周囲の学生は誰も私の持っている本に興味を示さなかった。それどころか、なぜか男子学生によく声をかけられた。


「山際さん、テニス部に入らない?」


「山際さん、社交ダンス部の集まりに来てみない?」


私に声をかける男子の顔を見たところでは、同性ではなく女性にしか興味がなさそうな男子ばかりだった。


「山際さん、男子によく声をかけられるね」と、同じ教育学部の一年生の中谷弥生さんが私に言った。中谷さんは同じ講義を受講しているため、しばしば会話するようになった。しかし私が持っている本にはまったく興味を示さなかった。


「クラブかサークルの勧誘ばっかりよ。どこも部員が少なくて困っているのかしら?」


「何言ってるのよ」と言い返す中谷さん。


「山際さんが美人だから声をかけているのに決まっているじゃない」


「へ?」と私はまぬけな返答をした。私が美人?それはないでしょう。


私は眼鏡をかけている。昔から眼鏡をかけている子は不美人と言われている。


大学に入学した時に、眼鏡の度が少し合わなくなっていたので、それまで使っていた黒ぶちの眼鏡をやめて新しい眼鏡を買った。縁が淡い赤色のきれいな眼鏡だ。


「私、眼鏡をかけているから美人じゃないわよ」と中谷さんに言う。


「自分の顔を鏡で見たことないの?うりざね顔の二重まぶたで睫毛が長いし、鼻筋も通っていて相当な美人よ」と中谷さん。


もちろん自分の顔は鏡で毎日見ているが、私は一重まぶたで鼻がまるっこい顔の方が素敵だと思う。だって女子高の友人、美知子さんみたいな顔が理想だもの。


「その気になればすぐに彼氏ができるわよ。うらやまし〜」と中谷さんは言い続けた。


「私は(普通の)男子には興味ないし。(愛し合う二人の美男子なら興味あるけど)」と言い返した。ちなみにかっこ内は私の心の声だ。


「もったいな〜い」と中谷さん。


それからなぜか中谷さんは私にべったりとくっつくようになった。そのため学部内では一番親しい人と言えるだろう。


もちろん中谷さんには女の子どうしで愛し合うといった性癖はない。あくまで私たちに話しかけてくる男子が狙いのようだった。


ある日キャンパス内を歩いていると同じ女子高出身の一色さんを見かけたので、声をかけた。


「こんにちは、一色さん」


「やあ、山際さん、久しぶり」と答える一色さん。ちなみに一色さんと私は女子高時代に学年一位の成績をよく競っていた。


「一色さんって推理小説が趣味だったわね。ミステリー研究会に入ったの?」


「もちろん」


「どんな活動をしているの?」


「部室内で探偵小説を呼んで、感想を言い合ったりしているよ」


「楽しそうね」


「うん。さすがに大学は人が多いから、女子高よりも同じ趣味の人が何人もいるよ」


「うらやましいわ」


「山際さんはどこかの文化系のサークルに所属したの?」


「私はまだよ。いいところがないか、探しているところ」実際は自分で同好会を立ち上げようと考えているところ。実質的な進展はないけれど。


一色さんと別れた後で私は自分の同好会を立ち上げたいという思いがますます強くなった。この大学内にはたくさんの女子学生がいる。私と同じ趣味を持った人が絶対に何人かはいるはずだ。


ただ、そういう人をどうやって見つけたらよいか、まだよくわからない。


翌日、講義が終わった後で、私は思い切って中谷さんに聞いてみた。


「ねえ、中谷さんは『耽美小説』に興味がある?」


「『耽美小説』?・・・それってどういう小説?谷崎潤一郎とかの作品のこと?」


「えっとね。・・・定義の説明は難しいけど」難しくはない。口に出して言いにくいだけだ。


「三島由紀夫の作品とかが該当するかな?」


「三島由紀夫の小説は私はあまり読んだことがないけど、・・・美少年とか美少女とかがよくでてくる小説ね?」


「ま、まあね」


「で、その『耽美小説』がどうかしたの?」


「私はそういう小説に興味があるの。だから、同じように好きな人がいたら集まって同好会でも作ろうかなって考えているの」


「へー」と、あまり興味なさそうに中谷さんが言ったちょうどその時に二人の男子学生が近寄って来た。


「ねえ、君たち、一緒にお茶でも飲みに行かないかい?」


「え~?」と私は露骨に嫌そうな顔をしたと思う。ところが中谷さんは、


「君たちってことは、私も誘われているの?」と男子学生たちに聞き返した。


「そうだけど」


「じゃあ、山際さん、行ってみようか」と中谷さんが私に言った。


「え?私はそういうの・・・」とあわてて断ろうとしたら、


「いいじゃない。何事も経験よ」と中谷さんが言い、小声で「行ってくれるならその同好会に入ってもいいわよ」と囁いた。


「え?」


私が作ろうとしている同好会に入ってくれるのは嬉しいが、中谷さんはいわゆるその『耽美小説』に本当に興味を持ってもらえるのだろうか?まだ、『耽美小説』の意味を理解してないようだけど。


でも、同好会会員(予定)が私以外に一人もいないと、ほかに興味を持ってくれそうな人が見つかっても、入会に躊躇するかもしれない。


とはいえ、この男子学生たちと一緒にお茶に行きたいとは思わない・・・。


私があれこれ考えて煮え切らない態度でいると、業を煮やした中谷さんが私の脇の下に腕を絡ませて無理矢理立ち上がらせた。


「さあ、行きましょう」


その強引さに逆らえず、私は二人の男子学生と中谷さんに連れられて大学近くの喫茶店に入った。広めの明るい店内だった。


テーブルに男子学生たちと私たちが向かい合わせに座り、ホットコーヒー二つとレモンスカッシュを頼む三人。私はアイスレモンティーを注文した。


二人の男子学生は同じ教育学部の学生で、顔を見たことがあった。名前はまだ覚えていなかったので、改めて自己紹介をし合う。


「僕は海棠 登(かいどうのぼる)。『のぼる』は山に登るの字だから、あだ名は『とうかいどう』だったけど、長いから最近は『トウ』と呼ばれてる」と、髪を耳が隠れるほど伸ばしている海堂君が言った。顔は・・・普通だ。


「俺は前田 当(まえだあたる)。『あたり前田のクラッカー』から『クラ』ってあだ名をつけられた」・・・こっちは由来を聞かなきゃわからないニックネームだ(『あたり前田のクラッカー』は、テレビのコメディドラマ『てなもんや三度笠』のスポンサーの前田製菓のコマーシャルのセリフだ)。前田君の髪の長さは普通だが、ニヒルな雰囲気を出そうとしているような、出せていないような人だった。


「私は中谷弥生。山際さんの親友よ」・・・いきなり親友にされてしまった。否定するのもなんだから、まあいいけど。


「山際喜子です。女子高にいたので男の人との会話には慣れていません。よろしくお願いします」


私が頭を下げて二人の学生を見ると、少し紅潮しているようだった。


「や、山際さんはどこに住んでいるの?」と海堂君。


「実家から通ってます」


「山際さんの趣味は何?」今度は前田君が聞いてきた。


「読書です」


「山際さんは彼氏いるの?」・・・なぜか私にばかり質問が集中する。


「山際さんも私も彼氏募集中です」と代わりに答える中谷さん。


「トウくんとクラくんは彼女いないの?」・・・もうあだ名で呼ぶの?順応が早い。


「俺たちもようやく受験勉強から解放されたところだから、彼女を作って大学生活を謳歌したいなと思っているところさ」と前田君。


「クラブとか入ってるの?」とさらに聞く中谷さん。


「いや。今、自動車免許を取ろうと教習所に通ってるんだ」と海棠君。


「車持ってるの?」


「さすがに自分の車は持ってないけど、親父が去年ダットサン・サニーの2ドアクーペを買ったから、それを借りて四人でドライブに行こうよ」


「いいわねえ」うっとりする中谷さん。


「車以外に何か趣味はあるの?」と私も思い切って聞いてみた。「俺たち愛し合ってるんだ」と海棠君と前田君が言ってくれたら、もっと興味がわくんだけど。


「ギターも練習しているんだ。フォークソングを歌おうと思ってね」


「素敵ね」と中谷さん。


「フォークソングって?民謡のこと?」と私は聞いた。


「え・・・と、フォークソングを知らないのかい?今流行(はや)っているグループ・サウンズに替わるポピュラーソングさ。ボブ・ディランとか、日本では森山良子、はしだのりひこ、ビリー・バンバンなどが人気かな?」


流行の歌についてはうとい私は曖昧な笑顔を浮かべていたが、


「素敵ね。是非聴かせてね」と中谷さんが嬉しそうに言っていた。


しばらく(私を除く)三人で歓談した後、喫茶店を出ると私は「そろそろ家に帰ります。今日はありがとう。さようなら」と言って帰ろうとした。


すると海棠君が私に、「また誘ってもいいかな?」と聞いてきた。


「いいけど、山際さんを誘う場合は私を通してね」と口をはさむ中谷さん。あなたは口利き屋ですか?


ともあれ、中谷さんが一応同好会の会員になることになった。さすがに海棠君と前田君は誘えない。いや、もともと男性を会員にする気はない。さて、同好会設立に必要な人数が集まるのかなあ?


登場人物


山際喜子やまぎわよしこ 明応大学教育学部一年生。松葉女子高校出身。

中谷弥生なかたにやよい 明応大学教育学部一年生。

藤野美知子ふじのみちこ 秋花しゅうか女子短大英文学科一年生。松葉女子高校出身。

一色千代子いっしきちよこ 明応大学文学部一年生。松葉女子高校出身。

海棠 登(かいどうのぼる)(トウ) 明応大学教育学部一年生。

前田 当(まえだあたる)(クラ) 明応大学教育学部一年生。


書誌情報


三島由紀夫/仮面の告白(新潮文庫、1950年6月25日初版)

三島由紀夫/禁色(新潮文庫、1964年4月30日初版)


テレビ番組情報


TBS系列/てなもんや三度笠(1962年5月6日~1968年3月31日放送)


レコード情報


ボブ・ディラン/風に吹かれて(1966年4月日本発売)など

森山良子/この広い野原いっぱい(1967年1月2日発売)など

はしだのりひことシューベルツ/風(1969年1月10日発売)など

ビリー・バンバン/白いブランコ(1969年1月15日発売)など


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